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(07/06/01)

デジャヴ

2007年03月18日 | 手代日記
わてが丁稚の定吉だす。
3月17日公開の「デジャヴ」を見て来ましたが…。どこまで書いたらいいんでしょうかね。とにかくまずなにも知らない状態で見て欲しいですわ。予告編もミスリードするように出来てますしね。
入替なしの劇場だったので2回見ちゃいました。最初の20分くらいを再確認するためと、
そこまで見ちゃったらラストの泣かせももう1回見ようと。
純粋なXXXXX映画、あるいはOOOOOoOモノの△△映画として見るとイマイチ評価は
低くなるんでしょうが、それは仕掛けに目を奪われてるだけです。これはそういう映画じゃないと思います。
「ショーシャンクの空に」を脱出映画としてクソ映画だと言うのと同レベルの話。
こりゃ純粋な●●映画ですわ。出会いが「死体と」「OOOOOoOして」「ラスト」の3回あります。それぞれの意味合いが違うのですが、それが役者の表情として見事に描かれています。
この作品は単純に◎◎と接触するのではなく、\\\\\\を通じて♪♪というテーブルの上にある◎◎と接触をします。ここがよく見るOOOOOoOものの△△映画と違う点。
そしてそのテーブルは無数にあり、複数のテーブルを行き来できる人もいるかもしれません。
それを考えると「デジャヴ」というタイトルは実に意味深です。◎◎のダグと♪♪のダグの2人がいてそれぞれが別の存在ならデジャヴを感じることはないはずです。わてらは♪♪に生きているように思っていますが、実は時々\\\\\\\を通じて◎◎と行き来したりしてたり、あるいは実は自分という存在はテーブルの外にいて◎◎と♪♪の関係は同じテーブルから見るものと違ってシームレスなものだったりするんじゃないか、とかそんなことを考え始めると哲学の領域までつれこまれてしまいます。
ただ、どんなテーブルにおいても普遍に求められ、評価され、人を動かすものがあります。陳腐な言葉で言えば、それは愛と勇気。その二つがラストの泣かせで実に効いて来ます。
設定と映像は特殊ですが、久々に原点に返った洋画を見たような思いがします。

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