特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

野06 大利根温泉行きと道の片っぽだけのバス停 その1

2017年08月17日 21時43分17秒 | 旅行


先日NHKで「戦慄の記録 インパール作戦」なる終戦番組を見ました。その是々非々は置いておくとして、
戦時中、兵站が次々に失われたわが国ではあちこちで国産エネルギーを求めるべく天然ガスの試掘が行われたそうです。

 終戦後もエネルギー不足のため天然ガスの試掘が全国で再開されました。



 昭和33年3月24日、千葉県野田市瀬戸の利根川岸の天然ガス試掘場で突如、摂氏40度に達する温泉地下水が噴出しました。
肝心のガスは期待外れだったようですが、温泉が湧いたことで野田市はこれを「大利根温泉」と名づけて温泉地として整備しました。
船橋市にあった有名な「船橋ヘルスセンター」も同じような天然ガスがらみの経緯で出来た施設だそうです。

 このとき宿泊施設も建てられ民間業者へ譲渡したのですが紆余曲折があって
昭和40年代には「地産」という不動産やゴルフ場経営をしていた企業に渡っていてゴルフ場も設けられました。

 この温泉の付近には今も昔も鉄道駅はありませんがそばを走る県道を東武バスの野田市駅~柏駅(当時は駅東口)線が通っていました。
 
 初代根津翁の昔から東武は温泉に目がないですから、昭和34年に温泉から最も近い停留所「瀬戸」を折り返して野田・柏と結ぶ区間運行を始め、
翌年には正式にバス停留所「大利根温泉」を新設しました。

 大利根温泉の出現は当地のバス路線に少なからぬインパクトを与えました。 
 
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私は柏駅―野田駅間の東武バス野田線を利用していますが、去る一日からバスの増発という名目で、時刻が変更されました。
今まで水せき橋、船戸止りであったバスもほとんど柏駅―野田駅間を走るようになったため夜などは柏駅を七時三十五分、八時五十分(終車)に
出ていたバスが、七時二十分、八時三十分に切替えられました。この近くも年々東京への通勤者がふえ毎日特にこの最後の二台のバスは
はちきれんばかりのギュウギュウづめである。雨の降った日だと必ずのように乗り切れない人の出るありさまです。
このような状態が分かっているのにバスの発車時刻を早くしたことは、増発どころかはなはだしい減発であり、混乱のもとだと思います。
少なくともこのような事業は公共を有するべきであり、私たちも二十円、三十円の金を支払って乗っているのだから
会社側は常にこのような状態の改善に努力すべきだ。会社の態度はまったく乗客をばかにしたものであり、
少なくともこの超満員の状態を幾分でも緩和するため夜九時以降に一台バスを増発させるべきだと考えています。(柏市・一乗客者)

東武バス野田営業所西沢次長の話
 野田―柏間に大利根温泉ができたのでバスを増発し、区間を延長したわけだ。
区間を延長した関係上、終バスの時間が約二十分早くなった。
しかし投書でいっているほどに混雑していない。
大利根温泉の設備が完備したらもっと増発し、終バスの時間も繰下げる予定になっている
=========(昭和34年3月20日『朝日新聞』)===============

 一般にクレーマーと呼ばれる人はお金の話を絡めつつ何事も大げさに言うものですがこの投書人の言ももっともに聞こえます。
 しかしながら区間延長によって車掌の労働時間も延びています。
客あしらいをする実走時間は当然労働時間になります。東武の組合の強さは国鉄級です。
当時は女性の深夜労働が認められていませんから、繰り上げて深夜労働にならないようにしたのでしょう。
大利根温泉には、時間の前倒しをさせても見合う需要ひいては利潤があったのです。


 

 大利根温泉はそれからおよそ20年が経った昭和53年、泉脈が枯れてしまい人工温泉すなわち今日のスーパー銭湯のごときに変わり、
ゴルフ客ばかりになったようですが、停留所名「大利根温泉」はいささかも変わることなく今日なおバス停として存立し続けています。
 
