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玄善允・在日・済州・人々・自転車・暮らしと物語

在日二世である玄善允の人生の喜怒哀楽の中で考えたり、感じたりしたこと、いくつかのテーマに分類して公開するが、翻訳もある。

玄吉彦著『漢拏山』第二部星条旗時代第6章「共和国の夢」5-6

2021-09-26 17:21:13 | 韓国小説の翻訳の試み
玄吉彦著『漢拏山』第二部星条旗時代第6章「共和国の夢」5-6

5.

秋の夕立でもあったのか、湿った木の葉が道端にうす汚く舞っていた。時折、プラタナスの枝を揺する風の音が聞こえた。仁擇とソンスは討論会を終えて、キョンウン洞の天道教会館から出てきながら、今更のように大股で近づいてくる秋を思った。季節が変化にもすっかり疎くなっていた。
「本当に朝鮮は独立するのだろうか?」
仁寺洞の路地に入ると、仁擇はいきなりそう言った。
「どうしてだい?」
ソンスはそんな質問が意外だった。
「いろんな話があるものだから、ついついそう思うんだ。さっきあそこで聞いた話も、一つだって頭に残ってないんだ」
「腹が減って、そうなんだろ」
ソンスは道端の安食堂に入りながら、仁擇にニッと笑いかけた。いつも昼食は5円ぽっきりの手打ち麺(カルグッス)だった。
「一度、故郷に行って来いよ。郷愁病にでもかかってるからだ。それだから確信が持てず、討論だって言葉遊びのようにしか聞こえないんだ」
手打ち麺が来ると、ソンスは先ず、汁を一口啜ってから、箸を使って麺を食べ始めた。しかし、仁擇は食べたくなりもしなかった。90頁

二人は今、<督促中協>に参与する共産党の戦略に関する討論会から出てきたところである。朝の9時から12時まで予定されていた討論会は、ずいぶん遅く1時20分になってようやく終わった。
10月16日にマッカーサーが手配した飛行機に乗った李承晩は、全国民に団結を訴え、25日には独立促成中央協議会を結成し、乱立している政党や社会団体の統合を目論んだ。
そこで共産党側でも、李承晩を無視するわけにもいかなくて、参加することになった。そして、11月2日に開かれる督促中協の第2回大会に先立って、党の戦略を点検するための青年党員意志統合討論会が、天道教会館小会議室で開かれた。主催は朝鮮政治社会研究会という学術団体だが、仁擇も先週から裵ソンスに案内されて、何度か参席した。京城帝大の地下サークルで知った顔も何人か見えた。
「なあ、朝政社研(朝鮮政治社会研究会)の実態はいったい何なんだ?討論会の方向を参与反対の方に持っていくつもりらしいが、党でも参与について意思統合ができていないんじゃないか。だからおそらく、青年党員の意思という名分を掲げて、参与派を攻撃しようとしていそうなんだが・・・」
仁擇は討論会の感想を正直にぶちまけた。討論の場では仁擇は見学するだけだったが、いざ会議場から出てくると、虚脱感が強かった。今日の討論会では3名が発題し、それに続いて30余名全員が討論に参与するといった、意思統合のための自由討論会だった。仁擇はすでに言葉の威力の恐ろしさを知っているので、その威力を消費財のように浪費しないために、しっかり口を噤んでいた。軍政学校当時、同僚の死の直前に党性を標榜する言語術で、彼らを救いだしたことを記憶していた。組織部長を感動させた言葉の遊戯、その魔力を痛感した。ところが、その魔力が強ければ強いほど、その濃度が濃くなることも知った。だからこそ、最近では公式の席上では、言葉をできる限り出し惜しみしていた。91頁
ソンスは麺を食べつくして時計を見た。仁擇は気分も憂鬱で体も疲れ切っていた。反共主義者であることを自他共に認める李承晩の督促中協に、参与する党の本意が気に入らなかった。李承晩を是が非でも人民共和国の主席に据えるべきなのか、討論会ではそんな指導部の施策を戦略などと呼んでいるのが、納得できなかった。
「事務室に寄らなくてはならないんだ」
食堂を出ると、ソンスは楽園会館側を指さした。ソンスは帰国するとすぐに忠清道への帰省から戻ってくると、学徒兵同盟の仕事にかかりっきりだった。企画局が新設されて以降はその一員として活動していた。
「俺はもう、渡日して復学するわけにもいかないし、だからといって、こっちで専門学校に通うわけにもいかないのだから、軍人になる道しかないんだ。そこで・・・」
学徒兵同盟の仕事に熱心に関わっている理由を彼はそのように説明した。
「なるほどな、俺の方は、学校にでも行ってみるか」
仁擇は鐘路2街の市電停留所の方に向かいながら、全く考えてもいなかったことを口に出してしまった。帰国後、学校には一回も立ち寄ったことなどなかった。すっかり空っぽの講義室、汚い檄文が貼られた掲示板、知った顔に会うこともできず、教授の研究室もほとんど空だった。民法を教えていた柳教授だけが、まるでこの時代の人ではないように部屋にいた。教授は仁擇だと分かると、
「生きて戻ってきたのか?」
意外とでも言わんばかりに、呟いた。その顔には虚無がべっとりとねばりついていた。
その日から学校がはっきりと嫌いになった。しかし、今日は気持ちが違った。92頁
 勉強を継続しようか、父の期待に沿うために高等文官試験の準備をして・・・
風に飛ばされた湿った木の葉が、しきりに足に絡みついた。何度も腰を屈めて、下半身にまとわりつく落葉を取り除いた。
仁擇は恵化洞行きの市電を2回も乗り逃した。そうしてみると、行くあてがなかった。キェ洞の趙女史に会って、済州の消息でも聞いてみるか。帰国して数日後に昌徳女子中での政治集会で偶然に趙ジョンヨンに会った。顔を背けようとしたが、向こうが先に人の波をかき分けて近寄ってきた。
「あれまあ、仁擇氏、生きて帰ったのね」
金尚球夫人は涙まみれで喜んでくれた。しかし、趙女史の相手をするのは気が重いだけだった。ソウルで学校に通う二人の息子であるヒョンソクとヒョンミンのためにソウルで暮していたが、済州の消息も教えてくれた。
「今はどこにいるの?」
曖昧に返事した。もしかして、自分の立場を悟られるかと恐れた。
「済州への船便を確保するのは難しくなったわ。それでも木浦や釜山で待っていれば、なんとかできるそうよ。郷里では、今か今かと首を長くして待っているんだから・・・」
趙女史は仁擇が今でもソウルに滞在しているのは、もっぱら交通便のせいと思いこんでいた。国境を越えてソウルに戻ってくるまで、仁擇はどれほど帰郷したかったことか。ところが、ソウルの事情を知るために幾日か滞在しているうちに、思ってもいなかったことに、ソウルに捕まったみたいに居座ってしまうようになってしまった。
仁擇は3週目にもなったソウル生活が他人事のように思われた。ソウル駅で降りると直ちに市電に乗って、当然のこととして向かうべき家のように、数年間にわたって下宿していた明倫洞の家を訪れた。93頁 大学予科時代から入隊前までの3年間、そこに下宿していた。海を越えてはるばる上京してきた身なので、その家の主人も格別に優遇してくれていたので、足が向かった。
下宿先では、息子が生きて戻ってきたかのように、喜んでくれた。彼がかつて暮らしていた部屋は空いていた。解放以降、いつか戻って来るものと信じて待っていたと、殖産銀行に勤めている亭主は語った。そのうえ、その日の夕食では、彼の帰還を喜んでくれるもう一人の人物にも再会した。ソウル女子商業を出て朝鮮銀行に勤務する柳スンフィだった。仁擇が入営した時には、女商を卒業後に入行して何カ月も経っていなかったからか、まだ女学生臭さが抜けていなかった。ところが今では、すっかり成熟した女として彼の前に現れた。仁擇は彼女が送別のプレゼントとしてくれた、青い糸でバラの刺繍が施されたハンカチを思い出した。それはおそらく妻の仁子にプレゼントしてやったはずだ。
「仁擇君、まずは嫁を娶らないといけないね。跡継ぎ息子なんだから親御さんたちがどれほどご心配のことか」
下宿先では彼の結婚のことは知らなかった。仁擇は喜んで迎えてくれる下宿先の主人の優しい待遇もあって、すっかり寛げた。
「済州への船便は途切れていそうだから、ここでしっかりと休んで体調を回復して、世の中の事情が少しは分かってから、帰郷すればいいじゃないか。今後、しなくてはならないことが沢山あるだろうから」
下宿の主人のそんな勧めが有難かった。船便が困難になったことが格好の口実になって、帰郷した気分で、手厚い世話を受けながら日々を過ごし始めた。
しかし、休めば休むほど疲れを感じ、意識ももうろうとしていた。政治集会に出て、興奮して浮かれて騒いでも、下宿に戻れば、頭の中は空っぽで体は疲れた。だからほとんど眠りの中にうもれてしまっていた。下宿の主人夫婦はまるで実の息子のように接してくれた。仁擇はそんな彼らの気持ちを、まったく負担に感じないで受け入れた。94頁
日曜日だった。昨夜はひどく飲んだ。集会で大学時代の友人に出会った。党の青年組織を主導しているその友人は、どうして躊躇っているのかと、仁擇を急き立てた。躊躇っているのではなく、待っているのだと答えた。独立同盟の指導部の期待を、彼は大切に心の中で忘れないでいた。ソンスは学徒兵同盟に入ったが、仁擇はまだ道を見つけ出せないでいた。ところが、どこにも所属しないのは孤独なことだった。自分の党性の実体は何なのか。本当に自分は共産主義者なのだろうか。そんな懐疑が時折、心をかき乱した。
「共産主義が政治的ヘゲモニーを確保するための方便になってはダメだ。唯物論的世界観が自分の生の中に溶解されて、具体的な生活の指標として現れなくてはならない。その世界観から醸し出される政治意識こそが、新しい世界を建設する力になる。その点で僕なんかはまだ熟していないリンゴなのだと思っている」
仁擇は友人の前で久しぶりに自分の姿を隠さなかった。
「リンゴは時間を食べながら、自らが陽光と風を受けて熟していく。理論は生を通じて形成される。先ずは参与するんだ。君のそんな懐疑など、自分についての正直な省察ではなく、安逸な生を合理化しようとするものに過ぎない」
友人は彼を嗜めるように反駁した。討論は継続し、酒席の話は面白かった。どのようにして下宿屋に戻ったのかも覚えていなかった。
朝になったが、家の中は静かだった。喉が渇いた。その時、戸が開き、スンフィが入ってきた。
「両親は郷里に行ってしまいました。今日は祖父の祭祀の日なので・・・ちょうど、日曜日だし」
彼女は家に誰もいないことを強調しながら、白い磁器を差し出した。95頁  
「これを召し上がって、体の中をさっぱりなさって。そして食事を済ませてから、改めてしっかりとお休みに」
彼女が差し出した鉢を受け取った瞬間、彼女の手と顔がその鉢のようにすべすべで白いように思った。そして、鼻に入って来る女の濃厚な臭いが、胸にまでしみ込んできた。女は彼の眼差しに怯え、直ちに引き返そうとした。彼女に対面していないことが彼の勇気に火をつけた。彼は女の肩を後ろから荒々しく抱きしめた。きらきらした彼女の怯えた顔からは目をそらして、女を布団の上に押し倒した。簡単に倒れた女に、彼は自分の力を激しくぶちまけた。  
久しぶりに濃く甘い女の体を味わった。その瞬間、妻の顔が彼の脳裡をかすめたが、それもすぐに通り過ぎてしまった。
それは沼だった。いくら落ち込んでも底が現れなかった。そのうえ、沼は気楽だった。女は両親の黙認の下で、夜ごとに彼のところにやってきた。
無気力な毎日がもたらす倦怠感の中にあって、彼女の肉体は毎晩、彼に微かな緊張を維持させてくれた。そして朝になって巡ってくるあの浅い自責の念も、彼の緊張を維持するにあたって必須のものとなった。だから彼は飽き飽きすることもなく、その生活を楽しむことができた。
「今夜は下宿に戻ってはならない」
そんなことを考える自分に驚いた。緊張をつくれば、自分の倦怠も少しはましになるだろう。学徒兵同盟の合宿所にでも行って幾日か過ごそうか。
ところがそれから少しの時間が経つと、学校を訪れるのはやめにして、市電の停留所から離れて、気が付いていると昌徳女子中の方に向かっていた。96頁
「そうだ、梨花女子中に通っていた任淳瑛に会ってみたのかしら?この学校にいるんだけど」
あの日、趙女史は校門近くまで来た時、ふと思いついたように、任淳瑛のことを持ち出した。彼が首を振ると、しばらく間をおいてから、職員室の方に歩いて行った。その間に、仁擇は学校から去ってしまった。あの時、彼女に会いたかったのに、会わなかった。どうしてなのか分からない。
ところが今日、趙女史のことを思い出すと、あの日には避けた任淳暎に会いたくなった。授業中なので、学校の玄関前の銀杏の木陰で、淳暎を待った。
「仁擇氏!」
鐘の音がしてからも少し待っていると、彼女が小走りで飛び出してきて、大声で呼んだ。授業を終えた女学生たちがどやどやと運動場に出て来て、その中に彼女も交じっていた。
仁擇は待っている間に、変化した彼女を想像してみた。分からないほどに変わっていたらいい。しかし、いざ会ってみると、パーマ頭に黒いチマと白いチョゴリ姿で、以前とまったく変わっていなかった。
「死なないで生きて帰ってきたのね!」
彼女は生徒たちのことなど構わずに、仁擇の手を掴んでゆすった。生徒たちはむしろ照れている彼の表情が面白いといった様子で、じろじろと横眼で見ていた。
「歳月が経っても任淳瑛先生は変わってないなあ!」
仁擇は待ちながら思っていた内心を打ち明けた。
「そんなことだろうと思っていたわ。結婚でもしていたらと、期待していたんでしょ。そうだったら、仁擇氏の前でも、少しはおとなしくなっているだろうし、平凡な主婦に転落するのを望んでいたのでしょ?そうでしょ?」
彼女ははしゃいでいた。97頁
始業の鐘が鳴ると、彼女は別館にある学校図書館に彼を案内した。3階の図書館司書の部屋の片隅の小部屋の前に立った。そこには「ソウル市女性教員同盟」というハングルの看板がかかっていた。
彼女が全く変わっていないことを確認した。
「実は趙女史から仁擇氏の消息は聞いていたんだけど・・・」
あの日、趙女史と一緒に校門近くまで出てきたら、仁擇はいなかった。その時に淳暎は初めて、彼の結婚のことを聞いた。
「おそらく崔君は任先生に会い辛いので、避けたのでしょう」
趙女史は姿を消した仁擇の立場を説明した。しかし淳暎がよくよく考えてみると、それとは別の事情がありそうに思えた。だから彼女は毎日、仁擇が姿を現すのを待っていた。ある時には、昔の下宿を訪ねてみようかとも思った。彼女もその下宿を知っていた。ところが、今日、しょげかえって現れた様子を見ると、直感的に何かが起こっていると感じた。
「今、もしかしてあの下宿で丁重にもてなされているんじゃないの?」
「もてなしだって?」
仁擇はにやにや笑ってしまった。しかし、彼女の驚くべき直観力は相変わらずだと思った。淳瑛もそれ以上は何も尋ねなかった。
「早く故郷に帰りなさいよ。夜も寝ずに待っている家族の人たち、特に奥さんのことも考えてあげないと。男が女を寂しくさせるのは罪の中でも最大の罪だわ」
淳瑛はさらに何か話そうとしたが、それまでにした。崔仁擇、この男は曲がることはないけど、その分、簡単に壊れてしまうのが欠点だわ。長男のせいなのか。苦労を知らず、不可能なんてことを考えたこともなく生きてきた彼のことを、彼女は良く知っていた。仁擇については本人が知らない部分まで知っている。そんな点が軍隊生活で少しは変わっていればと期待していた。98頁
「どのようにして生きて戻れたの?」
「実は、すぐに帰郷できないのは・・・」
彼は自分がこの女友達に余りにも情けない人間のように映りそうに思って、日本軍からの脱出と独立同盟で教育を受けたことを説明した。
「上からの指示を待っているところなんだ。実際に抗日運動を行っていた軍隊を率いて帰国したんだ。それは単なる軍隊と言うよりも、一つの政治勢力にもなるものなんだ。僕はソウルでしなくてはならないことが沢山あるんだ。だからこそ、帰郷しないでいるんだ」
彼は裵ソンスが学徒兵同盟に参与していることまで、弁明の中に含めていた。
「それでも早く帰郷して、改めて上京すればいいじゃない。仁擇氏の前途には本当にたくさんのことが待ちかまえているのよ。それに・・・」
彼女は下宿先の話をしようとしたが、それは思いとどまった。
「一緒に済州へ行こうか。あちらでやることがあるの。女性の教育もしないといけないし、いつか学校の休みを利用して、行ってこようと思っていたんだけど、だからといって、仁擇氏の新婚生活に迷惑をかけたりはしないわよ」
淳瑛は実に堂々とした女性として、仁擇の前に現れたのである。その日、二人は夕食を一緒にしながら、長時間、話し合った。そして、下宿に戻りながら帰郷する決心をした。木浦か釜山へ行って、待ってみることにしよう。なんたって帰還男子じゃないか。
下宿の部屋には、いつものように女が待っていた。
「ちょうど、済州へ向かう船便があるという連絡を受け取ったんだ。すぐに帰郷して、両親に会ってから、改めて上京してくるよ」
彼は女の顔から眼を反らして、そう言った、女は目を大きく開いて頷いた。99頁
「いつ頃、戻ってこられるのかしら。復学もしないと。私が代わりに手続きをしておきましょうか?」
女は彼の胸に崩れ落ち、すすり泣きながら、そう言った。
「そんな必要はないよ」
仁擇は曖昧に答えながらも、女が泣いていることは分かった。だからこそ、女をますます力強く抱きしめた。

6.

「トルトルドンコドク、トルドルコドンドントン」
埃を包みこんだ風が運動場を掃きながら通りすぎ、ガラス窓を揺すぶった。低学年を担当する先生たちは授業を終えて、いろんな仲間が集まって腰を下ろし、雑談を交わしていた。そして時折は、白い埃が立つ運動場を見下ろした。
「日本軍はほぼ撤収したのかな?」
「山地埠頭で、上半身を裸にして検査を受けている姿は一見の価値があるって」
「ほぼ撤収を終えただろうよ」
「それを考えると、済州人の心映えが立派なことがよく分かる。日本人の時代にはあれほどコケにされたのに、そんな憎い連中を静かに送り出すんだから」
「そうじゃなくて、おとなしくしている以外に何ができるんだよ。方法があるとでも?」
「僕らだって、日本人校長、教頭、さらに幾人かの日本人の先生たちが去って行った時には、むしろ寂しかっていたくらいだし」100頁
「建準が人共に変わったからって、何か変わったことでもあるのだろうか?」
校長職務代理の梁ソンジュンが、休憩時間に職員室に立ち寄った権ヒョンスに尋ねた。
「人共は元来、朝鮮人民共和国という公式の国家権力機関を意味するものですが、ハージがそれを公的に認定しなかったので、こんなことになってしまっているんです。最近は鼻の大きな連中が、やりたい放題ですから」
権ヒョンスは米国のことを話題にする時には、「鼻の大きな若者たち」或いは「ヤンキー」といった言葉をしきりに用いた。
「それでも済州島のそれぞれの邑や面では、人共や治安隊がそれなりの役を果たしているらしいのだが・・・」
他の先生が関心を示した。
「それはもう、地域によって事情が違うようです。少し力や権勢がある人が地域の人共の責任者であれば、そうもなりますが、そうじゃない場合には、人共だなんだと言っても有名無実で・・・」
その時だった。玄関の戸がガラッと開き、新聞がポンと投げこまれた。戸の近くに座っていた小使いの鄭君が、すぐにそれを拾いあげて、急いで一面の記事を読んでから、梁先生の机の上に持って行った。それぞれが自分の席に座っていた先生たちだが、欠伸をしながらも梁先生の机の周囲に集まってきた。
「済州新報でもできたから助かるよ。近頃のように世の中が目まぐるしく変わっていく時代には・・・」
梁先生は先月に創刊されたばかりの済州新報があって、幸いだと思った。
「済州軍政実施。島司代理に金文フぃ任命。軍政官はスタウト大領」
大きな活字が眼前を覆った。そして、行を変えて、少し小さな活字で軍政担当者のリストが載っていた。101頁
「法務官ジョンソン大尉。情報官チャールズ大尉。広報官ラクウド大尉。財産管理官マーティン大尉。医務官シュミット大尉」
記事を覗き込んでいた先生たちの目がしだいに大きくなっていった。貴順も運動場側の窓際の席から立ちあがり、男の先生たちのところに近寄ってきた。肩越しに記事を覗き見ながら、父のことを考えた。またしても興奮してしまうんじゃないかしら。朝食前に呉太碩が少し立ち寄って帰ってからは、すっかり沈鬱になっていた。そして食事の直前には、朴世翊が訪れたので、一緒に朝食を摂りながら、
「あくまで臨時措置なので、あまり気を悪くなさらないでください。裵ジョンギュを通して、軍政は人共に関心を持つべきという雰囲気を醸成しているところなのです。済州という地理的特殊性を考慮するように主張しているのです」
朴世翊の話を聞くと、父の機嫌も少しはよくなった。朴世翊は帰郷もしないで、米軍の軍属として働きながら、時折、仁厚の裏の部屋で泊った。家族は彼がフミ子と早く結ばれたらと思っていた。
「これでは米軍の思いのままだ。銃剣を持っているにしても、あまりにも済州人を無視しすぎじゃないか?島司代理に金ムンフぃなんか。人共の委員長や人共で推戴する人物に任すのが筋なのに」
権ヒョンス先生が不平をこぼしながら、仁厚の席である貴順先生の横に近寄っていった。6年生の担任である仁厚は最近、教室に閉じこもって、職員室の席はいつも空いていた。
「金尚球先生はこの頃、お元気ですか?」
貴順は少し当惑した。権先生の言葉には何か棘がありそうだった。
「別に、いつもと変わりないわ。一度、遊びにいらしたら」
以前には彼も家によく出入りしていたことを思い出した。
「金芝勲先生の中学院はうまくいっているのかなあ?」
貴順はにっこり笑うだけだった。彼女もそのことはよく知らない。102頁
「尚球先生が芝勲先輩を相当に信頼なさっている様子で。経済的にもずいぶんと支援なさっているらしいし」
貴順はまったくあずかり知らないことだった。だから、もっぱら聞いているだけだった。
貴順は最近、朝鮮語を教えながら、随分と侘しい思いをしていた。4年の子どもたちにアボジ、オモニ、ウリナラ(我が国)、エグッカ(愛国歌)、ムグンファ(無窮花、槿)、ハッキョ(学校)など、朝鮮語の基本単語を練習させていると、気持ちが滅入ってきた。長い間、朝鮮語を教えられないようにしていた日本のことが、今更のように恨めしかった。
「解放にはなったけど、日本人の代わりにやってきたのは西洋人たちで、今ではその連中と親しい連中が羽をひときわ大きく広げて、・・・今度は英語を教えろなどと騒ぎ出すのでは」
権ヒョンスは愚痴を続けた。すべての物事の根源が米国にあるように話していた。彼は貴順よりも光州師範の2年後輩で、彼女を年長者として礼儀を守ることもあったが、わざとぞんざいな言葉を使うこともしばしばあった。そのうえ、最近は古参の先生方を皮肉ったりまでした。日本の臣民化教育の先頭に立っていたというのである。彼は師範学校を出てまだ2年目にしかならず、そんなことを言えるような立場ではない。
先生たちが一人二人と退勤の準備を急いだ。この頃は授業が終わると、学校に居残る先生は稀だった。退勤する振りをして、それぞれがばらばらに学校を後にした。それまで久しくもてなかった余裕を探し求めている。
 権ヒョンスが廊下に出てしまうと、最後に梁ソンジュン校長代理も席から去った。職賃室は貴順一人になった。日直なので宿直の先生が来るまでは待たねばならなかった。103頁
職員室は静かだった。時折、風で窓ガラスが、ガタガタ音を立てるだけだった。その時、廊下東端の6年の教室から、足音が聞こえてきた。貴順は自分以外の誰かがこの建物内にいることを知って、嬉しかった。足音が次第に近づいてきた。
「一人だったんだね?」
仁厚先生が意外そうに、笑いながら入ってきた。
「まだお帰りになっていなかったのですか?」
同じ学校で働きながらも、職員室内で二人になることはあまりなかった。家では 同じ家族のように暮していても、学校に来るといつも距離を保って過ごしてきた。
「6年の生徒たちに朝鮮語を少し教えようと思って」
仁厚は本とチョーク箱を持って、窓際の自分の席に向かった。
「卒業しても朝鮮語もまともに知らないようでは、教えた教師の体面が立たないじゃないか。子どもたちも可哀そうだし、実は自分も可哀そうに思えて」
仁厚は独りごとを言いながら、運動場の方に顔を向けた。運動場の片隅に仁厚のクラスの生徒たちが溢れるように出て行くところだった。」
最近になって仁厚はすごく変わった。終戦直後には洪南杓や梁ソンジュンと親しく過ごし、時局の話にも加わっていた。ところが最近は、もっぱら子供たちと教室で過ごし、放課後も朝鮮語を教えていた。ある時など、家にまで黒板を提げて行き、教材に用いる朝鮮語の読本を原紙に書いた。フミ子を通じて漢拏商事で黒板と原紙とたくさんの更紙を個人的に確保してもいた。
「一人でいないで帰ればいいのに。鄭君と権先生もおそらくどこかにいるだろうし」
仁厚が帰る準備を終えても、貴順はやはり座っていた。仁厚は立ち上がって出て行こうとしたが、貴順の机の上に積まれたノートなどを見て、座りなおした。104頁

