「まあ、飲め」と五郎右衛門はとっくりを差し出した。
お鶴は笑うと空のお椀を手に取った。
「八百屋のナナちゃんのお話、知ってる?」
「知らん」
「じゃあ、話してあげる。ある年にね、江戸で大火事が起こるの」
「そういえば、江戸はよく火事が起こる所じゃったのう」
五郎右衛門は酔っ払って寝ていた時、火事に見舞われて、やっとの思いで逃げ出した時の事を思い出した。丁度、今頃の寒い時期で道場も焼けてしまい、毎日、震えながらも稽古だけは続けていた。
「へえ、そうなの。じゃあ、このお話、実際にあった事かもしれないわね。八百屋のナナちゃんの家も焼け出されてね、お寺に逃げ込むのよ。ナナちゃんはまだ十五で、それはもう初々しくて可愛いの。あたしみたいよ」
「十年前のそなたじゃな」
「ううん」とお鶴は五郎右衛門の手の甲をつねった。
「いてっ!」と五郎右衛門は手の甲を撫でた。
「可愛いナナちゃんはね、お寺の境内を散歩してたのね。そして、寺小姓(テラコショウ)のヨッちゃんていう美少年と出会うわけ」
「それは十年前のわしじゃな」
「ハハハ、笑わせないでよ、あなたが美少年だって‥‥‥」
お鶴は大口をあけて笑ったが、五郎右衛門の顔をじっと見つめると、「かもしれないわね」とつぶやいた。
「あたしたち、十年前に会ってたらよかったのにね。二人ともまだ初々しくて‥‥‥あなた、十年前、何してたの」
「十年前か‥‥‥江戸で剣術の修行してたのう」
「あなたはいつでも剣術なのね」
「そなたは何やってた」
「あたし? 十年前はね‥‥‥」
お鶴は一瞬、ぼうっとしていたが頭を振ると、「もう忘れたわ」と言った。
「ええと、ナナちゃんとヨッちゃんはね、お寺の境内で偶然、出会ったのよ。その出会いが、また可愛いのよ。ヨッちゃんの指にとげが刺さって困ってたの。それをナナちゃんが優しく抜いてあげるのよ」
「そのお返しに、今度はヨッちゃんがナナちゃんにとげを刺してやったんじゃな。優しく、太い奴を」
「なに言ってるの、この馬鹿。それが縁で、二人はこっそり会うようになるの。境内の木陰や物陰で幼い恋が芽生えたのよ」
「とげの抜きっこをするんじゃな」
「とげはもういいのよ」
「抜いたり刺したりするんじゃないのか」
お鶴がまた、五郎右衛門の手の甲をつねろうとしたので、五郎右衛門は慌てて手を引っ込めた。
お鶴は笑った。
「ところがね、焼けたナナちゃんの家がなんとか住めるようになったんで、二人は別れなければならなくなったの。つらい別れだったわ。家に帰ったナナちゃんは悲しいくらい、ヨッちゃんの事を思って苦しんだわ。会いたいけど会えない‥‥‥」
「どうして、会えないんじゃ。会いに行けばいいじゃろう」
「あんたにはわかんないのよ、恋に悩む切ない乙女心が。ナナちゃんはとても内気で、そんな大それた事なんてできなかったの。でも、下女に頼んで、手紙のやり取りはしてたみたい。だけど、とても、そんな事だけじゃ耐えられないわ。悩んでいるうちに一つの考えがひらめいたの。『もう一度、火事になればいいんだわ。そしたら、また、ヨッちゃんに会える』初めのうちは、そんな事はしちゃいけない、しちゃいけないって思ってたけど、とうとう、恋心の方が勝っちゃったのね」
「火を点けたのか」
