折々のメモ22、東京東村山市のハンセン病資料館への旅(3)
5.僕のハンセン病認識と立ち位置―<恐怖症>の恐ろしいまでの限界―
ところで、ハンセン病問題についての基本的知識程度なら、僕にもないわけではない。しかし、知識があることと、その問題への積極的な関心や実践とは必ずしも一致しない。その点にこそ僕の問題がある。
自分に即して、それが問題であるという自覚があったからと言って、それだけでは何の意味もない。何一つ進まない。むしろ逃げの口実にもなる。そんな状態が長い歳月にわたって続いてきた。根が深いのである。
僕にはいつまでたっても、ハンセン病と正面から向き合う準備が整わない。それどころか、それから逃げようとする構え、思考のスタイルを備えて生きてきた。ハンセン病にまつわる僕の情緒や知識の根幹には、例えば、かつての加藤剛、土屋嘉と丹波哲郎が出演した映画『砂の器』に関して、当時の僕が抱いたイメージが決定的なものとして居座っている。つまり、もっぱら恐怖の対象なのである。
映画のストーリーなんか殆ど記憶にない。そしてだからこそ、あの映画に関するイメージは強烈である。ハンセン病の当事者とその人々を排除しながら秘匿する社会、その両者に対する恐怖が僕の心身にこびりついている。まさに偏見なのである。
ハンセン病だけが怖いわけではない。むしろ、それを忌避し、秘匿する社会と人間とその集団が怖い。しかし、その恐怖がハンセン病に対する無反省な偏見の中核となる。
近寄れば大けがしそうだから、知らんふりして遠ざけて、あわよくば逃げるべきものと見なす。その存在を知っていようと、それを忌避する自分を意識していたとしても、そのこと自体も秘匿する。秘匿すべきもの、タブーとする。僕が君子などであるはずもないのに、「君子危うきに近寄らず」を決め込む。その対象がハンセン病にまつわる一切というわけである。
自分とハンセン病との関係をそのように断絶し、決して接触したり交わったりすることがないようにする自己防御、自己規制が、僕のハンセン病に対する唯一絶対の立ち位置だった。
ひと昔もふた昔も前の、多様な差別に共通していた「意識と行動の退行状態」に閉じこもって、僕は75年足らずの人生を生きてきた。
その間、それも最近になって、少しは知識が増えた。しかし、それも自ら積極的に挑んで得たものではなく、偶然に、或いは、成り行きで積み重なっても、どこまでも表層的なものに過ぎないので、かえって偏見を強化する役割を果たした。
例えば、両親もそしてそのことも子どもの自分もハンセン病に罹患して、韓国のハンセン病者の隔離施設がある<小鹿島>で暮らした姜善奉さんの自伝も、その<小鹿島>をモデルとして、王国創設の野望、つまり、軍事独裁政権の近代的国家建設のイデオロギーとそれを支える人々の様態を描いた李清俊の小説も読んだ。
しかし、それは成り行きに加えて、ハンセン病やその患者に対する関心とは全く別個の、フィクションと伝記の差異に関わる知的関心に基づいた、まさに<知識>そのものを求めての読書だった。
もう少し詳しく書いておこう。姜善奉の自伝は翻訳者から訳稿の校閲を依頼されたので、丁寧に読んだ。李清俊の小説『あなたたちの天国』は原作そのものではなく邦訳を読んだのだが、それは自伝とフィクションとの関係について考える材料にするために過ぎなかった。その両者ではハンセン病の取り扱いが見事なまでに異なっており、前者の自伝作者は、後者を読んで、そこに自分たちのことが書かれているなんて、とうてい思えない、と厳しく述べているらしい。
因みに、李清俊は、『風の丘を越えて、西便制』の原作である『南道の人』、さらには『シークレットサンシャイン』の原作短編「虫の話」を書いた、現代韓国を代表し、圧倒的な読者も誇る小説家である。
因みに、李清俊原作の韓流映画について少しだけ。
僕は『風の丘を越えて、西便制』をあまり好まない。その映画が人気を博すことは確実と思いながら、その映画に危険なものを感じた。そんなことを口にするから、いろんな方から<変な奴>と言われもするのだが、それは僕固有の映画に関する見方なので、ご容赦願うしかない。原作の『南道の人』は未読なので何とも言えない。
