すや亀 信州香味だより

酢屋亀本店が年4回発行する、
パンフレットに記載されたすや亀だよりを
インターネットでお読みいただけます。

すやかめだより '05-113号 お客様を訪ねて2

2006-04-28 | Weblog
ここにも善光寺門前みそ
お客さまを訪ねて 第2回
"人気ラーメン店の名物に一役"
株式会社 横浜亭様 長野市赤沼568



「ラーメン激戦区」と言われるほど
さまざまなラーメン店が個性と味を競う長野市で、
老舗的な存在の「横浜亭」さん。
昨年12月に登場の新メニュー、
アイガモ農法のアイガモを使った「あいちゃんぎょうざ」が
今、注目を集めています。


偶然にも「あいちゃん」の当たり年
青木(店主) アイガモ肉を原料にした「あいちゃんぎょうざ」が、
       ついに商品化されましたね。
       評判はいかがですか。
阿部社長  昨年は、
       さまざまな分野で「あいちゃん」が活躍してブームになりました。
       思いがけない偶然でしたが、
       「あいちゃんぎょうざ」も注目され、まずまずの売れ行きです。
       アイガモの肉はコクと旨味があるし、
       高タンパク、低コレステロールの健康食品なので、
       ぜひ多くの方に知っていただきたいと考えています。

アイガモ農法の救世主として
青木   アイガモ農法は「究極のみそ」の米作りを支えているのですが、
      その主役であるアイガモたちを引き取っていただくようになって、
      2シーズン目になりますね。
阿部社長 ええ。
      当初は肉をラーメンのトッピングに、と考えたのですが、
      思いのほか量が取れず、
      昨年からは
      環境のよい野尻湖畔で4ヶ月あまり肥育することにしたのです。
      市販のエサも使いますが、
      主に店で出る野菜クズやスープのガラなどを独自に配合した
      エサを与えて育てました。
青木   社長自ら毎日エサを運ばれたとか。
阿部社長 そうです。
      農家の方に飼育をお願いしましたが、
      毎日、仕込みの後、エサを作っては車を飛ばし、
      「あいちゃん」と呼びかけながらエサをやるんです。
      かわいいので通うのは楽しみだったのですが、
      情が移ってしまいましてね(笑)。
      肉にするには切ないものがありました。
青木   しかし、
      アイガモ農法を守るための道筋ができたことは、
      いろいろな意味で大きな意義があると思います。
      今後の展開にさらに期待したいですね。
阿部社長 アイガモは、
      信州産の安全・安心な原材料にこだわる
      当店のポリシーにぴったりの素材です。
      70羽ほどですので、
      数量限定でのご提供しか出来ませんが、
      安全・健康はそのままに、
      さらに効率よく肥育できるような方法を検討する予定です。
         
おなじみ「信州みそラーメン」
青木   御社のみそラーメンに「門前みそ」をお使いいただくようになったのは、
      平成に入った頃でしたか。
阿部社長 そうですね。
      みそラーメンは、創業以来うちの看板商品ですが、
      味の決め手となるみそダレを厨房の小さな鍋で作っていたのでは、
      量にも味にも限界があるので、
      専門的な加工技術をお持ちのすや亀さんにお声をかけたわけです。
青木   「横浜亭の味」をレシピの通りに再現するのに苦労しましたよ。
      今でも一定の味を提供させていただく難しさを実感しながら、
      常に気を入れて取り組んでいます。
阿部社長 おいしいものを創り上げる基本は「気合」という点では、
      うちもまったく一緒です。
      一昨年からは「信州みそラーメン」の新名称で、
      全国の皆さんにおいしさをお届けしたいとがんばっています。



『企業プロフィール』
長野市赤沼のアップルライン沿いに
昭和54年、10坪のラーメン・ぎょうざ専門店「横浜亭」を創業。
たちまち人気店となり、昭和61年、現地に移転し70席で営業。
信州らしい食材を生かしたメニューが世代を問わず大好評です。
電話番号 026-296-4580


すやかめだより '04-112号 お客様を訪ねて1

2006-04-25 | Weblog
ここにも善光寺門前みそ
お客さまを訪ねて 第1回
"宅配惣菜に欠かせないみそ風味"
株式会社 北日本ホーム食品様 新潟県紫雲寺町



白砂と赤松林が美しい日本海・藤塚浜。
新潟県最大の風力発電地域としても知られる環境のいい場所に
本社・工場を構える北日本ホーム食品さん。
すや亀とは両社の先代社長時代から50年以上の長いおつきあいです。