「そう、放火したの。でも、失敗してね、人に見つかって火は消されてしまうし、自分は捕まってしまうのよ。放火の罪は火あぶりの刑よ。ナナちゃんは素直に放火の事を白状しちゃったわ。そして、火あぶりになって死んじゃったのよ」
「熱かったじゃろうのう。で、男の方はどうしたんじゃ」
「自殺しようとしたけど人に止められて、高野山(コウヤサン)に登ったわ」
「ふん、つまらねえ男じゃ」
「あなたなら、どうする」
「こうするよ」と五郎右衛門はお鶴の腰を抱き寄せた。
「フフフ、優しくしてね。まだ十五の乙女なんだから」とお鶴は五郎右衛門にもたれ掛かって来た。
「十五の乙女にしては酒臭えのう」
「お互い様でしょ」
二人は藁の上に倒れ込んだ。
「ねえ、この刀、痛いんだけど」
「わかった」と五郎右衛門は脇差を抜いて脇に置くと、お鶴の上に重なった。
「これも邪魔なんじゃがの」
五郎右衛門はお鶴の帯を引っ張った。
「まったく贅沢ね。でも、汚れそうだから脱ぐわ」
お鶴は起き上がると帯を解き始めた。
「ねえ、お互いに余計な物は、みんな、脱いじゃいましょ」
「そうするか」と言いながらも、五郎右衛門はお鶴が着物を脱ぐのを眺めていた。
「最高の酒じゃな」
お鶴は色っぽいしぐさをしながら、梔子色の小袖を脱ぎ、萌黄色の下着姿となった。萌黄色の下着もパァッと脱いで、白い下着姿になるとお鶴は五郎右衛門に背を向けた。鶴のように舞ながら藁の敷いてある片隅に行き、すべてを脱ぐと、「寒いわ」と言って脱ぎ散らかした着物の上に寝て、打ち掛けをかけた。
五郎右衛門も着物を脱ぎ捨てると、お鶴の打ち掛けの中に入った。
「寒い」とお鶴は五郎右衛門に抱き着いて来た。
お鶴の体は暖かかった。五郎右衛門はお鶴の背中を優しく抱いた。
「ちょっと、このヒラヒラしてるの邪魔よ」
お鶴が顔を上げると言った。
「まだ、いいじゃろう」
「臭いのよ」
「そうか‥‥‥」
五郎右衛門はふんどしをはずした。
「あら、元気いいのね」とお鶴は握りしめた。
「そなたがいい女子(オナゴ)じゃからのう」
五郎右衛門もお鶴の股間をまさぐった。
「あら、嬉しい‥‥‥うぅ~ん‥‥‥あたしのね、一番感じる所、ここよ」
お鶴は五郎右衛門の手を横腹に持って行った。
「ここか」
「そう、そこを撫でられると、ゾクゾクってするの」
五郎右衛門はお鶴の乳房に顔をうずめながら、横腹を優しく撫でた。
「うん、いいわ‥‥‥痛い!」
「どうした」
「これよ」とお鶴は藁の中から石を取り出した。
「背中の下にあったのよ。それに、藁をもっと敷いた方がいいわ。下がゴツゴツしてるんだもん」
「ごちゃごちゃ抜かすな」
「あぁ~ん‥‥‥いいわぁ‥‥‥うぅ~ん‥‥‥はぁ~ん‥‥‥あぁ‥‥‥」
「おい」と五郎右衛門はお鶴の右腕をつかんでいた。
「痛い! 放してよ」
お鶴の右手には匕首(アイクチ)が握られていた。
「何の真似じゃ」
五郎右衛門はお鶴の右腕をつかんだまま、お鶴の体にまたがった。
「やっぱり、ばれちゃったか」
お鶴は舌を出して笑った。
「ばれたかじゃねえ。何の真似じゃ」
「気にしないで、冗談よ」
「何じゃと、お前は冗談で人の首に刃物を向けるのか」
五郎右衛門はお鶴の右手をつかんでいる手に力を入れた。
「ちょっと放してよ。みんな話すからさ」
五郎右衛門は右手でお鶴の手から匕首をもぎ取ると、遠くに投げ飛ばした。匕首は岩壁に当たり、音を立てると下に落ちた。
「話してみろ」とお鶴の手を放した。