他方の、『シークレットサンシャイン』はチョン・ドヨンとソン・ガンホの両方の演技も、その役者に対する好みもあって、手放しのファンなのだが、原作は未見である。
ここではチョン・ドヨンについて少しだけ。
僕が彼女のファンになったのは、ドラマ『若者のひなた』で彼女を初めて見て以来のことである。将来は大物女優になると確信した。そしてそのドラマで共演していたぺ・ヨンジュンンにも将来性を見た。しかし、その後も二人のファンであり続けているわけではない。ぺ・ヨンジュンは『ホテリアー』はまだしも、『冬のソナタ』は見ておれなかったし、その後の時代劇風の大作なども、完全にうんざりだった。
他方、チョン・ドヨンの方は映画はいいのだが、ドラマでの彼女を見るのは辛い。アメリカ映画の翻案である『グッドワイフ』でもそうだったが、その後のネットフリックスのドラマは、ファンとしてすごく残念という気持ちもあって、なおさら受け付けない。
以上はあくまで僕の嗜好に過ぎない。俳優の能力とも関係なく、贔屓の引き倒しかもしれない。
道草が長くなりすぎた。話を元に戻そう。
読書でハンセン病に関する知識は少し増えたが、僕のハンセン病に関する偏見、そして立ち位置に変化など生じなかった。むしろ、昔から持っていたものが凝固したかもしれない。
それよりもはるか昔から後生大事に抱えてきた僕固有の総体的<恐怖症>の一部としてのハンセン病恐怖症、或いは、ハンセン病忌避症候群だった!
僕にとってハンセン病は、僕がその他の多様な事柄に関して患っていた恐怖症と一体のものとして考えるべきものであり、ハンセン病に関する偏見を僕が持っているからには、さらに多様な事柄についての偏見やタブーを抱えて僕が生きてきたわけで、それを再確認しない限り、ハンセン病に限っての偏見だけを問題にするのは、不十分である。自他に隠してきた僕自身の<偏見の体系>に変化の兆しすら生じる可能性もない。
(折々のメモ23、東京東村山市のハンセン病資料館への旅(4)に続く)
5.僕のハンセン病認識と立ち位置―<恐怖症>の恐ろしいまでの限界―
ところで、ハンセン病問題についての基本的知識程度なら、僕にもないわけではない。しかし、知識があることと、その問題への積極的な関心や実践とは必ずしも一致しない。その点にこそ僕の問題がある。
自分に即して、それが問題であるという自覚があったからと言って、それだけでは何の意味もない。何一つ進まない。むしろ逃げの口実にもなる。そんな状態が長い歳月にわたって続いてきた。根が深いのである。
僕にはいつまでたっても、ハンセン病と正面から向き合う準備が整わない。それどころか、それから逃げようとする構え、思考のスタイルを備えて生きてきた。ハンセン病にまつわる僕の情緒や知識の根幹には、例えば、かつての加藤剛、土屋嘉と丹波哲郎が出演した映画『砂の器』に関して、当時の僕が抱いたイメージが決定的なものとして居座っている。つまり、もっぱら恐怖の対象なのである。
映画のストーリーなんか殆ど記憶にない。そしてだからこそ、あの映画に関するイメージは強烈である。ハンセン病の当事者とその人々を排除しながら秘匿する社会、その両者に対する恐怖が僕の心身にこびりついている。まさに偏見なのである。
ハンセン病だけが怖いわけではない。むしろ、それを忌避し、秘匿する社会と人間とその集団が怖い。しかし、その恐怖がハンセン病に対する無反省な偏見の中核となる。
近寄れば大けがしそうだから、知らんふりして遠ざけて、あわよくば逃げるべきものと見なす。その存在を知っていようと、それを忌避する自分を意識していたとしても、そのこと自体も秘匿する。秘匿すべきもの、タブーとする。僕が君子などであるはずもないのに、「君子危うきに近寄らず」を決め込む。その対象がハンセン病にまつわる一切というわけである。
自分とハンセン病との関係をそのように断絶し、決して接触したり交わったりすることがないようにする自己防御、自己規制が、僕のハンセン病に対する唯一絶対の立ち位置だった。
