無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

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目次

2013年03月05日 | 目次
針ヶ谷夕雲(はりがやせきうん)は陰流(かげりゅう)の流れを汲みながら、無住心剣流を編み出した江戸時代初期の剣豪です。
自分の剣術に疑問を持った夕雲は山奥の岩屋に籠もって、独り、厳しい修行に励みます。そこで出会ったお鶴という不思議な女性とのふれあいによって、少しづつ悟りを開いて行き、ついに剣禅一致の境地に達します。






    目次




1.からっ風が吹き抜けた‥‥‥上州名物のからっ風が吹いていた。

2.関ヶ原から大坂の陣‥‥‥慶長五年九月、関ヶ原の合戦が起こった。

3.岩屋観音1‥‥‥武芸者は岩屋の中で、彫り上げた観音像を前に座禅を組んでいた。

4.岩屋観音2‥‥‥観音様はゆっくりと近づいて来て、武芸者の隣に来て座ると、刀を押さえるように武芸者の手にさわった。

5.お鶴という女‥‥‥雪に覆われた山の中で、武芸者は立ち木を相手に木剣を打っていた。

6.お鶴と岩屋‥‥‥次の朝、朝稽古を終えて、岩屋の前で朝飯を食べている時、お鶴はやって来た。

7.焚き火を囲んで1‥‥‥焚き火の火が揺れている。岩屋の中で五郎右衛門とお鶴は酒を飲んでいた。

8.焚き火を囲んで2‥‥‥「まあ、飲め」と五郎右衛門はとっくりを差し出した。お鶴は笑うと空のお椀を手に取った。

9.傷だらけのお鶴‥‥‥次の日の朝、五郎右衛門はお鶴に起こされるまで、ぐっすりと眠っていた。

10.とぼけた和尚‥‥‥いい天気だった。昨日、積もった雪が光って眩しかった。

11.新陰流を忘れろ‥‥‥和尚の言われるままに、五郎右衛門はさっそく座禅を始めた。

12.抜けがら座禅‥‥‥五郎右衛門は一睡もせずに座り続けた。

13.昔話とお鶴‥‥‥「昔々‥‥」とお鶴は酔いにまかせて話を始めた。

14.行くな戻るな、たたずむな、立つな座るな、知るも知らぬも‥‥‥冷たい風の中、五郎右衛門は朝から木剣を振り続けていた。

15.花見酒‥‥‥お鶴が姿を見せなくなった。

16.夢想願流、松林左馬助‥‥‥お鶴は二日目の朝になっても目を覚まさなかった。

17.老いぼれ猫の境地‥‥‥五郎右衛門はお鶴が寝ている間は木剣を手にする事なく、彼女の看病と座禅だけに熱中していた。

18.お鶴と横笛‥‥‥五郎右衛門が木剣を構えて空を睨んでいると、「五右衛門さ~ん」とお鶴が帰って来た。

19.仁王様の剣‥‥‥新たに、二人の生活が始まった。

20.月見酒‥‥‥「今晩は思いっきり飲むわよ」とお鶴は酒の用意をしながら楽しそうに言った。

21.相抜け‥‥‥木陰に座り込み、五郎右衛門は木剣を作っていた。







無住心剣流の系図



陰流  愛洲移香斎(1452-1538)


新陰流  上泉伊勢守(1508-1580頃)


神影流  奥山休賀斎(1526-1602)


真新陰流  小笠原源信斎(1550頃-没年未詳)


無住心剣流  針ヶ谷夕雲(1593-1662)


無住心剣流  小出切一雲(1630-1706)


無住心剣流  真里谷円四郎(1662-1742)



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奥山休賀斎

2013年03月05日 | 創作ノート
上泉伊勢守門下の四天王の1人です。本名は奥平孫次郎公重といい、三河の国、奥山郷の生まれです。
三河からどういう経路で上州まで来たのかはわかりませんが、伊勢守が上泉城にいた頃の弟子のようです。
伊勢守から印可を貰った後、三河に帰って奥山明神に籠もり、剣の奥義を悟ったと伝えられます。その時、新陰流を神陰流(神影流)に改めたようです。奥山流を称したという説もあります。
高弟には小笠原源信斎がいて、源信斎の門下に針ヶ谷夕雲がいます。若き日の徳川家康も休賀斎を武術指南役に迎えて、指導を受けています。
慶長7年(1602年)、77歳で亡くなりました。
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