半世紀を超える信頼関係
青木(店主) 戦後、魚店だった御社に味噌や醤油を卸して以来ですから、
      もう60年近いお取引なんですね。
多田社長 そうですね。
      その後、時代の変化に対応し、
      食肉の加工メーカーに180度転換したのが昭和40年代前半。
      新商材として鶏手羽の味噌漬を開発し、
      以来すや亀さんには加工用の味噌を供給していただいています。
      当時のすや亀の工場長が実に研究熱心で、
      先代社長(現会長)と
      二人三脚で商品開発をしたという経緯があるのです。
      やがて日本人の食生活変化をにらみながら豚や牛の味噌漬を開発し、
      幅広い商材を手がけるようになりました。
多田専務 現在は小売流通を一切せず、
      宅配用の加工食品企画・製造に特化しています。
      豚ロース味噌漬など息の長い商品もありますが、
      それを主力とするメーカーではなく、
      常に新しいアイテムを企画・開発する「食の企画社」であることを
      自負しています。

常に新しいものを
青木   1年に何品目くらい手がけるのでしょうか。
多田専務 年間約280アイテムを開発しています。
      2日に1.5品新商品を生み出している計算です。
      惣菜は寿命が短く、
      次々に新しいものを出さないと飽きられてしまうのです。
青木   規模も商品数も比較になりませんが、
      常に新しいものを開発・発信する精神は私どももまったく同じ。
      非常に共感します。
多田専務 しかも食品ですから、ただ目新しければいいわけではありません。
      「安全・安心」を基本に、
      味覚の上でも親しみやすさや安心感を持てることが重要です。
      その点、
      「善光寺門前みそ」に対する全国のお客さまの信頼感は絶大ですね。
      隠し味としての「みそ風味」も当社の個性です。
青木   ありがとうございます。
      味噌は伝統的な食品ですが、
      やはり時代に応じて消費者の好みが変化しています。
      塩分や味の深みなどを常に研究し、
      時代に合うものをと心がけています。

「安全・安心」のニーズに応える
小林工場長 「安全・安心」に対するニーズが年々高まる中、
      当社ではきわめて厳格な衛生管理に基づいて
      開発・製造を進めています。
      その観点から、
      すや亀さんの工場にも厳しいチェックを入れていますが、
      伝統ある蔵のたたずまいを残しつつ、
      衛生面、品質管理面では現代のニーズに合わせて
      きめ細かく対応している様子を拝見し、信頼を深めていますよ。
青木    私たち自身の意識改革を進める上でも、
      客観的な目で工場を見ていただくのは非常にプラスになります。
多田社長  分野は違っても「食品の加工」を事業のひとつの柱に据え、
      流通の変化に対応して成長を続けている点は、
      両社に共通していますね。
      今後ともいい関係を続けていきたいものです。



『企業プロフィール』
長野市の食肉加工メーカー株式会社ホーム食品(昭和42年創業)の
製造部門企業として新潟県紫雲寺町に昭和59年創業。
「手羽味噌漬」「豚ロース味噌漬」をはじめ多種多様な惣菜を開発・製造し、
生協や惣菜宅配企業を通じて全国に供給しています。

すやかめだより '04-111号 表現の匠たち4

2006-04-22 | Weblog
すや亀の心を「美」で伝える
表現の匠たち
第4回 グラフィックデザイナー 瀬下良幸さん


本誌「信州香味だより」をはじめ、すや亀のPRや店内の演出に欠かせないのが、
切り絵、型染、人形、版画などのすてきな作品たちです。
このコーナーでは、こだわりの味わいを創造するすや亀の心と信州の魅力を、
さまざまな作品によって表現してくださっている作家の皆さんを
紹介してまいります。


すや亀のイメージ戦略を担って19年
本誌をはじめ、
パンフレット、広告などの宣伝物や、商品のパッケージ等を作る際、
店主のこだわりや、
商品づくりに情熱を傾ける"蔵人"たちの思いを十分理解しながら、
具体的な形に仕上げてお客さまが受け取りやすいメッセージにするのが
グラフィックデザイナーの仕事です。
今までこのコーナーに登場してきた"匠たち"とは異なり、
普段、表に出ることは少ないものの、
できあがったデザインが、そのまま店舗や商品のイメージに結びつくだけに、
デザイナーはとても重要な役割を担っています。

