カテゴリー:玄善允の落穂ひろい
死に行くものであれ、よく死なしめよ―在日朝鮮人文学に対する現在の視座の現在-
前書き
またしても30年近く前に書いて、どこかの定期刊行物に発表したが、その雑誌も廃刊されて久しく、そのバックナンバーなど今や入手できなくなった。しかも、僕がその雑誌を保持していない。そんな雑誌に投稿した拙稿の草稿が、断捨離の過程で見つかったので、それも可哀そうだからという口実で、紹介したい、
その内容は今やすっかり古臭くなった遺物と考える向きが多いだろうが、僕自身には郷愁だけでなく、そこで課題と記したことを、僕自身がどのようにして引き受けながら生きてきたかを確認する機会になるかもと、かすかな期待も込めてのブログへのアップである。
在日朝鮮人文学についての当時、そしてそれ以来、殆ど変わらない僕の基本的立場が記されている。
以下では、プリントアウトされた形で残っていた草稿を改めて僕がPCに入力した全文を紹介したうえで、僕の現在の立場からの簡単なコメントを後で付け加える。
死に行くものであれ、よく死なしめよ―在日朝鮮人文学に対する視座の現在-
1.はじめに
在日朝鮮人文学なる言葉が自明の言葉として語られていた時代があった。しかし、何にでも旬があるらしく、その果実としての作品どころか、その名称すら輪郭を失いつつある。そもそも、在日といった集団を指し示す言葉も今やすっかり色あせてしまった感があるほどだから、それを冠した呼称自体が本体と運命を共にするのは当然なことなのだろう。
そんな潮流を加速せんとしてか、或いは逆に、それをせき止めようとしてのことなのか、在日朝鮮人の文学活動を歴史的に検証したうえで将来を展望しようと、精力的な評論活動を展開する人物がいる。林浩治である。『在日朝鮮人日本語文学論』(新幹社)『非日文学論』(新幹社)の二巻が現在までに陽の目を見ている。
青春期から永らく、自らが「在日朝鮮人二世」であることを指標として生き、「在日朝鮮人文学」もまた準指標として暮らしてきた僕としては、頼もしいと喝采を送りたいところのはずが、実は、微妙な気分である。そこで、書評の体裁をとって、林の議論に対する共感と違和感を振り分け、その果てに在日朝鮮人、さらには在日朝鮮人文学に関する視座の確認と更新を図ろうとしている。
2.呼称の変更による脱構築
林の議論の要諦は書物のタイトルに明示されている。「在日朝鮮人の日本語文学」という耳慣れない上に、冗漫という懸念を敢えて振り払って、事実を事実として述べる愚直さには、一種の戦略が想定される。使い古され、それ故に起源が見えにくくなった言葉の脱構築を目論んでいそうなのである。
在日朝鮮人の作家・詩人・評論家の中には。朝鮮語で創作する者もおれば日本語で活動する者もいる。自らの出自をひたすら隠蔽したまま活動する帰化日本人の文学者もいる。或いは、実際の国籍を問わず、朝鮮にまつわる一切を自らの文学的活動と切り離す作家もいる。そうした中に、在日朝鮮人文学者と自認したり、そう呼ばれる作家もいる。主に在日朝鮮人に固有の問題を日本語で表現することを自らの課題と見定めた人たちである。
従って、在日朝鮮人文学という名称は、一般に信じられているほどには「自明」なものではなく、サム・オブ・ゼムなのである。
ついつい見落とされがちなそうした事実を確認することは重要なことである。例えば、視野が拡大する。在日朝鮮人文学ではなく、「在日朝鮮人日本語文学」の作家として、例えば、「つかこうへい」が視野に飛び込んで来る。また、林は言及していないが、自らの履歴を捏造し、それに合わせた作品を量産して人気を博したあの立原正秋もまた対象となり、彼のような例を切り捨てるには、論拠が必須となる。日本に帰化した作家を在日朝鮮人と呼ばないのは、どのような理由によるのか、といった案配である。そしてその延長では、「在日朝鮮人」なるものの定義もが問い直されざるを得ないだろう。
このように、在日朝鮮人の文学の多様性を視野に取り込むという俯瞰的可能性があるとすれば、他方では、「日本文学」なるものの純粋性にも疑いの目が向けられる。日本文学の雑種性、ひいては「日本及び日本人」の雑種性が射程に入って来る。そこから「非日文学」という、これまた耳慣れない領域が打ち立てられ、称揚される。
要するに、「在日」にこだわることで、かえってそれを突き抜ける。つまりは、日本も挑戦も相対化された世界、民族なるものを止揚した文学を未来の理想形として打ち立てる。
そうした論理は、ナショナリズムを徹底することで逆にインターナショナルな領野に到達するという、あの昔懐かしい謡い文句の焼き直しの嫌疑もなくはないが、だからと言って難癖をつけることもない。その後塵を拝することを臆する必要などない。林の言葉に対するこだわりとその裏にある眼差しの鋭さと持続力を評価すべきだろう。