「ああ、痛かった」
お鶴は右手をさすった。
「ほんとに馬鹿力なんだから。腕が折れたらどうすんの」
「何を言ってるんじゃ。わしの首を刺そうとしたくせに」
「あやまるわ。御免なさい」
「さあ、話せ」
「あのね、実は、あたしの夫の仇っていうのは、あんただったのよ」
「確かにか」
「そうよ。針ケ谷なんて名前、滅多にないでしょ。でも、あんたは強いし、とてもじゃないけど、あたしには斬れないわ」
「それで、色仕掛けで近づいて来たのか」
「そう。あたしに夢中になってれば大丈夫だろうと思って」
お鶴は五郎右衛門の足を撫でた。
「あんたって本当に強いのね。あたし、死んだ夫じゃなくて、あんたの妻になってりゃよかったわ」
「そうか、わしが殺(ヤ)ったのか‥‥‥」
五郎右衛門は焚き火の火を見つめた。
「ねえ、あなた」とお鶴は五郎右衛門の腕をつかんだ。
五郎右衛門は焚き火から、お鶴の顔に視線を移した。
「あなたはあたしの仇討ちを助けてくれるって言ったわね。ねえ、お願いよ、助けて」
「お前、なに言ってるんじゃ。わしを殺すのをわしが助けるのか」
「そうよ、一番簡単じゃない」
「馬鹿言うな」
「なによ、この嘘つき!」
お鶴は五郎右衛門の足の下でもがいた。髪の毛を振り乱し、手と足をバタバタさせて、抜け出そうとした。五郎右衛門はお鶴の両手を押さえた。
「お前だって嘘ついたじゃろう」
「じゃ、おあいこか‥‥‥」
お鶴はおとなしくなって天井を見つめた。
「あたし、これから、どうしよう」
「そんな事、知らんわ」
「ねえ、よく考えてみて。あたしだけじゃないはずよ。あたしみたいな女が他にも何人もいるはずだわ。あたしがそういう悲しい女たちを代表して、あなたを斬るわ。だから、あなた、ねえ、協力してよ。死んで行った人たちの魂を弔ってやった方がいいわよ」
「わしに坊主になれと言うのか」
「坊主になったって駄目よ。あたしに斬られればいいのよ。どうせ、あなたもいつかは誰かに斬られて死ぬんだから、どうせなら、あたしに斬られて死んだ方がいいでしょ」
「今、わしはお前に斬られるわけにはいかん。わしはお前に斬られるために、今まで苦労して剣術の修行を積んで来たのではない」
「そんなの自分勝手よ」
「だから、もし、わしに隙(スキ)があったら、いつでも、わしに斬りかかって来い。もし、わしがお前に斬られるようじゃったら、わしの剣術も役立たずじゃったと諦める。それでいいじゃろう」
「うん、まあ、いいわ。それじゃあ、そういう事にしましょ」
「ああ」と五郎右衛門はお鶴の手を放した。
「寒いわ」とお鶴は両手を差し出し、五郎右衛門の腰を抱いた。
「ねえ、抱いて」
「おい。わしとお前は仇同士じゃ」
「だって、途中だったじゃない。それとこれとは別でしょ」
「何が別なんじゃ」
「何がじゃないの、続きよ。仇同士になるのは明日からでいいじゃない」
五郎右衛門はお鶴の体を見つめた。二つの乳房が五郎右衛門を誘っていた。このままで終わってしまうには、確かに勿体なかった。
お鶴は上体を起こすと五郎右衛門に抱き着いて来た。五郎右衛門の理性は本能に敗れた。
「今度は刃物なんか持つなよ」と言うと五郎右衛門はお鶴の体を抱き締めた。
「うん。持たない」とお鶴は五郎右衛門を見つめて笑った。
「よし。明日の朝まで休戦じゃ」
「う~ん‥‥‥」
二人は再び、重なりあった。