毎回、新しい魅力を発信
年4回発行の本誌は、
全国にいらっしゃる当店の大切なお客様に、
最新情報やメッセージを直接お届けできる貴重な機会です。
そのため、
制作に際しては瀬下さんと店主との間で繰り返し意見交換が行われ、
何度も手直しが指示されます。
19年間続けているとはいえ、毎回、その過程に妥協や手抜きは一切ありません。
味噌という伝統的な商品を扱いながら、
常に新しいもの、魅力的なものを発信し続けているのです。
「だからこそ、この仕事を通じ、
デザイナーとしてずいぶん鍛えられたと感じています。
手直しの指示は確かに厳しいですが、
すや亀さんの真剣さがわかるので、こちらも責任持って取り組めるんです。
商品づくりやお客さまへの対応に関し、浮ついたところがなく、
まじめな姿勢で取り組んでいる企業の仕事という点でも、
自分に合っていると思っています」。

わかりやすさを心がけて
瀬下さんが毎日の仕事の中で心がけているのは、
見る人、読む人にとって見やすく、わかりやすいこと。
色彩的にも、表現の上でも、
きれいでスッキリしたデザインをめざしていると言います。
それは、すや亀が追求する「真味是淡」の精神にも通じます。
オーソドックスでありながら、
そこにキラリと「すや亀らしさ」が光るようなデザインやパッケージに、
これからもご期待ください。



店主より
瀬下さんとは、
昭和60年に、小売店舗の営業を始めた時からの長いおつきあいです。
本誌をはじめとする広告宣伝物や商品パッケージのほとんどを、
瀬下さんにお願いしているわけですが、
こちらが言わんとすることを伝える前に的確に理解し、
形にしてくれるデザイナーとして、
瀬下サンは当店になくてはならない存在。
今後の前進と活躍にも大いに期待しています。

すやかめだより '04-110号 表現の匠たち3

2006-04-21 | Weblog
すや亀の心を「美」で伝える
表現の匠たち
第3回 人形作家 高橋まゆみさん


本誌「信州香味だより」をはじめ、すや亀のPRや店内の演出に欠かせないのが、
切り絵、型染、人形、版画などのすてきな作品たちです。
このコーナーでは、こだわりの味わいを創造するすや亀の心と信州の魅力を、
さまざまな作品によって表現してくださっている作家の皆さんを
紹介してまいります。


蔵人の人形は前工場長がモデル

時折すや亀の店頭に登場し、
お客さまや道行く人の目を引くおなじみの人形。
高橋まゆみさんは、この人形の生みの親、飯山市在住の人形作家です。
農村に生きる素朴なお年寄りの姿や、
四季に包まれて生き生きと遊ぶ子どもの姿が特徴的な高橋さんの創作人形は
近年とても人気が高く、「これは高橋さん作でしょう?」と、
店に声をかけてくださる方も多い昨今です。
昔ながらの職人装束で木桶をかつぐ蔵人は、実は当店の前工場長がモデル。
店主が仕事先で偶然見かけた高橋さんの人形に一目で感動し、
「味噌づくりに通じる何かを感じる!」と、製作を依頼したもの。
以来8年、この人形はお客さまに親しまれ、店のスタッフにも愛されて、
今やすっかりすや亀のシンボルとなっています。


すや亀の四季を彩ってきた人形たち

数年前まで、すや亀では
高橋さんに本店ショーウィンドウのディスプレイをお願いしていました。
2ヶ月に1回、
入れ替わりで置かれる七福神、風神雷神、節句雛などの人形が、
店頭に季節感を演出し、
食品小売店としては斬新な店頭が話題を集めたものでした。
その間に高橋さんもプロの作家として独自の作風を確立し、
活動の範囲を全国へと広げていったのです。


手や背中に刻まれる年輪を表現

高橋さんの作る人形たちは、
顔だけでなく、その姿の細かな点にいたるまで、とても表情豊かです。
特にお年寄りの手や背中は、
まるで語りかけてきそうな存在感に満ちています。
「手や背中の表情の中に、
顔以上に表れてくる年齢を大切にしたいと思いながら創ってきました。
自分が気持ちを注いで創ったものに、見た方も共感してくださると、
創ってよかったと心から思います」と、にこやかに語る高橋さん。
自然や人情が豊かな飯山という地に暮らしながら、
身近なお年寄りの日常に
愛情こもったまなざしを向けておられる様子がうかがえます。
高橋さんが創りためてきた約140体の作品を展示する
「故郷(ふるさと)からのおくりもの」展が、現在全国を巡回中です。
(注:2004年の夏現在の話です。いまはやっていません)