「僕が少し手伝ってあげようか?」
「生徒たちが書いた朝鮮語を見ていると、私自身が恥ずかしくなってきて・・・これはともかく、教師である私たちの責任でしょうから」
仁厚は自分が思っていたことを彼女が代わりに言ってくれたような気がして、鼻がジーンとした。彼女を慰められそうな言葉を探した。それは自分への憐憫とも重なっていた。終戦になって、浮ついた雰囲気の中で自分がすべきことを探そうと努めてきた彼は、数週間前に米軍が進駐してきた頃になってやっと、気持ちの整理がついた。先ずは自分が担当していることに最善を尽くそう。それは具体的には何だろうか。先ずは朝鮮語を徹底して教えよう。卒業の前日まで、自分ひとりでもそれに努めてみようと思った。
貴順は手伝ってもらうのは申し訳なくて、まだ読めていない分は明日に回すことにして、机上を整理した。
「なんて意地悪な天気なんだろう」
仁厚は運動場に敷かれた砂が風に吹き飛ばされてガラス窓を打ち付ける音を聞きながら、そう言った。その言葉で貴順も、塔洞の海辺で砂をさらっていく波の音を聞いた。
「お兄さんの消息は?」
貴順は仁厚の反応を注意深く窺いながら、尋ねた。仁厚は貴順の顔を見つめてから、風が立つ運動場に顔を向けてしまった。
「生きていることは間違いないでしょう。お兄さんは家のことよりも他のことに気を遣うような方だから、帰郷も遅れているのでしょう」
貴順は仁厚を慰めるように言った。仁厚はそんなことを言う貴順の気持ちを考えてみた。105頁
「そうだ、金芝勲先生の中学院の仕事、うまくいっているのでしょうか。一度、行ってみなくては・・・」
「そうだね、一回、行ってみなくては。喜ぶだろうし」
芝勲に対する貴順の並々ならない関心も、仁厚はそれほど気にしていなかった。この頃の彼は、自分のことだけに専念し、気持ちも落ち着いていた。
「お母さんから何か話はなかったのかい?」
仁厚は結婚の問題をそれとなく探ってみた。自分は貴順のどんな反応にも動揺しないでおれるという自信をもって、いつか話そうと思っていた言葉を取り出した。
二人はこれまで兄妹のようにして暮らしてきたので、言葉や感情の処理にも、あまり気を遣わなかった。貴順にしても、仁厚は2歳年長だから兄さんのように考えて、異性として接したことなどなかった。学校では先輩で、家に戻れば長い因縁を持つ二つの家族の橋渡しの役目を果たし、父親も手伝うなど信頼に値する青年として尊敬してきた。だからかえって、それ以上は近い関係にならなかった。時折、妻になれるかと思うことはあったが、だからといってそれが気持ちの負担になることもなかった。
「ご両親は僕らふたりのことで何か特別な考えを持っていらっしゃるようなんだが、それについてどう思う?」
仁厚は数日前に趙女史から結婚の話を聞き、それを今日になって、ようやく打ち明けた。貴順は風でガタガタとガラス窓が立てる音のせいで、仁厚の声がきちんと聞こえなかった。それでも、普段にはない輝きを発している瞳を見ると胸がどきどきし、顔が火照った。初めて彼のことを異性と感じた。その瞬間だった。仁厚の顔の上に彼の兄の顔が重なった。106頁
 貴順は小学校時代にはまるで先生に対するように、仁擇には気がねなく、言われるままに従っていた。京城への往来のついでに家に一泊して行く彼を待っているのが楽しかった。生まれついての容貌だけでなく、彼のあらゆることが魔力を持っていて、彼女を魅了した。師範学校に通っていた女学生時代にも、時には頭に手を当てて、まるで幼い子供を扱うように可愛がってくれた時も、異性ではなく叔父や歳の差が大きい兄のように見なして、ひたすら彼のことが好きだった。ややもすれば自分ごときは眼中になさそうな傲慢な笑い方と、大人らしい態度が時には憎らしくもなったが、それでも会えたら嬉しかった。だから親たちの口から彼の話が出てくるようになると、自分のことのように訳もなく得意になった。だから、彼に召集令状が来たので結婚することになったと知らされた時には、何日も寝られなかった。しかも、死への道に旅立つにあたって結婚式をあげなければならない彼の立場を知った時には、彼に対する気持ちはますます募った。
仁厚は彼女の顔をよぎった微妙な感情をすぐさま読み取った。兄に対する気持ちが今だに整理されていないことを感じた瞬間、それ以上には言葉を継げなかった。
「兄が戻ってきて、僕が妻を娶れば、我が家では心配の種がなくなるんだ。両親はこれまでひと時も心安らかに過ごせたことがないから」
仁厚はわざと家の事情を話して、話題を変えてしまった。
「いつも決まって、長男のようにお話になりますね」
これまで父親を助けて、家のことを見守ってきた彼のことを、貴順はよく知っていた。金尚球も仁厚をすごく頼りにしていた。
「兄さんは家のことよりも世の中のことの方に気持ちがあるので、ご両親もその点は理解してあげないと」
「お嫂さんだけが気遣いで大変でしょうね」
その時に戸が開いて、小使いの鄭君がプリントを持って入ってきた。107頁 二人は話を中断した。
プリントをたっぷりと抱えた鄭君は、仁厚を見ると緊張した。
「どうしてプリントがそんなに多いんだい?」
「あの、権先生のもので」
鄭君はすぐに廊下に出て行こうとした。
「おい、どこへ行くんだ。僕らも今から退勤するから」
仁厚は貴順と一緒に、すぐさま職員室から出て行きたかった。
「教室に生徒たちがたくさんいますよ」
東側の出入り口から子どもたちの一団が運動場へあふれるように出ていった。
「6年の4組です」
権先生が担当するクラスの子どもたちである。
「6年の先生方は熱心ですね」
貴順は仁厚を見て笑った。その時だった。運動場内にジープが1台入ってきた。子どもたちがその周りに一気に押し寄せた。
「米軍のジープだ」
二人は玄関から出ていった。ジープがゆっくりと職員室の玄関の方に近づいてきて、停車した。子どもたちもジープの後ろについて、職員室の前に集まってきた。米軍兵二人が降りてきた。一人は階級章がなく軍服を着ているだけで、もう一人は背が高い青年将校だった。階級章のない米軍兵が正確な朝鮮語で挨拶した。
「米軍政官室から参りました」
裵ジョンギュは仁厚と貴順に、この学校の先生なのかと尋ねた。
「私たちは本校の教師ですが、今から退勤しようと・・・」
仁厚も礼儀を守って、言った。朝鮮語を話す米軍の横に立っていた大尉は、学校周辺を見回してから貴順の顔に目をとめた。108頁 貴順は背中に鳥肌が立ち、顔が火照った。両手で顔を覆いながら、仁厚の後ろに隠れてしまった。大尉は微笑を浮かべながら、こっくりと頷いた。パーマ頭に洋装で、靴を履いた彼女の様子に米軍は驚いたようだった。
子どもたちがジープの周囲に円を描くように集まり、米軍と二人の先生を好奇心に満ちた目でかわるがわる見つめた。その時だった。子どもたちの中から、
「ヘロー、ユーアーナンバーワン、ギブミーチョコレート」
つかえつかえしながらも英語の声が弾けた。子どもたちが「ワァ」と笑った。大尉がにっこりと笑みを浮かべた。
「さ、これでも食べろ」
ひとりの子どもが左拳を右手のひらに掃き下ろす、奇妙な仕種をした。貴順は顔が真っ赤になった。
「さあ、後へ下がるんだ」
仁厚も、米軍が子どもたちの悪戯の意味に気づくのではと、きまり悪かった。
「明後日、ここで集会を開くという申請があったので、事前に点検しに来たのです」
裵ジョンギュが仁厚に事情を話し、続いて大尉に英語で囁いた。仁厚は耳慣れたいくつかの単語で、場所が広くて大丈夫という意味だと分かった。
「おい、鼻の高い西洋人野郎め、お前らは我が家の子犬たちだ」
その時、もう一人の生徒が他の生徒たちの前に現れて、米軍を揶揄し、にやにや笑いながら、ひっひと声を出した。
「さあ、あの運転士を見ろ、黒んぼじゃないか。我が家の豚みたいに真っ黒だ」
ひとりがまたしても前に出てきて、運転席に座っている黒人兵士に向かって、さっきと同じ拳の仕種を見せた。運転兵はどういう意味なのか分からないままに、白い歯を見せてひひひと笑うと、
「本当に可愛い豚を飼っているもんだ」
と裵ジョンギュが子どもたちに、にっこり笑いかけた。その言葉に子どもたちの幾人かは恐れをなして逃げ出した。他の子どもたちも、のそのそと引き下がった。仁厚と貴順も不安になった。貴順は相変わらず仁厚の背後にぴたりと隠れて米軍の視線を避け、仁厚も顔を玄関側に向けて彼らから目をそらした。その時に、権ヒョンスが玄関から現れた。
「さようなら。またお会いできる機会があるはずです」
裵ジョンギュが仁厚に手を差し出した。続いて、大尉も仁厚と握手してから、貴順に手を差し出した。貴順は蒼白になって怯え、手を後ろに隠して、後ろを向いてしまった。裵ジョンギュが大尉に何か言うと、大尉は手を挙げて笑いながら、車に乗り込んだ。貴順はいたずらに過ぎないのに、融通をきかすことができずに、挨拶を拒絶してしまったと思った。
車が始動した。
「ユーアーナンバーワン、ギブミーガム、ワンワン」
子どもたちがまたしても、あの奇妙な拳の仕種をしながら声をあげると、運転兵がガムを数個、ばらまいた。
車を追っていた子どもたちが運動場に落ちたガムを追いかけた。車は埃を飛ばしながら、悠々と滑るようにして走り去っていった。
「ヘ―イ」
黒人が左手を車の外に出してふりながら、声を上げた。
ガムを追いかけていた子どもたちが突然、立ち止まって、消えていく車を茫然と見つめていた。
「何をしに来たんですか?」110頁
玄関前でその光景を眺めていた権ヒョンスが仁厚に近づいてきた。ガムを拾っていた子どもたちは担任の先生を見ると、ガムを背中に隠してすごすごと後ずさりした。
「明後日にこの運動場で何か集会があるので、場所の確認しに来たと言っていたが」
「連中が場所の確認だなんて。済州人が済州の土地ですることなのに」
権ヒョンスが唾を吐き出すように呟いた。
「なんの大会なんだい?」
「人民委員会の全島大会を開催する計画だそうです。そうだ、先輩、最近、お忙しいのでしょうか?すっかりお顔を出されないので」
権ヒョンスは幾分、皮肉な口調で言った。仁厚は彼の言葉には関心がなく、目をぱちくりするだけだった。彼の情熱が羨ましくもあり、その一方では無謀にも思った。最近、教員たちは時局について話を交わす集まりを何度か持った。仁厚も最初の2,3回は参加したが、このごろは出て行かなくなっていた。
「貴順先輩、どうしてヤンキーたちの前に顔を見せたのですか?奴らは女であれば見境なしですよ。陸地の方で婦女子がひどい目にあったことをご存知知ないのですか?」
彼はにやにや笑いながらそう言ったが、貴順はその言葉を聞くだけでも恥ずかしくて、胸がドキドキした。
「何を言ってるんだ?」
仁厚がとうてい黙っておれなくなって、怒った。
「事実ですよ」
貴順は急いで校門の方へ歩いて行った。
「君のクラスの子どもたちはすごいらしいが、なるほど、先生の教え方がすごいからだな」111頁
仁厚は貴順の恥のお返しにと、皮肉って言った。
「先生の教えの結果なんかじゃなくて、生理的にため込んできたヤンキーに対する拒否感情ですよ」
権ヒョンスもシニカルに受け流した。
「生理的だって?」
「終戦直前にヤンキーたちが済州人をどれほど苦しめたことか?」
「あの時の米軍の攻撃に対する憎悪を、子供たちが今も持っているなどと?」
「そうではないんですが、子どもたちの意識に、そんな感情が隠れているのは間違いありません」
「そうじゃなくて、君や僕は、日本人が仕向けたように、米国に対する憎悪の感情を排泄して、子どもたちの耳に非難の言葉を刻み込んだからではないのか?」
子どもたちの意識の中に場所を占めていそうな反米感情が、いったい何に由来するかを考えながら、いつからか考えていたことを口に出してみた。すると権ヒョンスは黙り込んだ。
二人は校門を出て観徳亭の前に来るまで、どちらも口を開かなかった。
「さようなら」
権ヒョンスは七星通りの方に体を向けて、手を挙げた。仁厚は彼が路地裏に姿を消すまで、立ちつくしていた。漢拏商事の建物内の人民委員会の事務室に寄ってみようかと思ったが、後から「パンパン」という自動車のクラクションの音が聞こえた。道を空けて後ろを振り返ってみると、さっき学校へ来たジープが横を通りすぎようとして停車した。
車が後進して、仁厚の横に来た。
「どこまで行かれるんでしょうか?お送りしましょうか?」112頁
ジョンギュが頭を出して、そう言った。仁厚は笑いながら、たいした距離ではないからと、手で家の方を示した。ジープが動き出すと大尉と通訳が手を振って見せた。
南門通りに入った仁厚はふと、七星通りの漢拏商事の建物内にある島の人民委員会の事務室に寄ってみたくなった。以前には2,3回立ち寄ってみたことがあるが、最近は足が遠のいていた。尚球先生のことを考えても、それではあまりに愛想がないのではと思った。
七星通りの路地裏に入ると、仁厚は変な気分になった。主に日本人たちが商圏を握り、大きな商店が集まる通りだったのに、今では見慣れない米国の商品が陳列台に広がっている。以前には見られなかった商品だけに、見ているだけでも面白かった。多様な色彩が美しい紙に、英字が大きく刻まれた菓子の包装紙が目につき、青みがかった缶詰とコーヒー、チョコレートなど、各種の食品がガラス窓内に陳列されていた。時折、米兵たちがぶらぶらと通り過ぎながら、通りの両端の商店内を覗いたりしていた。仁厚はそのまま引き返そうかと思ったが、中に入って行った。人々が一斉に彼を見つめた。知っている顔はなかった。何故かしら、恥をかいているような気分で、すぐに外に出ようとしたところ、
「崔先生、どうして帰ろうとなさるなんて?」
力強い声に聞き覚えがあって、思わず頭をあげた。宋春湜が笑いながら、近づいてきた。仁厚は人々の視線を痛いほど感じた。
「どうしたんだ?」113頁
ここで春湜に会うなんて意外だった。しかし、それもそのはず、集まっているのはたいていが邑内の青年ではなさそうだった。
 「訳があってのことだよ。久しぶりだな」
仁厚は春湜の顔つきが明るく見えて、気が楽になった。
二人は中腰のままで立っていたが、やがて外に出てきた。
「どうして家に立ち寄らなかったんだ?」
仁厚は彼が城内に来ながら、家に寄らなかったことを寂しく思った。
「うーん、ちょっと仕事があって。仕事が終われば訪れるつもりだったんだ」
「芝勲先生の仕事の方はうまくいっているのか?」
「うーん、僕も少し勉強をしようとしたけど、そのままこっちへ来たせいで」
「長くいるのかい?」
「そうだな」
曖昧な返答に、仁厚は春湜の相手をするのが面倒に感じて、困った。
「そうだ、金尚球先生は裏の部屋にいらっしゃるはずだ。さっき委員長とご一緒だったのを見かけたんだ。ついでに会っていけよ」
仁厚は自分よりも春湜がこの事務所とは関係が近いことが分かった。何故かしら、自分だけが疎外されているような気分だった。
「毎日、家でお会いしているから、何もわざわざ」
仁厚はすぐにその場を去りたかった。
「それでもここでお会いするのはまた別だから」
春湜が先導して横の路地に入った。竹田社長が住居として使っていた母屋の木の門が開いて、男が二人出てきた。
「あれ、これは仁厚先生じゃないですか」
朴世翊と権ヒョンスが出てきて、二人を見ると意外そうに目を大きく開いた。
「通りがかりに立ち寄ったところ、たまたま故郷の友人と会ったので」114頁
仁厚は彼らに春湜を紹介した。
「仁厚先輩のお友達ということは知りませんでした。あれもこれもすべてが先輩のせいですよ。足しげく顔を覗かせて、一緒に活動すべきなのに」
権ヒョンスが気まずい雰囲気を免れようと、大げさな物言いをした。そんな中にあって仁厚は疎外されている気分が募った。
「金先生はいらっしゃらなくて、副委員長だけですが、入って挨拶しますか?」
ヒョンスが仁厚の意向を尋ねたが、別にそれを望んでいそうでもなかった。仁厚は頭を振った。
「数日内に軍政関係者たちと人共執行部との間で、簡単な結納式のような集まりが必要だからと、僕が間に立って使い走りをしているんだよ」
朴世翊が仁厚の横について路地から出てくる途中で、呟いた。彼は人共の事務室に出入りしている自分が誤解を受けかねないと懸念して、事実通りに話した。そのまま引き返しながら、仁厚はおかしな気分になった。

7.

