偽史倭人伝 ~ Carnea Historia

march madness の次が April Foolなんて小粋ぢゃないか。

武士道ラッパー宇多丸はウルトラナショナリストなのか?

2021年01月02日 13時23分13秒 | ◎ツッコミ思案neo
★what you may not know about samurai.★

先日、ラジオで気味の悪い会話を耳にした

女性漫画家
天下の在京キー局の女子アナ
そして高学歴なカリスマラッパー

我が国では知的レベル高めとされる方々
このメンツが何やらゲーム談義をしているという構図
最近やってみて面白かったということであがったのは
「Ghost of Tsushima」という
13世紀の日本を舞台に元寇をモチーフにしたタイトル
これを作ったのが海外のスタジオだというのは確かに興味深くはある
だがその感想としてこのインテリチームが示したのは…
「ちぐはぐな日本じゃなくてしっかり作りこまれていた」
「武士は歌を詠むものだって、あそこすごい」
「外から見ることによってあらためて日本のよさを知る」
「日本人って近くにあるからわからない」

「ステルスキルみたいに背後から忍び寄って殺すみたいなフツーにやってたのを卑怯なりって…」
このカリスマラッパーは
映画評論などでも定評があり
過去の数々の作品を参照しながら論評する様は
まさに博覧強記といったところ
…ということはこれは確信犯か?

そういえば、いままでもこのゲームの話題が出ると
「武士道」がどうのこうのと言っていたっけ。
んなら、まずはじめにハッキリさせておこう。
「武士道」というのは「江戸しぐさ」同様、20世紀の発明(捏造)であって
そんなものはそれまでの歴史の中では存在していなかった。

によれば
7月 - 英語圏のポリコレ勢力による、「日本の文化を侮辱する、欧米人による問題作」であり、「文化の盗用である」との本作への批判の声が高まる。
7月15日 - Kotakuが、日本国内では批判的意見ではなくむしろ高い評価ばかりが目立つという事実を英語圏で報道し、ポリコレ騒動に一石を投じる[45][46][注 19]。
と勝手に一件落着しているが、そこぢゃねーだろ。

ただの「ひまつぶし」ではなく
文化レベルで評価しようってのなら
ちゃんと他のソースもあたるべきだ
だってあのラジオプログラムは
カルチャー・キュレーション・プログラムと銘打っているんだからさ
たとえば↓ワシントンポストのこんな記事はどうだ


全国紙がない米国だが、ワシントンポストは少なくともマイナーなメディアではない
つまりこれを取り上げたとて
決して重箱のスミなどではないはずだ

(注:ざっくり&意訳&たまに要約、なので疑わしいと思う方は原文を吟味してくれ。180度意味がかわってしまうようなことはないはずだが)

