特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

野06 大利根温泉行 その2 運行開始のテープ案内

2017年08月24日 21時25分32秒 | 旅行
残暑の候、皆様いかがバスにお乗りですか。

さて、野田市駅から大利根温泉へ向かう東武バスには「灰毛経由」、「本郷経由」
そして「電建第一住宅経由」の3系統があったと他サイトで紹介されています。

このうち「電建第一住宅経由」はわたくしの小学生時代には開通しておらず東武撤退に至るまで残念ながら
一度も乗ったことがありません。



大利根温泉はこのような時刻で運行されていました(東武時刻表)。
「本郷経由」が「灰毛経由」を圧しています。
わたくしの記憶だと逆だったように記憶してますが
同じく「灰毛」を経由する柏駅西口行きと勘違いしていたのかも知れません。



 
この2つは「木野崎入口」停留所で分岐します。
木野崎入口の先に見える交差点を「灰毛経由」は右折。「本郷経由」は直進します。
直進すると明治時代の旧村「木野崎村」に入ります。だから木野崎入口というのです。
昭和時代は交差点右前方のトラック倉庫などなく鬱蒼たるただの森。右のGSは昭和の昔も立派にあって星マークの日本石油でした。



これは平成13年の木野崎入口バス停。
貼り付いている白い紙は野田出張所廃止に伴う停留所廃止告知です。ところが今なお廃止されず生き残っているのは何故かというと
以前に触れた柏13 野田梅郷住宅循環線なる停留所として復活しているのです。
これはつまり廃止ではなく休止だったのでしょう。
写真は申し訳なくもバスではなくマイカー車内から撮っています。今は都内で毎日東武バスを利用しているのでお許しくださいませ。
次停留所名に「三角原」「二ツ塚入口」と並列表記されているのが判りますでしょうか。
三角原こそが本郷経由にしかない次停留所ですがわたしくの小学生時代は違う名前でした。それは次回お話しましょう。
二ツ塚入口は灰毛経由大利根温泉行きと柏03の次停留所です。


ものの本によれば戦前はバス停などというものは無く、沿道の酒・食料品の店に旗を掲げて客の居る居ないをバスに伝えて便宜を図っていた、
とあります。
「木野崎入口」に至る一つ手前の停留所「大殿井」もそうですが東武時代の野田、
はたまた柏でも春日部でもバス停が個人経営のお店屋さんのまん前にあるものが多くあって、
路線バス草創期の残滓であろうと思われます。
わたくしの幼少の記憶によればこうしたお店屋さんでは東武から車内で車掌さんに入鋏してもらうバス乗車券の販売委託をされていたお店もあったと思います。


木野崎入口もこの「大久保商店」というお店の前にあります。
このお店も当然昭和56、57年当時もありましたが、
お店はあってもここで乗り降りする人がいた記憶はあまりありません。


先ほどから「本郷経由」と言ってますし、上掲の時刻表にも「本郷」とありますが、
昭和56年当時東武バスの8トラテープのオバサン、もとい、お姉さんはこれを「キノサキ経由」と言っていました。

今では考えられないことですが当時はワンマンバスの黎明期です。走行中に経由地や行先を案内する台詞が車内では一回も流れてきません。
昔の東武バスの運転士は今のようにベラベラ喋りませんよ。
仏頂面で終点まで只の一っ言も口を利かない人が普通にいましたからね。その方が乗ってる客も気楽だったなと今改めて思いますけど。

始発地野田市駅で乗った時にインデックス用兼音量調節用の低いトーンの台詞「このテープはノダ・・系統・・発・・経由・・行きです」が聞こえてきて判るのです。


昔の東武バスは大らかでテープ冒頭にあるインデックスを客が乗った後にようやく再生するのでマニアとしては非常に良い勉強になります。

例えば野12系統野田市駅~東宝珠花線はインデックス部で「キマガセ小学校ケーユ」と言ってましたが、
その後の客に聞かせるためのパートが始まると「お待たせいたしました。このクルマは野田市駅ハツ東宝珠花ユキでございます」と経由案内が消えちゃうのです。
語尾が「です」→「でございます」と丁寧格が上がります。
「このバス」と言わず「このクルマ」と呼ぶのは、味のない冷え冷えとした合成音声になった今も変わりありませんね。

また少なくも野田出張所管内では必ずこの部分に「ノダ○○系統」と系統番号の読み上げが含まれています。
系統番号が1桁ならば「野田ゼロ・・系統」と読まれます。方向幕の系統番号には野田の「野」しか書いてなくても「ノダ」と正唱します。

柏03もしっかり「カシワゼロサン」です。ところが奇妙なことに北越谷駅行の北01、北02だけは「キタ」と略称読みでした。
北千住駅行きと間違えて乗る人がいたらどうしたのか考えると、地下鉄の電車はどこから入れたのか考える以上に夜も眠れませんね。



次回はこの路線の核をなします、木野崎入口~終点大利根温泉間の遥か昔の乗車記をお話して、いい加減本題に入っていきたいと思います。


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