店主より
8年ほど前、無農薬有機栽培大豆の契約の話で
飯山市の「なべくら高原森の家」を訪ねた折、
偶然ロビーに飾られていた農夫の人形に目を奪われました。
作者の高橋さんは、その頃まだ自らの作風を模索していたようですが、
あの感激は今も私の胸に鮮やかです。
全国的に注目される作家に成長されたことを心から喜ぶとともに、
変わらぬおつきあいが続いていることを大変うれしく思います。


すやかめだより '04-109号 表現の匠たち2

2006-04-18 | Weblog
すや亀の心を「美」で伝える
表現の匠たち
第2回 板画家 森 獏郎さん


本誌「信州香味だより」をはじめすや亀のPRや店内の演出に欠かせないのが、
切り絵、型染、人形、版画などの素敵な作品たちです。
このコーナーでは、こだわりの味わいを創造するすや亀の心と信州の魅力を、
さまざまな作品によって表現してくださっている作家の皆さんを紹介します。

あんずの里の一隅で
日本一のあんずの里として知られる千曲市森。
ここに江戸時代からの漢方医の屋敷を生かした小さな美術館
「杏の里板画館」があります。
庭にある松の老木から「千本松の家」と呼ばれるこの建物は、
館主である板画家・森獏郎さんの自宅でもあります。
敷地の一角にはアトリエがあり、
本誌と一緒にお届けしているしおりの絵柄でおなじみの「一茶ごよみ」は、
ここで生み出される板画を元にデザインしています。

刀の勢いで彫る板画
「板画(ばんが)」・・・あまり聞きなれない響きですが、
これは、森さんをこの道へ導いた故棟方志功氏が名付けた版画の一分野。
刀の勢いを殺さず、スピーディに木の板を彫っていくことにより、
木版画の特色を最大現生かす自らの版画を、
棟方氏は「板画」と呼んだといわれます。
鎌倉で油絵に没頭していた三十代の森さんは、
たまたま出かけた氏の回顧展で、板画の表現力の豊かさに魅了され、
迷わず板画家として新たなスタートを切りました。
すでに故人であった棟方氏への深い尊敬から「死後の一番弟子」を自認し、
ひたすらに学び研究し、作品を創り続けてきたのです。

心あたたまるふるさとのメッセージ
緊迫した刀の痕跡と木の温もりがしっとりと調和し、
どこか懐かしさ、やさしさが漂う森さんの板画作品は、
あんずの里から発信されるふるさとのメッセージ。
中でもメインテーマとして取り組んできた
信州出身の俳人・小林一茶に関しては、
「あまり知られていない句を掘り起こす意味も込め、
できる限り地元らしいものを選んできました」とおっしゃいます。
これから作品にしたい句もまだ数多くあるそうで、
今後の「一茶ごよみ」がますます楽しみです。
作家活動のかたわら、運営に携わってきた杏の里板画館は、
この春開館10周年を迎えます。
あんずの花があたり一帯を染め上げる4月には、
あんず祭りに合わせて記念展を開催予定。
ぜひおでかけください。


<店主より>
20年ほど前、親しい先輩のお宅で、
1枚1枚手で刷られた板画カレンダー「一茶ごよみ」を一目見て、
すっかり気に入ってしまったのが、森獏郎さんとの出会いでした。
以来、毎年カレンダーを購入するとともに、
個人的にも交流を深めてきました。
この10年は、作品をカタログのしおりや年賀状に使わせてもらい、
お客様からも大変好評をいただいています。

すやかめだより '03-108号 表現の匠たち1

2006-04-17 | Weblog
すや亀の心を「美」で伝える
表現の匠たち
第1回 型染作家・イラストレーター 宮沢千賀さん


本誌「信州香味だより」をはじめすや亀のPRや店内の演出に欠かせないのが、
切り絵、型染、人形、版画などの素敵な作品たちです。
このコーナーでは、こだわりの味わいを創造するすや亀の心と信州の魅力を、
さまざまな作品によって表現してくださっている作家の皆さんを紹介します。

