特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

さよなら、野03 松伏溜入下行き

2016年08月31日 18時14分57秒 | 旅行

 2001年9月29日土曜日、東武バス野田出張所が閉鎖される1日前、北越谷駅~松伏溜入下の往路乗りつぶしをしました。
 この路線は日曜運休でした。なので2001年9月29日が最終運行日だったのです。少なくともわたしが乗りバスしていた時、すなわち昭和55年以降には東武の野田出張所が担当していて、車内掲示の路線図には松伏から分岐するある種の盲腸線のように描画されておりました。

 地下鉄路線図で北綾瀬や方南町を見たときと同じ不思議な魅力を感じてましたが、野田からは出ていない路線なので一度も乗ったことがありません。
そも「溜入下」と書いてなんと読むのかも知らぬまま幾星霜を重ねておりました。ちなみに小学生の頃見た路線図では「野04」が系統番号でした。




 2001年9月29日か30日に野田車庫発柏駅西口行きの車内で撮影した『野田出張所管内バス路線図』。

 相変わらずすさまじい手ブレで今更猛省してもしょうがないんですけど、左上部の黄色線が目立つあたりが松伏・北越谷線を表しており、横移動部の上に青色らしき色線種でチロっと出っ張っているのが松伏溜入下。

 昭和の昔は何便運行されていたのか知りませんが2001年ともなると路線バス時刻表の一部はバスマニアな人々の多大な努力によってネット上でも見れる時代になってました。
事前にネットで検索したところ11時台に北越谷駅を出る一往復のみ、でした。


 なお、乗る前にヤフオク、当時はヤフーオークションと長い名前で呼ばれていて本人確認だの面倒な手続きも参加料も全くない良い時代でしたが、そこでゲットしたマニア必携の書「東武鉄道バス事業本部」を見ますと平成3年夏現在、系統番号は『北越01』、運行頻度は90分以上の間隔をもって複数便運行される、ということになってます。
 もうすでに書の発行から10年の歳月が過ぎておりました。


さて最終運行日のその日、北越谷駅前で塗装が変更されたばかりのくすのき荘行きの茨急バスなどを眺めているうちにいよいよ待望の松伏溜入下行きがやってまいりました。
 「北越01」という甲信越ぽい系統番号を期待してたところ、、ん?・・・野03??・・・野田市駅~越谷駅線が廃止されて系統番号が異動されてたのですね。
 車体の前に車体塗装と同じ色の服着た女性とその子供が写っていますが子供がバスを見るのが好きなようで松伏溜入下行きが来たら「きゃぁ」だかなんだか騒いでおりました。この方向幕を拝むのもこれが最後と知っていたのでしょうか。













  
 乗客は確か、わたしと買い物袋さげたおばさん二人で3人しかいなかったと思います。野田出張所が心血を注いだ北越谷・松伏町線でこれはいささかさみしい。が、時間帯と方向があれなので。
 二人は花田入口とか弥栄団地あたりで降りてしまい終点まで行ったのはわたし一人。
 松伏から松伏溜入下までが結構長く感じて「どこまで北上するのだろう」とちょっと不安を覚えましたが到着して大感動。バス転回場・折返場はかくあるべし、という見事なロケーション。
 運転手さんに「今日が最後だと聞いてますので前から写真とっていいですか?」と尋ね「あぁ?・・・あぁ」とのみ返事もらって謹んで撮影させていただく。運転手さんは顔を下にしてなにか分厚い純文学を読んでて「バスドライバーにもインテリがいるのだな」と感心した、などというつまらない記憶も写真を見てるうちに蘇ってまいりました。
 復路の方向幕が経由するはずのない下町経由になっているのも面白いですねえ。北越谷駅ならなんでもいい、と。
 で、ここは当時地図帳見たら茨急の北越谷駅~せんげん台駅という路線が走っていて、茨急バス「溜入下」バス停がどこかにあってよさそうなんですが周辺探したけど見つけられなかったですねえ。



 今回は2001年の旅でしたが、2016年改めてここを走る茨急バスに乗ってきましたので次回はそのときの話をしたいと思います。はたして転回場隣の寿司屋はまだありやなしや。



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