人民委員会執行部たちと済州の米軍政関係者たちとの会合は、なんら得るものがなく終わった。
済州北小学校の運動場で人民委員会の全島大会を開き、済州建準を実質的に人民政府の権限を行使できる人民委員会に改編した。軍政による行政と警察の体系が形をなしていく時期なので、人民委員会執行部と軍政関係者の会合は意味あるものだった。だから、朴世翊と裵ジョンギュが斡旋して、会合の準備が整った。かつては島司の執務室だった軍政官室で、両側の関係者が一堂に会した。115頁
スタウト少領は、軍政当局者は地域の実情に疎いので、人民委員会には多大な協力をお願いしたいと儀礼的な挨拶をした。
「済州人民委員会は済州の人民を代表する機関として、住民の代表としての性格を備えて唯一の機関である。この点に留意して、島の行政権の行使にあたっては、人民委員会が参与する方案を講究していただきたい」
呉大進委員長は要求事項をはっきりと語った。
軍政官は頭を傾げながら、
「我々は貴団体を任意の社会団体の一つとしてのみ認定する。その点はハージ司令官の軍政方針と一致する。人民共和国は国家ではなく、ひとつの政党にすぎないと考えている」
「たとえそうであっても、米軍政は地域の実情に昏いので、我々と協力してこそ、適切な行政を繰り広げることができる」
「その点には同意する。しかし、それだけのことだ」
「我々が要求しているのは、最小限度、済州の行政と警察権を行使する責任者だけでも、我々と協議して任命してもらいたいということである」
「それはあり得ない」
軍政官は露骨に不快な感情を示した。
「誤解しないでいただきたい。我々に協力してもらいたいというのは、我々が軍政に干渉したり、軍政の権威を意図的に縮小しようというのではなく、円満な軍政のために我々と協力しあうべきということである」
金尚球は自ら英語でそう言った。軍政官は尚球の拙くない英語に好感を示した。116頁
「了解した。しかし、人民委員会は一つの社会団体にすぎない。その点をよく理解してもらいたい。今後、いろいろと協力してもらいたい」
会合はたった20分で終わった。
人民委員会側が米軍から被った2回目の侮辱だった。しかし、軍政の性格と彼らの行政方向がどこにあるかが、おぼろげながらも分かった。
事務室に戻ってきた執行部の要員たちは急いで会合を持って、今後の人民委員会の方向性に関する具体的な方案を論議して、下のように決定した。

1) 邑・面の人民委員会は可能な限り、地域の行政権を最大限に行使するように、邑・面長と協力する。
2) 治安隊の組織を活性化し、地域の治安問題に万全を期しながら、日本警察出身の警察官によって惹起される治安不在の状態を急速に回復するようにする。
3) まだ改編大会を行っていない地域は、早期に改編大会を開催し、できる限り清潔で斬新な人民主体の行政を展開できる人物を委員長に選出して、各村に至るまで人民委員会を組織して、村の秩序を回復することに最善を尽くす。
4) 邑・面の人民委員会の事務室は、邑・面の事務所に置き、各村の人民委員会の事務室は郷舎や公会堂を利用する。必ず看板を掲げ、住民たちに人民委員会の位相を認識させる。

『漢拏山』第2部 「星条旗時代」 第6章「共和国の夢」完  原著がこれを最後に執筆を断念したままで、未完の小説です。これでこの小説ともお別れですが、
これについて僕なりの意見がまとまれば、いつかアップするでしょう。





玄吉彦著『漢拏山』第二部星条旗時代6章「共和国の夢」3-4

2021-09-26 17:18:39 | 韓国小説の翻訳の試み
玄吉彦著『漢拏山』第二部「星条旗時代」第6章「共和国の夢」3-4

3. 
「ほら、あそこに漢拏山が見えるぞ」    60頁
春湜が太晃丸号の船上からぼんやりと山をながめていると、ソンパルが彼の肩を後ろから軽く抱きかかえて、呟いた。大声で騒げば眼前に現れた漢拏山が海中に沈んでしまいかねないと、怖れているような声だった。春湜が上体で振り返った。ソンパルは笑いながら、船の帆先の向こうを指さした。
「酒精工場の煙突が見える!」
うっすらと空に向かって聳えている煙突が、昔と変わらなかった。いつも死と直面しながらも、互いに頼りにしながら過ごしてきた二人の友達が、ようやく生きて故郷に戻ってきたことを確認した。しかし、何故かしら感激は控えめだった。
「彼奴らはどうなったのかな?」
春湜は改めて山を眺めながら、呟いた。一緒に旅立った姜ギョンドンと崔ウォンベㇰが一緒に戻ってこなかったことが、故郷の大地を眼前にするにつれて、ますます残念に思えてきた。帰国船に乗った時から気持ちが重かった。ソンパルも帰郷して、彼らの家族に会えば何と言えばいいのか心配していた。釜山に集結した時までは一緒だった。ところが彼らの方が先に出発し、二日後に自分たちも船に乗ったが、着いたのは福岡だった。そこの軍港で軍需品の荷役作業をしているうちに解放を迎えた。
解放になっても、労務者管理局では帰国便を準備してくれなかった。待ちきれなくて、朝鮮人労務者たちはその周辺の地方から帰国しようとしていた同胞と相談して、船を前金で借りた。そして釜山を経て済州に戻って来ることになった。
人々が船上に上がって騒いでいた。誰もが何の約束もなしに出発した人々だった。だからこそ生きて戻れたのは、幸運中の幸運だった。誰もがまだ生きているという事実に感激していた。
「何を考えてるんだ?」61頁
ソンパルは春湜の胸中が気になった。
「うーん、故郷の人たちのことを考えてるんだ。あんな風に牛みたいに働いても、日に3度の飯にもありつけないような暮らしで・・・」
 彼は生まれて初めて島から出た。世の中は広く、生きていく方法も多いことをはじめて知った。努力した分だけ稼ぎも手に入り、それを楽しみに生きている。いくら戦争中でも、そしてあの厳しい徴用生活の中でも、時には酒も飲み、女相手におしゃべりにうつつを抜かすこともあった。世の中の人々はそのようにして生きていた。それなのに済州人はどうしてこんなに厳しい生活を送らねばならないのだろうか。
1年365日のうち、ほんの数日さえも休めず、ひたすら働き続けている父と母のやせ衰えた顔が浮かび上がった。小学校を卒業してからもっぱら家で働くだけの弟のチュンベ、小学校にも通えなかった16歳の妹の春子、そして今は小学校に通っているのだろうか、14歳になったチュング、彼らは生涯、何を望みにして生きていくのだろうか。
船が港に入り、東埠頭に接岸しようと方向を定め始めた。人々が両腕をぱっと挙げて振りながら、声を上げた。迎えに来る者など誰もいないことを知りながらも、彼らはそのようにして喜び、声をあげた。
「誰が俺たちを迎えになんか来てくれるんだ?」
ソンパルが寂しそうに笑った。
「漢拏山と酒精工場の煙突、そして沙羅峯が俺たちを迎えに来ているじゃないか?」
春湜はソンパルの肩をポンと叩いた。少しでも明るい気持ちで済州の大地を踏みたかった。出発した時には絶望的な気持ちだったから、戻って来たからにはその反対にならないといけないのではないか。
二人は船から降りても、しばらくはぼっと突っ立ったまま、埠頭周辺を見回した。62頁 変わったことは何もなかった。福岡では済州で大きな戦争が起こるという噂が飛び交っていた。貨物輸送船に軍需品を載せる荷役作業をしていた時には、その多くが済州に行くという話が聞こえてきた。しかし、それが噂だけで終わったのは幸いだった。埠頭の周囲の家々や酒精工場の建物も昔のままだった。薄黒いコールタールを塗った外壁と屋根も昔のままだ。但し、爆撃を受けたのか、一番左側の建物は半壊していて、それが変化だった。
「あれは何だ?
春湜が埠頭内に停泊している米国の輸送船を眺めていると、ソンパルが春湜の腕をつかんで引っ張った。酒精工場の中庭に日本の軍服を着た男たちがずらりと並んでいた。その周囲に鉄帽をかぶって武装した米軍兵たちが、ポツンポツンと立っていた。
「撤収する日本の兵隊たちだ」
春湜が小声で言いながら、酒精工場の中庭の方に近づいていった。
広い中庭一杯に座っている日本軍兵士たちはすべて、上半身が裸で、それぞれが背嚢の中身をぶちまけて、座っていた。米軍の兵士二人が日本兵1名を検査していた。一人は背嚢を調べ、もう一人は体を隈なく調べていた。上着とズボンのポケットはもちろん、ベルトを解いてズボンの裏まで検査した。検査が終わった日本兵は服をきちんと着て、背嚢を整理して、列外に出て座った。検査済の兵士たちは米軍の憲兵が引率して乗船させていた。
「日本軍の連中は戦争に負けても人間扱いされているのに・・・」
春湜が輸送船に上っていく日本兵たちを顎で示して、苦笑いした。困難を乗り越えて船を借り受けて帰ってきた自分たちと、あらゆる安全措置を講じてもらって、立派な輸送船で故国まで連れ帰ってもらえる日本の兵士たちの格差を思うと、腹が立った。63頁 どうしてこんなことになったのだろうか。むしろ、その反対であるべきなのに。米国はどうして戦争が終わった際に、朝鮮人の祖国への送還問題を後回しにしたのだろうか。
「そんなに深刻に考えるもんじゃない。理由は簡単だ。俺たちが弱くて、何も持ってないからだ。金がなく、力が弱く、人物もおらず、・・・そうじゃないか?俺たちがあんな現場で18カ月間も暮らして確実に得た結論は、そういうことじゃなかったのか。ああ、腹が減った」
ソンパルはクッパプ(汁飯)の店が眼にはいると、春湜の背中をそこに押しこむようにして入って行った。
「なるほど、その通りだ。何も持っていないからだ。せめて腹だけでも、いっぱいにしようぜ」
山地界隈のクッパㇷ゚の味も、昔と変わっていなかった。二人はすぐさま食べつくすと、ソンパルが改めて一人前だけ注文して、半分ずつに分けた。
「今日中に帰郷できるかな?
ソンパルは時計を見ながら、春湜の考えを尋ねた。午後2時が過ぎていた。
「城内には今まであまり出入りできなかったから、どこかで少しお世話になろうかと思ってるんだ。遠縁が、あの市場の通りにいるから・・・」
ソンパルの予想では、二人が一緒にお世話になれそうにはなかった。
「そうだな、それはいい。俺もどこかで一晩くらいお世話になれるから、明朝に落ち合おう」
二人は山地川沿いに歩いて市街に入ったが、東門市場の入り口あたりで、明朝9時に改めて会うことを約束して別れた。
 春湜は仁厚を当てにしていたので、北小学校の方に歩いて行った。その時、仁擇の顔が思い浮かんだ。64頁
学校まで訪れてきた春湜に再会した仁厚は、まるで仁擇兄に会えたみたいに喜んだ。そして一緒に帰宅する途中で、終戦のニュースを伝えに郷里の水望里に戻った日に、偶然に出会った春湜の父親の宋書房のことを思い出した。春湜が徴用から戻ってきたからには、仁擇兄もきっと生きていると思った。
尚球宅に通じるオㇽレに入った春湜は、その家の並外れた大きさに驚いた。自分の祖父の代から仁厚の家で従僕として暮してきた身なので、金判書翁という方(当時は判書職ではなかった)が大きな馬に乗って、従僕たちを引き連れて仁厚宅に立ち寄るのを何度か見た記憶がある。しかし、これほど大きな家で暮らしいるなんて知らなかった。自分のような者には、想像すらできない生活である。仁厚と春湜は確かにそれぞれ従僕と主人の子ども同士なのだが、小学校は同窓ということもあって、友人同士のように育ってきた。歳は春湜が4,5歳年長でも、仁厚が困っている問題を春湜が何もかも解決してくれるので、仁厚は春湜に対して情の厚い兄のように接してきた。仁擇は中学時代から家を離れて暮らしていたので、二人の関係はますます近づいた。そのうえ、腕力のある春湜は学校でも村でも、仁厚を保護する兄の役割をしっかりと務めてくれた。ところが、しばらくぶりに、こんな豪華な家で暮らしている仁厚を見ると、何かよそよそしく感じられた。
「仁擇さんの消息はあるのか?」
春湜は中庭に入ると、仁厚の顔をまじまじと見つめた。
「消息が途絶えて一年近くになるんだ」
春湜は戦死の通知でも来たのかと尋ねようとしたが、口を噤んでしまった。
「あの兄さんのことだから、どこへ行ってもひどいことにはならないんじゃないか」65頁
安心させようと思って言ったつもりが、春湜自身がかえって不安になった。しかし、何か事故でも起こしていなければ、消息がないのも当然だろうと思った。
春湜は風呂で足などを洗って、仁厚の部屋で夕食を一緒にした。久しぶりに食べる故郷の料理なのでおいしかった。徴用前でもあまり食べられなかった白飯と魚のスープその他の総菜が食欲を刺激した。
夕飯を終えると、春湜は仁厚について書斎へ行き、金尚球に挨拶した。部屋に一人いた尚求は、春湜の挨拶を受けると喜んだ。すぐに酒膳が運び込まれた。
「その間、ご苦労だったが、このように会えてよかった。このように解放になったからには、この先に二度とそんな苦労はしなくても済むだろうし、今後は何かと苦労の甲斐もあるだろう」
金尚球は仁厚と春湜の盃に、粟をコソリ(済州式の酒の釜)で蒸留した済州の地酒のコソリ酒を注いでやった。
「さあ、宋君の帰郷を祝って」
乾杯した。仁厚はこれまで何年もこの家で暮らしてきたが、尚球と酒席をともにしたことはなかった。
盃に2度,3度と注ぐと、春湜の言葉数が増えてきた。酒の飲み方も堂にいっていた。仁厚との関係や、幼い頃からの二人の付き合いについて詳細に語った。
「幸いにも私は炭鉱へは行かずに、福岡の軍港で軍需品の荷役をしていました。そこでは朝鮮から徴用で連れられて来た同胞が多く、その中には頭が良く学のある人もいて、朝鮮人だからと蔑視されるようなこともありませんでした。しかし、終戦になると、日本人の作業監督官たちは姿をくらましてしまい、そのせいで・・・」
輸送船を賃借りして帰って来るまでの経緯も話した。尚球は唾を飛ばしながら熱をあげて話す春湜に感心した。66頁
「ところで先生、山地埠頭で下船した際に、日本軍が帰国する様子を見てのことなんですが・・・」
 もてなされるべき朝鮮人の方はないがしろにされ、むしろ戦争の元凶である日本人の方がもてなされている現実に対して不満気に語った。
尚球は春湜の話を真剣に聞いていた。赤黒く焼けて荒れた顔つきだが、目を細めて浮かべる微笑みや昔のままの純真さに、仁厚は安心した。それでいながら、体で学んだ頑強さが鋼鉄のような印象を与えた。尚球は彼に関心を持った。
「今後も何度か会って話し合おう。もう解放になったのだから、我々も人間らしく暮らしてみなくては。君は徴用生活をしながら、多くのことを見て、聞いて、そして体でぶつかって経験したわけだし」
尚球は念を押すように言った。
仁厚と春湜は母屋から出て、裏の棟の部屋に入いる前に縁側で腰かけた。月が中庭の上空に浮かんでいた。
「港湾工事現場であの月を見ながら、生きて再び帰郷できたら、人生を生き直すと決心したんだ。仁厚の顔もしきりに思い浮かんだよ」
春湜は昔話を始めた。仁厚は春湜に自分の学用品や日用品を分けてやっていた。卒業年度になると、自分だけが上級学校に進学することになったので、春湜に対して申し訳なかった。
「仁厚が師範学校に進学して、最初の夏休みに帰省してきた時には、本を持ってきてくれて、講義録を読むようにと勧めてくれたじゃないか。そんな友情がとても有難かった。でも、それが本当に貴重なことだと悟ったのは、徴用に行ってからのことだった。あちらで各地から連れてこられた人びとと暮らしながら、あの友情がどれほど貴いもので、しかも、そんな友情を惜しむことなく発揮してくれた恩義を、今更ながらに感じたんだ。67頁 あちらで、同じように徴用生活をしていても、金持ちの家の者は傲慢で偉そうにするばかりで、仕事は怠け、難しいことには関わらないようにしていた。そんな連中に一度、仁厚の話をしたことがあるんだ。彼らは僕のことを羨ましがっていたよ。立派な友達がいるものだと。その時に仁厚宛ての手紙を書いたんだが、結局は送ることができなかった」
仁厚はその話を聞きながら、今更のように春湜の友情を感じた。平素は気持ちをなかなか表に出さない春湜だった。
仁厚にとって、仁擇兄はいつだって気安い存在ではなかったから、敬して遠ざけていた。頭も体格も優れ、その上、跡継ぎなので、家では兄にことさらに気を遣った。中学校からは光州で、さらには京城に上がって学校に通い、そして大学にも進学した。しかし、仁厚の方は、最初から小学校の訓導にでもするつもりで、師範学校に進学させた。それは仁厚の気持ちなどとは関係なく、父が一方的に決定したことだった。もちろん、当時は師範学校も地方の秀才たちが集まる学校だったから、当人に不満があったわけではなかったが、仁厚は物心がついて以来、家では兄のことを自分とは全く別に考えていることを感じ、少なからず寂しく思っていた。そのせいなのか、兄に対する気持ちはいつも冷めて硬かった。そのうえ、兄はいつも遠くにいたので、仁厚はそんな寂しさを春湜の存在によって宥めていた。春湜は歳の差はあっても、学年が同じなので親しくなった。そのように小学校には一緒に通ったのに、やがては独りで進学することになったので、春湜に申し訳ないので、長期休暇に帰郷しても頻繁に会うのは、はばかられた。会えば学校生活の話をすることになり、それは家の仕事に埋もれて暮らしている春湜をますます寂しくしかねないと心配してのことだった。したがって、休暇で帰省してもせいぜい1,2回会うだけで、その代わりに、買っておきながら読んでもいなかった本などを、郵便や人づてで春湜に送ったりしていた。68頁
「むしろこっちが春湜から精神的な慰めをたっぷりともらっていたんだ。兄さんはいつも遠くにいたので、僕は寂しかったんだ。いつのことだったか、学校で友人たちに無茶苦茶に殴られていた時、僕のために闘ってくれたりもしたじゃないか」
兄が卒業するまでは、兄の影で少しふんぞり返るようにしていた。しかし、兄が卒業すると、それまでのお返しを同級生や一年上の生徒たちから、たっぷりと受けることになった。そんな度に、春湜は自分のことを顧みないで、闘ってくれた。そんな春湜のことを周囲では、「主人のお坊ちゃんに忠誠を尽くしている」などと馬鹿にした。しかし、春湜はそんなことなど全く意に介さなかった。仁厚に対しては、本気でご主人に対する従僕のように献身的だった。
部屋に入って、寝床に入ろうとした時だった。春湜の右肩の傷がふと目についた。
「それは何だい?」
春湜はすぐに、敷き布団の上に背中をぴったりとつけてまっすぐ上向きになって、聞こえないふりをした。
「さあ、少し見せろよ」
仁厚は気になって、腕を伸ばして寝ている春湜の肩の下に手を押し込んだ。肩から背中まで少し膨らんだ細い肉の塊が、手の平にすっぽりと入った。
「荷役の現場というところは、いろんな連中が集まってくるので、人夫頭とまともにやりあったことがあるんだ。相手も朝鮮人だったが日本人よりも質が悪かった。」
春湜はその時のことを話しだした。春湜は徴用で引っ張られていった身だったが、怖いものなど何もなかった。拳には自信があったので、一発食らわしたところ、相手は刃物を持って襲い掛かってきた。春湜は身を避けたが、相手は彼の背中に向かって刃物を振り下ろした。そのあげくには、とことんまでケリをつけるしかなかった。69頁 
春湜は死も覚悟したが、気持ちはむしろ楽だった。生まれて初めて怒りを爆発させた。その事件後には荷役現場ではひとしきり騒動がもちあがった。あげくには労務者と人夫頭の闘いから、当局と労務者たちの問題へと拡大し、労務者たちは作業条件の改善を掲げて立ち上がった。ひとたび血を見てしまった人々は、束となって火のような憤怒を爆発させた。それは予想外のことで、作業場を揺るがせた。監督官の側では妥協を試みながら、労務者たちを説得し始めた。そして結局は、ある程度まで労務者の要求が受け入れられた。そんなことがあってからは、春湜の存在が脚光を浴びるようになり、彼自身も世の中のことを見直すようになった。
「闘争がどういうことなのかを、体得したんだ。いくら力のない人民でも力を合わせれば大きな力を発揮できることを体験したんだ。そんなことを考えるようになれたのも、前に仁厚が送ってくれた本のおかげだったんだ」
春湜はまっすぐに寝ているが、仁厚はその傷から手を抜いていなかった。春湜は汗でぬるぬるした手のひらを通して、春湜の奥深い友情を感じた。
「あの事件後は、生きていくことに少しは自信ができたんだ」
徴用で引っ張られ、牛のように働いていた春湜の数々の姿が、粗い目の蚊帳に映って見えるような気がした。
「これからは、邑内にきて暮らせばいい。解放されたんだから、しなくてはならないことも多くなる。尚球先生に職場の斡旋でもお願いしてみようか?」
仁厚は郷里の実情を知っているので、春湜を邑に引っぱりだして、近くで一緒に暮らしたかった。
春湜は返事しなかった。
「実家には変わりがないのかい?」
「うん。この8月に終戦を知って、それを知らせようと実家に行った際には、お父さんにも会ったよ」70頁
仁厚はあの日、薄暗がりの中で、仕事から帰宅途中の宋書房に出会った話をした。春湜は実家のことが気がかりだった。家の敷地内に植えられた杉の木、粟の耕作、そして徴用で家を去る数年前に野菜畑の片隅に植えた桑の木、面事務所から分け与えてもらって植えた和鳳仙花の木、父が自分の命のように大切にしていた雌牛が産んだ子牛がどれほど大きくなったことか。そして、あのいつも黒く日焼けした顔で牛のように働いている父と母。あの荷役場で働きながら、彼は時折、故郷の村の人々のことも思った。高面長の家のことも思い浮かんだ。そして、その面長とは6寸の甥の関係になる区長。自分を徴用に行かせた張本人。出発に際しては、日本の天皇陛下の命を受けて戦争に勝つために行くものと思いこんでいたが、実際に行ってみるとそんなことではなかった。それでも当時は、大学に通っていた仁擇も戦場に出て行くような状況だったので、そう思ったのも無理はなかった。しかし、いざ行ってみると、そんな考えはすっかり変わった。学徒兵になるのを避けていた連中を徴用で引っ張るのは仕方ないことだったが、それ以外は面ごとに人員を割り当て、まともに文句も言えないようなものだけを選んで送ったというような話も飛び交っていた。解放になって帰郷する段になると、故郷に戻ったら必ずや問い質してみなくてはならないことが沢山あると、みんなが歯ぎしりしていた。春湜も帰国船に乗りこむと、帰郷したら高面長や高区長たちにどのような態度をとるか考えてみた。自分は生きて帰ってこられたからまだしも、死んで帰って来ることができなかった人々の場合、その命の補償をいったい誰がするのだろうか。
村民がすべて飢えていても、高面長の家には塩漬けの牛肉が途絶えることはなかった。昔は村中の祭祀用の肉類はすべて、あの家が提供していたとも伝えられている。代々、旌義県の座首(朝鮮王朝時代に各郡に設置した郷庁の長)を務めた一族で、しかも先代が勤勉に農作や畜産でひときわ優れた経営を行った。その一方では、祭祀の膳に備える食材などの管理も厳格に行っていた。凶作になって米を借りに行くと、高家の奥方は四の五の言わずに貸してくれた。71頁 相手を問わず、困った村民ならいつでも助けてくれた。結局、そのために村民たちは、その一家のことを主人のように受け入れていた。その一家は村の支配者だった。高面長一家の主人の言葉がすなわち村の法になった。あの高宅は100余戸の村を、まるで自分の配下のように扱った。他姓の者のことなど眼中になかった。春湜もその家の人たちはいつもそうだったように思っていた。金のある家はすべてそうなのだと思っていた。我が家は衣貴里の崔宅で父の代まで下僕暮らしをしていたので、冷遇されても何ら不都合を感じなかった。ところが、徴用暮しをしているうちに、しだいに気づき始めた。大学在学中に引っ張ってこられた同僚たちが集まって座ると、いろんな話を聞かせてくれた。彼らはみんな故郷では両班の側に属し、余裕のある家の息子たちなのだが、両班や金持ちを嫌っていた。人は誰だって平等でなくてはならず、貧しい人が生じるのは当人のせいではなく、金持ちのせいだと語った。
そしてこれほど働かねばならないことも、日本が朝鮮人の労働力を搾取するためのものだと言った。日本は朝鮮人と一緒に良い暮らしをするために戦争しているなどと言っているが、何もかも嘘だ。現場でそんな人たちと一緒に生活しているうちに、そんな話がしだいに春湜の胸の中に定着してきた。
「帰郷すれば、先ずは高面長に問いたださねばならない」
その言葉を口に出してみると、面長が他でもなく仁厚の家と姻戚関係にあることに気づいた。
「そうだ、仁厚の縁戚だな。実際には、あの人が悪いわけでもないんだ。上から命令されて、役を果たしただけなんだろうが、それでもそのまま見逃すわけにはいかない。悔しいからというわけではないんだ」72頁
春湜は正直に言った。
「そうだろうなあ。でも、そのことであまり突き詰めないようにしたほうがいいんじゃないかな。縁戚だから言っているんじゃなくて、このように生きて戻ってこれたからには、何もかも済んだことと思った方がよいのではと」
仁厚は春湜の怒りを宥めてやりたかった。肩にできた刀傷のように、彼の心の奥にまで達した傷は、外に現れているよりも深そうに思った。
「今回、戻ってきた仲間で一度、集まることにしているんだ。その連絡役を引き受けているんだが、一度くらいはきちんと指摘しておかねばならないことが沢山ある。まだ軍政が実施されていないうちに、島司のところにも出向いて、問い質す必要もある」
その声は、心臓の深い所から響いてきたもののように聞こえた。
「さあ、寝よう」
仁厚は春湜を安らかな寝床で眠らせてやりたかった。

4.