表紙と店内ののれんが好評
本誌の表紙を飾る切り絵には、
いつも季節感あふれる野の花や草木が風情豊かに描かれています。
作者の宮沢千賀さんは、
信州の自然の風物を巧みにデザインする型染作家としても知られ、
やさしさと静かな強さを感じさせる作風が人気を集めています。
すや亀の本店でも、
店内と食味処の入り口に宮沢さん作の、のれんを掛けていますが、
本誌表紙とともに、お客様からしばしばおほめの声をいただきます。

四季の野の植物をテーマに
10月初旬、撮影のため来店された宮沢さんは、
和服姿がとても自然であたたかな印象でした。
さりげなく締めた帯は、御自身の型染作品。
風になびく秋草がほのぼのと秋を演出しています。
宮沢さんがこうした野の花をテーマにするようになったのは、
昭和40年代、植物に造詣の深い文筆家・故宇都宮貞子氏を紹介され、
著作の挿絵と装幀を担当したことがきっかけでした。
「宇都宮先生とご一緒に四季折々の野山を歩き、
植物の魅力を知ると同時に、正確に描写することを学びました。
それが自分の方向を定めるきっかけになったのです。」

伝統+グラフィックな感性
宮沢さんが絵画を志したのは高校時代。
一度は銀行OLを経験しますが、
夢をあきらめることなく絵を続け、
やがて上京して美術学校のデザイン科を卒業。
東京、長野でグラフィックデザインの仕事を続ける中で、宇都宮市をはじめ、
切り絵作家の吉原澄悦氏、型染作家の塩入守冶氏との出会いがあり、
それぞれの師に教えを請いながら独自の表現世界を築いてきたのです。
植物の特徴を正確に描写しつつ、
グラフィックな感性が漂う宮沢さんの作品は、
年齢や性別を問わず多くの人に愛されています。
「作品を通じ、信州のよさを多くの方に知っていただけたらうれしい」
と微笑む宮沢さん。
今回の表紙もそんな思いをこめ、「南天」をデザインしていただきました。

<店主より>
宮沢さんとは、昭和60年に店を建て直した際、
新店の切り絵の創作をお願いして以来のおつきあいです。
長年、本誌の表紙に
四季折々の野の植物を表現した切り絵を寄せていただいていますが、
「毎回表紙が楽しみ」とおっしゃるお客様も多く、
すや亀の雰囲気にぴったりの作風は、
私も大変気に入っています。

すやかめだより '03-107号 食のよもやま話4

2006-04-13 | Weblog
市川健夫先生と語る食のよもやま話
最終回 「白うり」


日本全国をくまなく踏査し、地域文化に詳しい市川健夫先生
(東京学芸大学名誉教授・長野県立歴史館館長)と、
すや亀店主・青木茂人が「食文化」を語り合うシリーズ。
「味噌」「たくあん漬」「丸なす」を語り、最終回の今回は
「白うり」をテーマに地域の食文化へと話題が広がりました。


青木 今年も「白うり粕漬」を漬ける季節になりました。
   今、漬けているのは地元松代の千曲川河川敷で栽培したうりです。
   その他、鬼無里の裾花川近くで栽培するものなど、
   収穫期に応じて長野市近郊各地のうりを使っています。

市川 千曲川河岸地域は、うりにとって最高の栽培条件を備えています。
   うりは「忌地(いやち)」になりやすく、連作を極端に嫌う作物ですが、
   洪水のたびに土地が肥える沖積地では連作も可能です。
   千曲川の沖積地には十分な水分があり、
   なおかつ水はけもよいことから、質のよいうりができます。
   昔から、須坂の千曲河畔を主産地とする「沼目うり」が、
   「東京うり」「高田うり」「桂うり」と並ぶ
   代表的な白うりの品種として知られています。

青木 うりは日本古来の作物なのですか。

市川 白うりはインドが原産です。
   それがベトナムなど東南アジアへ伝播し、
   日本へは6~7世紀に中国から伝えられました。
   日本の農書や農林省には中国の用語である「越瓜」と書かれています。
   これは越南(ベトナム)から入ったうりという意味です。

青木 昔はどうやって食べていたのでしょう。

市川 火を用いて調理した白うりは、他の野菜と比べおいしくありません。
   漬物が中心だったと思われます。
   白うりを漬けておいしく食べているのは日本だけかもしれませんね。
   酒粕に漬ける習慣は、中世に始まったと考えられますが、
   これは大した工夫だと思います。

青木 実は味噌漬も試したことがあるのですが、
   粕漬の方が断然おいしいので、今は粕漬のみです。
   ところで、いろいろな漬物の中で、
   粕漬は子どもの頃からなんとなく高級な漬物というイメージがありました。
   大事なお客さまにだす漬物というような・・・。

