無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

7.焚き火を囲んで 1

2008年01月04日 | 無住心剣流・針ヶ谷夕雲
 焚き火の火が揺れている。

 岩屋の中で五郎右衛門とお鶴は酒を飲んでいた。

 お鶴が持って来たローソクがあちこちに灯され、岩屋の中は昼間のように明るかった。

「こういう所で飲むお酒も、また格別だわね」

 お鶴は新しい藁束(ワラタバ)の上に座って、ニコニコしていた。

「わしはこの酒、飲んだ事あるぞ」と五郎右衛門はお椀の中の酒を見つめた。

「あら、そう。伊豆のお酒らしいわよ。なぜだか、お寺にいっぱいあるわ」とお鶴は両手を広げてみせた。

「観音様が持って来た酒と同じじゃ」

「観音様?」

 お鶴には五郎右衛門が何を言っているのかわからなかった。

「ああ。あいつじゃ」と五郎右衛門は岩棚の上の観音様を指さした。

「あんた、真面目な顔して、わりと冗談ばっか、言う人ね」

 お鶴は眉を寄せて横目で五郎右衛門を見た。

「夢の中の話じゃ‥‥‥しかし、この味は夢の中とそっくりじゃ」

「久し振りにお酒を飲んだから、そう思うんじゃないの」

「うむ。かもしれんのう‥‥‥そう言えば、そなた、観音様に似てるな」

「あたしが、あの観音様に?」

 馬鹿言わないでよというふうに、お鶴は酒を飲んだ。

「あんな達磨さんのように太った観音様にあたしが似てるって?」

「いや。あれじゃなくて最初の観音様じゃ」

「なによ、最初の観音様って。まだ、他にも観音様がいるの」

「いや‥‥‥夢の中の観音様にそっくりだったんじゃ」

「ふうん。どうして、あなたの夢に観音様が出て来たの」

「知らん。きっと、ここの守り本尊が出て来たんじゃろ」

「ああ、あの壁に彫ってある観音様ね。あれが、あたしに似てるの」

「夢の中の観音様は、そなたと同じように、そこで酒を飲んでいたんじゃ」

 五郎右衛門は夢の中の観音様を思い出していた。なまめかしい体はすぐに思い出せたが、なぜか、顔が思い出せなかった。どうしても、お鶴の顔と重なってしまう。

「へえ。観音様がお酒をね‥‥‥」

「ただ、観音様はそんなに厚着じゃなかった。透け透けの着物を着ていたがのう」

 お鶴は自分の着物を見つめ、「いいわ。あなたの観音様になってあげる」

 お鶴は立ち上がると、しなを作りながら厚い打ち掛けを脱いだ。脱いだ打ち掛けを片隅の藁の上に放り投げると、「どう?」と色っぽく笑った。

「もっと、薄着じゃった」

「焦らないでよ。徐々に脱いであげるからさ」

 お鶴は座ると酒を飲んだ。

「あたしが観音様ならあなたは仁王様ね。あたしをちゃんと守るのが仕事よ」

 花柄模様を散りばめた小袖(コソデ)姿となったお鶴は、また粋(イキ)だった。

「そういう事じゃな」

「でも、ほんとに、この中はあったかいわ」

「冬を越すには穴に籠もるのが一番じゃ」

「熊みたい。ねえ、五右衛門さん。あなた、江戸に行った事ある」

「ああ」

 お鶴は相変わらず、五郎右衛門の事を五右衛門と呼んでいた。五郎右衛門も一々、訂正するのが面倒臭くなっていた。

「そう。あたし、行ってみたいわ。浅草に観音様がいるんでしょ」

「小さな黄金の観音様がいるらしい。わしは見た事ないがのう」

「仁王様も?」

「でっかい仁王様が二人、入口で頑張ってるよ」

「ちっちゃい観音様を守るのに、でっかい仁王様が二人もいるの」

