無住心剣流・針ヶ谷夕雲

自分の剣術に疑問を持った針ヶ谷夕雲は山奥の岩屋に籠もって厳しい修行に励み、ついに剣禅一致の境地に達します。

13.昔話とお鶴

2008年01月16日 | 無住心剣流・針ヶ谷夕雲
「昔々‥‥‥」とお鶴は酔いにまかせて話を始めた。

 焚き火の側にたっぷりと藁を敷いて、二人は戯れながら酒を飲んでいた。

 五郎右衛門が藁束を全部ほぐしてしまった事を怒ったら、お鶴は平気な顔をして、お寺から貰ってくればいいじゃないと言った。

 五郎右衛門はお鶴と一緒に山寺に行った。山寺はお鶴の言った通り、岩屋のすぐ側にあった。五郎右衛門が毎朝打たれている滝の先に、水浴びに最適な深い淵がある。その淵は崖に囲まれていて、丁度、その崖の上辺りに山寺はあった。

 小さいが立派な山門もあり、その山門の上に登ると、五郎右衛門がいつも木剣を振っている立ち木が見渡せた。お鶴はそこに登った時、五郎右衛門に気づき、時々、様子を見ていたのだという。

 こぢんまりとした山寺なのに物置の中にはあらゆる物が山積みされていた。五郎右衛門は藁束だけでなく、筵(ムシロ)まで貰い、酒や食料、薪(タキギ)やローソク、草鞋(ワラジ)などの必需品をたっぷりと調達して来た。

 和尚はのんきに日の当たる縁側で昼寝をしていて、好きなだけ持って行けと気前がよかった。

 お鶴の話だと、時々、身分の高そうな侍が来て、寺の修繕費をくれたり、色々な物を置いて行くという。その侍は幕府に関係あるようで、和尚を江戸に呼びたがっているらしい。和尚にはまったく、その気はないが、くれる物は貰っておけと、あえて断らないため、物が増えて困っているのだという。いくら、物が余っているとは言え、ただで貰うのは気が引けたが、後で借りは返すという事で、五郎右衛門は和尚の好意に甘える事にした。

 岩屋の中は筵が敷き詰められて住みよくなり、薪も充分過ぎる程、蓄えられた。

「ある所に可愛い女の子がいました」とお鶴は五郎右衛門にもたれながら言った。

「ほう、どのくらい可愛いんじゃ」と五郎右衛門はお鶴の足首を撫でた。

「ちょっと、やめてよ。あたし、真剣なんだから‥‥‥」

 お鶴は足を引っ込め、五郎右衛門の手を打った。五郎右衛門は怒られた手で、お椀をつかむと酒をあおった。

 焚き火は勢いよく燃え、所狭しとあっちこっちにローソクが灯っていた。

「その女の子はね」とお鶴は着物の裾を直すと言った。

「両親に先立たれて親戚に預けられました。その親戚の人たちは悪い人たちで、その女の子を人買いに売ってしまいました」

「悪い奴じゃのう」

「でもね、仕方がなかったのよ。生活が苦しくてね、その子を売るしかなかったの。親戚のおば様は何度も何度も、女の子に謝っていたわ‥‥‥女の子はお女郎(ジョロウ)屋に連れて行かれて、毎日、毎日、こき使われました。まだ、つぼみのうちからお客さんを取らされて、毎日、毎日、泣いていました」

「可哀想じゃのう」と五郎右衛門は寺から貰って来た干しイワシを焼いたのをかじりながら言った。

「あなた、本当に、そう思ってるの」

「思ってるさ」

 お鶴は五郎右衛門を睨み、焼き魚をもぎ取ろうとしたが、「まあ、いいか」と話を続けた。

「女の子は毎日、泣いていたけど、ある日、恋をしました。初恋ね。そして、女の子はその男の子と一緒に逃げました。二人共、まだ子供よ。すぐ、お金に困ったわ。どうする事もできない。女の子は男の子のために自分からお女郎屋に身を売ったわ。男の子はきっと迎えに来ると言ったまま、二度と女の子の前には現れなかった‥‥‥女の子はきっと来てくれると信じ込んで、辛い毎日を耐えていました。その女の子は器量がよかったので、今度は、お侍の側妻(ソバメ)として買われて行きました。そのお侍のお屋敷はとても広くて、女の子のように買われて来た側妻が五人もいたわ。女の子はお女郎の時に比べれば、身なりもいいし、おいしい物が食べられたけど、夢もなく、毎日を過ごして行きました。何の変哲もないぬるま湯のような日々が半年近く続きました。ある日‥‥‥」