The 13th century Japan depicted in “Ghost of Tsushima” never existed, though you’d be excused for thinking it at least reflects a real place.
(ゴーストオブツシマに描かれている13世紀の日本は、実際の地名を使っているかもしらんが実際には存在しない世界だ)
Even the rough outline of the time period seems to match with a vague awareness that, yes, the Mongol Empire under Kublai Khan did attempt to invade Japan around that time.
Dig deeper, though, and not much else holds up.
(フビライ・ハーン下のモンゴルが日本にせめてきたというざっくりとした史実以外はウソだらけ)
Well, so what? Most players will understandably shrug at these historical distortions. The game isn’t meant to provide a history lesson; it’s a fantasy version of 13th century Japan meant to provide a fun experience rather than an education. But for those wondering how the samurai really lived, it’s worth surfacing some of the historical details misrepresented by the game, particularly in regard to why some scholars and critics find it uncomfortable to celebrate samurai as uncritically as “Tsushima” does.
(でも、それがどうしたっていうのさ?史実がどうかなんてカンケーねーよ…と殆どのゲームプレイヤーは言うだろう。だってゲームは歴史の教科書ぢゃないんだから。面白いかどうかが重要なんだから。でもね、それでもなお一部の学者が懸念をしめす無批判なサムライ賛美に関して、どこらへんが問題なのか掘る価値はあるんじゃないか)
Whether it means to or not, anyone coming to a piece of historical fiction like “Tsushima” without knowing the difference between what’s fact and fantasy may leave with some impression that it depicts real historical events.
(それでなにか現実に支障がでるかどうかは別として、この「ツシマ」を見て実際の歴史と思いこんでしまう人も多いだろう)
And in the case of Japan ? a country whose recent past has seen the history of the samurai and Mongol invasions warped to serve horrific purposes ? it’s particularly clear how fraught even the most fantastic depiction of the “Tsushima” time period can be.
(かつての日本において恐ろしい目的のために侍や元寇の歴史歪められてたことを知ればゲームで素晴らしいとされる描かれ方が実はいかにひどいことかわかるはず。)
Kurosawa’s “Seven Samurai” and “Sanjuro” served as “reference guides” to the team.
The similarities between Kurosawa’s films and “Ghost of Tsushima” are skin deep at best, though. In the films cited ?
(ゲーム制作にあたり「七人の侍」や「椿三十郎」をクリエイターたちのお手本にしたというけど、参考にしたのはうわべだけで、映画の魂までは倣ってない。黒沢映画は無批判な侍賛美ではないのだ)
Jin’s biggest worry is whether it’s dishonorable not to fight his enemies head-on and whether he’s betraying a fabricated warrior’s code. In essence, “Tsushima” is copying what Kurosawa films looked like, without understanding what they were saying.
(主人公の仁の心配事はといえば専らでっちあげられた「武士道」のルールに反した戦いをすることで不名誉な思いをするということ。「ツシマ」はクロサワ映画のコンセプトは無視して見てくれをコピーしただけ)
 さすがワシントンポストの記事は武士道なんて伝統でもなんでもないとご存じのよう。
Instead of a cohesive artistic vision akin to Kurosawa’s, “Tsushima’s” historical liberties terrace up to something entirely different. Some of its mistakes, like Jin writing haiku centuries before the form’s invention, are minor.
(黒沢映画の凝縮された芸術性のかわり「ツシマ」の歴史的自由度は全く違うほうに向かうが、俳句のフォーマットが発明されるのはまだ何世紀もあとのこと…なんてのはまだ些末なこと)

 そう、宇多丸氏が絶賛した「歌詠み」は本国版ではどうやらHaikuになっていたらしい。俳句は当然、存在しないが古事記の成立年を考えたら、武士がみな歌を嗜んでたかどうかも怪しいところだが、これとて軽微なミステイクの範疇か。

Others compound to create an image of the samurai that was used as a form of propaganda during a horrific era in Japanese history, a dynamic that sits awkwardly with those familiar with how the warrior class was appropriated and reshaped into a legend by those cheering Japanese imperialism.
(だが、他の捏造は日本が恐怖の時代に偽造された武士道を利用して帝国主義のプロパガンダを行ったことにも通じる)
Dr. Michael Wert, an Associate Professor of East Asian History at Marquette University, writes in “Samurai: A Concise History” of the complex and decidedly mundane origins of the warriors (or bushi) we refer to as samurai. Far from “Ghost of Tsushima’s” image of a character defined by loyalty to their country and a strict code of ethics, Wert explained in an email to The Post that “the idea that bushi were mighty, deadly warriors is really a 20th century invention.”
(マーケット大学の東アジア史の准教授であるマイケル・ワート博士によれば「ツシマ」に描かれた武士のイメージは現実とはほど遠く、ゲームで描かれたような忠誠心や厳格な倫理でしばられた強力で強い武士のイメージは20世紀の発明品ということだ。)
Instead of the image “Tsushima” paints of upstanding figures willing to give their lives in pursuit of nothing more tangible than loyalty and pride, Wert explains that “warriors in the Kamakura period were interested in promoting their self-interests [and] gaining land if they were high-ranking enough. Many of the warriors used the Mongol invasions as [a] way to tell the Kamakura regime, ‘Look, I fought, so I want rewards.’” In his book, Wert describes how “throughout Japanese history, people often despised warriors,” especially “peasants, who feared warriors because peasants suffered the most from their looting, pillaging, and collateral damage.”
(実際の鎌倉時代の武士は誇りや忠義心などより現実的なものを求めた。モンゴルの侵略はむしろ武士が報酬を要求することに利用された。さらにいえば武士は尊敬どころかしばしば軽蔑もされた。特に略奪や巻き添え死の憂き目にあっていた農民にとっては恐怖の存在だった)
“There was never any agreed upon, codified ‘bushido’ in Japanese history,”
(日本の歴史において合意され成文化された「武士道」というものは一度も存在しなかった)