春湜は高面長宅のオㇽレの入り口までは来たが、すぐには中に入って行く気になれなかった。村では「座首宅」とか「偉いさんの家」とか呼んでいるその家は、取るに足りない存在である自分たちの接近を拒否しているかのようだった。
「誰かいそうだ」
亭主木(門の代わりに家の前に3本の柱を横に渡して、その様態で留守とか在宅とか近くにいるとかの情報を発信している)が下ろされているのを見て、躊躇っている春湜の背中をソンパルが押した。73頁
立派な家柄の人間が住む家というものは、外から見ても違うものなんだなあ」
さっきから高面長宅の敷地内を見ながら、春湜はそんなことを思っていた。長いオㇽレの両側には野菜畑が広がり、凶作だと言われるが、そこには種々の野菜と果物が豊かに実っていた。赤く熟した唐辛子、オㇽレの石垣の内側を這う黄色く熟れた隠元豆の鞘、改良種の柿の木には大ぶりの柿が黄色く熟していた。裏の野菜畑の境界には、年を越した椿が密生して並んでおり、その随所にある隙間の栗の木には、半分ほど開いた栗のイガがぶら下がっていた。
オㇽレに入ると、栴檀が黄色くくすんだ葉を地面に落としていた。その切り株に馬がつながれていないのを見ると、遠方からの客はいそうになくて、気持ちが軽くなった。
門は閉まっていた。その前で春湜は深呼吸した。徴用に行く時には受け取った数枚の10円札紙幣を投げ捨てたことを思い出した。
この家を訪問したのは、これまでに10回にもならないだろう。訪れる理由も別になかった。正月の年始の挨拶も、春湜は控えていた。しかし、父親のたっての督促もあったので、徴用で旅立つ数年前からは、年始だけは出入りするようになっていた。しかし、それでも数回だけだった。幸いにも客でごった返してさえいなければ、挨拶を済ませてすぐに帰ったが、門の外で往来する客たちと顔をあわせたり、中庭で人々が列をなしていたりすると、すぐに身を隠して、出てきてしまった。
ソンパルがぼんやりと立っている春湜に、早く入ろうと促した。
門を押すと、ギイーという音が敷地内に広がった。草家の門だが、一般の3間の草家よりもはるかに大規模な門の建物である。74頁
牛をたくさん飼っているので、門を間において右側は穀物を搗く臼などの生活用具を保管する倉庫のようになっており、もう片方の左側は牛小屋を兼ねていた。
二人は大股で中庭に入った。
「お父さま、お客さんがおいでです」
台所の入口の水桶の前から、門の方を見下ろしていた貞順が、直ちに母屋の広間の前に近寄って告げた。春湜は貞順の驚いた顔をさっと盗み見た。
部屋の戸が開いた。
「こんにちは。宋春湜です」
続いて、金ソンパルも少し頭を下げた。
「おやおや、これは!」
高面長は朝鮮の伝統服姿ですぐに立ち上がり、縁側に出てきて二人を迎えた。以前にはなかったことだった。以前なら、誰が訪ねてきても、戸を開けて見下ろすくらいで、立ち上がるなんてことはなかった。貞順は母屋の台所の方に行ってしまった。
「さあさあ、お入りなさい」
二人は部屋に入り、毛羽だった茣蓙の上に座っていた面長に、丁寧な礼をした。
面長は二人の青年が体を起こすと、すぐに彼らの手をつかんだ。
「本当によかった。解放になってからも、徴用で外地に行った若者たちの消息がないのでどれほど心配していたことか」
その一言で二人の気持ちは和らいだ。訪問にあたっては、しっかりと問い質すつもりでいた。帰国船で徴用の帰還者たちの間で議論になっていたことだった。先ずは区長や面長に問いただし、次には島司にも会おう。そのようにしっかりと気持ちを決めていたのに、面長のその一言で、そんな決心などつぶれてしまった。75頁
「なにもかも面長さんのおかげです」
その言葉で面長の表情が明るくなってきた。
「その間、どこで苦労したのかな」
二人は福岡近辺の軍港で働いた話をした。
「本当によかった。聞いたところでは、南洋群島や北海道に行った人々は凄く苦労したと言うんだが、ところで、あとの二人はどうなったのかな?」
面長はもしかして他の青年には不吉なことが起こったのではないかと心配になった。
「釜山までは一緒だったんですが、その後は別々になってしまいました」
室内は静まり返っていた。
「実は現場で牛のように働いても、まともに人間扱いしてもらえなかった頃には、里長さんや面長さんのことをひどく恨んでいました。しかし、このように生きて戻ってきたので、何もかも昔のこととして忘れます。過去のことを忘れられるというのは、こうして見ると、なかなか幸いなことですね」
いきなり唾を吐きだすようなソンパルの言葉に、面長の顔面の筋肉がぴくぴくと痙攣した。春湜もそんな面長の反応を見逃さなかった。
「何もかも昔のこととして忘れてもられば助かるんだが。このわしも最近はいろいろと思いだすことが多いんだ。ともかく、みんなが無事に戻ってくればいいのだが」
春湜は面長の気持ちを察しながら、次の話を考えた。
「家の中がすごく静かですね」
雰囲気を変えようとして、別の話題を持ち出した。
「セミンがこの頃は、金融組合の仕事を辞めて家に戻ってきているんだが、あいにくと家の用事で出かけていて、テミンは学校に通っているので城内で暮らし、末娘しかいないんだよ。ワシも家のことなんかには神経を遣わず、適当に過ごしてきたんだが、今から考えてみると、忙しく外を走り回っていたこともすべて無駄なことだったみたいに感じてくるんだ。76頁 その間、私たち一族の長老の皆さんには心配ばかりおかけしてきたので、最近はすっかり家に閉じこもったままなんだよ。家で座ってさえいれば、年寄りの皆さんも安心してくれるので」
春湜はその口調から複雑な気持ちを読み取ることができた。終戦になって押し寄せてくる虚無感のせいだろうか。そのうえ、出征した婿の消息がないので、ますます気持ちがおちつかないのだろう。自分も見方によっては日本人に利用されただけのようでもあるし。面長だからと言って金が儲かるわけでもないのだし、と春湜は思った。
「セミンが事情を察して家に戻って百姓でもしてくれればいいのだが。土地ほど正直なものはないのだから」
高面長は長男の話をしながら、自分の内心を吐露していた。高在必は元々、しっかりした家門に加えて、余裕のある暮らしを維持してきた祖先たちのおかげで、自分のわがままを通して生きてきた。しかし、だからと言って贅沢に、世の中の貴賤も知らずに暮らしてきわけでもなかった。農業学校を出ると島庁で勤務して数年、その後は日本や京城なども巡りながら世の中の酸いも甘いも味わった。しかし、この村の高氏の宗家の跡継ぎとして、家の長老たちの願いを受けて、故郷に戻ってきて定着した。原理原則を守る性格で財産もあり、状況を見誤って財貨に欲を出したりすることもなく、何事もつつがなく処理してきた。だから、地域住民からも恨みを買ったりすることもなく、10余年もの間、面長を務めた。そして2年前に、したがって徴用や徴兵で何かと騒がしかった頃に、春湜とソンパルが徴用で去った頃に、面長を辞めた。日本の終戦以前に面長を辞したのだから幸運でもあった。それも、世の変化に逸早く対処できたからである。時局を見ながら、いくら皇国軍隊が連日連勝などと騒いでいても、その中身をそれなりに把握していたのだろう。仁擇を婿として受け容れたことを見るだけでも、そのことが分かる。77頁 世の中が動いても、自分の考えだけはしっかりと持っていたからである。
家同士がいくら親しいと言っても、漢拏山の南側ではひとかどの人物として評判の仁擇と、ようやく小学校しか出ていない娘との縁談は、釣り合いがとれなかったし、戦場に連れて行かれる青年に娘を与えるような家も、普通にはない。ところが、高在必は喜んでその縁談を受け入れた。高面長なりに世の中の流れを推し量っていたからである。
「二度と戦争なんか起こってはならん。なんとか生き残りはしたが、またしてもあんな騒ぎが起こるくらいなら、死んだほうがましだ」
面長がため息を吐いた。その言葉にソンパルがかっとした。供出だ、徴用だ、と下の者たちに号令を発しながら生きてきた者としてふさわしくない言葉である。ソンパルは焼け付くような暑さのなかで、ひもじさに耐えながら、自分の体重よりも重い物資を背負って運んでいた。それなのに、死ぬ方がましだなんて。逃げて死んだ方がましだなどと。
「面長のようなお偉い方がそんなことをおっしゃるなら、俺たちとしてはもう何も言うことなどありません」
ソンパルはだしぬけに、そう言い捨てた。春湜もその言葉には、内心、むかついていた。
「わし自身が生涯の過ごし方を間違った結果という意味なので、誤解してもらっては困る。これまでの君たちの苦労は言葉では言いつくせないものだろうが、この時局だから誰もが経験することとでも思ってもらいたいんだ。他の青年たちも戻ってくれば、その時には粗末な酒でも交わしながら話し合うようにしよう。そうだ、長男がいればいいんだが、いずれそんな機会もあるだろう」
面長は二人の青年に立ち上がるように、仄めかした。
その時、門が開く大きな音がして、中庭から慌ただしそうな足音が聞こえた。78頁
「うちの息子を返してくれ」
とげとげしい女の叫び声だった。
在必は二人の青年を見てから、戸を開いた。台所の前でおどおどした様子の娘が見えた。
中庭の真ん中には、姜キョンドンの母親と20歳にもならない男が胸を張っていた。
二人の青年が飛び出してきた。
「うちの大事な息子を徴用に送った面長さん、責任を取りなさいよ。まだ23歳で、前途洋洋の身だったのに」
その女は縁側に駆け付けて、腰かけた。普段ならこの家の中庭に顔を出して、在必を真っ向から眺めるような立場ではない。
「うちの兄貴のことも、それなりのことをしてもらわないと」
後に立っていた青年も赤黒く、酒気が回った顔で言った。
「みんな帰ってきます。心配はいりません」
春湜が中庭に下りて女を宥めた。
「生きていれば戻ってくるだろうって?お前も面長とグルなんだな」
女は春湜とソンパルに拳を突き付けて、叫んだ。在必は縁側に立ちつくしながら、中庭の向こうの野菜畑に目をやるだけで、ひたすら口を噤んでいた。
「どうしたんですか?言葉の一つもまだしゃべれない若造をひっ捕まえて送り出しておきながら、日本が滅びたからには、お宅に責任を取ってもらわないと」
女が手のひらで縁側を何度もたたきながら、悪たれを叫び続けた。
在必は女をじっと見下ろしながら何か言おうとしたが、女の叫び声は止まらなかった。
「世の中が変わったと言うのに、威勢は相変わらずのようですな。なんで返事しないんですか。女ごときの言葉は相手にしないとでも?この村には若者が多いのに、どうしてわざわざうちの子どもたちだけを引っ張って行って、あんな苦労をさせたんですか。少しなんとか言いなさいよ」79頁
在必はふたたび遠くの空に目を向けた。考えてみると、ひどい話だ。何もかもが計画的に思われた。若い当事者たちが抗議のために現れ、礼儀をまもっている振りをし、次いでは女を動員して、とことん辱めようとしている。在必はその連中の内心がすっかり分かっても、言えることなど何ひとつなかった。
「どうしてこんなことをしているんですか?誰かが死んだんですか?すぐに戻ってきますよ」
春湜が女に近寄って、思いとどまらせようとした。
「区長も知らない。面長も知らないと言うなら、一体、誰が知ってるんだい?」
発狂したように悪態をついていた女が、ぐっと頭を後ろにそらして、春湜を睨みつけた。お前は生きて帰ってきたから、余計なことは言わないでおれ、といった表情である。女は今しがた、区長の家に駆け付けてひと騒ぎしてきたところだった。区長は、いくら世の中が変わったとしても、自分の所にやってきて、借金の利子でも督促するみたいに、問いただす女が気に食わないし煩わしいからと、文句を言うなら面長のところに行って言えばいい、と言い返したのである。いくら世の中がひっくり返っても、女が面長の家にまで駆けつけるなんて、思ってもいなかったのである。そのうえ、区長の腹が煮えくり返ったのは、まだ青二才の崔元百の弟が、酒をひっかけて食ってかかってきた様子だった。
「どうして何も言わないんですか?話にならないとでも言うのですか?」
さっきから両手を腰にあてたまま両足をしっかり伸ばして立ちながら、在必を睨みつけていた崔元百の弟の元石が、言い放った。在必の視線が一度はその若者の額の上を這った。不埒な小僧めが!内心ではそう叫びながらも、口を閉じていた。
「お前は黙ってるんだ。面長さんの前で何を生意気な」
ソンパルがわめいて目を怒らせた。80頁
「兄貴たちはいったいどうして?長老の前では、言うべきことも言ってはならないのですか?」
彼は藁敷の中庭に唾を吐きだしながら、嫌味を言った。
その時、中庭に男が二人、さっと入ってきた。姜キョンドンの父親の白千と宋書房だった。女は彼らを見ると蒼白になった。春湜とソンパルもずるずると中庭の隅に退いた。
「こいつは女のくせして、気でも狂ったのか。いったい、ここがどこだと思って、騒ぎを起こすなんて」
白千が面長や春湜をじろりと見つめて、縁側に腰かけている女の右脚をさっと引っ張り、立たせた。女は男の気勢に怖気づいて、びくびくしながら体を捻った。
「なんで、私がしてならないようなことを、しでかしたとでも?」
女はずるずる引っ張られて、中庭から外へ出て行きながらも、声をあげた。
「いったいどうして、挨拶くらいに思っていたのに、いったい何をしてるんだ?」
宋書房が息子の手首を掴んで引っ張った。面長の前で声をあげるなんてできるわけがないが、内心に込み上げる怒りを抑えきれなかった。ソンパルも頭を下げて、たじろいでいた。
「この若者たちは何もしていないよ」
ようやく高在必が気持ちをとり直して、春湜を叱りつける宋書房を宥めた。そのすきに崔元百の弟は逃げてしまった。
「本当に申し訳ないことで。頭がおかしい女がしゃしゃり出て・・・本当に申し訳ございません」
先ほど、女を引っ張って門の外に出て行った姜白千が戻ってきて、面長の前で腰を折って謝罪した。
「そんなことはもう、いいんだよ。親心というものはそんなものだ。たいしたことはなかったのだから、なかったことにしよう」
在必は手を振りながら、直ちに帰らせた。
姜白千は六尺の長身で、堂々と張った両肩や風采も立派な、40代半ばを越えた男丈夫だった。81頁 この村で一番の力持ちで、よく働く人物だった。力が強くて村対抗の相撲大会に出るたびに賞をもらい、南元小学校の運動会では、長距離走に出るといつも賞をとっていた。数年間は日本にも渡って、鉄工所で働いてお金を儲けて帰ってくると、小さな畑を幾つか買い、よく働くので、食べ物のことで心配などせずに暮らしている。そのうえ、時と場合を間違うことなく、まっとうなことを言い、外地を巡って、見たり聞いたりしたことが多いので、高氏の家門を除いた他姓では、学のある方だった。簡易学校での3年が受けた教育すべてだったが、独学で『銘心宝鑑』まで読み、文字も田舎では書ける方だった。またここ数年間は、区長を助けて村の書記の役もするなど、村の大小の行事で率先して働く中年層の代表格のひとりだった。それでいながら、高氏の集姓村であるこの村では、いつも慎重に暮らしてきた。
面長宅のオㇽレから出るまで、誰一人として口を開かなかった。
「お前たちが失敗をしでかすのではと、肝を冷やしていたんだぞ。面長さんは衣貴のご主人様の家の縁戚でいらっしゃる。仁擇坊っちゃんの義父なんだぞ」
宋書房は息子の耳に聞こえるか聞こえないくらいの小声で囁いた。春湜は父親の気持ちが分かりながらも、高面長の前で罪人のように立っていた父の姿がやりきれなかった。
「お前たちがこのように生きて戻ってきたことだけでも幸いと思って、自分勝手なことはするんじゃない。昔から「寝る場所のことを考えながら走ろうとする」という言い方があるんだ。解放になったからと言って、何ひとつ変わったことなんかないんだぞ」
白千は自分の息子が戻ってこないのは残念だが、村の長老の前で敢えて自分の内心をさらけ出すわけにはいかなかった。むしろ、二人の青年を嗜めるしかなかった。
「分かってますから、ご心配なく」
春湜は親たちの心配を知って安心させようとしながらも、おかしな気分だった。82頁 そのうえ、大きな体なのに、高面長の前ではあまりにも慎重すぎる姜白千がおかしく見えた。

在必はその日、若者たちが帰ってから、外出せずに家の中に閉じこもっていた。改めて考えるにつけ、隔世の感がした。そのうえ、もしかして残りの二人が本当に帰ってこなければ、今日の騒ぎくらいでは終わりはしないと思うと、ますます気持ちが落ち着かなくなった。
「なんだって!この世でこんなことがあるなんて。あの連中は天を恐れることさえ知らなずに、いくら世の中が・・・」
外から帰ってきた城内房が、高区長が他姓の青年たちに袋叩きにあったという話を伝えたが、彼は黙ったまま、ひたすら耳を傾けるだけだった。
「若い連中を呼んでおくことにします。このまま放っておくわけにはいきません。
離れにいたセミン(世玟)が城内房の大きな声で事情を知ると、父親に議論するような口調で言った。
「ことを大きくするんじゃない」
在必は長男の顔をじろじろ覗き見て、短く言った。
「お父さん、これはひどすぎるんじゃないですか。世の中が変わったと言っても、一夜のうちにこんなに変わるなんて。あの叔父さんに何の罪があるんですか。この機会に気持ちをしっかり持って処理しないと、ますます難しい事態にくなってしまいます」
世玟は親戚の青年たちを呼び集めて、ことを起こした当事者たちを懲らしめるつもりなのである。在必もあの連中のことは不快で仕方なかった。ほんの数か月前なら、夢でも考えられないことである。村のあらゆることが在必の一言で済んでいた。その一言がすぐに法になった。村の長老たちの間で意見が異なるようなことがあっても、他姓の者が異議を提起することなどなかった。他姓の者は、なによりも、数的に劣勢だった。ところがこの度は、その他姓の者たちがあんな出方をしてきたのだから、世の中がひっくり返ったことは間違いがないと思った。83頁
「我慢して待つんだ。我々が一回きらいは負けてやることで、これまでに彼らが受けてきたことをすべて返したことになるのだから」
在必は目をぎゅっと瞑り、息子の怒りが収まるのを待った。
「お父さんはこれまで我々の家門がしてきたことが間違っていたとでも思っておられるのでしょうか?」
土曜日なので家に帰ってきた農業学校生のテミンが、いきなり話に加わった。在必は目を少し開いて、にっこりと笑った。次男が殊勝に思えた。しかし、世玟は弟のことが不満だった。
「大人が話しているのに、お前に何が分かって口を挟むなんて・・・」
父親の前ということもあって大声をあげるわけにもいかないので、弟に厳しい視線を向けた。
「あの連中が被害者意識を持っても当然のことだ。村で何を決定するにしても、彼らを疎外してきたのだから・・・」
二人の息子は父親の静かな口調に、これまでには感じたことなどない、全く別の父の姿を見た。終戦になると、父は家の外への出入りを以前ほどはしなくなった。母屋の広間で終日過ごし、せいぜい野菜畑を一回りする程度だった。親戚絡みの用事もほとんど長男に任せて、相談を受けた場合を除いて関与しなかった。
「酒席で起こったことなんだから、あまり深く考える必要なんてない」
面長は宋春湜と金ソンパルが訪問してきた時、彼らが以前と変わったのを見て、考えることが多かった。長男の世玟にもその話はした。春湜は以前も分別があったが、やくざ者と変わりがなかったソンパルまでも変わったのを見て、今後は村の雰囲気が変わると予測した。84頁 それが今回の事件で的中した。
「こんな時ほど軽挙妄動は慎まねばならん。今後、何かと厄介なことが増えてくるはずだ」
これ以上にことを大きくしないようにと、長男に念を押して、部屋から出て行くように言った。