 TBSテレビ「そこが知りたい路線バスの旅」に大利根温泉が登場したことがあります。
出演者の服部センセイは若い時分に大利根温泉にバスで来たことがあり、
柏→野田へ行く柏03の旧塗装車内でいきなり「この辺に温泉があって昔入ったことがあるなぁ」と言い出し
途中下車してホテルのフロントへ行き、係りのノーネクタイYシャツ姿の男性に「昭和53年に温泉が出なくなりました」と言われていました。
その画面にはテロップが入り「昭和53年頃 枯渇」と表示されました。
次の場面では浴場でウーンと唸りながら湯に漬かるセンセイの姿に変わり、
何か大利根温泉に関する大沢悠里さんのナレーションが流れましたが内容は忘れてしまいました。


 柏を出て野田までは行かない柏~大利根温泉止り線は少なくも昭和45年8月には存在し昭和54年6月には消滅していることが諸資料から分かっています。
昭和56年に見た柏駅西口のバスのりばにはポールの行先欄に「柏市立高校」「野田市駅」「北花崎」「船戸木戸」とともに「大利根温泉」も書いてありましたが
時刻表には載っていませんでした。
柏~野田線に統一されたようですが、野田から大利根温泉止まりの路線は野田出張所廃止まで生き残り実際廃止日当日にわたくしは復路だけですが乗り通しました。
 
 
 平成13年9月30日の日曜日、大利根温泉停留所にて。
運行本数が休日に1本のみだった大利根温泉始発木野崎入口経由野田市駅行きに乗車の際、側面方向幕を撮ろうして大失敗したもの。
大利根温泉始発の野田市駅行きは平日に1本もなく、休日15時台に木野崎入口経由、18時台に電建第一住宅経由の計2本のみしかありませんでした。
また野田車庫行きが平日に2本あり、すなわち平日は野田車庫止り、休日は野田市駅まで全通と分かたれていた、と記憶しています。
バス停のスタイルは現存と同じすいせん型のものが置かれ、恐らく当時から現在まで時刻表紙やボードの取替はしていても筐体の取替はしていないと思います。
さらに遡りわたくしの小学生当時はどうだったかというと、オレンジ一色の鉄製ひまわり型で文字は職人の流麗な筆書きというお馴染みのオールドスタイルでした。



 ところで廃止日に乗ったのは野06系統大利根温泉発木野崎入口経由野田市駅行きと言って柏03 野田市駅~木野崎入口~柏駅西口と同じ所を走るものでした。
後代にぜひ伝えたいのは途中経路の異なる野田市駅~本郷~大利根温泉という路線です。
 平成10年、野田警察署に免許更新に行くときに愛宕駅で見かけて「やや、まだ残ってたか」と思った記憶がありますが、
平成13年の野田出張所廃止時にはすでに廃止済みでバスのりばからも消除されていました。


白色のテープ様のもので隠されている本郷経由大利根温泉線の部分。と野12 東宝珠花線らしき部分も白くつぶされています。

他サイトで紹介されてるのと同じくさっきからわたくしも「本郷経由」と言っていますが、昭和時代は違う呼び方をしていました。それは次回お話しましょう。
 
 無くなったものをあれやこれや言って死んだ子の歳を数えまくるのがこのブログの精神ですが、
この路線は35年の星霜を経た今なおわたくしの心のひだに深く刻みこまれていて、ローカル路線バスの魅力を十分兼ね備えたすばらしいバス路線でした。
野12 野田市駅~東宝珠花線とこの路線に触れずして野田のバスを語ることはできない、と断じても良いほどです。

この2路線には共通点がありそれは、バス停ポールが「道路の片側にしか立っていない」ということです。
野12よりも先に野06を乗りつぶしたのですが、「バス停がないのにバスに人が乗ってくる」という光景を生まれて初めて目の当たりにしました。

  また前置きが長くなりました。
次回は昭和のある日、小児運賃で野06を終点まで乗ってまた野田市駅に帰ってきた小学生の乗車記をお話したいと思います。
 

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