私が幼き日に乗った三井団地行きのバスは柏03と同じバス乗り場3番から出ていて本数もご覧のように沢山ありました(東武時刻表 1982)
住人の要望で開設された路線ですがよくあのケチ東武が本数を出したものだと改めて感心いたします。
三井団地は柏市内でも我孫子市に限りなく近いところにあります。
昭和61年、阪東自動車に我孫子駅~三井団地間が開設されてから本数が退潮したようです。
わたくしは先日、数十年ぶりに柏駅西口~三井団地間を往復完乗してまいりましたが、
詳しい道中はyoutubeにどなた様かの東武バスの布施線と阪東自動車のあけぼの山公園線の前面展望動画がありますのでそれに譲り、
幼時との異同について若干触れて後代に伝えたいと思います。
柏駅西口には5番のりばというものがわたくしの知らぬ間に出来、現在三井団地行きはそこから発車しています。
あおいそら運動の作文ネタを柏03の車内で整えたあの昭和57年の夏、この3番のりばから出ていました。
あの頃柏駅西口には1~3番までしかバス乗り場はなかったと記憶していますが、
後年の資料をいろいろ見ていたところ当時「柏駅西口~柏車庫」線専用のバス停が
三和銀行柏支店前に立っていたことを知り、「あ、電照式でも何でもないオレンジ色したのが置いてあったな」と今更思い出しまし
た。
ただしそこでバス待ちしている人を見かけたことは一度もありません。
この交差点で右折し、野田方面行きと分かれて三井団地へ向かいます。
柏04の布施弁天行きと同じですが、幼時は「布施」行きと言っていました。
平成22年に終点停留所名を布施から「布施弁天」と名を改めたそうです。
覗き見した行路表によると布施弁天線と三井団地線は同一車で運行しているようですが、
昔は布施線は柏が、三井団地線は野田が、と管掌が違いましたから単独で走っていました。
のりばも昭和時代は別だったように記憶してますが平成13年、野田出張所廃止直前に
見に来たときにはともに4番乗り場から発していましたが、別管掌なのは変わっていませんでした。
「富勢」は「ふせ」と読むと思ってましたが「とみせ」と読むのだと、初めて乗って覚えました。
このバス通りの北に茨城県へ通ずる新道が走っていてかつて北柏駅~パークシティ守谷という路線が走ってい
ました。三井団地線に「古谷入口」がありますが、この道路沿いには入口が付かないただの「古谷」というバス停があり
高校時代に帰宅の足として数度乗車したことがあります。
関東鉄道バスに生まれて初めて乗った場所でもあります。
残念ながら「いつ乗っても混んでいて一度も座れなかった」という記憶しかありません。
三井団地降車場。
所要20数分で到着しました。
昭和の昔とまったく変わらない場所にポールが立っていました。
車道上にカーブを示す赤コーティングが施されていますがこれは昔はありませんで
した。
ポールのまん前に案内図がありましたがこれは昔はなかった。これだけ見ると住宅地の外れの外れにあると思いがちですが、
すぐ隣、我孫子市側に久寺家三菱なる戸建住宅地がまたあって、あまり町外れに来た感がないのも昭和と変わっていません。
三井、三菱ときたら住友がぜひ欲しいところですがどこにあるんでしょうか。
関西資本のそごうデパートと高島屋百貨店は柏駅前に進出しましたけど。
昔はなかった阪東自動車の三井団地入口バス停。東武と違ってすさまじい運行本数です。
三井団地転回場。幼き日に見た記憶では舗装こそあれボコンボコンした凸凹状態だったと記憶してますがいまは美しくアスファルト合材で完全舗装されてますね。
詰所の周りの木が今よりうんと背が低かったです。
柏市と我孫子市の境でもある左側の急坂には昭和57年当時「秀月」という名前のラーメン屋がありましたが現在は店をたたんでいるようです。
柏と我孫子は陸続きなので我孫子市のポンチョのコミュニティバスもこの辺りを走っているようです。
隣町のコミュバスがやって来るなんぞ四方八方を水に囲まれている野田では考えられない光景です。
東武のバス停。当時はオレンジ一色のお馴染みのものでしたが、三井不動産だったかどこかの会社名だったか・・・
んーん、何か私企業の広告表記が青ベタ地に白抜き文字で円板に書いてあったように覚えています。
バス好きだった小学生時分でもこの路線は1回しか乗りつぶしたことがありません。
安心安全な駅間路線でもないので野田出張所管内でなければ乗ろうとも思わなかったでしょう。
遠いあの日、初めてここに来たとき、折り返しまでわずか数分しかなく、我孫子市側に
やや歩いて行ったところにあった「遠藤」という薬局屋さんの自販機でジュースを買い
ゴクゴク一気飲みして慌ててまたバスに乗って柏に戻りました。
その時「次に来た時はこの急坂に上ってバスを上から見下ろしてみたいものだ」
と思いましたが、35年の歳月をかけ今ようやっと思いを果たすことができました。
東武バスの塗装はもう青くありませんが、あの日と同じ青い空のもと、実に長いあおいそら運動でした。
今では一日5本、我孫子の方が渋滞もなく早いのでしょう・・