市川 日本酒の粕が昔は高級だったからでしょうね。
   信州の白うり粕漬は、
   奈良地方の「奈良漬」とは、またひと味違う味わいを持っています。

青木 信州では日本酒の粕ですが、
   「奈良漬」は味醂の粕を使って作るのですね。

市川 昔からそうですね。
   信州には酒造は多いけれど、味醂の醸造元は少ないのです。
   やはり伝統的な食文化は地域性と深い関わりを持っているのです。
   うりが小さく果肉がやわらかいうちに収穫して漬けるのも、
   信州の白うり漬の特徴でしょう。
   奈良漬は果肉の堅い歯ごたえがひとつの持ち味ですが、
   信州のは果肉がやわらかく、それでいて適度な歯ごたえがあります。

青木 確かに、やわらかい中にも、
   あのハリハリした歯ごたえは信州の粕漬の特徴かもしれません。
   昔はどこの家庭でも作っていた漬物だけに、当店で作る際も、
   昔ながらの素朴な味と食感を大切にしています。

市川 先ほどお話した「沼目うり」をはじめ伝統的な作物の中には、
   その地域の風土に適したものが数多くあります。
   それを地方性が豊かでおいしく味わうことは、
   文化的にみて非常に意義のあることだと私は考えています。
   「食」は立派な文化財なのです。
   すや亀さんでは、
   常々地域の食文化を意識しながら商品開発や営業をしておられる点、
   感服しております。

青木 どうもありがとうございます。
   4回にわたり大変興味深いお話を聞かせていただきました。
   今後も先生のご活躍を祈念しております。




すやかめだより '03-106号 食のよもやま話3

2006-04-12 | Weblog
市川健夫先生と語る食のよもやま話
その3 「丸なす」


日本全国をくまなく踏査し、地域文化に詳しい市川健夫先生
(東京学芸大学名誉教授・長野県立歴史館館長)と、
すや亀店主・青木茂人が「食文化」を語り合うシリーズ第3回。
今回は「丸なす粕漬」から丸なすの文化へと話題が広がりました。


青木 当店の漬物の中で人気が高いものの一つに「丸なす粕漬」があります。
   他の漬物屋さんではめったに見ることがないらしく、
   当店オリジナルの漬物としてご好評をいただいています。

市川 ぬか味噌漬、みそ漬はよく見ますが、粕漬は確かに珍しい。
   これは歯ごたえも漬かり具合もなかなかいいですね。

青木 実は「白うり粕漬」の副産物、
   つまり白うりのヌキ粕を丸なすの下漬に使ったことから
   偶然生まれたのが、この「丸なす粕漬」だったのですが、
   予想以上に好評で、
   最近では1年を通じて全国のお客様から
   お問い合わせやご注文を頂く人気商品になりました。

市川 なすはきゅうり、トマトなどとともに夏の「果菜類」の代表です。
   漬物はもちろん、似てよし、焼いてよし、炒めてよし、
   蒸かしてもよしと、実にいろいろな食べ方で楽しめ、
   夏野菜の代表といってもいいでしょう。
   原産地はインド東部とされ、
   中国を経由して8世紀以前に日本に伝えられました。
   万葉仮名では「奈須比(なすび)」と書かれ、
   当時から栽培されていました。

青木 その頃のなすは丸なす、長なす、どちらだったのでしょうか?

市川 なすの種類は3千種もあるといわれ、「丸なす」「長なす」、
   一口なすとも言われる小ぶりな「捥なす」に大別されます。
   そのいずれも栽培されていたと考えられますが、
   長なすは栽培が容易で収量も多いことから農家に歓迎され、
   丸なすや捥なすは次第に減っていきました。
   そこで、今ではごく限られた地域でしか栽培されなくなってしまいました。

青木 北信濃は、その貴重な産地のひとつというわけですね。

市川 北信濃でも特に
   小布施の山王島と篠ノ井の小森は日本を代表する丸なすの産地です。
   「小布施なす」「小森なす」「川中島なす」と言って、
   一時は関東一円に出荷されていました。
   小布施も小森も千曲川の沖積地、、
   すなわち洪水のたびに新たな肥沃土が堆積する場所です。
   なすは「忌地(いやち)」と言って極端に連作を嫌う作物ですが、
   こういう土地では連作が可能なわけです。
   丸なすの産地である山形県の庄内平野、福島県の会津、
   新潟県の中越・下越、そして京都の加茂は、
   いずれも河川の沖積地という共通点を持っているのです。

