反対同盟とは名ばかりの誰が見ても単なる農家の母ちゃん?
闘争の歴史は、本などで多少は知ってはいるが、分裂の裏などまったく知らない。
農家としての立場なども含め、出入りしていた支援連のかかわりも余り知らない。
それでも、困らなかった。
同盟としては、父さんが動いていたし
分裂した農家を支援していた方達も農家の母ちゃんでしかない自分には親切だし、意見の違いで
分かれたんだと思っていた。
自分でも甘いと思うが嫌な事は知らせず自分で背負ってしまう父さんに守られて、
農家としての仕事だけ覚えればいいからと庇われて生きてきたから。
なぜ?一緒になれないのかな?
くらいに思っていた能天気な自分がいて
分かれた所の方と少し話す機会があり、根深い事を改めて考えさせられた。
国策に泣かされてきた同じ闘いをする間で深い溝がある事。
いつか長くかかろうと共に闘える事を願って。
「甘いのかな」
まずは、昔のわだかまりも知らなければならないけど
舅も主人も亡くなり、その当事係わってきた農民の多数が亡くなったり移転したり
聞ける者もいない。
両方の話聞きたいし、難しい。
でも知らなければいけない。
前に進むためにも。
闘争の歴史は、本などで多少は知ってはいるが、分裂の裏などまったく知らない。
農家としての立場なども含め、出入りしていた支援連のかかわりも余り知らない。
それでも、困らなかった。
同盟としては、父さんが動いていたし
分裂した農家を支援していた方達も農家の母ちゃんでしかない自分には親切だし、意見の違いで
分かれたんだと思っていた。
自分でも甘いと思うが嫌な事は知らせず自分で背負ってしまう父さんに守られて、
農家としての仕事だけ覚えればいいからと庇われて生きてきたから。
なぜ?一緒になれないのかな?
くらいに思っていた能天気な自分がいて
分かれた所の方と少し話す機会があり、根深い事を改めて考えさせられた。
国策に泣かされてきた同じ闘いをする間で深い溝がある事。
いつか長くかかろうと共に闘える事を願って。
「甘いのかな」
まずは、昔のわだかまりも知らなければならないけど
舅も主人も亡くなり、その当事係わってきた農民の多数が亡くなったり移転したり
聞ける者もいない。
両方の話聞きたいし、難しい。
でも知らなければいけない。
前に進むためにも。
わかれてから随分たって、お互いの考え方も離れてしまった。一緒になれないのなら、無理に一緒にする必要もないし、信じた道を進んでいくしかない。ただそこでお互いの足を引っ張りあわないように、エールを送れる関係くらいはあってほしい。横堀団結小屋撤去の時には、北原さん支援の人も、あくまで個人としての資格で来てくれた人もいるみたいだし、市東さんの農地決戦の時には、旧熱田さん支援の中から、そういう人が出るでしょう。それが自然体でいいんではないかなあ。あまり思いつめて無理しないで、今は自然な気持ちで自分の闘いをしていくことが、遠回りにみえて一番の近道だと思います。市東さんを守るためにもという、じりじりした気持ちは痛いほどわかりますが。
知っておいてほしいのは、北原さんと小川さんと島村さんがみんな違うのと同じように、熱田さんと柳川さんと相川さんは全然違う。支援の人の中でもいろいろな考えがあって、決して一つの言葉やレッテルでは表現も批判もできないってことです。
分裂前はそんないろんな考え方が同盟や運動の中で共存していて、みんなが意見の違う運動内部の他人じゃなく、公団や権力のほうを向いていた。そんで自分の考えの正しさを証明するためにも、競い合って権力と闘った。
それが分裂してからは、公団や権力とではなく、意見の違う人を直接に攻撃することがしばらく続いた。「意見の違い」そのものよりも、そういう間違ったあり方が大きな傷を残した。それさえなければ今なら一緒にやれることが沢山あっただろうにと思う。
ただ、今でも(古い人たちの間で)残る妙ちくりんな誤解だけは広めないように、自分の周りだけでも努力したいです。たとえば十把一絡げに「脱落派」なんて呼び方もそうですが、ほかにも「北原派」の方針は今でも中核派が決めていて、農民はその下に「管理」されているのだと固く信じている人が結構いたりするんです。
なんというも、そういう「意見の違い」以前的な、色眼鏡をはずしてもらうように、私なりにいろんなところで努力したいと思っています。
未だに遺恨が残っているんだと改めて考えさせられました
福島、沖縄、各地の原発問題、手を繋げる事が出来たら