ワシントンポストの記事ではにポリゴンというオタクコンテンツを扱うサイトのカズマ・ハシモトというライターの記事についても引用している。

In his story for Polygon, Hashimoto describes how “the “modern” bushido code ? or rather, the interpretation of the Bushido code coined in the 1900s by Inaz? Nitobe ? was utilized in, and thus deeply ingrained into, Japanese military culture.” And this is why the depiction of “Tsushima’s” samurai can be unsettling for some
(カズマ・ハシモトのポリゴンにおける記事では1900年代に新渡戸稲造によって発明された「武士道」が日本の軍事文化にどのように利用されたかについて書いている。そしてこれがツシマで描かれた武士のイメージに対して一部の人たちがザワザワしていまう所以のひとつなのだ)

In 2019, to celebrate the ushering in of the Reiwa Era, the conservative Liberal Democratic Party commissioned Final Fantasy artist Yoshitaka Amano to depict Japanese Prime Minister Shinzo Abe as a samurai.
(2019年、令和時代の到来を祝うために、保守・自民党はファイナル・ファンタジー・アーティストの天野喜孝に日本の安倍晋三首相を武士として描かせた。)
Though described as being center-right, various members of the LDP have engaged in or have been in full support of historical revisionism, including the editing of textbooks to either soften or completely omit the language surrounding war crimes committed by Imperial Japan.
(彼らは中道右派と言われているが、大日本帝国の戦争犯罪に関する言葉を和らげたり、あるいは完全に消したりする教科書の編集など、歴史修正に携わり、また全面的に支持してきた。)
Abe himself has been linked to supporting xenophobic curriculums, with his wife donating $9,000 to set up an ultranationalist school that pushed anti-Korean and anti-Chinese rhetoric.
(安倍自身は外国人排斥のカリキュラムを支援することに関係しており、妻は嫌韓と反中国のレトリックを推進するウルトラナショナリスト学校を設立するために9,000ドルを寄付した。)
The prime minister is also a member of Japan’s ultraconservative Nippon Kaigi, which a U.S. congressional report on Japan-U.S. relations cited as one of several organizations that believe that “Japan should be applauded for liberating much of East Asia from Western colonial powers, that the 1946-1948 Tokyo War Crimes tribunals were illegitimate, and that the killings by Imperial Japanese troops during the 1937 ‘Nanjing massacre’ were exaggerated or fabricated.” The Nippon Kaigi, like Abe, have also pushed for the revision of Japan’s constitution ? specifically, Article 9 ? to allow Japan to reinstate its standing military.
(首相は日本の超保守派「日本会議」のメンバーでもある。日本会議について米議会報告書は、1946年から1948年の東京裁判判決は不当で、日本は西洋の植民地大国から東アジアの多くを解放するために称賛されるべきであると信じているいくつかの組織の一つとして挙げられ、彼らはまた、1937年の大日本帝国軍による「南京大虐殺」は誇張されたか、捏造されたともいっている。日本会議も安倍首相と同様に、日本国憲法の改正、具体的には第9条を推進し、日本が現在の軍隊を復活させようとしているといっている。)
I do not believe Ghost of Tsushima was designed to empower a nationalist fantasy.
(もちろんGhost of Tsushimaがナショナリストのファンタジーに力を与えるために設計されたとは思わないが…
. The gameplay is slick and the hero moments are grand, but the game lacks the nuance and understanding of what it ultimately tries to reference.
(ゲームプレイは洗練されており、ヒーロー体験は壮大だが、ゲームを深堀りしようとする者への配慮と理解を欠いている。)

While the game doesn’t have to remain true to the events that transpired in Tsushima, the symbol of the samurai propagates a nationalist message by presenting a glossed-over retelling of that same history.
(ゲームは対馬で実際に起こった出来事に忠実である必要はないが、侍のシンボルは、歴史を再解釈し誤魔化すことによってナショナリストのメッセージを広めまてしまう。)