さて、林の二つの書物を個別にその内容を吟味する余裕はないので、特徴的な議論をいくつか挙げて、それについて考えることにしたい。
林は在日の文学的営為に関する文学史的見取り図を描き、金石範と金泰生を最も高く評価する。金石範を否定的に論じるような人は在日朝鮮人文学を論じる人には稀で、それ自体には何の変哲もないが、金泰生に対する入れ込みは尋常ではないので、その金泰生に関する林の議論を、ここでの導きの糸にしたい。
3.小さな文学
林は金泰生の「小さな文学」を称揚する。金泰生の世界は祈りにも似た思いに裏付けられる小さな出来事への執着によって成立している。小さな人間の小さな生活である。因習的な私小説という批判もあるだろうが、「個」の営みとしての文学という、文学の核心に目を届かせようとする眼差しが林の議論の担保になっている。そこを起点に、作家たちの薄暗がりに触手を伸ばす。例えば、金達寿の先駆的な業績に関して、政治的志向と絡み合った危険性と可能性とを腑分けする。また、民族を相対化する梁石日の眼差しに大きな可能性を見る。或いはまた、理念や志向や慣習的な倫理が崩壊した現実を孤独に生きる柳美里、というより、その作品を高く評価して、叱咤激励する。
そのあたりの大筋については僕も頷く。異論がないわけでもないが、数ある見方の一つとして説得的な部分があり、教示されるところもある。にもかかわらず、僕は林の論述の随所で躓く。言葉遣いの曖昧さと恣意性、論理展開の不透明性、そして、裁断的論法にもどかしさ、あげくには苛立ちまで生じてくる。
しかも、そうした違和感は、僕自身、さらには、僕たち(その射程がどこまで広がるのか、定かではないのだが)の何かに通じる硬直もしくは惰性に由来しそうな感触もある。今や、実作のレベルでは、次々と若手の作家たちが登場するなど、林的議論とは次元の異なる世界が創出される気配もあるのに、僕が敢えて林の著作、林の批評、或いは、林の研究に拘泥する理由はそこにある。時代遅れのように映ろうとも、おそらくは今後も長く繰り返されそうな何か、それを僕は問題にしようとしている。
例えば、作品の作者からの独立性に対する不感症もその一つである。
4.作品と作家
林にあっては、作品と作家との間に次元の区別がない。作品によって作家が説明されるかと思えば、作家によって作品が解釈される。そんなところに僕はうさん臭さをかぎつける。大げさないいかたをすれば、ペテンのように思ったりもする。もちろん、作品を書くのは作家だから、作品を読んで作家の何事かを知ることはできるだろう。また逆に、作家を知ればその作家の作品が理解しやすいということも一般的に言える。しかし、その場合においても、その利点はその種の切り口の問題性によって相殺されるばかりか、作品理解に関する不利益が生じる危惧がある。
初めに思考があって、後に作品が生まれるのではない。作品が完成して初めて、作家の思想が形を取る。そしてその思想は必ずしも、いわゆる作家の思想そのものではない。作家の思想と作品とが完全に重なるわけではない。その過剰部分、或いは、欠落部分と、作家の意図との絶妙な絡み合いこそ作品であり、作品の価値である。
俗物が傑作を書くかもしれず、反動が革命的な文学作品を創出することだってある。むしろ、文学の歴史とはそういうものである。そうして現実に関する知識や想像力を欠いた評論は不毛である。
林の議論で最も瑕瑾が少なそうな金泰生に関しても、その種の「癖」が顔を覗かせる。生前の金泰生との親交が林の議論の護符とされそうな気配もある。しかも、林が愛着を抱かない作家に対する論難に関しては、その癖や好悪、或いは、それを含む読解の方法が今一つの問題と重なって増幅する。まさに政治主義的かつ教条的な裁断に堕する。
5.無自覚な党派性
林が政治的に何に依拠し、何を理想としているのかは僕にはよく分からないし、知りたいとも思わない。しかし、数々の作家やその作品に対する彼の論難の背景には、彼が言及を回避する何かがある。それを僕は「政治的な囲い」とひとまず呼ぶ。
例えば、彼は「つかこうへい」を商業主義的として切り捨てる。読者は、そして僕は何が商業主義的で、それが何が悪いのかよく分からないのだが、林の口ぶりはすこぶる威勢が良い。それは、そうした裁断を共有する空間を前提として林の論が組み立てられていることを示唆する。そしてその仲間内の一体感を高める「党派的戦略」が殆ど無意識裡に展開されている感が強い。