「そうじゃ」

「さすがね。でも、あたしはあなた一人でいいわ。二人なんて無理よ。体がもたないわ」

 お鶴は肩をすくめて酒をなめた。

「お鶴さん。そなた、何を考えてるんじゃ」

「何って、観音様の事じゃない。ねえ、もっと、江戸の事、聞かせてよ」

「わしは江戸にいた時も剣術の事しか考えてなかったからな。あまり知らんよ」

「じゃあ、何でもいいわ。お話、聞かせてよ。何か面白いお話ない」

「それじゃあ、一つ、昔話でもしてやろう」

「色っぽいのを頼むわ」

 お鶴は五郎右衛門の側に行くとお酌(シャク)をした。

「わかっておる」と五郎右衛門は一口、酒を飲むと話し始めた。

「昔々、ある所にお爺さんとお婆さんがおったとさ。お爺さんは山に柴刈りに‥‥‥」

「ちょっと待って」とお鶴は五郎右衛門の肩をたたいた。

「それ、もしかしたら桃太郎じゃない」

「当たり」と五郎右衛門は拳(コブシ)をお鶴の前に差し出した。

「桃太郎くらい、あたしだって知ってるわよ」

 お鶴は五郎右衛門の拳を払うと、「どこが色っぽいのよ」とふくれた。

「桃から生まれた桃太郎が龍宮城に鬼退治に行って、乙姫様としっぽり濡れるんじゃろ。色っぽいじゃないか」

「どこが? 帰って来たら、おいぼれ爺さんの鶴になって、どこかに飛んで行くだけじゃない。鶴は千年、亀は万年、めでたし、めでたし。もっと他にいいお話ないの」

 お鶴は五郎右衛門の膝を揺すった。酒がこぼれそうになり、五郎右衛門は慌てて口に持って行った。

「酒呑童子(シュテンドウジ)はどうじゃ」

「駄目」とお鶴は横目で睨みながら酒を注いでくれた。

「そんなの、つまんないわ」

「面白いぞ。源頼光(ミナモトノヨリミツ)が四天王を引き連れて、大江山に乗り込んで行くんじゃ」

「つまんないったら」とお鶴は五郎右衛門の口をふさいだ。

「ただの鬼退治じゃない。あなた、鬼退治しか知らないのね」

「それじゃあ」と五郎右衛門は焚き火をかきまぜながら考えた。

「一寸法師も駄目」とお鶴は五郎右衛門の心の中を見破った。

「そうか‥‥‥それじゃあ『夢ケ池』ってのはどうじゃ」

「なに、それ?」

 お鶴は興味深そうな目を向けた。

「悲しい恋の物語」と五郎右衛門は自信たっぷりに言った。

「うん。それ、行ってみよう」

 お鶴は嬉しそうに酒を飲んだ。

 五郎右衛門は焚き火に枯れ枝をくべた後、お鶴の顔を見つめながら話し始めた。

「昔々、まだ武蔵野が一茫の野原での、江戸という地名はもとより、人家もほとんどなかった頃の事じゃ。浅茅(アサジ)ケ原と言ってのう、今の浅草辺りらしいんじゃが、そこにポツンと一軒のあばら家があったんじゃ。ちょっと、待て‥‥‥この部屋、明る過ぎるぞ。こう明るいと雰囲気が出ん」

 お鶴も回りを眺めて、「そうね」とうなづいた。

「これじゃあ、雰囲気でないわね。お酒を飲むには焚き火だけの方がいいみたい」

 二人は部屋中のローソクを消して回った。

「これでいいわ。まず、乾杯ね」

 二人は一息に酒を飲み干し、新たに注いだ。「ねえ、続けて」

「うむ。昔々、何もない武蔵野の野原にポツンと一軒のあばら家があったんじゃ。それは汚い小屋じゃったらしいが、長旅を続けて、疲れている旅人にとっては極楽だったんじゃな。なにしろ、辺り一面、原っぱで、家なんか何もないんじゃ。仕方なく、野宿しようかと思っていると、ポツンと明かりが見えて来る。旅人はその明かりに引かれて、一夜の宿を頼むわけじゃ」

