すっかり秋めいてまいりましたがみなさまいかがお過ごしでしょうか。
今NHKでファミリーヒストリーという番組やってますね、ついついずーっと見ちゃうんですけど、わたくしはそのたびに「なんで眠たいのにこの番組最後までずっと見ちゃうんだろうか、それはただの歴史ではなく物語、ストーリーだからだ、うむ、歴史にはストーリーが大事やなあ」としみじみ思うわけです。ところが年表というやつは大抵歴史の教科書の巻末なんかにベロっとくっ付いてますけど困ったことにまずストーリーが見えない。ストーリーがあって今がある、なにごとも。だからWikipediaなんかは「歴史を語るときに年表形式はやめてください!」って言っておられます。それでこれバスとなんの関係があんの?ってものまで年表に混ぜ込んでみたのです。だからモデルナよろしく不純物だらけの年表になってしまいました。
ところでわたくしの年表には「吉田甚左衛門」という人がちょいちょい出てくるのですがこの人は東武バスイーストエリア屈指の実力者だった人でともかくまあ表も裏も大変な力があって表しか書いてませんが裏はもうナントカ一家とか愛人経営のクラブとか。野田醤油もこの人放ったらかしてるとアブナイから抱き込みを図ってるわけです。ただ野田醤油絡みで良くない人と関係ができて事件に巻き込まれています。実はわたくしのご先祖様も宴席に出させていただいたことがあってまあその節は大変お世話になりまして世代を越えてお礼申し上げます。前回申し上げたように参照してきた諸々の資料はこちらへ。
・・年・・ | 月・日 | で き ご と |
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1930年昭和5 | 12月10日 | 総武鉄道が氷川神社大湯祭にあわせ臨時電車を運転し割引を行ったので対抗する埼玉県岩槻町・岩槻自動車株式会社、大宮・粕壁間自動車増発し岩槻・大宮間割引20銭という大割引 |
1932年昭和7 | 4月22日 | 東武鉄道従業員、杉戸町の「浜島旅館」「ふしみ屋旅館」に立て籠り、同社創業以来初のストライキ始まる |
1933年昭和8 | この年総武鉄道、前年度の営業減益を不況と乗合自動車競合のためと断じる | |
〃 | 7月7日 | 東武鉄道、埼玉自動車株式会社から川越駅~坂戸梅園間の1路線を買収し直営自動車営業を開始 |
〃 | 同20日 | 総武鉄道、柏競馬場近くに柏競馬場前駅を開業(昭和30年廃止) |
〃 | 8月30日 | 東武鉄道、本社運輸課に乗合・貸切自動車を専門に管理する「自動車掛」を設く |
〃 | 10月 | 国防軍事上の重要性が総武鉄道に認められ1ヵ年3万7千円の国費補助が決定、同社株価従来5円内外のところ30円以上に急騰し野田町狂奔する者多し |
〃 | 同1日 | 自動車交通事業法施行 |
〃 | 同4日 | 柏町の栄自動車と野田町の丸三自動車が野田-我孫子間乗合自動車運転免許を競願してもめる(昭和55年の柏市史年表にあり「東武バス年表」もそのまま引いているが戦前千葉県紙見るも相当する記事見つからず) |
1934年昭和9 | 4月11日 | 東京地方裁判所、東京市営墓地事件被告・吉田甚左衛門に贈収賄罪構成要件を認め有罪判決 |
〃 | 6月4日 | 自動車燃料の木炭化促進のため瓦斯発生炉設置奨励金交付規則が施行 |
〃 |
8月1日 |
吉田甚左衛門が岩槻自動車株式会社を買収 |
1935年昭和10 | この年、栄自動車、柏駅・水堰橋間運賃35銭なるも運河水堰橋釣客に限り30銭の特定運賃を設定 | |
〃 | 1月12日 | 千葉県、道路補修のため道路愛護奨励規程を告示 |
〃 | 7月1日 | 総武鉄道、吉田甚左衛門より岩槻自動車発行済株式全株取得し同社代表取締役に野田醤油取締役茂木七郎治を選任 |
6~7月 |
白木屋百貨店、野田町出店計画するが商工会の猛反対を受け撤退 | |
〃 | 8月19日 | 総武鉄道、埼玉県大宮町西川自動車商会(西川龍吉:昭和1.12.27開業)の自動車営業権一切を買収し大宮市街線、大宮~氷川公園間を得る |
〃 | 同24日 | 総武鉄道、埼玉県川口町中田喜三次経営の自動車営業権を買収 |
〃 | 12月 | 境・関宿間に境橋再架橋され東武鉄道と茨城急行の共同経営橋になる |
1936年昭和11 | この年『房総の観光』誌に栄自動車(柏~塚崎・松戸・流山・我孫子経由木下、我孫子~田中村)、桝田自動車(野田~運河・関宿)載る | |
〃 | 2月14日 | 千葉県、大型自動車旅客運送事業取扱手続訓令を発す |