林の軍部独裁政権下の韓国や金日成独裁政権下の北朝鮮に対する嫌悪と断罪も、その<商業主義>という断罪とよく似ている。彼の好悪が問題なのではない。文芸批評の根拠がその種の好悪にあり、それが基準になっていそうなことを、問題にしているのである。韓国に対してシンパシーを表明する作家はそれだけで作家としての自殺行為であり、資格喪失と論難される。デビュー当時の金鶴泳を評価しながら、後の彼の韓国への入れ込みは堕落として断罪される。「韓国系日本文学に成り下が」ったと宣う。また、李良枝は韓国のプチブルの家庭での下宿生活にも耐えきれず日本に逃げ帰った主人公を描いたから、甘えん坊のお嬢さんの行状を深刻ぶって売り物にする「甘ちゃん作家」として、作品もろともに作家まで貶められる。そのついでに、作家が日本の肉親ないしはパトロンの庇護のもとに韓国留学したなどという「実話」を、作家並びに作品の低劣さの証拠として言あげする。<階級的正義>という理屈らしい。
そうした林の政治主義的眼差しは、僕のようなものからすれば、若かりし頃に齧った左翼急進主義に似たものとして懐かしい反面、うんざりする。そうした政治的眼差しが文学的評価の根拠にされることに、大きな気恥ずかしさを覚える。己が立てこもる「囲い」に無自覚な言葉たちが、いかに専制的な裁断と命令的な言語に陥るか、その例証を目にする思いがする。
現在から過去を見れば、見えることが多々ある。しかし、逆に見えなくなってしまったことも多々あることを覚悟しないわけにはいくまい。ある歴史時点での当時の人々に対する拘束を問題視するならば、現在の僕たちを拘束しているものも意識して、論じる必要がある。それが論理的必然というものだろうし、批評にあたっての最低限の倫理でもある。
それを欠いた批評には文学的眼差しなどない。作家の政治性を論難しながら、実はその批判者自身が政治性の罠にはまり、そのことを恥じるどころか、誇るような倒錯現象は見るに堪えない
以上、林の企ての意義をそれなりに認めた上で、その危険性を指摘してきた。その危険性についてありきたりの能書きを執拗に行ったことには理由がある。林的論理もしくは視線に、僕が「問題がもたらす関係の不幸」と呼ぶものが絡んでいそうに思われたのである。
以下では相当に乱暴な<勘>もしくは<体験的信憑>に身を預けることになりそうなので、予めご容赦をお願いしておきたい
6.問題と関係の不幸
在日的問題というものがある。或いは、より広げて、「エスニックマイノリティの問題」がある。その厳しい状況に義憤や同情や使命感を覚えて、何かをしようとする人がいる。その中に在日の文学に関心をもち、あげくには批評を書くような人もいる。そしてそれは、<問題>を広く社会に知らしめたり、是正要求の一助となることもある。当然、そうした善意や正義感や使命感は称えられるべきである。ところが、その半面では倒錯的な兆候を伴うこともある。マジョリティに属しながらマイノリティの問題を理解して、そこに肩入れする「善意の正義の人」を自任してしまうといった問題である。マジョリティに向かってマイノリティの正義を主張するのだが、そのうちに自らを先験的な「善意で正義の人」と自認するようになる。そればかりか、打って返す刀でマイノリティの非を論難する。両側に足をかけた横断的正義の人として自らを位置づける。
そうした勝手な信憑をマジョリティの多数が正しいものと認めるわけがない。むしろ無視したり、逆に論難したりする。しかし、そうした逆境もまた、自らの正当性の証と見なすらしい。誤れる多数に対して、正義の少数者というのは、元来のその正義の人の根拠でもあったから、必然的なことでもある。
そのような自己誇大に囚われると、もはや論理は不要である。言語の明晰さ、論理の開放性の検証は免じられる。
そんなわけで、文学作品の個々は個の立場から社会的帳を突き破るべく遂行された行為であったはずが、そうした代弁者によって、閉鎖的な空間に送り返される。林の議論にはそうした経路が透けて見える。しかも、それは林一人の問題ではない。善意や正義にころりと参る習性をもつ僕らが、往々にして陥る隘路なのである。
そして、そうした隘路を回避する道を示唆するばかりか、現にその道を突き進んでいる先達がいる。
7.求められる言語
在日朝鮮人文学を評価したうえで、それを止揚する、あるいは、それを葬るベクトルで企てた人という意味でなら、ある点までは林と近似した問題設定をしながらも、実際には林と対蹠な軌跡を描いているのが、竹田青嗣である。彼の『在日の根拠』をはじめとする一連の著作は、在日朝鮮人文学どころか、在日朝鮮人の思考を考える際に大きな示唆を与える。
但し、竹田はその後、在日朝鮮人文学に関して体系的な批評を展開する方向に進まず、そこを突き抜けて、文学一般、思想一般という広い地平に躍り出て疾走している。