焚き火の火のように二人は燃えて行った。
お鶴は笑うと空のお椀を手に取った。
「八百屋のナナちゃんのお話、知ってる?」
「知らん」
「じゃあ、話してあげる。ある年にね、江戸で大火事が起こるの」
「そういえば、江戸はよく火事が起こる所じゃったのう」
五郎右衛門は酔っ払って寝ていた時、火事に見舞われて、やっとの思いで逃げ出した時の事を思い出した。丁度、今頃の寒い時期で道場も焼けてしまい、毎日、震えながらも稽古だけは続けていた。
「へえ、そうなの。じゃあ、このお話、実際にあった事かもしれないわね。八百屋のナナちゃんの家も焼け出されてね、お寺に逃げ込むのよ。ナナちゃんはまだ十五で、それはもう初々しくて可愛いの。あたしみたいよ」
「十年前のそなたじゃな」
「ううん」とお鶴は五郎右衛門の手の甲をつねった。
「いてっ!」と五郎右衛門は手の甲を撫でた。
「可愛いナナちゃんはね、お寺の境内を散歩してたのね。そして、寺小姓(テラコショウ)のヨッちゃんていう美少年と出会うわけ」
「それは十年前のわしじゃな」
「ハハハ、笑わせないでよ、あなたが美少年だって‥‥‥」
お鶴は大口をあけて笑ったが、五郎右衛門の顔をじっと見つめると、「かもしれないわね」とつぶやいた。
「あたしたち、十年前に会ってたらよかったのにね。二人ともまだ初々しくて‥‥‥あなた、十年前、何してたの」
「十年前か‥‥‥江戸で剣術の修行してたのう」
「あなたはいつでも剣術なのね」
「そなたは何やってた」
「あたし? 十年前はね‥‥‥」
お鶴は一瞬、ぼうっとしていたが頭を振ると、「もう忘れたわ」と言った。
「ええと、ナナちゃんとヨッちゃんはね、お寺の境内で偶然、出会ったのよ。その出会いが、また可愛いのよ。ヨッちゃんの指にとげが刺さって困ってたの。それをナナちゃんが優しく抜いてあげるのよ」
「そのお返しに、今度はヨッちゃんがナナちゃんにとげを刺してやったんじゃな。優しく、太い奴を」
「なに言ってるの、この馬鹿。それが縁で、二人はこっそり会うようになるの。境内の木陰や物陰で幼い恋が芽生えたのよ」
「とげの抜きっこをするんじゃな」
「とげはもういいのよ」
「抜いたり刺したりするんじゃないのか」
お鶴がまた、五郎右衛門の手の甲をつねろうとしたので、五郎右衛門は慌てて手を引っ込めた。
お鶴は笑った。
「ところがね、焼けたナナちゃんの家がなんとか住めるようになったんで、二人は別れなければならなくなったの。つらい別れだったわ。家に帰ったナナちゃんは悲しいくらい、ヨッちゃんの事を思って苦しんだわ。会いたいけど会えない‥‥‥」
「どうして、会えないんじゃ。会いに行けばいいじゃろう」
「あんたにはわかんないのよ、恋に悩む切ない乙女心が。ナナちゃんはとても内気で、そんな大それた事なんてできなかったの。でも、下女に頼んで、手紙のやり取りはしてたみたい。だけど、とても、そんな事だけじゃ耐えられないわ。悩んでいるうちに一つの考えがひらめいたの。『もう一度、火事になればいいんだわ。そしたら、また、ヨッちゃんに会える』初めのうちは、そんな事はしちゃいけない、しちゃいけないって思ってたけど、とうとう、恋心の方が勝っちゃったのね」
「火を点けたのか」
「そう、放火したの。でも、失敗してね、人に見つかって火は消されてしまうし、自分は捕まってしまうのよ。放火の罪は火あぶりの刑よ。ナナちゃんは素直に放火の事を白状しちゃったわ。そして、火あぶりになって死んじゃったのよ」