〃 | 3月13日 | 総武鉄道、埼玉県大宮町中村自動車(中村善造:大正14.7.2開業)を合併。大宮駅前~馬宮・小宮、大宮駅前~大砂土~原市町間を得る |
〃 | 同20日 | 総武鉄道、吉田甚左衛門より栄自動車株式会社発行済全株を取得 |
〃 | 4月2日 | 総武鉄道、埼玉県大宮町合資会社大宮自動車商会(松本勝士:昭和6.12.16開業)から大宮駅~大宮公園間他全路線買収 |
〃 | 6月9日 | 総武鉄道、埼玉県吉川町平沼・石川自動車合資会社(石川與一)を買収し吉川~田島間を得る |
〃 | 10月28日 | 野田醤油、野田運輸株式会社の全株取得し完全子会社とす |
1937年昭和12 | この年、102部隊の十余二移転に合わせ柏町に飛行機発動機修理工場増田商店開店、そのまま柏初の自動車修理店増田自動車工場となる | |
1月25日 | 総武鉄道、栄自動車株式会社を「総武自動車株式会社」に商号変更し旧栄自動車本店を総武自動車柏営業所に改む | |
〃 | 同27日 | 総武鉄道、大宮町・高花・大砂土村・土呂間を買収 |
〃 | 同28日 | 総武鉄道、日勝村大字小久喜・木部きよから岩槻町・白岡間自動車営業権を買収 |
〃 | 2月8日 | 京成自動車株式会社で労働争議勃発し松戸町・成田町地方でストライキ運休多発 |
〃 | 3月4日 | 総武鉄道、野田乗合自動車桝田定吉全線を直営線とする |
〃 | 3月10日 | 野田醤油、総武自動車待合所に東京市及び野田町限定発売の新商品「亀甲萬ソース」の広告掲出 |
〃 | 4月16日 | 東武鉄道に再びストライキ発生、鉄道直営川越自動車の運転手・車掌30人が鉄道社員とともに嘆願書を提出 |
〃 | 同28日 | 総武鉄道、大宮町~三橋村間を買収 |
〃 | 5月14日 | 東武自動車で従業員ストライキ決行、前橋・伊勢崎・太田・桐生・大間々・薮塚・館林各営業所管内一部路線運休 |
〃 | 6月29日 | 総武自動車、流山町541番秋本金次郎の自動車営業権利一切を取得し運河駅・野田町間延長す。また総武鉄道、秋本金次郎運河駅構内営業権の無効を告ぐ |
〃 | 7月21日 | 千葉県、桝田定吉から総武鉄道株式会社取締役社長茂木七左衛門への小山渡船設置者名義変更許可下附 |
〃 | 秋頃 | 埼玉県南埼玉郡越ヶ谷町708番岡庭善一、越ケ谷自動車株式会社野田支部を総武鉄道に売却。総武鉄道ここまでに車輛54輌(乗合35輌、貸切19輌)営業キロ全線352.2km(野田営業所97.4km 岩槻営業所21.3km 大宮営業所33.5km 越谷営業所100.9km 総武自動車株式会社線57.4km 大宮鶴屋自動車商会線12.8km 花畑自動車線28.9km)を有す! |
1938年昭和13 | 2月1日 | 総武自動車、燃料節約のため停留所以外での乗降を禁止 |
〃 | 5月30日 | 野田醤油、陸軍に九七式陸上戦闘機「野田醬油號」献納 |
〃 | 6月10日 | 総武鉄道バス岩槻営業所、燃料節約のため大宮・粕壁間2回減便し電車とバスとで交互運転するダイヤ改正 |
〃 | 同13日 | 柏大豪雨、国道水戸街道水没により総武自動車、当面運休を発表(7月6日再開) |
〃 | 9月 | 台風で境橋・関宿橋流出 |
〃 | 12月 | 総武鉄道、野田町に木炭ガス発生器付き新車を導入 |
1939年昭和14 | この年までに総武鉄道麾下のバス路線、成田線木下町まで伸び、また東京浅草までの路線もあったという(RailFun) | |
〃 | 1月21日 | 吉田甚左衛門、競馬法改正により柏競馬場閉鎖を決め、軍需工場誘致を画策と報ぜられる |
〃 | 2月 | 総武自動車、柏駅-十余二飛行場-富勢-若柴-豊四季-柏駅(循環)間を申請(★)あるいは柏駅・十余二飛行場折返運転を開始 |
〃 | 4月26日 | 陸軍航空廠立川支廠柏分廠が開所。同月総武鉄道、柏-高田原間、新川村南-高田原間の免許を申請(★) |
〃 | 8月2日 | 総武鉄道、バスの運行に必要な一日150俵の木炭を製造可の木炭自動車用炭焼窯を野田変電所付近に新設 |
1940年昭和15 | 1月4日 | 東武鉄道社長根津嘉一郎急逝 |
〃 | 同28日 | 総武鉄道、総武自動車株式会社を吸収合併し全バス路線を自社直営化す |
〃 | 4月 | 総武鉄道、柏-松戸間を休止 |
〃 | 5月15日 | 石油代用燃料使用装置奨励金交付規則施行 |
〃 | 同20日 | 総武鉄道、新川村南・豊四季間および田中村花野井・十余二間路線認可 |
1941年昭和16 | 1月11日 | 小城銀次郎が土浦市三好町にアサヒ自動車商会(現朝日自動車株式会社)を設立し土浦~境町・阿見飛行場等の路線を開業 |
次回へつづく |