「わかるわ、その気持ち‥‥‥特に寒い冬の野宿はとても辛いもの」

「ほう‥‥‥」と五郎右衛門は以外そうにお鶴を見た。武家娘のお鶴にそんな経験があるとは信じられなかった。

 お鶴は昔を思い出しているのか、しんみりとした顔で焚き火を見つめていたが、続けて、と言うように五郎右衛門を見た。

 五郎右衛門はうなづき、話を続けた。

「そこに住んでるのは老婆と娘の二人っきりでな。その娘っていうのが、えらく綺麗なんじゃよ」

「ねえ、ねえ、あたしとどっちが綺麗」

 お鶴は陽気に戻った。

「そうじゃな。そなたの方が綺麗じゃろう」と五郎右衛門が言うと、お鶴はうんうんと喜んだが、「婆さんよりはな」と付け足すと、「なによ、この」と五郎右衛門の肩を押して、フンと横を向いた。

 五郎右衛門はコロコロと気持ちの変わるお鶴を面白そうに眺めていた。

「それで、その娘っていうのは色白で目元涼しく、その美しい顔には何とも言えん哀愁がただよっているんじゃ。それがまた魅力でな」

「あたしみたい」とお鶴はまた、嬉しそうな顔を突き出した。

 五郎右衛門はうなづいてやった。

「それで、旅人なんじゃが、その娘の美しさに放心して、ある者は恋人を思ったり、ある者は故郷に残して来た妻の事を思うんじゃ」

「思うだけで、その娘には手を出さないの」

「出した奴も中にはいたじゃろうな」

「あなたみたいにね」

 お鶴は五郎右衛門の顔を指で突っついた。

「うるさい。黙って聞いてろ」

 五郎右衛門はお鶴の指をつかもうとしたが、お鶴は素早く引っ込めて、舌を出して笑った。

「どこまで、話したっけ」

「旅人が娘を口説く所よ。娘はいやよ、駄目よと言いながら、旅人を焦(ジ)らすの」

「違うわ‥‥‥娘じゃなくて、老婆じゃ」

「えっ、あなた、老婆も口説いたの」

「馬鹿、わしの話をしてるんじゃないわ。その老婆っていうのはの、実は鬼婆なんじゃ。旅人が旅の疲れでぐっすり眠ってしまうと‥‥‥」

「いいえ、それは違うわ」とお鶴は袖(ソデ)を振り上げ、五郎右衛門の話をさえぎった。

「その旅人はね、娘を抱いたから疲れたのよ。そういういい女ってえのは男を疲れさすものなのよ」

 お鶴は自分で言って自分でうなづいていた。

「そうかい」と五郎右衛門は相手にならなかった。

「とにかく、旅人はぐっすり眠ってるんじゃ。老婆は石でもって旅人の頭を砕いて殺し、身ぐるみを剥がすと死体は近くの池に投げ捨てた。そうやって、老婆は何人もの旅人を殺して旅人の持ち物を盗んでいたんじゃ」

「娘はそれを黙って見てたの」

「そこが悲しい所なんじゃ。老婆っていうのは娘の母親なんじゃが、そんな事やめてくれって言っても聞いてはくれん。旅人は助けてやりたいが、それには母親の悪事をすべて、さらけ出さなくてはならん。小さな胸を震わせて、毎日、悩んでいたんじゃよ」

「とか何とか言っちゃって、本当は自分も楽しんでたんじゃないの。きっと、その娘、淫乱なのよ」

 お鶴はそう決めつけると足を崩して酒を飲んだ。

「おい、勝手に淫乱にするな」と五郎右衛門は酒を飲み、とっくりに手を伸ばした。

「それで、どうしたのさ」

「ある日の夕暮れ、一人の旅人があった。それが見目麗(ミメウルワ)しいお稚児(チゴ)さんじゃ」

「あんた、お稚児さんにも興味あるの」

 お鶴は五郎右衛門を指さし、変な目付きをして見た。

「わしじゃない、娘の方じゃ。娘がその稚児に一目惚れしたんじゃ。そこで、娘は考えた」

「可愛いちっちゃな胸で?」

「そうじゃ」

「そのお稚児さんと駈け落ちしようと?」

「うむ、そうすればよかったんじゃけどな、娘にはできなかった」

「どうして」

「母親を一人残して行けなかったんじゃ」

「おや、優しい娘だこと」

「その夜も稚児が眠ってしまうと、老婆は手慣れた石で頭を一気に砕いたんじゃ。ところが、明かりを近づけた老婆は悲鳴をあげると共に、その死骸に取りすがって泣いたんじゃよ」