竹田の魅力は、心情的一体化を前提としたり、それを強制するような言葉を回避する不断の努力にある。それが言葉と論理の明晰さとなって現れる。
仲間として語り出すと、根拠は自明のものとなり、その自明の内実を問うことは禁じられる。タブーとなった暗がりが人を誘い込み、酔わせる。あの忌まわしいからこそ欲望を掻き立てる<血>と同様に、<追放>の脅迫を常にちらつかせる閉鎖的な言語空間である。
竹田においては同胞として語ることに対する厳しい禁欲がある。そのことによって、僕らにとっての不可避な拘束の実態を浮かび上がらせる。この世界に縛られ、一回性を生きる定めにある個人が、孤独を糧として紡ぎ出す言葉によってつながる文学の世界が創出される。
ひとたび創出された言葉もやがては惰性化し、そのあげくは閉じられたものになることも不可避である。しかし、それを避ける努力は常に可能である。自分の論理や言葉の根拠を常に、そして徹底的に問おうとすることで、開放の契機が生じる。在日の根拠とは在日という問題に拘束されながらも、そこに潜む孤独な個人が繰り返し自らに対して突きつける問いのことでもある。
孤独な場所で個人が継続し反復する<問い>を、「問題」を越えて表現すること、それこそが文学の領域だろう。そういうものとしての在日朝鮮人文学を、竹田の切り開いた線上でさらに推し進めることができればと思う。そうして初めて、在日朝鮮人文学に死に水を取ってやれる。
よく死なしめ、その滋養を受け継いで、僕らはよりよく生きることができるかもしれない。(完)
現時点での僕のコメント
さすがに、特に最後の部分に関しては、問題が山積というのが、一読した際の僕自身の感想である。<謡い>にとどまって、具体性がほぼ完全に欠落している。僕の悪癖であり、いつまでたっても治りそうにないのだが、今となっては仕方がないと、許すことにした。そもそも、」そのような<謡い>もあってこそ、それが推進力となって、改めて書いてみようという積極的な気持ちになる。そうなりさえすれば、僕にとっては大きな力になる。但し、書くたびにその<謡い>を<謡い>にとどまらないものにするための努力くらいは、これからもしようとは思っている。
その他に、上掲の拙文で課題としたことを、その後の約30年間に、あくまで<僕なりに>という留保付きだが、その解決に向けての努力をしてきた。在日詩人・作家の金時鐘については批評的な書物を刊行しただけでなく、関係する論文或いはエッセイを研究会で口頭発表したり、雑誌に拙稿を投稿したり、このブログでも試論や論文形式の文章を掲載したり、てきた。
また、金石範については、そのほぼ全作品、とりわけ、『火山島』全巻を日本語で、さらには韓国語への翻訳版を完読し、その結果を論文もどきに仕立てた文章も発表した。その他、金時鐘や金石範、さらには日本と韓国の多様な研究者や読者も含めての済州4・3に関する動向についても拙稿を発表してきた。そうしたものを研究成果とか文学的成果と誇るわけにはいかないが、在日の立場から、在日の文学に関する日本と韓国の議論に対する批判的議論を敢行した蛮勇と気概だけは、自分でもほめてやりたいと思っている。馬鹿な話と思われるだろうが、残された寿命もあまりなくなったので、少しは正直でありたいので、記しておく。
ただ、惜しむらくは、僕のそうした蛮勇に対して、まともな議論が殆どないし、将来にも起こりそうな気配がない。しかし、その分だけ、拙論の希少価値が高まるという側面もあるかもしれないなどと、本当に馬鹿なことを考えては自分を宥めている。
因みに、上の文章で提示した課題はこの30年近い間の僕の書き物のすべてに関係してきたと、この文章をパソコンで打ち込みながら、いまさらながらに痛感した。僕にとって書くことは、それがどのようなジャンルのものでも、ぼくの文学観、文章感、人生観と関係のないものなどひとつもない。それを確認する機会にもなったので、僕としては幸いである。
僕の林浩治に対する本文のような議論は金時鐘や金石範の作品その他に対する議論と同じ視座や方法に基づいているので、もし関心が少しでも生じたら、拙論を参照願いたい。僕は在日二世というステイタスを自己認識の基盤に置いているので、それをしばしば強調するが、だからといって<在日派>というわけではない。在日には僕のような議論を全く認めない人の方が多いだろうし、それは僕自身が望んだ結果でもある。僕は党派性を一概に全面否定しはしないが、党派性に無自覚なあらゆる活動が、むしろその党派に対するダメージになると考えている。それだけに、<贔屓の引き倒し>を在日に関して行うことは、なんとかして避けたいと念じている。
