無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

8.焚き火を囲んで 2

2008年01月06日 | 無住心剣流・針ヶ谷夕雲
「まあ、飲め」と五郎右衛門はとっくりを差し出した。

 お鶴は笑うと空のお椀を手に取った。

「八百屋のナナちゃんのお話、知ってる?」

「知らん」

「じゃあ、話してあげる。ある年にね、江戸で大火事が起こるの」

「そういえば、江戸はよく火事が起こる所じゃったのう」

 五郎右衛門は酔っ払って寝ていた時、火事に見舞われて、やっとの思いで逃げ出した時の事を思い出した。丁度、今頃の寒い時期で道場も焼けてしまい、毎日、震えながらも稽古だけは続けていた。

「へえ、そうなの。じゃあ、このお話、実際にあった事かもしれないわね。八百屋のナナちゃんの家も焼け出されてね、お寺に逃げ込むのよ。ナナちゃんはまだ十五で、それはもう初々しくて可愛いの。あたしみたいよ」

「十年前のそなたじゃな」

「ううん」とお鶴は五郎右衛門の手の甲をつねった。

「いてっ!」と五郎右衛門は手の甲を撫でた。

「可愛いナナちゃんはね、お寺の境内を散歩してたのね。そして、寺小姓(テラコショウ)のヨッちゃんていう美少年と出会うわけ」

「それは十年前のわしじゃな」

「ハハハ、笑わせないでよ、あなたが美少年だって‥‥‥」

 お鶴は大口をあけて笑ったが、五郎右衛門の顔をじっと見つめると、「かもしれないわね」とつぶやいた。

「あたしたち、十年前に会ってたらよかったのにね。二人ともまだ初々しくて‥‥‥あなた、十年前、何してたの」

「十年前か‥‥‥江戸で剣術の修行してたのう」

「あなたはいつでも剣術なのね」

「そなたは何やってた」

「あたし? 十年前はね‥‥‥」

 お鶴は一瞬、ぼうっとしていたが頭を振ると、「もう忘れたわ」と言った。

「ええと、ナナちゃんとヨッちゃんはね、お寺の境内で偶然、出会ったのよ。その出会いが、また可愛いのよ。ヨッちゃんの指にとげが刺さって困ってたの。それをナナちゃんが優しく抜いてあげるのよ」

「そのお返しに、今度はヨッちゃんがナナちゃんにとげを刺してやったんじゃな。優しく、太い奴を」

「なに言ってるの、この馬鹿。それが縁で、二人はこっそり会うようになるの。境内の木陰や物陰で幼い恋が芽生えたのよ」

「とげの抜きっこをするんじゃな」

「とげはもういいのよ」

「抜いたり刺したりするんじゃないのか」

 お鶴がまた、五郎右衛門の手の甲をつねろうとしたので、五郎右衛門は慌てて手を引っ込めた。

 お鶴は笑った。

「ところがね、焼けたナナちゃんの家がなんとか住めるようになったんで、二人は別れなければならなくなったの。つらい別れだったわ。家に帰ったナナちゃんは悲しいくらい、ヨッちゃんの事を思って苦しんだわ。会いたいけど会えない‥‥‥」

「どうして、会えないんじゃ。会いに行けばいいじゃろう」

「あんたにはわかんないのよ、恋に悩む切ない乙女心が。ナナちゃんはとても内気で、そんな大それた事なんてできなかったの。でも、下女に頼んで、手紙のやり取りはしてたみたい。だけど、とても、そんな事だけじゃ耐えられないわ。悩んでいるうちに一つの考えがひらめいたの。『もう一度、火事になればいいんだわ。そしたら、また、ヨッちゃんに会える』初めのうちは、そんな事はしちゃいけない、しちゃいけないって思ってたけど、とうとう、恋心の方が勝っちゃったのね」

「火を点けたのか」

「そう、放火したの。でも、失敗してね、人に見つかって火は消されてしまうし、自分は捕まってしまうのよ。放火の罪は火あぶりの刑よ。ナナちゃんは素直に放火の事を白状しちゃったわ。そして、火あぶりになって死んじゃったのよ」