事件はなるほどと思える場所で始まった。高区長は二人の青年が昼に面長宅に行ってきたという話を聞いて、彼らを夕食に招待した。そうでなくても一度は家を訪れて慰労の言葉でもかけて、粗末な酒でも交わしたほうが後腐れがないと思いながらも、姜書記の夫人や崔書房の次男が滅相もないことをしでかしたという話を聞くと、気分がよくなかった。
ところが、面長の叔父から、徴用から戻ってきた青年たちに慰労の言葉でもかけてやるようにという連絡が届いた。そこで、気持ちを広く持つように自分に言い聞かせながら。彼らを招待したのである。
招待を受けた春湜の方は、取り立てて何の考えもなしに区長宅を訪れた。もちろん区長が自ら会いに来なかったことは気に障ったが、これまでの自分に対する態度を考えてみれば、一朝一夕で変わることなんか期待できないと思いなおした。
しかし、ソンパルは違った。ちょうど、近くに住む友人の梁ギョンチルと鄭ソクダムが家に立ち寄ったので、昼に面長のところに行ってきた話をした。
「面長ももう既に片足を棺桶に突っ込んだも同然だ」
そのように世の中の変化を大げさに吹聴していた時に、区長からの伝言を受け取った。
「くそったれめが。自分がコソリ酒でも携えてきて謝っても不十分なのに、こっちのことをまるで自分の犬畜生みたいに、行けとか来いとか勝手なことをほざきやがって」85頁
ソンパルは昨夜は祭祀だった隣家が、「ご苦労様」と芋焼酎をひと瓶、持ってきたので、大根の葉で漬けた水キムチを肴に一杯飲んで、かっと怒りを吐きだした。
「それでも、行っといた方がいいぞ」
友人たちがそう言って勧めるので、その気にはなれなかったが、ともかく家を出た。友人たちも連れて行った。行ってみると、春湜が先に来ていた。
区長は儀礼としてご苦労様と挨拶しながら、先般は申し訳なかったと付け加えた。区長夫人が酒膳を提げて部屋に入ってきた。
「一杯どうかね。ちょうど、南元に行ったついでに、スズメダイを2,3枡買って来たところなんだが、冬のスズメダイの味はどうなのか」
区長は4人の青年たちの盃にコソリ酒を注いだ。
最初の数杯を順に注いでいるうちは、問題など何も起こらなかった。ところが、区長は元来、酒があまり飲めない性質なのに、勧められるままに飲んでいるうちに、真っ先に酔ってしまった。そうなると口数も多くなったので、春湜はこっそりと席を立った。区長の話がしきりに気に障った。
「世の中がいくら変わっても、うちの兄貴を相手に生意気なことをして許されるとでも思っているのか?」
最初は寂しそうな口調で話していたのだが、やがてはそれが厳しい口調になった。他方、ソンパルの方も執拗に区長の話に文句をつけた。
「自分たちは決して面長さんに文句が言いたくて訪ねていったわけじゃない。挨拶に伺っただけですよ」と。
そんなやりとりが繰り返されるうちに、声が高まった。区長がすっかり酔っぱらって、同じことを何度も繰り返すと、
「面長がこれまでに何かいいことでもしたことがありますかね?」
ソンパルはそれまでは内心に抑えていたことを、すっかり吐き出してしまった。
「なんだと、こいつは・・・」
区長が眼を剥くと、ソンパルは酒膳をひっくり返した。86頁
「何たることだ。強盗みたいにぶしつけなことをほざきやがって」
区長が叫んだ。
「なんだと、こんな馬鹿げた話が」
酒に酔った若者たちが区長を足蹴にし始めた。区長夫人が恐れをなして声をあげながら、外に飛び出した。ソンパルや青年たちも、部屋の隅に伸びてしまっている区長を見て、ふらふらとその家から出ていった。
酔った挙句の事件だったが、ソンパルはその事後処理が気がかりになって、すぐに春湜のところへ駆けつけて相談した。しかし、春湜はたいしたことなどと思っていなかった。酒席ではよくあることなのに、どうしてそんなに神経を遣っているんだ、と言葉を返した。
春湜は帰郷してからいろんなことを経験して、精力をいたずらに浪費していると思っていた。振る舞い酒に誘われて、徴用の苦労話で酒代を払ったつもりになっていた。だから、気に染まない酒席にはできるだけ行かないようにしていた。今日も出席したのは愚かだったと後悔していた。
ソンパルは仕方なく、姜白千に相談した。年輩で貫禄があり、何かにつけて慎重で、あっちの側からも信任を受けている白千を間に立てるしかなかった。姜白千は仲介役を引き受けてくれた。
「まあ、若い連中が酒でも飲めば、いろんなことがあるもので、そんなことで隣近所が騒がしくなったら、互いによいことなんて一つもない。だから、なかったことにして、その代わりに、当事者同士で和解の酒でも一杯交わせばそれで済むものだ」
高在必はその件で訪れてきた白千の話を、気持ちよく受け入れた。
「ところで、あのソンパルという若者は、外地の水をたっぷりと飲んだだけに、すっかり人が変わったようだな、ははは」87頁
在必は冗談めかして笑った。しかし、白千はその笑いに棘を感じた。
「ともかく、姜書記もご苦労なことだ。若者たちとの間に立って」
在必はそれまで村の書記役をしていた彼を「姜書記」と呼んでいた。ところが、そんなことを話しているうちに、妙な気分になってきた。この村の高氏一族からは自分が、そして他姓からは姜白千が代表者のようになった感じがした。とんでもないことだった。しかし、それが現実だった。
在必は徴用で動員された白千の息子に何か事故でもあったら、村に騒動がおこりかねないと思った。そんなことが現実になってきているように思った。姜白千夫人があの日の昼にやってきて、自分のことをまるで馬鹿にして食ってかかってきたことを思い出した。そしてそれに続いて、姜書記が済姿を見せて謝罪しながら、自分の妻を詰ったことなど、そのすべてが計画的なことだったように見えてきた。
しかし、在必はそんなことなど何も知らないふりをして、後のことは白千に一任した。
世玟が外に出てくる白千を戸口で待っていた。
「今回はなんとも、若い連中が起こしたことで申し訳ないことに」
白千は、歳は自分よりはるかに下でも、これまで世玟にはきちんと礼を尽くしてきたので、その延長で丁寧に挨拶した。
「姜書記は他姓の家々の代表者のようになってしまって、ご苦労なことです」
世玟が揶揄するように言った。白千はそれに対して何も答えなかった。
「少し考えてもみてくださいよ。こんなことは以前にはありえなかったことです。いくらうちの叔父さんが少し酔っていたとしても、以前なら、区長さんとでも呼びかけて、静かに部屋にお連れして、寝かしてあげたはずなのに」
世玟は自分の父親が口にできなかったことまですべて口に出してしまった。そうしてこそ、他姓の若者たちにも伝わって、生意気な連中の根性も、少しは改まるのではと思った。88頁
白千は顔には出さなかったが、不快だった。
「私なんかはもう、不躾な子どもたちの遣い走りにすぎませんよ。若い連中がひどく不躾で性格も荒いもので、今後もまた、どんな悪さをするのか怖いくらいで、間に入って、こんな使い走りに尽くすしか能がないので」
白千も棘のある言い方をした。今後も下手すると、「不躾な若者」たちが同じようなことをしでかす可能性があると仄めかしたのである。
「なんだと、それはどういうことなんだい。あの連中は今後も喧嘩沙汰に打ってでるとでも」
世玟もすぐさま、白千の真意に気づいて、かっと腹を立てた。こいつもこれまでのように与しやすいと思いこんで相手などしておれないと感じ、世の変化を実感した。
「誤解しないでください。何かと落ち着かない時局ということもあって、若い連中が酒でも一杯ひっかければ、前後の事情などお構いなしということになりかねません。それを心配するからこそ、このようにうろつきまわっているだけなんですよ」
白千は弁明しながらも、言いたいことを何一つ隠さなかった。世玟はその口調から、彼が他姓の村民を代表する者として、堂々と打って出る覚悟だと悟った。
「喧嘩なんてないようにしましょう。狭い村ですから、恥ずかしいことです。昔はこんなことなかったのに」
「昔は」を強調しながら、世玟は念を押すように言った。
「喧嘩が好きな人など、どこにいましょうか?」
白千は最後まで、おとなしくなどしていなかった。
結局、面長の言葉通りに、ソンパルと他の二人の青年が区長宅を訪れて、和解の酒を交わすことで、この事件は一段落した。しかし、村の雰囲気は微妙に変わり始めた。89頁


玄吉彦著『漢拏山』第二部星条旗時代第6章「共和国の夢」1-2

2021-09-26 17:16:10 | 韓国小説の翻訳の試み
玄吉彦著『漢拏山』第2部星条旗時代
6章 共和国の夢 41頁 (第2部の2番目の章) 
1-2

待ちに待った米軍の進駐だったが、それによって変わったことなどなに一つなかった。
建準執行部の幹部たちが、米軍の代表者に会うために飛行場へ訪ねて行ったが、門前払いを食らってすごすごと戻ってきた。建準側では、米軍が日本軍の降伏文書の調印に基づいて、武装解除のために来たのなら、当然のこととして、それまで日本の圧政下で暮らしてきた住民の代表とも会うものと期待していた。そこで、数日は待ってみた。ところが、何の音沙汰もなかった。そこで米軍情報チームと何度も会っているという朴世翊を通じて、先方の様子を調べてみたところ、米軍としても済州の実情をまともに知りたいので、建準の代表には会ってくれるだろうと言う。そして、その情報チームには米国人宣教師二世である裵ジョンギュという軍属もいるので話し合いが可能だろう、と付け加えた。
建準の委員長と副委員長、そして総務部長の金尚球が朴世翊を先頭に立てて、飛行場にある米軍G-2を訪ねた。しかし、無駄足だった。降伏の調印を受けとるために来ていたチームは既に帰ってしまい、武装解除チームの代表者であるパーウェル大領は、現地住民に会うような任務を携えてきたわけではないと、返答してきた。そこで、情報チーム長のヘリソン大領を訪ねてみたが、会えなくて、補佐官のチャールズ大尉を通して、自分は済州島を代表するいかなる団体や人士とも会うつもりはないと、建準の幹部たちとの面談要請を拒否してきた。
建準の代表者たちは事務所の転居先である旧漢拏商事の建物に戻ってきた。代表たちの帰りを待っていた数人の執行委員たちは、事情を聞いて怒り出した。42頁
「なんだと、奴らはどっちの味方なんだ?」
治安部長は敵味方の論議から入った。
「最初からこちらの建準のことを色眼鏡で見ていたからですよ」
副委員長が米軍を相手にした際に感じたことを正直に打ち明けた。
「京城で朝鮮人の政治行動をつぶさに見て、社会団体に対して不信に思うようになったんだろう。もし建準の代表者に会いでもしたら、その後は他の数々の団体の代表を名乗る者たちが、先を争って面談に訪れるなど、対応できなくなりかねいとでも考えたのだろう」
呉大珍委員長は米軍幹部の立場も理解できると言った。
「米軍が朝鮮人とその団体に不信感を持っているとしたら、建準の今後はどうなるのでしょうか?」
尚球が論点を整理した。彼は米軍幹部に会えなかったことなど、それほど大きな問題などとは思っていなかった。
「それなら、これは実に平凡な論理ですが、我々は力を持たねばなりません。建準が済州島民の代表機関としての力を誇示できなくてはなりません。そのためには、何よりも団結しなくてなりません。済州島でいろんな団体が乱立するようなことになってはなりません。次いでは、組織を整備し、各邑と面はもちろん、里に至るまで、活動を強化して名実ともに地域の行政権と治安権を確保すべきです。そうなれば、米軍も我々を冷遇するなんてできなくなるでしょう」
曺鐸基の言葉に全員が同意した。
「ところで、米軍が日本軍にあれほど慎重に対するのは何故だろうか?あれでは戦勝国と敗戦国の関係ではなく、済州に限っては対等な関係のようで、米軍は日本軍に対して何一つ勝手なことなどできないように感じられてならないんです」
芝勲は先輩たちの前なので慎重に、米軍の済州進駐以後に起こったことを総合して導き出した結論を話した。誰もが頭を捻った。43頁
「そんなことは、なんとも単純なことなんだよ。日本の方が我々よりも比較にならないほどに強いからなんだ。今回は米軍が戦争に勝ったが、日本という国を無視するわけにはいかないんだ。済州に7万もの日本軍兵力があるから、たった数百名の米軍では、いくら戦勝国であっても、勝手なことなどできるはずがないのでは?」
尚球はそう言いながらも、力が抜ける思いだった。誰もが黙り込んだ。
夜が深まるまで議論が続いたが、取り立てて結論らしきものなどなかった。澤基の言うように、先ずは仲間割れを避けながら組織を拡大するという結論で、会議を終えた。
「尚球先生、僕は建準の仕事から手を引き、帰郷して学校の仕事に専念します」
会議を終えて、尚球の家に一緒に帰る途中に、芝勲は自分の計画を語った。終戦の数日後にも、尚球にそんな気持ちをほのめかしたことがあった。その時に尚球は、良い考えだから、事情が許す限り財政的援助を惜しまないと約束していた。
「すぐに中学校設立が難しければ、中学課程の講習所でも、或いはせめて英語と国語の講習くらいから、先ずは始めてみます。うまい具合に南元の郷舎が空いていますので、そこを利用することで村の長老たちには確約を取り付けているんです。邑でも若年層でそんな動きが起っているようです」
尚球はそれ以上、何も言わなかったが、芝勲がどうして今夕にそんな決断を下すようになったのかは察しがついていた。
「それはいい考えだ」
二人はその件については言葉を継がないで、一緒に尚球の家に入った。44頁
芝勲は終戦後、邑に来ると決まってこの家に寄宿した。幸いにも仁厚と貴順もいるので、気楽だった。
芝勲は顔を洗って仁厚の部屋に入った。仁厚が使っている部屋とそれに続く裏の部屋は、客用で普段は空いていたが、最近は芝勲がほとんど仁厚と二人で使っていた。時折、貴順も加わって、長時間にわたって話し合った。
「近いうちに中学院を開くんだ。だから小学校に戻るのは無理だよ」
貴順が復職しないのかと尋ねたところ、彼はこの機会にと中学院のことを切り出した。
「仁厚も辞表を出して、中学校を建てる仕事を一緒にやろうじゃないか。そうだ、貴順先生も授業を少し担当してくださいよ。家庭と音楽の授業を担当してもらえれば」
芝勲はそれまでに思ったこともないことを、いきなり言ってしまった。
「なんですって?私が南元中学で?」
貴順は仁厚と芝勲をかわるがわる見つめて、照れくさそうな表情をした。
「どうしてそんなに驚いているんですか?不可能でもないでしょう。仁厚先生と結婚し、彼の実家に戻って一緒に仕事するだけのことなんだから」
芝勲は直ちに話題を変えてしまった。
貴順は顔を赤らめながら俯き、仁厚は照れくさそうにひっひと笑ってしまった。芝勲は彼らの反応を見ながら、二人の関係がなんとなく分かった。互いに好きなのに、そのことを包み隠さずに話せていないようだった。
「解放されて、島から外地に出ていた人たちも戻ってくるので、仁厚も結婚しなくては。誰もが二人はお似合いと思っているのに」45頁
芝勲は話が出たついでに、自分なりに、二人をもっと近い関係にしてやりたくて、話をそっちの方に引っ張っていった。しかし、二人は黙っていた。
「今日、建準の執行委員会議があったんだが、我々にとって緊急なのは・・・」
芝勲は話題を変えて、中学院の話を切り出した内幕を詳細に説明した。
その話を聞きながら、仁厚は無力な自分のことを改めて考えてみた。数日前に米軍が山地埠頭に進駐してくると、彼も街頭に出て、黒人も朝鮮人には傲慢なことを確認した。布告文も読んだ。日本人に代わって米国人が居座ることになったと思った。この数日間に次々に起こったことなどで、内心も穏やかでなかった。何日経っても、そんな状況に打ち勝つ代案など何一つ考えだせなかった。もちろん、考えるだけで済むようなことではなかったのだが、しかし、芝勲は何かを計画し、それを実現するために準備している。
「お休みなさい」
貴順が出て行くと、二人だけになった。
「君の決断にはほんとに羨ましくなる」
仁厚も正直に内心を打ち明けた。新たに何かを始めようとしている芝勲に対する、ささやかな激励だった。
「僕にはその道しかないんだ。今となっては、小学校に戻るわけにもいかない。自らが辞表を書いて、辞めたんだから。だからこそ、決断も簡単だったんだ。捨ててから選ぶのではなく、捨てるものがないから選択も簡単なんだ。仁厚も今すぐでなくても、後に機会があれば、協力してくれよ。本当は君のご両親のところを訪ねるつもりだったんだが。本当に助けてくれる気持ちがあれば、仁擇兄さんがお帰りになってからでも、僕には大きな力になるんだから」46頁
芝勲は横になりながらも真剣に語った。
「そうだな、本腰を入れてやってみろよ。うまくいくさ」
仁厚は曖昧に答えた。その瞬間だった。彼はどうして貴順に、一緒に働いてくれなどと言ったのだろうか?さっきの芝勲の言葉が思い浮かんだ。もしかして、彼も貴順のことを特別に思っているのではなかろうか。
芝勲も眠ろうとしながらも、どうしてあんなことを貴順の前でいきなり言い出したのか、自分の内心について考えなおしてみた。
「意識の奥底で彼女に対する気持ちが今でも整理できないままに残っているんだ」
その瞬間、顔が熱くなった。
なかなか眠気は来なかった。半自作農、半小作農といった厳しい家の事情も考えないで、したい放題で生きていくことが本当に正しいことなのかを考えてみた。あの徴兵忌避の時にも、家族が被った困難は言葉では表現しがたいほどのものだった。しかし、あの時には生き死にが問題だったので、生きるために忌避したと思うこともできたが、家族には面目なかった。しかし、今や解放されたのだから、小学校教師をしながら、気持ちと生活次第ではやがては中学教師にもなれるだろうから、その職場に気楽に居座っているのが正しいに決まっている。それなのに、裸一貫で中学を創立するなどと言い出したのだから・・・結婚はしなくてはならないものなのだろうか?貴順のような女性が現れでもしたら別だが‥‥結婚と家庭に注ぐ情熱を他のことに注げば、もっと立派なことを成し遂げることができるはずだ。弟に家のことは任せて、自分は一生、社会のために、自分が理想としているあの美しい社会を創るために働くことができないのだろうか?
 小学校を出てから牛のように働いて19歳になった弟の炳勲と、辛うじて文字をかじるくらいで小学校を卒業もできなかった16歳の、海女をしている妹の吉子の顔が思い浮かんだ。47頁 
そんないろんな思いに包まれていると、母屋の中庭から人の声がした。離れの門と繋がる石垣とが細長く敷地を囲んでおり、その中には新しく建った新棟、そしてその背後に2棟の瓦葺の棟が並んでいる。仁厚とソウルから息子たちが戻ればその子どもたちとが、背後の棟で暮らし、貴順と尚球夫婦は母屋で起居している。
人の声が静まると芝勲はこっそりと起き上がり、外に出た。まだ半月にもならない細い月が東の空に浮かんでいる。母屋の尚球先生の書斎前には靴が何足か見えた。しかし、周囲は静かだった。
しばらくしてから、ひそひそ話が外にまで聞こえてきた。一人は曺鐸基で、もう一人は芝勲には聞きなれない声だった。
「ともかく建準にとっては具合がよくなさそうです。我々が何らかの組織によって既得権を確保するなんてことは不可能です。米軍政が実施されれば、今のソウルの状況を見ても分かりますが、あの連中が選んだ人士に軍政を任せるでしょう。だから、建準に行政権を譲るように求めても、うまくいくことはなさそうです」
曺鐸基の声だった。
「それなら、どのように対処しましょうか?」
知らない声だった。
「私はこの機会に党を再建すべきだと思っています」
曺鐸基の提案に誰も答えなかった。
「今後、我々は米軍政を相手に闘わねばならなくなるでしょう。彼らが我々と友好関係になるなんてことは、決してありえません。38度以北にはソ連軍が進駐したわけですから、彼らも南側で自分たちが望む軍政を始め、今後は彼らの政治的意図に基づいた新政府をつくるでしょう。そうすれば、南側と北側で二つの政府ができてしまうので、そのようになれば国を二分する南北を統一させて新しい朝鮮を建設するにあたっては、やはり党が必要でしょう」48頁
「南と北が分かれる」
尚球の声が沈鬱だった。
「ところで、どのような方法で?」
「先ずは済州建準をソウルのように、人民共和国に改編する過程で、邑面の組織責任者を党員の色が強い人物に交代させることです。今でもそんな人物が主導権を握っている地域もありますが、地域によっては今でも建準の面委員長を過去の面長と同じように思って、日帝時代に面長だった人士や地域の有力者が責任者になっている所もあるからです。したがって、党を再建するのは、今が好機と思います。治安もおろそかになっており、行政力もマヒしている状態じゃないですか。そのうえ、米軍に対する一般の認識もよくなく、米軍の進駐にしたがって、島民の期待も霧散しているので、このような雰囲気につけこんで反米感情を煽り、党を再整備すれば効果的でしょう」
澤基の論理は整然としていた。盗み聞きしていた芝勲も驚いた。
「そして、それと同時に既存の同志たち以外に、新たな青年たちを糾合して教育を施すのです。誰が干渉するものですか。しかし、今後、米国の連中が行政と治安権を握ってしまえば、そんなことを見過ごすはずなどなくなるでしょう」
曺鐸基の言葉が中断している間に、誰かが外に出ようとしたのか、戸が開いた。芝勲はすぐさま身を隠して、奥の棟に入ってしまった。

2.   49頁

10月15日、南都中学院が門を開く日である。中学院の臨時校舎となる南元郷舎の中庭では、面の有力者たちと青年たち、さらには婦女子まで集まって盛況を呈していた。小学校の運動会の日を除いて、これほど多くの人が集まることは最近ではなかったことである。
特にこの日は、開校を祝って曺鐸基が特別時局講演をすることになっていた。郷舎の中庭は狭いので、郷舎の周囲の石垣に上ってまで、さらに稀には、その周辺の家の石垣にも上がって、会場の前の方の席に座っている曺鐸基の顔を見ようとする観衆もいた。
曺鐸基は済州では老若を問わず、知らない者などいない有名人である。一時は、日帝に抵抗する人物として、最近の数年では、新しい営農法を研究している人物として、農夫たちにはよく知られていた。植民地時代には、日本の巡査や面長くらいなら、まったく相手にならなかった。世の中のいろんなことに実に詳しく、特に変装術に秀でており、日本で思想運動をしていた頃には、その変装術絡みの逸話も多かった。そんな人物が時局講演をするというからには、南元里の村民ばかりか近隣の村の人々まで集まった。
南都中学院は生徒43名で、去る10月5日から授業を始めていた。金尚球が喜んで5千ウオンを出資すると、芝勲は村の有力者を説得して郷舎を借り、小学校で余っていた机24組を借りて授業を始めた。まだ行政体系が整っていないので、認可も受ける必要がなかった。学校の名称も最初は「講習所」にするつもりだったのが、結局は「南都中学院」とした。50頁
村民たちも、かの有名な城内の金判書の息子である金尚球が金銭的援助をすすんで行ったという話を聞いて、それにたちまちのうちに呼応した。芝勲はその企画が何の支障もなく進捗しそうになると、有力者と面内の各村の人士も関係する仮称「南都中学校設立推進委員会」を設立して、その実務を引き受けた。
教師としては、小学校にまだ復職していない李ソンソンが国語を、芝勲は社会と英語、そして数学を担当した。とりあえずは授業が可能な科目から始めることにして、音楽や美術などの科目は、南元小学校の教員たちが引き受けてくれたので、授業に大きな支障はなくなった。その間に芝勲は、李ソンソンと二人で各村を巡りながら生徒を募集した。中学校でもないのに中学の課程を教えるというので、その内容が一般には理解されにくかった。そこで、まだ認可を受けていないのに、「南都中学院」という名前を掲げて、間もなく中学校の認可を受けるのだと宣伝した。
郷舎は教室として使うのに適した造りになっていた。5間の大きさのブリキ屋根の建物なのだが、左側の1間は倉庫としても使えるように間仕切りがあり、右の1間は前後二つの部屋に分けて、事務室と宿直室として使うことにした。中央の3間幅の広い板間が郷会の場所だったのだが、左側の倉庫を職員室にして、郷会の場所だったところで授業を行い、左側の2つの空間は倉庫と宿直室として利用した。
各村での反響は凄かった。志願者があまりにもたくさん殺到したので、その全員を受け入れるわけにもいかず、年齢の上から順に43名を選んだ。20歳近い若者たちも幾人かいた。選ばれた若者たちにとっては、生涯の願いだった中学生になれた喜びはひとしおだった。
 
開校式場はまるで宴会のような雰囲気だった。郷舎の中庭の前側に壇をしつらえて、小学校から借りて来た机と椅子を整然と並べて、推進委員の席をつくり、各村から参加した有力者もそこに案内した。51頁
独立のために闘って亡くなった殉国英霊に対する黙祷で式は始まった。開会にあたって、司会を務める金芝勲がその式次第について説明した。日本の天皇に対する朝の遥拝の儀式ばかりに慣れてきた人びとには、それ以外の儀式は初めてのことだった。その次は、愛国歌斉唱の番だった。今日の開校式のために、生徒たちと愛国歌の練習をしておいた。他のことは何もかも取りやめても、開校式の愛国歌だけは、いろんな人が集まった場で、厳粛に朗々と歌わねばならないと考えてのことだった。
生徒と先生が歌う愛国歌を聞いた参席者たちは、目を丸くした。聞いたこともない歌だったが、その歌詞にもられた内容には胸がどきどきした。
次に芝勲が開校式に至った経過を報告した。
「・・・今日は特にこの場を輝かしいものにしてくださる方として、済州邑にお住いの金尚球先生がいらっしゃいますが、その先生は生憎と私的な事情で、今はソウルにいらっしゃいます。そこでその代わりとして、曺鐸基先生が我が南都中学院開校を祝っておいでくださいました。そのお二人の先生方には、本校開校のために、物心両面にわたって力添えを頂きました」
続いて芝勲は、この事業のために協力してくれた地域の長老たちや一般住民の激励に対しての感謝の挨拶も忘れなかった。
「次いでは、我が南都中学院開校を祝賀するために、ご多忙にも関わりませず特別に参席してくださいました曺鐸基先生から、祝賀のお言葉を頂きます。祝辞というよりも、解放以降の朝鮮の周辺情勢が複雑化している今日この頃でもありますので、そうした時局情勢と、それに対処する我々の姿勢について、貴重なお言葉を講演の形で話していただきます。」
曺鐸基は灰色のツルマギ(民族服の外套)をまとい、ゆっくりと席から立ち、集まった人々を見まわしてから、演壇に登った。場内は静まった。52頁