「もしかして、娘だったの」

 お鶴は身を乗り出して聞いて来た。

「そうじゃ。稚児を助けるために娘は自分の命を捨てたんじゃよ」

「それで?」

「おしまい」

「お稚児さんはどうなったの」

「腰を抜かして小便を漏らして逃げて行ったんじゃないのか」

「情けないわねえ。その娘が可哀想じゃない。どうして、そんな男のために命を捨てるのよ。わかんないわよ」

 お鶴は口をとがらせて、とっくりに手を伸ばした。

「娘は稚児だけじゃなく母親も救ったんじゃ」

「母親はどうなったの」

 お鶴は酒を注ぎながら興味なさそうに聞いた。

「尼さんになって自分が殺した死者の菩提(ボダイ)を弔(トムラ)ったんだとさ」

「めでたし、めでたしね‥‥‥ねえ、もっと、艶(ツヤ)っぽいお話はないの」

「そうじゃのう‥‥‥おい、話が一つ終わったら一枚脱ぐんじゃなかったのか」

 お鶴は目を丸くした。

「何ですって? 誰がそんな事言ったのよ」

「徐々に脱ぐって言ったろ」

「そうね、いいわ」

 お鶴は笑うと立ち上がり、「一枚だけよ」と帯を解き始めた。

「いいぞ」と五郎右衛門は手をたたいた。

 お鶴は踊りながら帯をはずして口に挟むと、小袖を脱ぎ、前に脱いだ打ち掛けの上に放り投げた。花柄模様の小袖の下に現れたのは、薄い梔子(クチナシ)色の小袖だった。

 お鶴は帯を締め直すと、くるりと一回りして見せた。粋な花柄模様に比べて、今度はしっとりと落ち着いた感じになった。

「いかが?」

 お鶴は舞いながら、五郎右衛門の側まで戻って来ると聞いた。

「うむ、色っぽいのう」と五郎右衛門は腕組みをして、お鶴の舞を眺めていた。

「ありがとう」

 お鶴は五郎右衛門の肩に手を置きながら隣に座り込んだ。

「あと三枚よ。頑張って」

「まだ三枚もあるのか」と五郎右衛門はお鶴の襟元を覗いた。

 小袖の下に萌黄(モエギ)色と白い下着が覗いていた。

「だって、寒いんだもの。でも、ここはあったかくていいわ」

「全部、脱いでも大丈夫じゃ」

「やらしいわね」とお鶴は五郎右衛門の肩をたたいた。

「さあ、うんと色っぽいの話して」

「よし」

 五郎右衛門は枯れ木を焚き火にくべながら、「どこかの殿様が愛する妾(メカケ)のアソコを食っちまったっていう話はどうじゃ」と聞いた。

「アソコって?」

「ここじゃ」

 五郎右衛門はお鶴の股の辺りをさわった。

「この、すけべ」

 お鶴は五郎右衛門の手を払うと、「あんた、ちょっと変態じゃないの」と眉を寄せて睨んだ。

「馬鹿者、わしがそんな物を食うか。その殿様だって好きで食ったわけじゃない。だまされて無理やり食わされたんじゃ。色々と女どもの嫉妬がからんでるんじゃよ」

「やめてよ。そんな気色わるい話。今度は純愛物がいいわ」

「そんなもん、わしが知るか。今度は、そなたがやれ」

「そうね‥‥‥」

 お鶴は落ちている藁屑を拾うと、それをもてあそびながら考えていた。


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