「熱かったじゃろうのう。で、男の方はどうしたんじゃ」

「自殺しようとしたけど人に止められて、高野山(コウヤサン)に登ったわ」

「ふん、つまらねえ男じゃ」

「あなたなら、どうする」

「こうするよ」と五郎右衛門はお鶴の腰を抱き寄せた。

「フフフ、優しくしてね。まだ十五の乙女なんだから」とお鶴は五郎右衛門にもたれ掛かって来た。

「十五の乙女にしては酒臭えのう」

「お互い様でしょ」

 二人は藁の上に倒れ込んだ。

「ねえ、この刀、痛いんだけど」

「わかった」と五郎右衛門は脇差を抜いて脇に置くと、お鶴の上に重なった。

「これも邪魔なんじゃがの」

 五郎右衛門はお鶴の帯を引っ張った。

「まったく贅沢ね。でも、汚れそうだから脱ぐわ」

 お鶴は起き上がると帯を解き始めた。

「ねえ、お互いに余計な物は、みんな、脱いじゃいましょ」

「そうするか」と言いながらも、五郎右衛門はお鶴が着物を脱ぐのを眺めていた。

「最高の酒じゃな」

 お鶴は色っぽいしぐさをしながら、梔子色の小袖を脱ぎ、萌黄色の下着姿となった。萌黄色の下着もパァッと脱いで、白い下着姿になるとお鶴は五郎右衛門に背を向けた。鶴のように舞ながら藁の敷いてある片隅に行き、すべてを脱ぐと、「寒いわ」と言って脱ぎ散らかした着物の上に寝て、打ち掛けをかけた。