「こんにちは。安徳面の徳修里で暮らしている曺鐸基と申します」
演壇に上った彼の口から、第一声が飛び出した途端に、その言葉が参加者の心をぎゅっと掴んだ。
先ずは力強く響き渡る声が聴衆を圧倒した。それまでは、大衆の前に出てくる人は国民服姿で、拙い日本語を使ってばかりだったのに、曺鐸基は民族服をまとい、その口からは朝鮮語が飛び出したので、聴衆の目と耳が一挙にすっきりした。そしてようやく世の中が変わったことを実感するのだった。
「皆さん、本当にお会いできて嬉しく思っています。それに、このように慶賀すべき場で、長老や同志、そして若々しい青年の皆さんにお会いできて、これ以上の感激はありません」
彼の唇はゆっくりと動いているのに、声は凛として人々の胸に食い込んだ。これまで何年も、自分でも簡単に理解できる自分たちの言葉で、そのように気持ちよく演説してくれる人などいなかった。
「皆さん、ようやく植民地から解放され、新しい世の中が建設されようとしています。我が国は歴史的に見れば、朝鮮の封建王朝が崩壊した時点で人民大衆が主人になる新しい国家にならなくてはならなかったのですが、日本の帝国主義者たちの侵略のせいでその機会を失い、日本人の植民地になってひどい苦しみを経験してきました。しかし、ようやく解放され、本当に人民のための国家を建設する絶好の機会を迎えました。だからといってその事業が決して容易なことではないことを、しっかりと自らに言い聞かせていただかねばなりません。私たちの前途には試練がたくさん待ち構えています。それを乗り越えてこそ、私たちが望む国家を樹立することもできるのです。私たちにはまだ、人民のための国家を建設する拠点がありません。いまだに私たちの意識は、封建王朝時代からそれほど抜け出してはいないのです。私たちの血の中には、独裁体制を願う気持ちまだが残っているのです。それを一刻も早く清算することが、何よりも至急で重要な課題なのです」53頁
曺澤基が言葉を少し止めている間、拍手が鳴り響いた。参加者の目は一瞬たりとも彼の顔から離れることがなかった。人々は純真な表情で頷きを繰り返すのだった。
曺鐸基に関する逸話はまるで昔話のように記憶されている。彼は主に日本の大阪で労働者たちと一緒に暮らしていた。一見では、遊び人のようにも映るが、同胞の指導者として、思想運動家として、実に様々なことに関わって、休む暇なく動き回っていた。彼にはいつも刑事の尾行が付きまとっていたが、土壇場になると彼はものの見事に刑事たちを巻いて逃げた。
ある時などは、刑事たちに追われて朝鮮人労働者たちの飯場に駆けこんだこともある。彼を追って刑事が駆け込み、家の中をしらみつぶしに探したが探し出せなかった。そして刑事が帰ってから、彼はなんと便所から出てきたが、全身は人糞まみれだった。腰まで届く糞尿桶の中に隠れて、刑事の目を逃れたのである。またこんなこともあった。夜明け前に、追われて朝鮮人が下宿する家に飛び込み、それを追って刑事たちもなだれ込んだ。ところが、しばらくすると、二階から老人が刑事を叱りつける声が聞こえてきた。朝早くからいったい何が起こったからと、人を寝かせないで家探しなんかしているんだ、と寝間着姿の老人が一階まで下りてきて、大声で叱りつけた。そして刑事が帰ってようやく、その老人こそが曺鐸基に他ならなかったことが判明した。
そんなエピソードの数々は、多少は誇張された部分もなくはないが、彼の人物像を示す広く知られた逸話なのである。そんな人物を目と鼻の先にして、その演説を生で聞くことができるのだから、人々の胸が震えないわけがなかった。
「・・・私たちが闘うべき敵は外にあるのではなく、私たちの内にあるのです。先ずは、自分の周囲や自分の血の中にある日帝の残滓と古い封建主義の色彩を、勇敢に清算しなくてはなりません。それは容易なことではありません。一日にしてできることではないのです。日本がこの地から追い出されたとしても、日本の残滓が消えるわけではありません。私たちの血の中に、自分でも知らず知らずの内に、ぶ厚く敷かれてしまったあの日本の滓の数々を、果敢に洗い流さねばなりません。そのために、多少は惜しく切なく寂しい気持ちにもなるでしょう。しかし、そうした痛みがなくては、清算など叶いません。封建時代の遺物も同じことです。両班と常奴との間にいったいどんな違いがあるのでしょう。両班も逆賊の汚名を受ければ逆賊になり、その一族は散り散りばらばらになり、その家族たちは死ぬかになりました。他人を騙したり、盗みを働いて、或いは、商売で儲けた人々が官職を買って両班になりました。そんなわけですから、両班と常奴とは生まれた時から別物なのではありません。お金を沢山持つ者、貧しい者というのは、生まれた時からそうだったわけではありません。勤勉に働いても貧しさから抜け出すことができない人もいますが、それは社会が間違っているからです。今後、私たちが建設すべき社会は、両班や常奴などいない社会、そして金持ちや貧しい人がいない社会、誰もが真面目に働けば、お腹を空かすことなく暮らせる社会なのです。そんな社会を創ることこそ、私たちがなすべき大きな課業なのです。そんな社会を創ろうとすれば、世の中と闘わねばならず、私たちの意識の中に残っている悪い習性と闘わねばなりません。さて、皆さんに一つ、恥ずかしい話を紹介します」
彼は言葉をしばらく中断し、改めて聴衆たちを見回して、いきなり声を低くした。
「日本に行っていろんな仕事をしていた中でも、もしかして皆さんの中にはご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、漢拏汽船組合を創って運営していたことがあります。
この場には日本人はおりませんので、恥ずかしいことですが、その失敗談を披露します」55頁
芝勲もその事件のことは概ね知っていた。その当時、曺鐸基の鬱憤と金尚球の毅然とした態度が今でも鮮明な記憶として残っている。
曺鐸基は日本に渡って労働運動の傍ら、済州出身の同胞たちの生活改善のために様々な事業を行っていた。消費組合もしてみたし、信用金庫も運営してみたが、芳しい成果をあげることはできなかった。漢拏汽船組合はそのうちでも最大の事業だった。
当時、大阪と済州を往来する連絡船は日本の会社が運営していたが、料金がとんでもなく高かった。片道で12円だったが、その金額は20歳前後の労働者の初月給に該当した。そこで、もし済州出身者の出資で連絡船を運営すれば、もう少し廉価で利用できるのではと考え、計算してみた。すると6円が損益分岐点で、7~8円なら運営可能という計算になった。そこで組合設立計画を立て、出資者を募った。
 金尚球が故郷の父親に哀願して、先ずは2千円を投資した。当時としては巨額だった。そうなると他の同胞たちも積極的に協力するようになった。総額で2万余円の基金が集まると、貨物船を改造した千トン級の船舶を北海商船株式会社から賃借りして、大阪―済州航路の就航を開始した。料金は7円として、最初は大変な好評を博した。しかし、競争相手の日本の商船会社側がいろんな形で妨害工作を行い、ついには料金のダンピング競争に打って出てきた。料金がついには5円まで落ちた。しかもその程度では終わらなかった。日本の商船旅客船を利用する旅客には大きなタオルを1枚プレゼントまでした。そうでなくとも貨物船を改造した組合の旅客船は施設が不備だったし、警察が故意に乗客たちに対する検問を強化するといった方法で圧力を加えたので、料金ダンピング作戦には対抗できなかった。56頁
組合の運営委員たちは同胞を訪ね歩いて、啓蒙活動を展開した。日本の商船側の駆け引きに負けてしまえば、同胞が生きていく道が閉ざされる。日本の連中は、組合の旅客船が運航できなくなれば、間違いなく料金を引き上げるだろう。騙されないで、1年だけでも堪えようと呼びかけた。しかし、同胞たちも次第に安い料金の方に傾いていった。組合の旅客船は辛うじて1年だけ持ちこたえたが、ついには運航を中断に至った。出資金の半ばは飛んで消え、組合が解体すると、同胞たちは最初の発起人だった金尚球と曺鐸基に非難を浴びせた。しかも、それで終わらなかった。日本の商船側では組合の汽船が運航を中断した翌月から、旅客運賃を一気に15円に引き上げた。そして、その間の料金ダンピングで被った赤字を埋め合わせするためと弁明した。しかし、いったん上がった料金を再び下げることなど決してなかった。
「私はあの時、切実に感じました。朝鮮人は改めて精神を立て直さなくてはならないと思わずにはおれなかったのです。日本の奴らからさらに過酷な虐待を受けてようやく、自分の生きる道を探しだし、闘いに打って出ることになるのだと考えました」
曺鐸基は涙交じりの声で語りながら、机をバーンと叩いた。
芝勲も当時のことを鮮明に記憶していた。彼が下宿していた家に金尚球と曺鐸基がしきりに出入りしていた。主人が曺鐸基と同郷で、その家には済州人が沢山下宿していた。
特に定まった仕事があるわけではない二人は、工場労働で暮らしていた済州出身の青年たちとしきりに付き合っていた。芝勲は牛乳配達をしながら商業学校に通っていた頃なので、熱心に勉強して大学予科に入るのが夢だった。澤基にはまともな職場はなく、日雇い仕事をしていたが、それはお金を稼ぐためと言うより、意図が別にあった。尚球も取り立てて職場などなく、しきりに京城に出入りしていた。
汽船組合は元々、澤基の発議によるものだった。組合運営が成功すれば、実質的な利益は済州人に戻って来て、同胞たちの精神的結集力も強化でき、同胞たちが力を合わせて日本の資本と闘い勝った先例を残すことができる、と期待していた。しかし、人々は浅はかにも、わずかな利益に膝を屈してしまった。57頁
「金先生、申し訳ありません。私があまりにも理想主義者だったようです。或いは、経営戦略に問題があったのかもしれません」
杯を傾けながら、澤基は酔った声で尚球に言った。その時、芝勲もその酒席にいて、彼らの話に熱心に耳を傾けていた。ところが、尚球は何の返事もせずに、澤基の盃に酒を注いだ。
「おい、金芝勲、朝鮮人の問題が何であるかを、今回のことを通して痛切に悟らねばならん。今後、朝鮮人はさらに百年くらいは、日本の奴らの従僕を務めてようやく、背筋がしゃんとするんだ。分かったか?」
酔っていそうなのに気持ちはしっかりした澤基が、芝勲を睨みつけた。彼には組合が何故に失敗したのか理解できていなかった。
「曺さん、同胞たちのことを恨んだりしないでおきましょう。むしろ、日本の連中の巧妙な術策の方を憎むべきです。どうして料金が安い船を利用する同胞に怒りを向けたりするのですか。私たちが今後、闘うべき相手は、同胞たちの意気地なさではなくて、日本の資本主義のあの陰険な暴力であるということを、どうして曺さんは今回の事態を通して認識できないのですか。同胞の間違いなどではなく、資本主義の社会構造に問題があるのです。我々はそうした間違った社会と闘うべきなのであって、朝鮮人を恨んだりしてはなりませんよ。そんなことでは、我々は二重に敗北を重ねることになります。日本の奴らが狙っているのもまさにその点です。曺さんほどの同志が、自虐を交りにしかその問題を考えることができないのは、社会認識自体が間違っているのでしょう」
尚球は酒気が回った澤基に対して、叱責するような調子で語った。58頁
「だめですよ。そんな気持ちでは革命であれホラであれ、口先だけです。そんな意識から覚醒できないならば、革命によって新たな社会が作られたとしても、また別の全面的な暴力を前では膝を屈することになってしまいます」
澤基は尚球の論理を受けいれなかった。
「この問題は今後、我々が研究し、討論すべきでしょうが、ともかく今回のことで、大きく失望したりはしないようにしましょう。すべては連続した一つの過程ですから。ところで、曺さん、この点だけははっきりしておかねばなりません。帝国主義や資本主義との闘いは、論理を超越した闘いでなくてはなりません。今回の闘いの失敗は、もう一つ重要な意味を帯びてくるでしょう。同胞がはじめて帝国主義資本の横暴を確認できたわけですから、大きな収穫なんです。革命は一日にして成らず、多くの敗北という過程を経てこそ力量が蓄積され、ついには革命が成就されることになるのです」
しかし、澤基は首を振った。
「新しい世界を建設するにあたって革命は必要ですが、その築き上げた社会を新たに支えていくにあたっては、それ以上のものが必要です。そのようにできない場合には、革命は失敗し、もっぱら消耗しか残らなくなります。革命は何故に行うのでしょうか。究極的には、理想社会を築き上げるためではないでしょうか」
澤基は尚球の意見を受け入れようとはしなかった。権威主義的な色合いがある尚球に対して、澤基は元来から不満を抱いていた。
芝勲は今、聴衆を前にして心情を吐露する熱弁を聞きながら、組合が解体された日の大阪の下宿の畳部屋で聞いた、あの鬱憤を思い出していた。
「皆さん、人民のための政府は、誰かが持ってきてくれるものではありません。米国やソ連が、或いは李承晩閣下、呂運享先生、金九主席でもありません。本当に私たち人民それぞれの血まみれの努力と闘いによってのみ可能なものです。59頁 そうなって初めて、名実共に兼ね備えた人民のための新しい国家が建設されるのです。そのために、私たちは気持ちを立て直し、懸命に学ばねばなりません。そんな意味において、解放は言うまでもなく、この地元に中学校を建てられるようになったことは、本当に意味深いことです。皆様方におかれましては、この学校の運営とその発展のために、金芝勲同志にどうか、助力の手を差し伸べ、激励していただかなくてはなりませんし、生徒の皆さんは熱心に学ばねばなりません。それこそがまさしく、植民地の従僕生活から完全に抜け出る道なのです」
講演が終わった。あまりの拍手の音のせいで、彼は演壇から降りて行けず、しばらく手を振りながら人々の歓呼に答えていた。
澤基は演壇から降りながら、生徒たちの手を一人ずつ握って振った。そして、村の有力者たちの前に行って丁重に挨拶した。人々はその場を動けなかった。芝勲も感激のあまり、澤基を有力者たちに紹介しながらも、興奮で浮かれていた。ああ、これこそ本当の解放なんだ。誰もがそのように考え始めていた。解放になったと言っても、何一つ変わったことなどなかったが、今日、曺鐸基の演説を聞いてようやく、世の中が変わったことを実感した。
講演を終えた澤基は、村の青年たちと芝勲の家で歓談しながら、時局に関する話を夜を徹して続けた。

玄吉彦著『漢拏山』2部星条旗時代5章 新しい旗1-3

2021-08-30 13:28:50 | 韓国小説の翻訳の試み
玄吉彦著『漢拏山』第2巻、玄善允試訳 
第1刷 1995年3月30日
第2刷 1995年4月25日


第2部 星条旗時代

5章 新しい旗  7

6章.共和国の夢  41

7章 一番鶏の鳴き声  119

8章 北西風    193

9章 忘れてしまった春  243

第2部

5章 新しい夢    7頁

1945年9月28日7時。金浦空港。天気は快晴。朝鮮の見事な秋空に向かって、済州駐屯日本軍の降伏接収チームを載せた2機の米空軍C-47が、滑走路から離陸した。降伏接収チーム長は、米184歩兵部隊グリーン大領だった。飛行機には米陸軍9師団と海軍代表、米軍政庁参謀部と308航空隊幹部その他数名の通訳官と広報要員、そして通信社記者2名、総38名の将校と兵士などが搭乗していた。
グリーン大領は昨夜、眠り損ねた。日本本土を死守するために済州での玉砕を覚悟していた無敵の58軍司令部が、あっさりと降伏するかどうかが気がかりだった。それまでに米陸軍24軍団側は、日本軍第17方面軍司令官と直接に電話で円満な降伏手続きの確約を受けていた。しかし、二つの国家機関同士の外交問題はさておき、天皇に忠誠を誓った兵士たちが思わぬ不祥事でも起こせば拙いことになりかねない。
グリーンは隊員たちが搭乗する前に、降伏接収チームの要員として守るべきいくつかの留意事項を伝えた。
「先ずは、済州では誰からもいかなる贈り物も受け取ってはならない。次いでは、済州駐屯日本軍は最も勇猛で忠誠心が強いと自負している部隊である。降伏文書の調印過程でたとえ彼らがヒステリー的反応を示しても、全く気にすることはない。我々の目的は降伏文書に署名してもらうことだけである。最後に、いかなる場合にも現地住民と接触してはならない。8頁 記者とも接触してはならない。特殊な任務を与えられた情報調査チーム以外は、どんな理由や目的であれ、現地人と接触してはならない。当然のこととして、あちら側から接触を試みてきても、拒否しなくてはならない。また、報道要員はもっぱら降伏調印に伴う事項にかぎっての取材でなくてはならない。以上である。我々は相当に難しい任務を担って、今から済州へ出発する」
グリーンは内心の興奮を抑えて、表向きは沈着に留意事項を伝えた。
「済州駐屯58軍とはどのような部隊なのだろうか?」
誰もが好奇心を刺激されながら搭乗した。
金浦を出発して1時間30分ほど経った時、済州海峡に入ったと操縦士が機内放送を行った。グリーンは窓の外を見下ろした。青い海が見えた。
「漢拏山が現れた」
グリーンの向かい側に座っている報道要員が声をあげた。グリーンもその山麓が眼に入った。茫々大海の一角にそれほど高そうには見えない山が現れ、その海岸に近い山麓には白波が砕けていた。済州島はそのまま漢拏山であるように感じた。高度を下げた飛行機が海岸線に沿って飛んでいるうちに方向を変えると、山麓に草原が現れた。
「本機は済州飛行場にこれまで一度も着陸したことがありません。そのうえ、昨夜の暴風で滑走路の状態が良くありません。着陸が可能かどうか知るために、なんどか旋回飛行が必要で、現在、旋回飛行中です」
機内放送が終わると、飛行機がしだいに高度を下げた。窓際に座っていた海軍側代表のウォルドゥンは、青い草原を横断するくねくねとした黒い線が異彩を放っていると思った。朝鮮半島本土とはまったく異なる自然だった。9頁
飛行機が青い海岸と青い草原上を2,3回、往復した。
「この小さな島に7万もの大兵力がどのようにして駐屯しているのだろうか?」
グリーンは窓の外に次々に現れる風景を見ながら考えた。もし万一、戦争があと一月でも続いていたら、この島はどうなっていたのだろうか?
「もうすぐ着陸します」
操縦士の機内放送に続いて飛行機の車輪が出る音が聞こえた。続いて、騒音が大きくなって、滑走路に沿って低空飛行を始め、「ツクツクツク」と車輪が滑走路と接触して、機体が止まった。グリーンは時計を見た。8時50分。
9時きっかりに、一行全員が飛行機から降りた。階級章を付けていない一人の軍人が接収チームを飛行場の片隅にある建物へ案内した。そこには6~7人の日本国軍人や民間人が待っていて、一行を迎えた。そのうちの日本軍少佐の階級章を付けた男が、非武装で一行に近づいてきた。
「本官は当飛行場の警備隊の大隊長です。」
彼は日本語で自己紹介した。降伏接収チームの通訳が英語に翻訳した。グリーンがその男に近づき、自分の身分を明らかにした。
「我々は貴官一行を案内するために、58司令部と済州島庁から参りました」
数名の高級将校と民間人が硬い表情で言った。
接収チーム一行が建物から出てくると、古いセダン4台とスリークオーター2台が待っていた。兵士と広報要員たちはスリークオーターに、将校たちはセダンに分乗した。10頁
「今から皆さんを日本帝国済州駐屯58軍司令部に案内します」
先頭の車にグリーン大領と同乗した中佐が行先を知らせた。
飛行場を出発して15分で、一行は58軍司令部がある済州農業学校本館の前に到着した。案内役の軍人と官吏が先ず降りた。車から降りた降伏接収チームのメンバーは、青い松林の中にある典雅な木造平屋の建物を見つめた。そして、海側に目を向けた。前方に小さな都市が現れた。太平洋を背後に漢拏山を前方に、低い草家とトタン屋根の家と瓦葺き家が肩を並べて佇んでいる都市が、すごく印象的だった。
グリーン大領とウォルドゥン海軍中領、7師団代表のマーシャル中領とが、通訳と広報官を帯同して、素朴な三角錐の屋根がある玄関に入って行った。案内人たちはあらかじめ準備していた部屋に彼らを案内した。中央から右側の最初の教室に「状況室」という標識がついていた。そこへ一行を案内しながら、他に二部屋が別に準備されていると説明した。
接収チームの将校たちは最初の部屋に入った。教室中央には東西に長机が準備されていた。その机を中心に南と北にそれぞれ8脚の椅子がおかれていた。既に将軍たちと私服の民間人が座っていた。室内はまったく飾り気がなかった。ただ教室正面の右隅に、日章旗が立っているだけだった。
日本側の代表たちは降伏接収チームが入ってくると、席から立ちあがった。
「我々は米国軍太平洋方面最高司令官の代理として、両国の元首間で既に協約されたところに従って、済州駐屯軍の降伏を確認するためにやってきた降伏接収チームである」11頁
グリーン大領が一行を簡略に紹介した。
「ご苦労様です」
陸軍司令官の富山中将が応答した。そして両側の代表たちは案内者が指定した席に腰を下ろした。
日本側では遠山中将が真ん中に、その右に浜田中将、左側に仙田島司が座った。米軍側もグリーン大領を中心に右にウォルドゥン中領、左にマーシャル中領が座った。
米軍政参謀部少領が予め準備していた降伏文書をカバンから取り出した。英語で書かれた文書3通が陸軍司令官遠山に渡された。日本軍側の通訳が3人の傍にピタッと付いて立った。
沈黙が流れた。書類が渡される音と息の音だけが聞こえた。通訳たちが英文案と日本文案を比較しながら、ゆっくりと目読していった。4頁に及ぶ長文だった。一番先に遠山中将が両側に座っている者たちに視線を向けてから、横に立っている補佐官を見上げた。机上には墨汁が入った硯と筆、そしてインクとペンが準備されていた。補佐官が机上の筆に墨汁を浸して将軍に渡した。将軍は筆で署名し、万年筆でサインした。その瞬間、フラッシュが瞬いた。カメラのフィルムが回る音が室内の静寂を揺るがせた。他の二人もそれぞれ筆で署名した。米軍の広報官がその書類を丁重に受け取って、米軍政参謀部の少領に渡した瞬間、時計を見た。日本側が文書にサインするのにかかった時間は6分だった。
続いてグリーン大領とウォルドゥン中領、マーシャル中領のそれぞれが持参した万年筆でサインした。時間はたかが2分だった。12頁
「すべて無事に終わった」
グリーンはサインした文書を補佐官に渡しながら、短く言った。日本側の通訳が硬い表情でその言葉を通訳した。しかし、日本軍の将軍たちの表情は動かなかった。グリーンは大きくため息を吐いた。
補佐官である少領が降伏文書をカバンに入れて通訳に言った。
「我々降伏接収チームは貴国軍隊の責任者と協議する時間を持ちたい」
それぞれ通訳を陪席させて協議に入った。
「我々は貴国軍隊が無事に降伏手続きに応じてくれたことを幸いに考えている。我々は貴国軍隊が貴国に無事に撤収することを望んでいる。その時まで我々占領軍は可能な限り、協力するつもりである。戦争は今や終わった。今後は戦争の事後処理をきちんと行わねばならない。これは両国の軍隊の指揮官たちがなすべき重要な仕事である」
グリーンが前口上を述べた。しかし、日本軍側からは何も言葉がなかった。
「貴国軍隊の武装を解除するチームが、去る26日に仁川港を発った。今日の午後ごろには済州に到着する。武装解除時にも協力をお願いする」
ウォルドゥン中領が話を切り出した。
「終戦から今まで、この島では芳しくないことが数件、発生した。我々は済州島の住民がいつ暴動を起こすかと危惧しながら、警戒に万全を期してきた。今後、武装解除がなされると、その問題がさらに深刻化する。我々が完全撤収するまでは、我が軍隊と日本人民間人が外部の攻撃から保護される何らかの措置が必要である。我々が武装解除されれば、間違いなく本島の住民が我々を攻撃するだろう。我々の生命と財産を保護するために、一定量の武器の保有を認めてもらいたい」13頁
司令部作戦参謀と自己紹介した中将は、飛行場内の軍の糧米奪取事件と姜書記テロ事件、そして漢拏商事を狙う青年たちの動向に関して、いくぶん誇張した説明をしながら、日本軍が武器を保有する必要性を強調した。
「了解した。その点は十分に理解する。それでは自衛のために最小の武器所持は許容する。具体的な問題は武装解除チームが決定することとする」
マーシャル中将が回答した。
問題が一つ解決すると、多くの話が飛び出してきた。日本軍側では7万近い兵力を無事に帰国させ、済州滞在の日本の民間人の安全な帰国保証の問題を第一に考えていた。それに対して、米軍は日本軍が完全撤収するまで事故がないように、指揮官たちに対して、兵士の管理への協力を依頼した。そのためにも、完全な武装解除への協力を要望した。それは日本軍の無事な帰国のためにも必要な措置だと説得した。
そのほかにもいくつかの重要な事案が論議された。両側から要求があったいくつかの事案を整理して次のように最終合意案を用意した。

