彼を一人にしてはならない!
● 植村隆 「私は闘う」 を読んで
『世界』2月号
須山敦行
◎ 涙をなくして読めない。ドラマだ。誰か、映画にして欲しい。感動的な名画になるだろう。というのが、感想だ。
◎ 朝日新聞の植村記者のこと。北星学園のこと。と、このことは知っていると思っていたが、それは先入観念だった。知っているつもりで、憶測で誤った部分もあった。本人の直接の言葉には、リアルな細部に本質がある。知っていると思っていてはダメだ。もっと知らなくては。いつも、こうだからやめられない。『世界』で知ることが力になる。『世界』にふさわしい、一篇だ。
知ることから、何かを責任を持って発言出来るようになるのだ。
世の中には、無責任な発言を繰り返す人が大勢いる。
◎ 「週刊文春」記者というものの悪辣な行動が記されている。「週刊文春」とは、こういうものなのだ。笑って済まされない。人間として、断罪されなくてはならない。
「読売新聞」もしかりだ。これは闘いだ。
◎ この人たちは、ある意味、死を賭した闘いの中にある。
「人ハ只一生ニ一死有リ 生ヲ得テ意義ヲ要シ 死ヲ得テ価値有リ」
とは、植村弁護団の団長、中山武敏弁護士の父が座右の銘とした、中国の新民主主義革命の活動家の言葉だそうだ。
そういう生き方をしている人が、今いるのだ。
◎ 筆者は、最後に書く。
「私は捏造記者ではない。
不当なバッシングには屈しない。
そして、私は一人ではない。」
彼を一人にしてはならない。