ひと昔もふた昔も前の、多様な差別に共通していた「意識と行動の退行状態」に閉じこもって、僕は75年足らずの人生を生きてきた。
その間、それも最近になって、少しは知識が増えた。しかし、それも自ら積極的に挑んで得たものではなく、偶然に、或いは、成り行きで積み重なっても、どこまでも表層的なものに過ぎないので、かえって偏見を強化する役割を果たした。
例えば、両親もそしてそのことも子どもの自分もハンセン病に罹患して、韓国のハンセン病者の隔離施設がある<小鹿島>で暮らした姜善奉さんの自伝も、その<小鹿島>をモデルとして、王国創設の野望、つまり、軍事独裁政権の近代的国家建設のイデオロギーとそれを支える人々の様態を描いた李清俊の小説も読んだ。
しかし、それは成り行きに加えて、ハンセン病やその患者に対する関心とは全く別個の、フィクションと伝記の差異に関わる知的関心に基づいた、まさに<知識>そのものを求めての読書だった。
もう少し詳しく書いておこう。姜善奉の自伝は翻訳者から訳稿の校閲を依頼されたので、丁寧に読んだ。李清俊の小説『あなたたちの天国』は原作そのものではなく邦訳を読んだのだが、それは自伝とフィクションとの関係について考える材料にするために過ぎなかった。その両者ではハンセン病の取り扱いが見事なまでに異なっており、前者の自伝作者は、後者を読んで、そこに自分たちのことが書かれているなんて、とうてい思えない、と厳しく述べているらしい。
因みに、李清俊は、『風の丘を越えて、西便制』の原作である『南道の人』、さらには『シークレットサンシャイン』の原作短編「虫の話」を書いた、現代韓国を代表し、圧倒的な読者も誇る小説家である。
因みに、李清俊原作の韓流映画について少しだけ。
僕は『風の丘を越えて、西便制』をあまり好まない。その映画が人気を博すことは確実と思いながら、その映画に危険なものを感じた。そんなことを口にするから、いろんな方から<変な奴>と言われもするのだが、それは僕固有の映画に関する見方なので、ご容赦願うしかない。原作の『南道の人』は未読なので何とも言えない。
他方の、『シークレットサンシャイン』はチョン・ドヨンとソン・ガンホの両方の演技も、その役者に対する好みもあって、手放しのファンなのだが、原作は未見である。
ここではチョン・ドヨンについて少しだけ。
僕が彼女のファンになったのは、ドラマ『若者のひなた』で彼女を初めて見て以来のことである。将来は大物女優になると確信した。そしてそのドラマで共演していたぺ・ヨンジュンンにも将来性を見た。しかし、その後も二人のファンであり続けているわけではない。ぺ・ヨンジュンは『ホテリアー』はまだしも、『冬のソナタ』は見ておれなかったし、その後の時代劇風の大作なども、完全にうんざりだった。
他方、チョン・ドヨンの方は映画はいいのだが、ドラマでの彼女を見るのは辛い。アメリカ映画の翻案である『グッドワイフ』でもそうだったが、その後のネットフリックスのドラマは、ファンとしてすごく残念という気持ちもあって、なおさら受け付けない。
以上はあくまで僕の嗜好に過ぎない。俳優の能力とも関係なく、贔屓の引き倒しかもしれない。
道草が長くなりすぎた。話を元に戻そう。
読書でハンセン病に関する知識は少し増えたが、僕のハンセン病に関する偏見、そして立ち位置に変化など生じなかった。むしろ、昔から持っていたものが凝固したかもしれない。
それよりもはるか昔から後生大事に抱えてきた僕固有の総体的<恐怖症>の一部としてのハンセン病恐怖症、或いは、ハンセン病忌避症候群だった!
僕にとってハンセン病は、僕がその他の多様な事柄に関して患っていた恐怖症と一体のものとして考えるべきものであり、ハンセン病に関する偏見を僕が持っているからには、さらに多様な事柄についての偏見やタブーを抱えて僕が生きてきたわけで、それを再確認しない限り、ハンセン病に限っての偏見だけを問題にするのは、不十分である。自他に隠してきた僕自身の<偏見の体系>に変化の兆しすら生じる可能性もない。
(折々のメモ23、東京東村山市のハンセン病資料館への旅(4)に続く)