1) 日本軍は3か月以内に本国に撤収するが、その時までは現在使用している施設物を継続して使用するように占領軍が措置する。
2) 日本軍の撤収は必ず占領軍が提供する船舶などを利用し、占領軍の許可を受けて実行しなくてはならない。14頁
3) 日本軍がこれまで保有してきたすべての武器と補給品と軍需物資などは、今日からは、日本軍が自らの意志で利用、廃棄、毀損、破損、破壊することはできない。
4) 日本軍の作戦上で上記のような戦闘に必要な物品や兵器の配置や隠匿などの事項は、もれなく占領軍に報告しなくてはならない。
5) 両国軍隊は相互の外交交渉によって、すべての問題が円満に解決されるように互いに努力する。
6) その他で必要な問題は、武装解除過程において両側がさらに具体的に協議する。

以上の協議で決定された事項は両側でメモを残した。
続いて、グリーンが軍政庁参謀部少領に目で合図した。少領は直ちにカバンからハングル文で印刷された数枚の文を前に座っている将軍と島司に渡した。
「この文書は朝鮮駐屯軍司令官とハージ中将の布告文、そして米国太平洋方面陸軍総司令部マッカーサー司令官の布告文である。今後、この地域に居住するすべての者はこれらの布告文を守らねばならない。島司はこれらの文を住民に広報してもらいたい」
それらの文を受け取った人々は、それらの朝鮮語版を手にして、見つめているばかりだった。
「それでは参考までに、誰か通訳にこの文章を日本語に通訳してもらいたい」
グリーンの言葉を受けて、情報将校が片隅に立っていた朴世翊を呼んだ。
朴世翊中尉がそれを日本語に翻訳して読み始めた。15頁

<米軍上陸に際しての在朝鮮米軍司令官の布告1>
南朝鮮民衆各位に告げる

米軍は近日中に貴国に上陸することになる。東京で本日、日本軍が降伏文書に調印することになったので、それに則って米軍は連合軍の代表として上陸するが、その目的は貴国を民主主義制度下におき、国民の秩序維持を図ることにある。
国家組織の改善は一朝一夕になされるものではないので、安寧秩序に大きな混乱と流血が伴わないようにしなくてはならない。どのような改革も徐々に進めなくてはならない。
諸君も将来の国家建設のために、また民主主義的な生活の維持のために、最大限の努力をしなくてはならない。米軍は以上の目的をできる限り早く遂行するために、朝鮮民衆に対して、次のいくつかの点に関して、心からの援助と協力を要望する。



民衆に対する布告及び諸命令は、現存する諸官庁を通して公布される。連合軍総司令官からの命令は、諸君を援助することを本意としているので、諸君にはそれを厳粛に守り、実践してもらいたい。不幸にも違反するようなことがあれば、処罰する。各自は普段と同じように生業に専念してもらいたい。利己主義で勝手なことを行ったり、日本人及び米上陸軍に対する反乱行為、財産及び既設機関の破壊など軽挙妄動は避けて、平和を守り、平常時と変わらない生活を送ることによってこそ、国家建設が順調に進み、日常生活の向上にも資することになる。
諸君の生活に不自由をもたらす命令は、極力、避けるつもりである。
諸君の衷心からの協力を、切に要望する。

1945年9月2日
在朝鮮米軍司令官
陸軍中将 ジョン・R・ハージ

<米軍上陸に際しての在朝鮮米軍司令官の布告2>

朝鮮の国民に告げる

米軍は日本軍の降伏を励行し、朝鮮の再建と秩序ある政治を実行するために、近日中に貴国に上陸することになった。この使命を厳格に実行する覚悟であり、不幸な国民に対して慈悲深く民主的な米国によって、確実にそれが実行される。住民の軽率で無分別な行動は、無意味に人民を失い、美しい国土を荒廃させ、再建の遅延を招来することになる。
現在の環境が諸君の考えと齟齬をきたしたとしても、将来の朝鮮のためには平静を守らなければならず、国内で動乱を発生させるような行動は決してあってはならない。諸君は将来における貴国の再建のために、平和的事業に全力を尽くさねばならない。以上の指示が忠実に守られれば、貴国は急速に再建され、民主主義下で幸福に生活する時期も早まるだろう。
1945年9月9日
在朝鮮米軍司令官 ジョンR・ハージ

<布告第1号> 朝鮮の人民に告ぐ

米国太平洋方面陸軍総司令官として、次のように布告する。
日本帝国政府の連合軍に対する無条件降伏は、諸国の軍隊間で永らく続いてきた武力闘争を終わらせることになった。日本天皇の命令により、また彼を代表して日本帝国政府の日本大本営が調印した降伏文書の条項に則って、本官の指揮下で勝利に輝く軍隊が、本日、北緯38度以南の朝鮮領土を占領した。
朝鮮人民の長期にわたる奴隷状態に終止符を打ち、適当な時期に朝鮮を解放、独立させるという連合国の決心とを銘記して、占領の目的は降伏文書を履行し、朝鮮人民の人間的・宗教的権利を保護することにあるということを、朝鮮人は改めて確信すべきである。そして、朝鮮人民はその目的のために、積極的に援助・協力しなくてはならない。本官は本官に付与された太平洋方面米軍総司令官の権限によって、ここに北緯38度以南の朝鮮住民に対して軍政を敷き、次のように占領にまつわる条件を布告する。  18頁

第1条 北緯38度以南の朝鮮の領土と朝鮮人民に対する全権限は、当分の間、本官の権限下にて施行される。
第2条 政府、公共団体及びその他の上級職員と被雇用員、また公益事業、公衆衛生を含む全公共事業機関に従事する有給或いは無給職員と雇用員、またその他諸般の重要な事業に従事する者は、別命があるまでは従来の正常な機能と業務を実行し、すべての記録と財産を保存・保護しなくてはならない。
第3条 住民は本官及び本官の権限下で発布された命令に、即刻服従しなくてはならない。占領軍に対するあらゆる反抗行為また公共の安寧を攪乱する行為を敢行する者に対しては、容赦なく厳罰に処する。
第4条 住民の財産所有権はこれを尊重する。住民は本官の別命があるまで、日常の業務に従事する。
第5条 軍政期間においては、英語をすべての目的に使用する公用語とする。英語原文と朝鮮語または日本語の原文で解釈または定義が不明或いは同じではない場合には、英語原文を基本にする。
第6条 今後に公布される布告、法令、規約、告示、指示及び条例は、本官または本官の権限下で発布され、住民が履行すべき事項がそこに明記される。
1945年9月9日
米国太平洋方面陸軍総司令官
陸軍大将ダグラス・マッカーサー    19頁


<布告第2号>

犯罪あるいは法規違反に関して朝鮮人民に告げる

本官の指揮下にある軍隊の安全と占領地域内の公共安寧、秩序、安全の維持を図るために、本官は米国太平洋方面陸軍総司令官として、次のように布告する。

降伏文書の条項、米国太平洋方面陸軍総司令官の権限下で発布されたすべての布告、命令、指令に違反する者、或いは、米国や米国の同盟国の人民の財産、生命の安全または保存に抵触した行為を行う者、或いは、秩序を紊乱したり司法、行政を妨害したり故意に連合軍に敵意ある行為をした者は、軍事占領法廷の裁判によって、死刑或いはその法廷が決定するその他の処罰を受ける。
1945年9月9日
米国太平洋方面陸軍総司令官
陸軍大将ダグラス・マッカーサー 

11時30分、降伏接収チームは済州農業学校の降伏調印式場を去った。彼らは来た時と同じように古いセダン4台と2台のスリークオーターに分乗して飛行場に向かった。
12時きっかりに、24師団情報参謀部ヘリソン大領を始めとした情報調査チーム数名を残して、残りの兵力は一機のC-471に搭乗した。
12時10分、星条旗のマークが鮮明なC-47が済州飛行場滑走路を離陸して上空に飛びあがった。20頁
 ヘリソン大領一行は数日前に先発隊が作っておいた簡易幕舎前に、<G-2>という正方形の立札を設置した。そして直ちに業務を開始した。

2.

「日本軍が降伏文書に判を押したらしい」
「後は武装解除さえ終われば、奴らもまったく身動きできなくなるだろう」
降伏調印式のニュースが瞬く間に広がった。久しぶりに胸がすっきりするニュースだった。それまでは、解放は言葉だけのことで、皮膚で感じられることなどなかった。
「どうしてそんな重大なことを、そんなにこっそりとしたんだ?」
「観徳亭の中庭で全島民を前に行わないで?」
軍艦の到来という噂に、人々は山地港へ押しかけ、午前に行われた降伏調印式の話をしては悔しがった。調印式がまるで盗人の悪ふざけのように、こっそりとおこなわれてしまったことで、怒りがこみ上げるし、意外にも思えた。しかし、日本軍の武装解除のために、米軍が来るというので、少しは気も収まった。
チョラムとサンチョルも農業学校の学生たちと一緒に山地港に駆け付けながら、人々のやりとりを耳に挟み、自分たちとよく似たことを考えていることに驚いた。二人は農業学校の構内にいても、そこで降伏調印式があったことすら知らなかった。二時間目の授業を終えて外に出てくると、本館の58軍司令部の前に米軍関係者が数人、ぶらついていた。しかし、だからと言って、特に何かがあったなどと思わなかった。21頁
3時限目の授業が終わりそうな頃になってようやく、降伏調印式があったことを知った。学校の掲示板にマッカーサーとハージ将軍の名前で布告文が貼り付けられていた。何かひどく騙された気分だった。学生たちはざわめきながら、飛行場に行ってみようと言いだした。
午後の2時限目の授業が始まったが、奇妙な軍艦が沿岸に現れたと、学生たちがひそひそとしゃべっていた。そして学校の運動場からもその姿がはっきりと見えた。軍艦2隻が山地築港に入って来るところだった。
「おい、あれは武装解除の米軍を載せた軍艦だぞ」
誰かがそう叫ぶと、学生たちは興奮し始めた。チョラムとサンチョルは職員室に駆けこんだ。日本軍の武装を解除するために進駐してくる米軍を歓迎するために、授業を短縮してもらいたいと言った。
「詳しいことが分からないのだから、先ずは幾人かの学生幹部だけが行ってみるんだな。米軍が進駐したのなら、おそらくは歓迎行事が別にあるだろうから」
洪南杓先生が学生幹部たちを落ち着かせた。そして、宋チョラムと高サンチョルその他の数名だけが埠頭に出ていくことにした。
チョラムとサンチョルは万一の事態に備えて、障子紙を切り取り縦に長くつないで、歓迎プラカードを作った。
<平和の軍隊、米軍進駐を心から歓迎します>
―Welcome! U.S.Army ! 済州農業学校学生一同―
それを2本の竹に引っ付けてから乾かし、サンチョルが提げた。
東埠頭側へ駆け付ける人が多かった。既に軍艦1隻が内港に入っていた。灰色の船体で、船上で数人の水兵がぼんやりしているだけで、船の周囲は静かだった。22頁
押しかけてきた人々は躊躇いながらも、声をあげた。
チョラムとサンチョルは人々の間をかき分けて前に出て行った。
酒精工場前に広いコンクリートの広場がある。旅客船は西埠頭の防波堤側の漁業組合前の船着き場で乗下船するが、貨物船は東埠頭の酒精工場前の接岸台に接岸して、貨物を下ろしていた。ところが、まさにその広場に、騎馬警官たちと銃を持った警官たちが並び、人が入いりこまないように塞いでいた。
「あれれ、どうして日本の警察が。奴らは午前に降伏したはずなのに・・・」
チョラムがサンチョルを見つめて訝しそうな表情をした。サンチョルは独りで提げてきた竹をチョルアムと二人で持つと、歓迎プラカードをぱっと開いた。彼らは二人でそれを掲げて前に出て行った。その時、ホイッスルを吹きながら騎馬隊の二人が彼らを止めた。二人はぴたりと立ち停まったが、
「おい、あれを見ろ」
チョルアムが指で騎馬警察官たちが並んでいる向こう側を差し示した。コンクリート広場に米軍のジープと古い日本軍のジープが向かい合っていた。その周囲に米軍と日本軍の将校たち数名が憲兵たちと一緒に、接岸しようとしている軍艦を見つめていた。すごく仲良しそうに見えた。
「あれ、奴らは?」
降伏を受けた米軍と降伏した日本軍があんなに親しくできるのだろうか。これまでは「獣のような米軍の奴らを叩き潰そう」と学生たちに教えてきた日本の奴らが?チョラムは裏切られたと思った。騎馬警官たちが朝鮮人の接近を防いでいるが、どうして日本軍と米軍があのように仲良く立っているのだろうか?23頁
 軍艦がきちんと位置を定めて錨を下ろし、長いロープを陸に投げおろした。荷下ろしを手伝おうと待機していた米軍兵士が直ちにそれを受け止めた。
「LST 3417」
輸送船は先端部を陸に接岸した。周囲が静かになった。チョラムとサンチョルは騎馬警官たちと言い争っていたことも忘れて、その巨大な船に魅惑されてぼっと立ちつくしていた。
「アアァ!」
人びとがかすかに歓声をあげた。船の先頭が、蛇が嘴を開けるようにぽっかりと開き、その下の顎がコンクリートの接岸台と平面状につながった。
その時、夫永浩が「PRESS, 記者」という腕章を巻いて呉太碩と一緒に中に入って行こうとした。騎馬隊が彼らをふさいだ。呉太碩は手を振ると、夫記者が入って行った。彼は米軍将校に近づき、何か言いながら船体に向かってカメラを突き出した。
「ノー!」
米軍将校が大声をあげながら夫記者を押した。夫記者は腕章が見えるように体を少し捩じりながら、何か言った。しかし、米軍将校は彼を無視した。
米軍将校と兵士が輸送船の開いた口の中に入って行った。
「アア、ウウ」
再び、人々は声をあげた。開いた船の口から米軍の憲兵たちを載せたジープが先に飛び出してきた。既に待ち受けていたジープが市内に向かって、先陣を切って動き出した。それに続いて武装した米軍を載せたトラックがやはりその口から飛び出し始めた。ホイッスルの音が繰り返し聞こえ、待機していた米軍憲兵たちが慌ただしく街に出て行った。警察の騎馬隊が3列に並んで、押し寄せてくる群衆を整理していた。24頁  
米軍憲兵を載せたジープを先頭に、3,4台のジープが後に続き、さらには、武装した米軍兵を一杯に載せたトラックがゆっくりと市内に入ってきた。
殺到してきた人々は、トラックに乗った米軍たちをぼっと見つめていた。黒っぽい連中や黄色っぽい連中が、街角に集まっている人々を見ながら、笑って何か喋っていた。
長いトラックの行列が邑の中心街を過ぎて、市内から1.5km西側に位置する済州飛行場に直行した。
チョラムとサンチョルは、二番目の輸送船が入港して武装した米軍をすべて吐き出すまで、ひたすら見物を決め込んでいた。友邦国の軍人である米軍を、歓迎と見物も兼ねて出てきた人びとも、ほとんどその場から去ってしまっていた。騎馬警官たちも消えてしまっていた。
「米軍歓迎は大成功だったな」
魂が抜けた人間のように輸送船を眺めている彼らに、尹ミョンヒョン先生が近づいてきた。彼は夫永浩の後任として赴任し、国語を教えている。
「ああ、先生!」
尹先生はにっこりと笑った。二人はその笑みに、いきなり恥ずかしくなった。米軍を歓迎に行くので授業を短縮してもらいたいと頼んだことを思い出した。
「お前たちの歓迎をきちんと受け入れてくれたのか?」
尹先生は、彼らが今でも俄作りのプラカードを提げているのを目にとめた。
「あ!」
その時になってようやく、二人は自分たちの手に今でもその竹があることに気づいた。ひどく恥ずかしかった。彼らはそれを海上に投げ飛ばしてしまった。25頁
「それで、尹先生も歓迎においでになったのですか?」
その時、彼らの方に夫永浩記者が近づいてきた。彼はいまだに記者の腕章を巻いていた。二人の学生は夫記者と会うのは罰が悪かった。彼らが面倒を起こしたから夫記者は学校を辞めたのだった。
「取材はうまくいきましたか?」
「上出来だったよ」
米軍は言論の国なのに、どうして朝鮮の記者の取材を妨害するのでしょうかね?」
尹先生はいまだに記者の腕章を巻いている夫記者の様子が、なんとも滑稽だった。
「どんなことになっても、今回は、上陸した米軍の責任者に会って問いただすつもりだ」
「夫先輩、米軍の連中は済州に新聞社があり記者がいるということなんかも、知らないはずです。彼らはおそらく、上陸する前に徹底的に教育を受けているはずです。絶対に住民たちと接触するな。日本の軍人たちの機嫌を損なうようなことはするなといったことを。」
夫記者は頷いた。なるほど、済州新報社が創刊されて数日にしかならず、米軍は済州に新聞社があるなんて知るわけがない。
彼らはほろ苦い気持ちを何度もかみしめながら、市内に戻って行った。
「あれれ、あれは金尚球氏では?」
夫記者が先に、山地橋から山地川を見下ろしている金尚球を認めた。彼は金芝勲と川辺ににょきっと立っていた。
「あれれ、先生方も・・・」
彼らは金尚球が米軍に会いに来たなんて信じられなかった。
「先生、本当に米軍は我々の友邦なのでしょうか?」26頁
宋チョラムが少し唐突に質問した。
「友邦!」
尹ミョンホンはその言葉を繰り返した。
「我々の解放者 米軍!」
夫記者も内心では米軍をそんな風に考えていた。
「今日の様子を見ると、彼らはむしろ日本の方に近そうです。朝鮮人を人間として扱うつもりなどなさそうで」
チョラムも正直な気持ちを打ち明けた。
「そうか、宋君はよく見届けたね。元来が両者は似たようなものだからこそ、友人になれるし、敵にもなれる。君たちは小学校1年の子どもたちと友達や敵になれるかい?」
金尚球は二人の学生に向かってにこやかにほほ笑んだ。
「彼らは我々をおそらくは未開の種族くらいに思っているはずだ。そうでなければ36年もの間、よその国の支配を受けるはずがないというわけだよ」
金尚球は漢拏山の方を眺めながら、呟いた。誰もが息の音も漏らさずに、その言葉をかみしめていた。
彼らが勇進会館横に着いた時だった。道端に散らばっているビラを見た。チョラムとサンチョルがそれを数枚、拾い上げて金尚球に差し出した。
「米軍上陸に際しての在朝鮮米軍司令官の布告1」
「米軍上陸に際しての在朝鮮米軍司令官の布告2」
朝鮮米軍司令官とハージ中将の布告文だった。
「朝鮮人民に告ぐ 布告1」
「朝鮮人民に告ぐ 布告2」
米国太平洋方面陸軍総司令官陸軍大将ダグラス・マッカーサー名の布告文だった。27頁
各人がその布告文を拾って読み下ろした。
「我々はどうなるんでしょうか?日本に代わって米国が朝鮮を支配するのではありませんか」
チョラムとサンチョルは全く同じように、そんなことを思った。