青木 このあたりでは、なすと言ったら、たいてい丸なすのことを指しますね。
   漬物にしても煮物にしても長なすでは、
   どうも食べて物足りない感じがします。
  
市川 そうですね。
   丸なすのほうが果肉が厚くて密度も高いことから、
   どんな料理にも向いています。
   特に北信濃で育った人間にとっては
   「なす餡のお焼き」に代表されるように、
   丸なすは生活に欠かせない食材です。
   丸なすを輪切りにして味付けした味噌を加え、
   小麦粉をのばした皮で包んで蒸すあのおやきは、
   風土食と季節の地野菜が結びついた、実に興味深い食べ物です。

青木 輪切りのなすを使って蒸すだけのシンプルなおやきは、
   ふるさとの懐かしさを持っていますね。

市川 特に昔の年寄りは皮を薄く実に上手にこしらえるので、
   なすの旨味がなんとも言えなかった。
   産地ならではの味わいです。
   昔はお盆の8月14日の朝、
   お焼きを作って仏前に供える習慣がありました。
   旬の野菜をご馳走として味わう生活の知恵でしょう。

青木 これからも確かな製品作りに精進していきたいと思います。
   本日はありがとうございました。

すやかめだより '03-105号 食のよもやま話2

2006-04-10 | Weblog
市川健夫先生と語る食のよもやま話
その2 「たくあん漬」


日本全国をくまなく踏査し、地域文化に詳しい市川健夫先生
(東京学芸大学名誉教授・長野県立歴史博物館館長)と、
すや亀店主・青木茂人が「食文化」を語りあうシリーズ第2回。
今回は蔵出し間もない「たくあん漬」が話題にのぼりました。


青木 今年も「戸隠たくあん」が漬けあがりました。
   戸隠、飯綱周辺を主な産地とする青首の地大根を使い、
   当家伝統のたくあん漬そのままの素朴な味、姿が、
   おかげさまでご好評をいただいています。

市川 戸隠・芋井(長野市北西部の山間地)地区で獲れる大根は、
   元禄時代に江戸で記された『本朝食鑑』に
   「景山(かげやま、現在では影山)大根」の名で登場し、
   日本一の大根と評されています。

青木 うれしい驚きです。
   ところで、たくあん漬の起源は古いのですか?

市川 農業の生産力が飛躍的に高まり、
   食文化も豊かになった江戸初期頃です。
   400年ほど前、
   三代将軍家光が信奉した臨済宗の高僧・沢庵禅師が
   造り方を教えたといわれています。
   また保存食としての「蓄え漬」が沢庵漬けに転じたという説もあります。
   大根は日本人の生活文化と深い関わりを持つ野菜です。
   春の七草にも「スズシロ」として万葉時代から登場しています。
   この場合は季節的に見て根でなく花を食べたわけですが。
   ちなみに
   「大根」と書いて「だいこん」と読むようになったのは
   近世以降のことで、
   それ以前は「おおね」と呼ばれていました。
   明治から第二次大戦後まで農林省では、
   だいこんは中国の表記に従い「蘿蔔」と記されていました。
   現在でも大根は
   野菜で日本最大の作付け面積と生産高(230トン)を誇っています。

青木 大根がそれほど作られているのはなぜなのでしょうか?

市川 大根の旬は秋から冬ですが、
   夏には夏大根が獲れるし、
   高冷地や寒冷地の大根は夏から秋が旬ですから、
   一年中栽培・供給されている結果です。
   また煮ても田楽料理にしてもよいし、薬味にもよい。
   そして漬けてもよしと、食べ方が多彩なために
   大根は需要が多いのです。

青木 確かに、たくあんをはじめ大根料理は実にいろいろありますね。

市川 五穀(米、麦、豆、粟、黍)を産することができない山間地では、
   米・麦に代わるものが稗と大根だったのです。

青木 主食が大根ですか?