「ブスッ」と大きな音が鳴り、お鶴は五郎右衛門を睨んだ。

「ちょっと、変な所でオナラなんかしないでよ」

「仕方ないじゃろ。我慢してたんじゃが駄目じゃった」

「もう、臭いわねえ」

 お鶴は鼻をつまみながら逃げ出した。

「もう大丈夫じゃ」と言っても、お鶴は戻って来なかった。

 焚き火越しに五郎右衛門を睨みながら向こう側に腰を下ろした。

「どこまで話したか忘れちゃったじゃないよ。人がせっかく、真面目に話してるのに」

「悪かったのう。確か、女の子が侍の屋敷で夢のない日々を過ごしていた所じゃ。そして、ある日、何かがあったんじゃろ」

「そうそう、ある日よ。ある日ね、五人の若いお侍たちが、そのお屋敷に訪ねて来たのよ。そのお屋敷の主人はお殿様から、その五人を密かに毒殺せよと命じられていました。女の子はふとした事から、その事を知ってしまいます。知ったからといって、女の子にはどうする事もできませんでした。お酒のお酌をするために、女の子も他の側妻たちと一緒に、お客様の前に呼ばれました。女の子は命じられたまま、お客様に毒入りのお酒をお酌しようとしました。ところが、なぜか、目の前に座っているお侍さんの顔を見て、この人を殺してはいけないと思いました。そして、それとなく、お酒に毒が入っている事を教えました。でも、そのお侍さんはお客として、出されたお酒を飲まないわけにもいかず、一杯めは飲んでしまいました。しかし、それ以上は飲みませんでした。お陰で、そのお侍さんだけは何とか死なずに済みました。女の子はこの事がばれたら殺されると思い、夜になるとこっそり、そのお屋敷を逃げ出しました。しかし、すぐに捕まってしまい、さんざ痛め付けられたうえ、川に投げ捨てられました」

 お鶴は手を口に当てたまま、話すのをやめた。五郎右衛門の視線に気づき、五郎右衛門を見ると、「もう、やめましょ。こんな話、つまんないわ」と言った。

「いや、わしは聞きたい」

 五郎右衛門は真剣な顔をして、お鶴の話に引き込まれていた。

「それから、その娘はどうなったんじゃ」

 お鶴はしばらく、五郎右衛門を見つめていたが、酒で口を潤すと焚き火を見つめながら話を続けた。

「悪運が強いのよ。女の子は助かったわ。まだ、若い夫婦だったけど、二人は女の子の面倒をよく見てくれたわ。女の子は元気になったの。でもね、女の子は何もしてないのに、そこのおかみさんが嫉妬して、また売られちゃったのよ。また、お女郎に逆戻り、毎日毎日、違う男に抱かれて‥‥‥夢も希望もない生活。一度、この世界に入ってしまったら、もう泥沼のように抜け出せないの、もう‥‥‥可哀想ね‥‥‥でも、どこにでもあるお話だわ‥‥‥お女郎屋からお女郎屋へと流れ流れて‥‥‥」

 お鶴は焚き火をじっと見つめながら口を閉ざした。

 五郎右衛門には、お鶴が自分の身の上話をしたのか、単なる物語を話したのか、判断がつかなかった。お鶴の真剣さから身の上話のような気がするが、目の前のお鶴が女郎として苦労を重ねて来たとは思えなかった。しかし、時折、見せる寂しそうな仕草は、そんな辛い過去があったのかもしれないと思わせた。

 お鶴は口を堅く結んで、焚き火を見つめていた。

「どうしたんじゃ。それで終わりか」と五郎右衛門は声を掛けた。

 お鶴は首を振ると酒を飲んだ。

「ここで終わっちゃったら、女の子が可哀想すぎるよ。ちゃんと幸せになるのよ」

 五郎右衛門はお鶴の差し出したお椀に酒を注ごうとしたが届かなかった。お鶴はお椀を持って、五郎右衛門の隣に戻って来た。

「ある日、突然、その女の子の前に、毒を飲まずに助かったお侍さんの使いの者が迎えに来るの。まるで、夢みたいだったわ。やっと泥沼から抜け出せる。しかも、あの人のもとへ行ける‥‥‥女の子は泣いたわ。嬉しくて、嬉しくて、泣いたの‥‥‥女の子はそのお侍さんの奥さんになりました。幸せな毎日が続きました。夢のような毎日でした‥‥‥しかし、その幸せも一年と長続きしませんでした。夫は剣の試合をして死にました。女の子は仇を討つために旅に出ました。これで、おしまい‥‥‥つまんない話をしちゃったわね」

 お鶴は五郎右衛門を見ると笑った。その笑顔には、いつもの陽気さはなかった。

「そんな事はない。いい話じゃった‥‥‥」

 五郎右衛門は首を振ってから、うなづいた。「それで、その女の子は仇は討てたのか」

「えっ?」とお鶴は顔を上げた。

「ええ‥‥‥うまく討てたわ」

「そうか‥‥‥そいつはよかった」

 五郎右衛門は焚き火に薪をくべた。

「なんか、湿っぽくなっちゃったわね」とお鶴も薪をくべた。

 五郎右衛門はじっと火を見つめていた。

 お鶴は仇は討てたと言った。やはり、単なる物語だったのか。いや、違う。物語を装って身の上話をしたに違いない。武家娘に生まれて、時代の流れに揉まれて、女郎にまで身を落としてしまったのだろうか。

 お鶴が生まれたのは関ヶ原の合戦の頃じゃろう。その時、両親を亡くして、親戚に預けられたのじゃろうか。それとも、大坂の陣の時だったのじゃろうか。

 関ヶ原から大坂の陣を経て、世の中はひっくり返るように変わってしまった。豊臣方の武士は皆、滅ぼされ、家族の者たちは路頭に迷った。お姫様として育てられた娘が一転して、身を売らなくてはならなくなる。お鶴もそんな娘の一人だったのじゃろうか。

 ♪空飛ぶ気楽な鳥見てさえも、あたしゃ悲しくなるばかり~

 とお鶴は小声で急に小唄を歌い始めた。

「いい唄じゃな」

「つまらない唄よ‥‥‥もっと、陽気な唄を歌いましょ、ね」

 お鶴は聞いた事もないような唄を陽気に歌い始めた。五郎右衛門はわざと陽気に騒いでいるお鶴を眺めていた。


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