「熱かったじゃろうのう。で、男の方はどうしたんじゃ」
「自殺しようとしたけど人に止められて、高野山(コウヤサン)に登ったわ」
「ふん、つまらねえ男じゃ」
「あなたなら、どうする」
「こうするよ」と五郎右衛門はお鶴の腰を抱き寄せた。
「フフフ、優しくしてね。まだ十五の乙女なんだから」とお鶴は五郎右衛門にもたれ掛かって来た。
「十五の乙女にしては酒臭えのう」
「お互い様でしょ」
二人は藁の上に倒れ込んだ。
「ねえ、この刀、痛いんだけど」
「わかった」と五郎右衛門は脇差を抜いて脇に置くと、お鶴の上に重なった。
「これも邪魔なんじゃがの」
五郎右衛門はお鶴の帯を引っ張った。
「まったく贅沢ね。でも、汚れそうだから脱ぐわ」
お鶴は起き上がると帯を解き始めた。
「ねえ、お互いに余計な物は、みんな、脱いじゃいましょ」
「そうするか」と言いながらも、五郎右衛門はお鶴が着物を脱ぐのを眺めていた。
「最高の酒じゃな」
お鶴は色っぽいしぐさをしながら、梔子色の小袖を脱ぎ、萌黄色の下着姿となった。萌黄色の下着もパァッと脱いで、白い下着姿になるとお鶴は五郎右衛門に背を向けた。鶴のように舞ながら藁の敷いてある片隅に行き、すべてを脱ぐと、「寒いわ」と言って脱ぎ散らかした着物の上に寝て、打ち掛けをかけた。
五郎右衛門も着物を脱ぎ捨てると、お鶴の打ち掛けの中に入った。
「寒い」とお鶴は五郎右衛門に抱き着いて来た。
お鶴の体は暖かかった。五郎右衛門はお鶴の背中を優しく抱いた。
「ちょっと、このヒラヒラしてるの邪魔よ」
お鶴が顔を上げると言った。
「まだ、いいじゃろう」
「臭いのよ」
「そうか‥‥‥」
五郎右衛門はふんどしをはずした。
「あら、元気いいのね」とお鶴は握りしめた。
「そなたがいい女子(オナゴ)じゃからのう」
五郎右衛門もお鶴の股間をまさぐった。
「あら、嬉しい‥‥‥うぅ~ん‥‥‥あたしのね、一番感じる所、ここよ」
お鶴は五郎右衛門の手を横腹に持って行った。
「ここか」
「そう、そこを撫でられると、ゾクゾクってするの」
五郎右衛門はお鶴の乳房に顔をうずめながら、横腹を優しく撫でた。
「うん、いいわ‥‥‥痛い!」
「どうした」
「これよ」とお鶴は藁の中から石を取り出した。
「背中の下にあったのよ。それに、藁をもっと敷いた方がいいわ。下がゴツゴツしてるんだもん」
「ごちゃごちゃ抜かすな」
「あぁ~ん‥‥‥いいわぁ‥‥‥うぅ~ん‥‥‥はぁ~ん‥‥‥あぁ‥‥‥」
「おい」と五郎右衛門はお鶴の右腕をつかんでいた。
「痛い! 放してよ」
お鶴の右手には匕首(アイクチ)が握られていた。
「何の真似じゃ」
五郎右衛門はお鶴の右腕をつかんだまま、お鶴の体にまたがった。
「やっぱり、ばれちゃったか」
お鶴は舌を出して笑った。
「ばれたかじゃねえ。何の真似じゃ」
「気にしないで、冗談よ」
「何じゃと、お前は冗談で人の首に刃物を向けるのか」
五郎右衛門はお鶴の右手をつかんでいる手に力を入れた。
「ちょっと放してよ。みんな話すからさ」
五郎右衛門は右手でお鶴の手から匕首をもぎ取ると、遠くに投げ飛ばした。匕首は岩壁に当たり、音を立てると下に落ちた。
「話してみろ」とお鶴の手を放した。
「ああ、痛かった」
お鶴は右手をさすった。