死に行くものであれ、よく死なしめよ―在日朝鮮人文学に対する現在の視座の現在-
前書き
またしても30年近く前に書いて、どこかの定期刊行物に発表したが、その雑誌も廃刊されて久しく、そのバックナンバーなど今や入手できなくなった。しかも、僕がその雑誌を保持していない。そんな雑誌に投稿した拙稿の草稿が、断捨離の過程で見つかったので、それも可哀そうだからという口実で、紹介したい、
その内容は今やすっかり古臭くなった遺物と考える向きが多いだろうが、僕自身には郷愁だけでなく、そこで課題と記したことを、僕自身がどのようにして引き受けながら生きてきたかを確認する機会になるかもと、かすかな期待も込めてのブログへのアップである。
在日朝鮮人文学についての当時、そしてそれ以来、殆ど変わらない僕の基本的立場が記されている。
以下では、プリントアウトされた形で残っていた草稿を改めて僕がPCに入力した全文を紹介したうえで、僕の現在の立場からの簡単なコメントを後で付け加える。
死に行くものであれ、よく死なしめよ―在日朝鮮人文学に対する視座の現在-
1.はじめに
在日朝鮮人文学なる言葉が自明の言葉として語られていた時代があった。しかし、何にでも旬があるらしく、その果実としての作品どころか、その名称すら輪郭を失いつつある。そもそも、在日といった集団を指し示す言葉も今やすっかり色あせてしまった感があるほどだから、それを冠した呼称自体が本体と運命を共にするのは当然なことなのだろう。
そんな潮流を加速せんとしてか、或いは逆に、それをせき止めようとしてのことなのか、在日朝鮮人の文学活動を歴史的に検証したうえで将来を展望しようと、精力的な評論活動を展開する人物がいる。林浩治である。『在日朝鮮人日本語文学論』(新幹社)『非日文学論』(新幹社)の二巻が現在までに陽の目を見ている。
青春期から永らく、自らが「在日朝鮮人二世」であることを指標として生き、「在日朝鮮人文学」もまた準指標として暮らしてきた僕としては、頼もしいと喝采を送りたいところのはずが、実は、微妙な気分である。そこで、書評の体裁をとって、林の議論に対する共感と違和感を振り分け、その果てに在日朝鮮人、さらには在日朝鮮人文学に関する視座の確認と更新を図ろうとしている。
2.呼称の変更による脱構築
林の議論の要諦は書物のタイトルに明示されている。「在日朝鮮人の日本語文学」という耳慣れない上に、冗漫という懸念を敢えて振り払って、事実を事実として述べる愚直さには、一種の戦略が想定される。使い古され、それ故に起源が見えにくくなった言葉の脱構築を目論んでいそうなのである。
在日朝鮮人の作家・詩人・評論家の中には。朝鮮語で創作する者もおれば日本語で活動する者もいる。自らの出自をひたすら隠蔽したまま活動する帰化日本人の文学者もいる。或いは、実際の国籍を問わず、朝鮮にまつわる一切を自らの文学的活動と切り離す作家もいる。そうした中に、在日朝鮮人文学者と自認したり、そう呼ばれる作家もいる。主に在日朝鮮人に固有の問題を日本語で表現することを自らの課題と見定めた人たちである。
従って、在日朝鮮人文学という名称は、一般に信じられているほどには「自明」なものではなく、サム・オブ・ゼムなのである。
ついつい見落とされがちなそうした事実を確認することは重要なことである。例えば、視野が拡大する。在日朝鮮人文学ではなく、「在日朝鮮人日本語文学」の作家として、例えば、「つかこうへい」が視野に飛び込んで来る。また、林は言及していないが、自らの履歴を捏造し、それに合わせた作品を量産して人気を博したあの立原正秋もまた対象となり、彼のような例を切り捨てるには、論拠が必須となる。日本に帰化した作家を在日朝鮮人と呼ばないのは、どのような理由によるのか、といった案配である。そしてその延長では、「在日朝鮮人」なるものの定義もが問い直されざるを得ないだろう。
このように、在日朝鮮人の文学の多様性を視野に取り込むという俯瞰的可能性があるとすれば、他方では、「日本文学」なるものの純粋性にも疑いの目が向けられる。日本文学の雑種性、ひいては「日本及び日本人」の雑種性が射程に入って来る。そこから「非日文学」という、これまた耳慣れない領域が打ち立てられ、称揚される。
要するに、「在日」にこだわることで、かえってそれを突き抜ける。つまりは、日本も挑戦も相対化された世界、民族なるものを止揚した文学を未来の理想形として打ち立てる。
そうした論理は、ナショナリズムを徹底することで逆にインターナショナルな領野に到達するという、あの昔懐かしい謡い文句の焼き直しの嫌疑もなくはないが、だからと言って難癖をつけることもない。その後塵を拝することを臆する必要などない。林の言葉に対するこだわりとその裏にある眼差しの鋭さと持続力を評価すべきだろう。