 五郎右衛門も着物を脱ぎ捨てると、お鶴の打ち掛けの中に入った。

「寒い」とお鶴は五郎右衛門に抱き着いて来た。

 お鶴の体は暖かかった。五郎右衛門はお鶴の背中を優しく抱いた。

「ちょっと、このヒラヒラしてるの邪魔よ」

 お鶴が顔を上げると言った。

「まだ、いいじゃろう」

「臭いのよ」

「そうか‥‥‥」

 五郎右衛門はふんどしをはずした。

「あら、元気いいのね」とお鶴は握りしめた。

「そなたがいい女子(オナゴ)じゃからのう」

 五郎右衛門もお鶴の股間をまさぐった。

「あら、嬉しい‥‥‥うぅ~ん‥‥‥あたしのね、一番感じる所、ここよ」

 お鶴は五郎右衛門の手を横腹に持って行った。

「ここか」

「そう、そこを撫でられると、ゾクゾクってするの」

 五郎右衛門はお鶴の乳房に顔をうずめながら、横腹を優しく撫でた。

「うん、いいわ‥‥‥痛い!」

「どうした」

「これよ」とお鶴は藁の中から石を取り出した。

「背中の下にあったのよ。それに、藁をもっと敷いた方がいいわ。下がゴツゴツしてるんだもん」

「ごちゃごちゃ抜かすな」

「あぁ~ん‥‥‥いいわぁ‥‥‥うぅ~ん‥‥‥はぁ~ん‥‥‥あぁ‥‥‥」

「おい」と五郎右衛門はお鶴の右腕をつかんでいた。

「痛い! 放してよ」

 お鶴の右手には匕首(アイクチ)が握られていた。

「何の真似じゃ」

 五郎右衛門はお鶴の右腕をつかんだまま、お鶴の体にまたがった。

「やっぱり、ばれちゃったか」

 お鶴は舌を出して笑った。

「ばれたかじゃねえ。何の真似じゃ」

「気にしないで、冗談よ」

「何じゃと、お前は冗談で人の首に刃物を向けるのか」

 五郎右衛門はお鶴の右手をつかんでいる手に力を入れた。

「ちょっと放してよ。みんな話すからさ」

 五郎右衛門は右手でお鶴の手から匕首をもぎ取ると、遠くに投げ飛ばした。匕首は岩壁に当たり、音を立てると下に落ちた。

「話してみろ」とお鶴の手を放した。

「ああ、痛かった」

 お鶴は右手をさすった。

「ほんとに馬鹿力なんだから。腕が折れたらどうすんの」

「何を言ってるんじゃ。わしの首を刺そうとしたくせに」

「あやまるわ。御免なさい」

「さあ、話せ」

「あのね、実は、あたしの夫の仇っていうのは、あんただったのよ」

「確かにか」

「そうよ。針ケ谷なんて名前、滅多にないでしょ。でも、あんたは強いし、とてもじゃないけど、あたしには斬れないわ」

「それで、色仕掛けで近づいて来たのか」

「そう。あたしに夢中になってれば大丈夫だろうと思って」

 お鶴は五郎右衛門の足を撫でた。

「あんたって本当に強いのね。あたし、死んだ夫じゃなくて、あんたの妻になってりゃよかったわ」

「そうか、わしが殺(ヤ)ったのか‥‥‥」

 五郎右衛門は焚き火の火を見つめた。

「ねえ、あなた」とお鶴は五郎右衛門の腕をつかんだ。

 五郎右衛門は焚き火から、お鶴の顔に視線を移した。

「あなたはあたしの仇討ちを助けてくれるって言ったわね。ねえ、お願いよ、助けて」

「お前、なに言ってるんじゃ。わしを殺すのをわしが助けるのか」

「そうよ、一番簡単じゃない」

「馬鹿言うな」

「なによ、この嘘つき!」

 お鶴は五郎右衛門の足の下でもがいた。髪の毛を振り乱し、手と足をバタバタさせて、抜け出そうとした。五郎右衛門はお鶴の両手を押さえた。

「お前だって嘘ついたじゃろう」

「じゃ、おあいこか‥‥‥」

 お鶴はおとなしくなって天井を見つめた。

「あたし、これから、どうしよう」

「そんな事、知らんわ」

「ねえ、よく考えてみて。あたしだけじゃないはずよ。あたしみたいな女が他にも何人もいるはずだわ。あたしがそういう悲しい女たちを代表して、あなたを斬るわ。だから、あなた、ねえ、協力してよ。死んで行った人たちの魂を弔ってやった方がいいわよ」

「わしに坊主になれと言うのか」

「坊主になったって駄目よ。あたしに斬られればいいのよ。どうせ、あなたもいつかは誰かに斬られて死ぬんだから、どうせなら、あたしに斬られて死んだ方がいいでしょ」

「今、わしはお前に斬られるわけにはいかん。わしはお前に斬られるために、今まで苦労して剣術の修行を積んで来たのではない」

「そんなの自分勝手よ」

「だから、もし、わしに隙(スキ)があったら、いつでも、わしに斬りかかって来い。もし、わしがお前に斬られるようじゃったら、わしの剣術も役立たずじゃったと諦める。それでいいじゃろう」

「うん、まあ、いいわ。それじゃあ、そういう事にしましょ」

「ああ」と五郎右衛門はお鶴の手を放した。

「寒いわ」とお鶴は両手を差し出し、五郎右衛門の腰を抱いた。

「ねえ、抱いて」

「おい。わしとお前は仇同士じゃ」

「だって、途中だったじゃない。それとこれとは別でしょ」

「何が別なんじゃ」

「何がじゃないの、続きよ。仇同士になるのは明日からでいいじゃない」

 五郎右衛門はお鶴の体を見つめた。二つの乳房が五郎右衛門を誘っていた。このままで終わってしまうには、確かに勿体なかった。

 お鶴は上体を起こすと五郎右衛門に抱き着いて来た。五郎右衛門の理性は本能に敗れた。

「今度は刃物なんか持つなよ」と言うと五郎右衛門はお鶴の体を抱き締めた。

「うん。持たない」とお鶴は五郎右衛門を見つめて笑った。

「よし。明日の朝まで休戦じゃ」

「う~ん‥‥‥」

 二人は再び、重なりあった。

 焚き火の火のように二人は燃えて行った。


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