皆さま台風の害は大丈夫でございましょうか。東京地方に竜巻警報まで出ました。
何年前だったか越谷に竜巻が起こって松伏→野田と移りながら害をなしたことがありました。
今わたくしが必死に思い出そうとしているバス路線はその竜巻と同じようなルートです。
越谷もとい、当時の茨急バスのしきたりに従うと「越ケ谷」をいでて岩井警察署前行のバスは松伏町に入りました。
町域に入るや否や沿道で町名を強く主張する . . . 本文を読む
昭和57年頃まで野田市内で見かける茨急バスは5:1程度の比率で一世代前の東武によく似たこんな塗装でした。
下手くそで恐縮ですが車体各部に起きる応力をモノコック構造で放勢していた時代なので
本当はボディにリベット鋲の頭が吹き出物のように何本も出ています。
柏・我孫子の阪東バスもかつてこの塗装だったようですが、当時すでに柏へ行っても次世代のものしか見かけませんでした。
色味が色味だけにわたくしは乗り . . . 本文を読む
冒頭からなんですが、わたくしは小学生のある日警察に連れていかれたことがあります。そして警察に着くと運賃を要求され、降りる際に「俺は何もしてねぇ!無実だぁ」と暴れることなくおとなしく「ありがとうございました」と運転手にお礼を言って降りました。降りてもカツ丼は用意されてないし火葬されて四女に遺骨引取られることも無いしですぐシャバに戻されました。今回はそのとき乗った今は無きバス路線、茨城急行バスの北越ヶ . . . 本文を読む
拝啓皆さまいかがバスにお乗りでしょうか。
こんにち運賃表示器というとWINDOWSをOSとし、運賃や停留所の一覧のみならず「次とまります」だの「扉が立つまで座ってお待ちを」といった啓発PR画面までもが綺麗なフルカラーLCDに映し出されるほどに発達していますね。
わたくしが路線バスに熱狂していた昭和56、57年頃、ワンマン化完了して間もない野田のバスたちの運賃表示器といえば、金 . . . 本文を読む