市川 米に大根を混ぜて炊く「大根飯」は、
   実は山間地の日常食だったのです。
   秋山郷や山ノ内町須賀川には、千切りにした大根を茹で、
   水で溶かしたそば粉を入れる食べ方があり、
   あたかも蕎麦切りに見えることから「早蕎麦」と言われています。

青木 昨今は地大根が注目され、
   各地で復活や保存の話題を聞きます。
   当店で使う大根も地元に伝わる青首大根を改良した品種です。

市川 地大根は、地方で栽培されている在来種の大根という意味です。
   信州では14種類が栽培されていますが、
   秋山郷の苅野大根のように焼畑耕作の消滅とともに
   なくなった品種もあります。
   これらの大根は風土の異なる土地ではよく育成しません。
   すや亀さんでお使いの大根は代表的な地大根であり、
   西山・中山と呼ばれる筑摩山地の山間部、
   つまり大根の生産に最も適した地で作られているわけです。

青木 ますます自信を持って「戸隠たくあん」の生産に精を出せます。
   本日はありがとうございました。
    
   

すやかめだより '02-104号 食のよもやま話

2006-04-08 | Weblog
市川健夫先生と語る食のよもやま話
その1「味噌の話」


日本全国をくまなく踏査し、地域文化に詳しい
東京学芸大学名誉教授で長野県立歴史博物館館長の
市川健夫先生とすや亀店主の青木茂人が
「食文化」について語り合うシリーズ。
今回は味噌づくりがテーマです。

青木 本日はご足労くださりありがとうございます。
   実際に工場をご覧いただき、いかがでしたでしょうか。

市川 伝統的な原料を使い、古い建物を生かして
   オーソドックスに製造しようという姿勢が感じられました。
   工場内に井戸がありましたね。
   この地域は裾花水系の豊かな地下水に恵まれている所。
   非常にいい条件のもとに、味噌づくりをなさっていると思いました。

青木 「健康で安全な食を提供する」のが当社のポリシーです。
   経営的には作業効率の向上やコストダウンが不可欠ですが、
   「究極のみそ」など高級品は材料も製法も徹底的にこだわり、
   昔ながらに手間暇かけて仕上げています。

市川 それは大切なことですね。
   日本の文化の基層を成す「照葉樹林文化」を構成する
   要素のひとつに「麹菌を使った醸造」があります。
   長野県は日本最大の味噌産地であり、
   食文化はもちろん日本の文化そのものを考える上でも
   重要な位置にあるのです。
   ところで信州では昔から
   味噌を桃の節句に仕込む習慣がありましたが、
   お宅の場合、
   清酒のように「寒仕込み」にもこだわっておられますね。

青木 はい。
   「究極のみそ」は寒の時期にだけ仕込みます。
   寒さで麹菌の活動がゆるやかなため、
   発酵も熟成も時間をかけてじっくりできるのが、
   味にいい影響をおよぼしているように感じます。

市川 寒中は雑菌が繁殖せず、麹が純粋培養されます。
   したがってこの時期が味噌の仕込みの適期といえるでしょうね。

青木 原料の大豆は安曇野を含む松本盆地の契約農場で作っています。

市川 そのあたりの土壌は黒いでしょう。
   肥沃で鉄分などを豊富に含み、
   穀物の栽培に非常に適した古生層の風化土壌です。
   しかも奈良・平安の時代から律令政府の管理下にあった
   条里制の遺構水田ですから土壌がいい。
   なかなかいい条件を選んでますね。

青木 原料は産地と栽培する人の顔を見て契約していますが、
   そこまでは考えていませんでした(笑)。
   無農薬無化学肥料栽培なので、自然の影響を受けやすいはずですが、
   たしかに毎年いい大豆が収穫されます。
   麹用の米は佐久の契約農場にアイガモ農法で作ってもらっていますが、
   こちらは品質の安定に苦心しますね。

市川 効率優先の現代には向かないという見方もあるかもしれませんね。
   しかし「食文化」の観点からこだわりを持つことは
   必要だと思いますよ。

青木 塩に関してだけは、
   残念ながらまだ現地を見ていないのですが、
   中国江蘇省の入浜式天日塩を使っています。

市川 塩田でとれる塩は、
   鉄やマンガンなどのミネラルを14%ほど含んでいます。
   このミネラルが味噌の味をまろやかにするのです。
   実は、海のない長野県にも大鹿村鹿塩のように
   井塩(せいえん)が造られていた地域がありました。

青木 みその材料ひとつとっても、
   実に奥深い考察ができると知り、感激しています。
   これからも興味深いお話をお聞かせください。



市川健夫先生
長野県小布施町生まれ。
「ブナ帯文化論」「青潮文化論」「信州学」の提唱者。
県下の村興し・町づくりなどの運動にも助言している。