「ほんとに馬鹿力なんだから。腕が折れたらどうすんの」
「何を言ってるんじゃ。わしの首を刺そうとしたくせに」
「あやまるわ。御免なさい」
「さあ、話せ」
「あのね、実は、あたしの夫の仇っていうのは、あんただったのよ」
「確かにか」
「そうよ。針ケ谷なんて名前、滅多にないでしょ。でも、あんたは強いし、とてもじゃないけど、あたしには斬れないわ」
「それで、色仕掛けで近づいて来たのか」
「そう。あたしに夢中になってれば大丈夫だろうと思って」
お鶴は五郎右衛門の足を撫でた。
「あんたって本当に強いのね。あたし、死んだ夫じゃなくて、あんたの妻になってりゃよかったわ」
「そうか、わしが殺(ヤ)ったのか‥‥‥」
五郎右衛門は焚き火の火を見つめた。
「ねえ、あなた」とお鶴は五郎右衛門の腕をつかんだ。
五郎右衛門は焚き火から、お鶴の顔に視線を移した。
「あなたはあたしの仇討ちを助けてくれるって言ったわね。ねえ、お願いよ、助けて」
「お前、なに言ってるんじゃ。わしを殺すのをわしが助けるのか」
「そうよ、一番簡単じゃない」
「馬鹿言うな」
「なによ、この嘘つき!」
お鶴は五郎右衛門の足の下でもがいた。髪の毛を振り乱し、手と足をバタバタさせて、抜け出そうとした。五郎右衛門はお鶴の両手を押さえた。
「お前だって嘘ついたじゃろう」
「じゃ、おあいこか‥‥‥」
お鶴はおとなしくなって天井を見つめた。
「あたし、これから、どうしよう」
「そんな事、知らんわ」
「ねえ、よく考えてみて。あたしだけじゃないはずよ。あたしみたいな女が他にも何人もいるはずだわ。あたしがそういう悲しい女たちを代表して、あなたを斬るわ。だから、あなた、ねえ、協力してよ。死んで行った人たちの魂を弔ってやった方がいいわよ」
「わしに坊主になれと言うのか」
「坊主になったって駄目よ。あたしに斬られればいいのよ。どうせ、あなたもいつかは誰かに斬られて死ぬんだから、どうせなら、あたしに斬られて死んだ方がいいでしょ」
「今、わしはお前に斬られるわけにはいかん。わしはお前に斬られるために、今まで苦労して剣術の修行を積んで来たのではない」
「そんなの自分勝手よ」
「だから、もし、わしに隙(スキ)があったら、いつでも、わしに斬りかかって来い。もし、わしがお前に斬られるようじゃったら、わしの剣術も役立たずじゃったと諦める。それでいいじゃろう」
「うん、まあ、いいわ。それじゃあ、そういう事にしましょ」
「ああ」と五郎右衛門はお鶴の手を放した。
「寒いわ」とお鶴は両手を差し出し、五郎右衛門の腰を抱いた。
「ねえ、抱いて」
「おい。わしとお前は仇同士じゃ」
「だって、途中だったじゃない。それとこれとは別でしょ」
「何が別なんじゃ」
「何がじゃないの、続きよ。仇同士になるのは明日からでいいじゃない」
五郎右衛門はお鶴の体を見つめた。二つの乳房が五郎右衛門を誘っていた。このままで終わってしまうには、確かに勿体なかった。
お鶴は上体を起こすと五郎右衛門に抱き着いて来た。五郎右衛門の理性は本能に敗れた。
「今度は刃物なんか持つなよ」と言うと五郎右衛門はお鶴の体を抱き締めた。
「うん。持たない」とお鶴は五郎右衛門を見つめて笑った。
「よし。明日の朝まで休戦じゃ」
「う~ん‥‥‥」
二人は再び、重なりあった。
焚き火の火のように二人は燃えて行った。