さて、林の二つの書物を個別にその内容を吟味する余裕はないので、特徴的な議論をいくつか挙げて、それについて考えることにしたい。
林は在日の文学的営為に関する文学史的見取り図を描き、金石範と金泰生を最も高く評価する。金石範を否定的に論じるような人は在日朝鮮人文学を論じる人には稀で、それ自体には何の変哲もないが、金泰生に対する入れ込みは尋常ではないので、その金泰生に関する林の議論を、ここでの導きの糸にしたい。
3.小さな文学
林は金泰生の「小さな文学」を称揚する。金泰生の世界は祈りにも似た思いに裏付けられる小さな出来事への執着によって成立している。小さな人間の小さな生活である。因習的な私小説という批判もあるだろうが、「個」の営みとしての文学という、文学の核心に目を届かせようとする眼差しが林の議論の担保になっている。そこを起点に、作家たちの薄暗がりに触手を伸ばす。例えば、金達寿の先駆的な業績に関して、政治的志向と絡み合った危険性と可能性とを腑分けする。また、民族を相対化する梁石日の眼差しに大きな可能性を見る。或いはまた、理念や志向や慣習的な倫理が崩壊した現実を孤独に生きる柳美里、というより、その作品を高く評価して、叱咤激励する。
そのあたりの大筋については僕も頷く。異論がないわけでもないが、数ある見方の一つとして説得的な部分があり、教示されるところもある。にもかかわらず、僕は林の論述の随所で躓く。言葉遣いの曖昧さと恣意性、論理展開の不透明性、そして、裁断的論法にもどかしさ、あげくには苛立ちまで生じてくる。
しかも、そうした違和感は、僕自身、さらには、僕たち(その射程がどこまで広がるのか、定かではないのだが)の何かに通じる硬直もしくは惰性に由来しそうな感触もある。今や、実作のレベルでは、次々と若手の作家たちが登場するなど、林的議論とは次元の異なる世界が創出される気配もあるのに、僕が敢えて林の著作、林の批評、或いは、林の研究に拘泥する理由はそこにある。時代遅れのように映ろうとも、おそらくは今後も長く繰り返されそうな何か、それを僕は問題にしようとしている。
例えば、作品の作者からの独立性に対する不感症もその一つである。
4.作品と作家
林にあっては、作品と作家との間に次元の区別がない。作品によって作家が説明されるかと思えば、作家によって作品が解釈される。そんなところに僕はうさん臭さをかぎつける。大げさないいかたをすれば、ペテンのように思ったりもする。もちろん、作品を書くのは作家だから、作品を読んで作家の何事かを知ることはできるだろう。また逆に、作家を知ればその作家の作品が理解しやすいということも一般的に言える。しかし、その場合においても、その利点はその種の切り口の問題性によって相殺されるばかりか、作品理解に関する不利益が生じる危惧がある。
初めに思考があって、後に作品が生まれるのではない。作品が完成して初めて、作家の思想が形を取る。そしてその思想は必ずしも、いわゆる作家の思想そのものではない。作家の思想と作品とが完全に重なるわけではない。その過剰部分、或いは、欠落部分と、作家の意図との絶妙な絡み合いこそ作品であり、作品の価値である。
俗物が傑作を書くかもしれず、反動が革命的な文学作品を創出することだってある。むしろ、文学の歴史とはそういうものである。そうして現実に関する知識や想像力を欠いた評論は不毛である。
林の議論で最も瑕瑾が少なそうな金泰生に関しても、その種の「癖」が顔を覗かせる。生前の金泰生との親交が林の議論の護符とされそうな気配もある。しかも、林が愛着を抱かない作家に対する論難に関しては、その癖や好悪、或いは、それを含む読解の方法が今一つの問題と重なって増幅する。まさに政治主義的かつ教条的な裁断に堕する。
5.無自覚な党派性
林が政治的に何に依拠し、何を理想としているのかは僕にはよく分からないし、知りたいとも思わない。しかし、数々の作家やその作品に対する彼の論難の背景には、彼が言及を回避する何かがある。それを僕は「政治的な囲い」とひとまず呼ぶ。
例えば、彼は「つかこうへい」を商業主義的として切り捨てる。読者は、そして僕は何が商業主義的で、それが何が悪いのかよく分からないのだが、林の口ぶりはすこぶる威勢が良い。それは、そうした裁断を共有する空間を前提として林の論が組み立てられていることを示唆する。そしてその仲間内の一体感を高める「党派的戦略」が殆ど無意識裡に展開されている感が強い。