ことわっておくが、ここはアニメやゲームなどオタクよりなコンテンツやポップカルチャーについての情報を扱うサイトだ。
日本ではオタクは右翼と親和性が高いなどといわれたりするが、それとは正反対だ。そういえば宇多丸氏もかなりの銃器オタクだ。別に法律に触れるわけではないが、そーいう方々はどういうつもりでマニアになるんだろうと最近ふと思う。
 たしか榊原郁恵さんだったと思うが旦那(記憶が正しければ渡辺徹氏ということになろう)が、日本刀を集めたいと言ったときに「恐ろしいからやめてくれ」と止めたそう。それまではあまり刀というものを気にもかけなかったが、刀にそういったオーラを感じるのはむしろ正常なのではないかと思った。実は私も子供のころ部屋にSR71というステルス偵察機のポスターを貼っていたことがあった。多分、漂白され、美化されたものを享受した結果なんだと思う。宇多丸氏は以前、昨今は「空爆」という言葉が漂白されてしまっていてよくない流れだと言っておられたが、自分の軍事趣味についてはどう説明するのか聞いてみたいものだ。女子アナにモデルガンをプレゼントするなどというのは、なかなかぶっとんだ感覚だ…と思う私は逆に過敏すぎるのか????
 ただひとついえるのは、むかし、渋谷の大盛堂書店の地下にはナチスドイツの軍服をきたマネキンがディスプレイされていたことがあったが今だったら完全にアウトだろうということ。日本はそこらへんに逆に鈍感すぎる気がする。たとえば世界遺産でお馴染みのコルビジエはファシストだったという事実。「作品に罪はない」というかもしれないが、中身のない定型句でかたずける日本人の多いことよ。「作品に罪はない」は時と場合によりけりだ。都市計画と密接に関係のある建築家にとってファシスト思想というのは仕事そのものにも影響が大きい。というか、彼はズバリ、パリの街並みを作り変えるという自身の世界観を実現するために個人の権利など退けるファシストを支持したのだ。そこらへんの議論がサッパリ聞こえてこないのは、「世界遺産=ニッポンスゴイ」という流れだからだろう。

さて、ここ最後にまたワシントンポストの記事に戻ろう
None of this is to say people should not play and enjoy “The Ghost of Tsushima,” but at a time when scholars are noting the rise of an ultranationalist party in Japan that seeks to revise the country’s constitution and an effort to challenge or invalidate accounts of war crimes by the Japanese military during the 1930s and 40s, it is worth further exploring the archetypal origins of the samurai depicted in the game. That history, what really happened, can provide a much clearer lens when engaging in the ongoing, ever-evolving work of defining our modern world.
(別に人々が「ゴーストオブツシマ」をプレイしてはいけないと言っているのではない。ただ日本の超国家主義党が台頭し1930~40年代の日本軍による戦争犯罪を無効化し、学者たちが憲法改正しようとするいま、ゲームに描かれているような典型的な「武士」の起源をさらに探求する価値はあるといえよう。歴史の真実を明らかにすることは、私たちの生きる現代社会が日々、再定義され続ける状況下で、よりクリアーな視界を提供することになるのだから。)

とりあえずカルチャー・キュレーション・プログラムという看板もさることながら
女子アナ自身はジャーナリスではないにしても、報道機関にいるのだからそこらへんの人よりはリテラシーがあるのだと信じている人もきっと多い。ってこと。さらにいえば彼女はゲーム・ユー・チューバーでもあるので発信力も高い。
そして、昨今「必要なことはマンガから学んだ」などと信じている人もいるくらいで、実際に「神の雫」がワインの母国で受勲してしまうなんてこともあったりで漫画家の知性についても世間的な認知は得られている、はず。
ラジオというのはネットニュースや書き起こしメディアの存在でその聴取率以上の影響力がある。
なにより、ラジオは相対的に硬派なメディアだと思われている。

そんなこんなで心配になってみた。
…でも

ひとつ言えるのは、世の中の人は長文は読んでくれないということ
ダメぢゃん(笑)

そんなわけで、ここまで読んでくれた人にオマケ
美術館などに行ったときに、それが和モノや中華モノの場合
作品名に併記された英訳のほうをみて
「なるほどこの漢字の羅列はそういう意味のタイトルだったのか」
と理解することがある。
で、今回発見したフレーズ
「loyalty and honor until death, or capture」
これってひょっとしてアレぢゃない?
「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」の英訳じゃない?
ちなみに「主君のために死ぬ」なんて教えは明治以前はなく
むしろ、なんとか生き残ってがんばれ
みたいなのが多かったらしいよ
七度主君を変えねば武士とはいえぬ
なんてのもあったくらいで、終身雇用の昭和よりよっぽど進歩的だったね
以上


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