林の軍部独裁政権下の韓国や金日成独裁政権下の北朝鮮に対する嫌悪と断罪も、その<商業主義>という断罪とよく似ている。彼の好悪が問題なのではない。文芸批評の根拠がその種の好悪にあり、それが基準になっていそうなことを、問題にしているのである。韓国に対してシンパシーを表明する作家はそれだけで作家としての自殺行為であり、資格喪失と論難される。デビュー当時の金鶴泳を評価しながら、後の彼の韓国への入れ込みは堕落として断罪される。「韓国系日本文学に成り下が」ったと宣う。また、李良枝は韓国のプチブルの家庭での下宿生活にも耐えきれず日本に逃げ帰った主人公を描いたから、甘えん坊のお嬢さんの行状を深刻ぶって売り物にする「甘ちゃん作家」として、作品もろともに作家まで貶められる。そのついでに、作家が日本の肉親ないしはパトロンの庇護のもとに韓国留学したなどという「実話」を、作家並びに作品の低劣さの証拠として言あげする。<階級的正義>という理屈らしい。
そうした林の政治主義的眼差しは、僕のようなものからすれば、若かりし頃に齧った左翼急進主義に似たものとして懐かしい反面、うんざりする。そうした政治的眼差しが文学的評価の根拠にされることに、大きな気恥ずかしさを覚える。己が立てこもる「囲い」に無自覚な言葉たちが、いかに専制的な裁断と命令的な言語に陥るか、その例証を目にする思いがする。
現在から過去を見れば、見えることが多々ある。しかし、逆に見えなくなってしまったことも多々あることを覚悟しないわけにはいくまい。ある歴史時点での当時の人々に対する拘束を問題視するならば、現在の僕たちを拘束しているものも意識して、論じる必要がある。それが論理的必然というものだろうし、批評にあたっての最低限の倫理でもある。
それを欠いた批評には文学的眼差しなどない。作家の政治性を論難しながら、実はその批判者自身が政治性の罠にはまり、そのことを恥じるどころか、誇るような倒錯現象は見るに堪えない
以上、林の企ての意義をそれなりに認めた上で、その危険性を指摘してきた。その危険性についてありきたりの能書きを執拗に行ったことには理由がある。林的論理もしくは視線に、僕が「問題がもたらす関係の不幸」と呼ぶものが絡んでいそうに思われたのである。
以下では相当に乱暴な<勘>もしくは<体験的信憑>に身を預けることになりそうなので、予めご容赦をお願いしておきたい
6.問題と関係の不幸
在日的問題というものがある。或いは、より広げて、「エスニックマイノリティの問題」がある。その厳しい状況に義憤や同情や使命感を覚えて、何かをしようとする人がいる。その中に在日の文学に関心をもち、あげくには批評を書くような人もいる。そしてそれは、<問題>を広く社会に知らしめたり、是正要求の一助となることもある。当然、そうした善意や正義感や使命感は称えられるべきである。ところが、その半面では倒錯的な兆候を伴うこともある。マジョリティに属しながらマイノリティの問題を理解して、そこに肩入れする「善意の正義の人」を自任してしまうといった問題である。マジョリティに向かってマイノリティの正義を主張するのだが、そのうちに自らを先験的な「善意で正義の人」と自認するようになる。そればかりか、打って返す刀でマイノリティの非を論難する。両側に足をかけた横断的正義の人として自らを位置づける。
そうした勝手な信憑をマジョリティの多数が正しいものと認めるわけがない。むしろ無視したり、逆に論難したりする。しかし、そうした逆境もまた、自らの正当性の証と見なすらしい。誤れる多数に対して、正義の少数者というのは、元来のその正義の人の根拠でもあったから、必然的なことでもある。
そのような自己誇大に囚われると、もはや論理は不要である。言語の明晰さ、論理の開放性の検証は免じられる。
そんなわけで、文学作品の個々は個の立場から社会的帳を突き破るべく遂行された行為であったはずが、そうした代弁者によって、閉鎖的な空間に送り返される。林の議論にはそうした経路が透けて見える。しかも、それは林一人の問題ではない。善意や正義にころりと参る習性をもつ僕らが、往々にして陥る隘路なのである。
そして、そうした隘路を回避する道を示唆するばかりか、現にその道を突き進んでいる先達がいる。
7.求められる言語
在日朝鮮人文学を評価したうえで、それを止揚する、あるいは、それを葬るベクトルで企てた人という意味でなら、ある点までは林と近似した問題設定をしながらも、実際には林と対蹠な軌跡を描いているのが、竹田青嗣である。彼の『在日の根拠』をはじめとする一連の著作は、在日朝鮮人文学どころか、在日朝鮮人の思考を考える際に大きな示唆を与える。
但し、竹田はその後、在日朝鮮人文学に関して体系的な批評を展開する方向に進まず、そこを突き抜けて、文学一般、思想一般という広い地平に躍り出て疾走している。
竹田の魅力は、心情的一体化を前提としたり、それを強制するような言葉を回避する不断の努力にある。それが言葉と論理の明晰さとなって現れる。
仲間として語り出すと、根拠は自明のものとなり、その自明の内実を問うことは禁じられる。タブーとなった暗がりが人を誘い込み、酔わせる。あの忌まわしいからこそ欲望を掻き立てる<血>と同様に、<追放>の脅迫を常にちらつかせる閉鎖的な言語空間である。
竹田においては同胞として語ることに対する厳しい禁欲がある。そのことによって、僕らにとっての不可避な拘束の実態を浮かび上がらせる。この世界に縛られ、一回性を生きる定めにある個人が、孤独を糧として紡ぎ出す言葉によってつながる文学の世界が創出される。
ひとたび創出された言葉もやがては惰性化し、そのあげくは閉じられたものになることも不可避である。しかし、それを避ける努力は常に可能である。自分の論理や言葉の根拠を常に、そして徹底的に問おうとすることで、開放の契機が生じる。在日の根拠とは在日という問題に拘束されながらも、そこに潜む孤独な個人が繰り返し自らに対して突きつける問いのことでもある。
孤独な場所で個人が継続し反復する<問い>を、「問題」を越えて表現すること、それこそが文学の領域だろう。そういうものとしての在日朝鮮人文学を、竹田の切り開いた線上でさらに推し進めることができればと思う。そうして初めて、在日朝鮮人文学に死に水を取ってやれる。
よく死なしめ、その滋養を受け継いで、僕らはよりよく生きることができるかもしれない。(完)
現時点での僕のコメント
さすがに、特に最後の部分に関しては、問題が山積というのが、一読した際の僕自身の感想である。<謡い>にとどまって、具体性がほぼ完全に欠落している。僕の悪癖であり、いつまでたっても治りそうにないのだが、今となっては仕方がないと、許すことにした。そもそも、」そのような<謡い>もあってこそ、それが推進力となって、改めて書いてみようという積極的な気持ちになる。そうなりさえすれば、僕にとっては大きな力になる。但し、書くたびにその<謡い>を<謡い>にとどまらないものにするための努力くらいは、これからもしようとは思っている。
その他に、上掲の拙文で課題としたことを、その後の約30年間に、あくまで<僕なりに>という留保付きだが、その解決に向けての努力をしてきた。在日詩人・作家の金時鐘については批評的な書物を刊行しただけでなく、関係する論文或いはエッセイを研究会で口頭発表したり、雑誌に拙稿を投稿したり、このブログでも試論や論文形式の文章を掲載したり、てきた。
また、金石範については、そのほぼ全作品、とりわけ、『火山島』全巻を日本語で、さらには韓国語への翻訳版を完読し、その結果を論文もどきに仕立てた文章も発表した。その他、金時鐘や金石範、さらには日本と韓国の多様な研究者や読者も含めての済州4・3に関する動向についても拙稿を発表してきた。そうしたものを研究成果とか文学的成果と誇るわけにはいかないが、在日の立場から、在日の文学に関する日本と韓国の議論に対する批判的議論を敢行した蛮勇と気概だけは、自分でもほめてやりたいと思っている。馬鹿な話と思われるだろうが、残された寿命もあまりなくなったので、少しは正直でありたいので、記しておく。
ただ、惜しむらくは、僕のそうした蛮勇に対して、まともな議論が殆どないし、将来にも起こりそうな気配がない。しかし、その分だけ、拙論の希少価値が高まるという側面もあるかもしれないなどと、本当に馬鹿なことを考えては自分を宥めている。
因みに、上の文章で提示した課題はこの30年近い間の僕の書き物のすべてに関係してきたと、この文章をパソコンで打ち込みながら、いまさらながらに痛感した。僕にとって書くことは、それがどのようなジャンルのものでも、ぼくの文学観、文章感、人生観と関係のないものなどひとつもない。それを確認する機会にもなったので、僕としては幸いである。
僕の林浩治に対する本文のような議論は金時鐘や金石範の作品その他に対する議論と同じ視座や方法に基づいているので、もし関心が少しでも生じたら、拙論を参照願いたい。僕は在日二世というステイタスを自己認識の基盤に置いているので、それをしばしば強調するが、だからといって<在日派>というわけではない。在日には僕のような議論を全く認めない人の方が多いだろうし、それは僕自身が望んだ結果でもある。僕は党派性を一概に全面否定しはしないが、党派性に無自覚なあらゆる活動が、むしろその党派に対するダメージになると考えている。それだけに、<贔屓の引き倒し>を在日に関して行うことは、なんとかして避けたいと念じている。