9月29日午前9時40分
日本58軍の武装解除接収の任務を帯びて進駐した軍責任者のパ―ウエル大領が乗ったジープが、済州農業学校に向かった。10時きっかりに武装を解除することで事前に約束がなされていた。
澄み切った秋の天気だが、風が少し強く吹いていた。日照りのせいか走るジープの周辺に土埃が白く立った。道を往来する人びとは小さな体で薄褐色に焼けた顔をしているが、表情は厳しそうに感じられた。瓦葺家とトタン屋根の家の間に蹲む草ぶき屋根が異彩を放っていた。
9時55分に農業学校本館前に3台のジープが到着した。既に武装した米軍憲兵たちが58軍司令部がある本館周囲を警備していた。それは日本軍の了解のもとに行われていた。もしかして学生たちの騒擾があるかもしれないと憂慮してのことだった。
米憲兵の案内で、パ―ウエル大領一行は既に準備されていた部屋に入って行った。昨日のように遠山陸軍中将と浜田中将が補佐官たちを帯同して席についていた。
両国代表は簡単な挨拶を儀礼的に行った。解除チーム補佐官が英語と日本語で書かれた文書2通を取り出し、二人の将軍に渡した。日本側の通訳が二人の将軍の後ろで、文書を急いで読んでいった。二人の将軍は直ちに署名した。既に昨日、降伏文書に署名した時に、事前協議ができていたことだった。28頁
「58軍司令部管下の各部隊に対する武装解除は今日の午後から実施するので、司令官には極力、協力をお願いする。その手続きに関しては、補佐官たちの間で事前に協議する」
パーウェル大領はお決まりの表現で意思を伝えた。
「了解した。協力する」
「特殊な武器の保有状況を教えてもらいたい」
「すべての弾薬と爆発物は既に爆破か水葬しており、航空機は作動不能で、小銃を除外したタンクと大砲を始めとした特殊武器は、一定の場所に分散して保管している。その状況は実務者間で引継ぐ」
「昨日に合意した通りに、日本軍が撤収する時まで、自衛のために各部隊の人員の約5%程度の軽武器を保有する」
「その問題の外にも、今後、米軍は日本の軍隊の自衛について関心を持っていただきたい」
「了解した。留意する。それでは各部隊別に武装解除に協力をお願いする。各部隊に両国間の合意事項の周知をお願いする」
「了解した」
武装解除の手続きが終わった。
先ずは米軍側が席を立った。
パーウェル大領一行は、急いで玄関から出てきた。彼らは学校の周囲を見回しながら、始動エンジンを切らないまま待っていたジープにすぐに乗り込んだ。武装した米憲兵たちが銃口を天に向けて銃を構え、集まった学生たちに向かって緊張した面持ちで立っていた。
ジープが去った。憲兵たちは急いで2台のトラックに乗り込んだ。車が埃を立てて、校門に消えていった。
集まっていた学生たちはすぐには解散しなかった。授業開始の鐘が鳴った。しかし、学生たちは草緑色の米軍車両が消えていった校門のほうをひたすら見つめていた。29頁


3.
 朴世翊が朝食を終えて食堂から出てくると、参謀室前に立っていた情報参謀が彼を手振りで呼んだ。
「米軍情報処で朴村中尉を探しているんだが・・・」
彼は事情が分からなかった。既に降伏調印が終わり、武装解除の手続きも終えたのに、敗戦国の将校にどんな使い道があるのか?
「この島の事情をうまく説明してくれそうな情報将校に会いたいと言うのだが、君が最適だ。降伏調印を受けたチームが島の事情を把握するために、様々な方面で調査している様子で・・・」
参謀は厩舎前に予め準備しておいた馬を指さした。
朴世翊は参謀と別れて、厩舎の方に体を向けたが、秋空の彼方に黄色く変色していく漢拏山が眼に入ってきた。
「戦勝国の進駐軍として島の実情を知らなくてはならないらしい。ありのままに話してやってくれ。この島の者たちは帝国軍隊以上に米軍を歓迎するなんてことはない、ということを忘れないように伝えるんだな」
漢拏山を眺めている世翊に参謀は何気なさそうに呟いた。
参謀の言う通りかもしれない。ほんの2,3か月前にも、米軍の爆撃機が島の上空を旋回しながら爆弾を浴びせ、住民に多くの被害を与えた。30頁 そのうえ、米軍は我々とは異人種である。高い鼻、ひどく奥まった目はサバの目のように瞳が青く、頭髪は黄色く縮れ、足が長くて長身、そのうえ、その中に混じった黒人を見ると、恐ろしくて嫌だった。朴世翊もそう思っていた。
参謀は事務室の方に2,3歩進んだが、
「朴村中尉の責任は重大だぞ。我々が去ってからも、君は島を去るわけにはいかなくなるだろう」
彼はまるで別れの挨拶でもするように、手を上げて見せながら、事務室に入って行った。
世翊は馬に乗ってからも、情報参謀の言葉をしきりに思い出した。反芻すればするほど、妙味が増した。有色人種の白色人種に対する拒否感は生理的なものである。その点は米軍側でも同じだろう。有色人種に対する彼らの優越感はとても大きい。そのうえ、終戦直前まで米軍機は済州近海と海岸周辺を爆撃し陸地部(朝鮮半島本土)へ疎開しようとしていた多くの済州人たちに莫大な被害を与えた。米軍に対する島民の情緒は、そんな理由もあって相当に否定的である。それなのにどうして情報参謀は、今さらのように、そうした事柄を喚起し強調するのだろうか。
飛行場の警備大隊衛兵所の兵士たちが彼を部隊長室に案内した。山田少佐が彼を迎え入れた。その横に日直士官である徳川中尉が座っていたが、立ち上がった。互いによく知った仲だった。
彼は照れくさそうに微笑みながら、握手を求めた。武装解除を受けた自分の情けなさを、相手の表情から確認した。
世翊は飛行場を見回した。遠くの道頭峰の方に大型飛行機が着陸していた。機体に大きく刻み付けられた星条旗で眼をすっかり塞がれた。戦争は終わった。日本は負け、朝鮮は独立した。米軍は戦勝国としてこの島に来た。朝鮮は米軍のおかげで解放された。31頁
警備大隊の反対側では、米軍部隊の幕舎が既に準備されていた。一周道路近辺で作業する米軍兵士たちの姿が見えた。日本軍の兵営は静かだった。世翊は荒々しく波立つ白波を眺めながら、今後の自分に起こりそうなことを考えてみた。米軍が進駐してようやく敗戦を皮膚で感じたのだが、祖国が解放されても敗戦がもたらした苦い気持ちは容易に拭い去ることができなかった。歴史がまた新たに始まろうとしている現時点で、自分が為すことがどのような意味を持つことになるのかも定かでなかった。さきほど情報参謀が呟いた言葉がしきりに耳元で渦巻いていた。
「あちらに行きましょう」
日直士官の言葉で彼は気持ちを取り直し、その後について行った。その時、大隊衛兵所前を通りがかった民間人と顔を合わせた。
「あれ、あなたは?」
世翊は声をあげそうになった。呉太碩が歩みを止めて何かを言おうとしているようだったが、そのまま通り過ぎてしまった。
彼は歩きながらずっと呉太碩のことを考えていた。米国の情報チームは自分以外にも多くの人々に会っているのか。米軍の慎重さに驚いた。彼らは単純な占領軍ではなくて、既に別の理由も携えて進駐していた。これからは朝鮮人を治めるために自分が必要ということなのか?自分は既に彼らの思惑に関与してしまっている。変な気分だった。
占領軍のテント幕舎は秩序整然としており、G-2という木製の立札が立っている幕舎前で徳川中尉は足を止めた。武装した米軍兵士2名が近づいてきて、徳川を見て頷いた。既に連絡ができていた。テント幕舎内に入ると、米軍の大尉ともう一人、階級章のない軍服を着た青年が座っていた。階級章のない青年が立ち上がって、世翊に手を差し出した。32頁
「朝鮮出身で情報参謀対民担当の情報将校だった朴世翊氏ですよね?」
階級章のない青年は彼のことを知っていた。大尉も立ち上がって、朴世翊に手を差し出した。
「この方は進駐軍G-2所属のチャールズ大尉、私は米軍の通訳を任されている裵ジョンギュです」
大尉と握手を終えると、裵ジョンギュという朝鮮名を持った青年がにこやかに朝鮮語で自己紹介した。正確なソウル言葉だった。長い間、朝鮮語を使っていなかった世翊には、彼の抑揚は耳慣れなく感じられた。
「朝鮮生まれで中学までは平壌にいたのですが、1942年に米国に渡りました。実際には渡ったのではなく追放されたのですが。再びこのように朝鮮の大地を踏むことになって、その嬉しさはこの上ありません。中学時代には済州へも来たことがあります。漢拏山にも登って・・・」
朴世翊は彼の言葉を受けて返すのに適当な言葉がすぐには思い浮かばなかった。何故だか胸が騒ぎだした。朝鮮人出身で日本軍の情報将校だった自分と、宣教師として朝鮮に来て、朝鮮人と同じように朝鮮の学校に通いながら暮らしていた父親の息子である裵ジョンギュ。二人の絡み合った経歴が彼を混乱させた。
「それでは朴村大尉、どうぞゆっくりお話を」
徳川は出て行きながらにっこり笑った。
「今後は軍政チームが進駐して、行政と治安を担当するようになります」
世翊は裵ジョンギュの言葉を聞きながらも、他の思いにしばらく浸っていた。いきなり飛行場の向こうから風の音が聞こえてきた。気持ちを取り直して二人の米軍兵を見つめた時、自分に向けられた青い眼光にびくりとした。33頁
「米軍は38度以南に進駐して司法・軍事などすべての分野を統括しながら、新しい政府が樹立されるまで軍政体制を維持していくでしょう。朝鮮は解放されても新しい政府が樹立されるまでは、時日が必要な状況なので、住民の積極的な協力が要請されます。行政を担当するには、民心と実態を正確に把握しなくてはなりません。今後、我々と一緒に仕事をしながら、いろいろと助けていただきたいと思っています。」
裵ジョンギュは、しっかりと耳を傾けてくれている相手の気持ちも考慮しながら、注意深く語った。しかし、世翊はその要請をどのように受け入れていいのか分からなかった。既に布告文を通して米軍が軍政を実施することは知っている。ところが、そのために自分が新たに何をすることになるのか?
「お話は分かりました。私はこれまで日本軍の情報将校として働いてきました。私がお役に立てることが何なのかよくわかりませんが、住民のための仕事であるならば、快くお受けします」
世翊は至って原則的な答え方をした。ジョンギュはすぐさまその言葉を通訳した。大尉は笑みを浮かべながら、満足そうに頷いた。
ジョンギュは続いてこの地域の一般的な状況を尋ねた。人口と面積、島民の主産業、最近の経済事情、そして食糧問題、外地から流入する人口動向などに関することだった。世翊はその質問に逐一答えながらも、食糧問題が特に至急を要すると強調した。元々、食糧を自給自足できない状況だったのに、今年は夏の収穫が凶作で、秋の収穫も旱魃のせいで凶作を免れがたい状況だと説明した。
「そして、もっと重要なのが、島民たちの意識の性向です」
世翊は済州の歴史とそこで暮らしている人々の意識構造に関して語った。朝鮮半島の本土からの絶えざる圧制下で暮らしてきた歴史的環境のせいで、外部勢力に対して少し排他的な性向があると強調した。34頁  だからこそ、日本植民地統治期間中にも日本の官吏たちを執拗に悩ました。特に最近、つまり終戦直前に米軍の爆撃が受けたので、米軍に対する島民感情はよくないことも付け加えた。その例として、今春に陸地へ疎開に向かっていた住民たちの船が米軍機の爆撃で海に沈没するという事件が起こり、終戦直前には済州の海岸周辺で米軍機の爆撃で多くの漁船と港湾施設が被害を受けた諸事件について語った。
ジョンギュは熱心にメモを取りながら、大尉に通訳した。大尉はしきりに頷きながら真剣に聞いていた。
世翊がほぼ話し終えると、情報参謀が自分にあたかも思い付きのように語った言葉の意図に思い当たった。まったくその言葉通りに自分は米軍に語ってしまったような気がした。しかし、それを話している間は、情報参謀のことなど全く考えてもいなかった。
「朝鮮は今後どうなるのでしょうか?」
世翊はその点をさっきから尋ねてみたかった。
「既に去る9月9日に38度線以南に米軍政を公布しました」
既に布告文を通じて知っていた事実である。しかし、米軍の口から直接に聞くと、さすがに気分がよくなかった。
しばらく室内に沈黙が流れた。
「当分の間ですよ。まだ朝鮮には市民の集団的意思を代表するような組織がないからですよ」
ジョンギュは世翊の反応をすぐさま把握して、慰めるような口調でそう言った。
続いて彼は、終戦から現在までの島民の動向について尋ねた。
「小さな事故がいくつかありましたが、取り立てて大きなことはありませんでした」35頁
「それは変ですね。さっき、島民は相当に排他的で過激な点があるとおっしゃっていたのに、そんなにおとなしくしておれるものでしょうか?」
大尉の質問を受けて、通訳が改めて世翊に尋ねた。日本軍が住民によって引き起こされかねない不祥事に対して、強硬な措置を一貫してとっていたからだと彼は説明した。
「納得できませんね」
通訳の回答を聞いた大尉が再び頭を捻った。
「それが島民の二重性とでも云うか、慎重な側面なのです。過激で抵抗的でありながらも、何事につけを相当に論理的に対応するような一面もあるんです。7万の日本軍兵力がいるのに、素手の住民がどうして騒擾を起こすなんてことができるでしょうか?」
彼が補足して説明すると、ジョンギュは頷いた。
世翊は話を終えて外に出てきた。大尉と裵ジョンギュが後に続いた。海風が強く立つ飛行場を眺めながら、世翊は自分が今、風に乗って海を渡り、遠くに飛んでいくような錯覚に陥った。昨日までは日本軍のために整理していた資料の数々を、今度は米軍に対して吐き出さねばならない身の上になったことが憂鬱だった。日本が随分と神経を遣って創り出した大東亜共栄圏の論理を、自分は米軍に対する島民の敵対感情を説明する論理とした語ったことがお笑い草だった。自分はいまだに大日本帝国軍隊の情報将校なのか、或いは、解放された朝鮮の青年なのだろうか?
二人の米国人は彼と別れるに先立って、手を差し出した。
「実に有益な話を承りました。友人として今後もぜひ」
大尉が英語で言った。
「今後もたびたびお会いしましょう。実に興味深いお話でした」
裵ジョンギュが朝鮮語で付け加えた。世翊は青い目をして朝鮮語を話すその青年が気に入った。36頁
大隊長の部屋で山田少佐と徳川中尉が彼を待っていた。二人は世翊に何も尋ねなかった。米軍と内通する同僚将校を敬遠している様子がその眼光にありありだった。
「僕はなんとも皮肉な存在ですね」
彼は皮肉な存在という言葉を、英語のアイロニカルと表現し、上官に自分の心情を間接的に吐露した。
「それこそ状況論理というもので、戦場でも容認されることだ」
山田少佐が彼の手を掴んで呟いた。世翊の胸に熱いものがうごめいた。中尉は世翊と一緒に衛兵所まで出てきた。歩いて出てくるまでの時間が退屈に感じられてきた。風で飛びかう土埃がしきりに目の中に忍び込んできた。飛行場の滑走路を離れて佇んでいる米軍の輸送機の胴体に描かれた星条旗が、入り乱れるようにして吹きまくる土埃を含んだ風の中にあっても、実に鮮明だった。反対側に日本軍の車両群と数機の軽飛行機が死んだように並んでいるのとは対照的だった。青い海を背景に佇む銀色の羽根が毅然として見えた。軍用機の胴体の色がさっぱりしても、それで十分以上に装飾になっていそうに思われてきた。世界の大国としての余裕を誇っているのだろうか。日の丸の時代は過ぎ去り、星条旗の時代が到来したことが実感された。
兵士が世翊の馬を引いて出てきた。
「お体を大切に」
彼は徳川中尉の手を改めて掴んだ。衛兵所の門を出て振り返ると、中尉がそのまま立っていた。彼ももうすぐ帰っていくんだ。終戦が2か月でも遅れていたら、どうなっていただろうか。戦争なんてなくすべきことだが、歴史は戦争を常に挟んで進行するものである。37頁
馬に乗って屏門川の橋まで来る間、彼はうつらうつらしながら、まるで夢でも見ているようにゆっくり進んだ。この島に米軍が殺到してきた。7万の大日本軍の後釜におさまる米軍の異彩を放つ様子がちらちらして、不安だった。情報参謀はどうしてあんなことを冗談めかして呟いたのだろうか。この自分が言われたとおりに米軍に話すことを願って、わざとそうしたのだろうか。戦いに敗れて追われながらも、朝鮮と米国が親しくなるのを日本は願っていないのだろうか?同じように呼ばれた他の人々は、米軍将校にどんな話をしているのだろうか?警察の呉部長は?竹田社長は無事に帰国したのだろうか?フミ子の今後はどうなるのだろうか?彼女は日本に帰るべきではなかったのだろうか?この島は彼女にとって安全な場所になるのだろうか?自分は彼女の助けになれるだろうか?彼女に対する自分の気持ちはまっとうなものなのだろうか?
久しぶりに、軍人ではない一人の人間の姿に戻りつつある自分に気づいた。

第5章(第2部『星条旗時代』の序章「新しい旗」)完


玄吉彦著『漢拏山』1部4章夢見る島9

2021-08-30 07:53:13 | 韓国小説の翻訳の試み
玄吉彦著『漢拏山』1部4章夢見る島9

9.

朝鮮独立同盟傘下の朝鮮革命軍政学校の第1中隊で、3小隊副小隊長の任にある崔仁擇は、共産主義の基礎理論の学習時間中に襲いかかってくる眠気を追い払おうと懸命だった。やがて学習が終わりという講師の声で、正気に戻った。真夏の暑さの中で、既に十分に知っているマルクスレーニン主義の基礎理論を改めて講義されるのは苦役だった。291頁 そのうえ、組織部長の拙い講義が眠気をますます募らせた。部長は独立同盟への参加経歴から組織部長になったが、共産主義理論を体系的に学んだことなど一度もなかった。そのうえ、死をものともせずに脱走に成功した日本軍学徒兵出身を相手に講義するなんて、孔子様に文字を教えるのと変わらない馬鹿げたことであることを、端から承知してもいる。学徒兵出身者には常々、知的劣等感を深く感じていた。
彼は一時、日本で工場労働者として働きながら、労働組合運動に積極的に参加して、ストライキを主導していた。やがて警察の監視がひどくなると、満州へ渡って韓人村で農業に従事し、その後、さらに転々とするうちに延安に入って、朝鮮独立同盟の一員になったという輝かしい経歴を持っていた。
理論には弱いので学生たちを前にすると拙いが、人を統率し包容することにおいては並外れた能力を備えていた。講義時間に眠っている崔仁擇に対しては、見て見ぬふりを装うなど自分の能力に限界を認めながらも、その一方で、その相手を自分の味方に引き入れた。つまり、崔仁擇は理論的には彼を凌いでいるが、学習時間にしきりに居眠りする弱点をそのまま放置して容認することによって、当人自らがその点について申し訳ないと思うようにさせて、仁擇を自分の腕の中から逃れられないようにしていた。
部長は講義を終えて部屋から出て行く際に、ようやく眠気から覚めた仁擇を、笑みを浮かべながらちらりと見た。すると、二人の目が合わさり、仁擇も恐縮してにっこり笑ってしまった。
 そんなわけで近頃は、仁擇もすっかり部長に頼るようになっていた。
午後の2時間の学習が終わると、小隊別の自由討論の時間になる。その時間は小隊長が主宰することになっていたが、実際には仁擇が中心となって進行しなくてはならなかった。292頁
 仁擇は眠気を追い払うために、風にあたるのも兼ねて講義室から外に出た。すると、練兵場の向こう側の2中隊講義室から、裵ソンスがこちらへ走ってきた。その時だった。第1中隊の幕舎の隣の指導部要員の事務室から、異常に大きな声が聞こえてきた。
「おーい、朝鮮が解放されたぞ!」
最初はなんのことか分からなかった。さっきそこへ入って行った組織部長が、慌てて出てきて、たて続けに大声をあげた。そして崔仁擇と裵ソンスに近づいてきて、まるで気が触れたみたいに、二人の手を荒々しく掴んで天高く持ち上げた。
「朝鮮独立万歳!朝鮮独立万歳!」
講義室から出てきた学生たちは、何が何だか分からないままにぼんやりと立ちつくしていたが、その三人の奇妙な様子を見ているうちに、ようやく事情を悟った。
「朝鮮独立万歳!朝鮮独立万歳!」
誰もが抱き合い、万歳を叫んだ。
仁擇はその瞬間、先ずは故郷の父の顔を思い浮かべた。次には母の顔だった。そしてようやく、自分が妻を娶っていたことを思い出し、妻のことを思ったが、その顔がすぐには思い浮かばなかった。周りの人たちのことを慮って、出発する夫に向かってまともに手を振ることもできず、一滴の涙を流すことさえも我慢していた妻だった。平壌に戻って来る途中ではずっと、娶った妻に対する負債のようなものもこれで清算できるという安堵感を覚えていた。その次には、ソウルで付き合っていた幾人かの女たち・・・彼女たちは今頃、あの歓喜のソウルでどんな様子なのかが気になった。ソウルが懐かしかった。そしてまた、自分に対する父の期待を思い出した。息子に託した希望が入営によって粉々になり、その虚しさを宥めるために急いで息子に妻を娶らせた父親の気持ちが、仁擇にはよく分かっていた。今後は、一切をやり直すことになる。293頁
崔仁擇と裵ソンスの脱出の成功はまさに天祐神助だった。あの時に遭遇した中国軍こそは、朝鮮独立同盟員の一部が配属された八路軍の戦略部隊だった。あの日に日本軍が退却した城は、華北地方の穀倉地帯にある農産物供給の中心となっていた城だったが、そこは八路軍と日本軍が交代で占領して食料の補給を受け、城を破壊せずにそのままに放置するのが慣わしになっていた。住民たちは両方の軍隊が来襲する時にだけ、一時的に他所に避難していたのである。
二人の脱出者を受け入れた八路軍は、城を占領した日本軍の現況を知ると、即座に攻撃を敢行して大きな成果を上げた。八路軍は最初、日本軍が攻撃してくるという情報を入手して戦略的に撤退した。後に逆襲するためであった。しかし、日本軍の撤収路が分からないので作戦の実行を躊躇っていたところへ、二人から脱出路の情報を手に入れ、戦果を上げることができた。
二人は独立同盟の指導部に引き渡された。そして数日後に、指導部は彼ら二人を受け入れることにした。当時、独立同盟では日本軍から脱出してくる朝鮮人兵士が日ごとに増え、それらの兵士たちを朝鮮革命軍政学校に入校させ思想教育をしていた。崔仁擇と裵ソンスは入隊前に既に共産主義理論の知識をある程度は備えていたが、自ら組織に参加して活動した経験はなかった。
 二人は大行山付近にある朝鮮革命軍政学校に入校し、本格的な共産主義教育を受けながら、組織生活を始めた。その学校には多様な階層の朝鮮人が集まっていた。その一部が日本軍から脱走した青年たちで学徒兵出身者が多かった。彼らは元来、地主や地方の有力者の子弟として、朝鮮社会では上層階級に属する人たちだった。294頁  そのために、大部分が自由奔放な意識を備えていた。何らかの浪漫的な知識に基づき、自分なりの共産主義理論のようなものは持っていたが、体質的に共産主義者になれそうな者などあまりいなかった。そんな人々に、拙い講義で理論を叩きこむのは難しいことだった。その結果、しきりに問題が起こった。ところが、その二人に限っては、指導部が特に目をかけるほどに、現実に適応していった。

軍政学校の学生は2個中隊300余名だった。中隊長たちは長い党歴を持つ党の中核分子たちだったが、理論面では頼りなかった。
学校の最高責任者は独立同盟の首席の金斗奉だった。崔仁擇や裵ソンスもその名を知っていた。ところが、実質的には八路軍砲兵団長のムジョンが学校運営の実権を握っていた。しかし、その二人ともまともに学校に顔を出すことなどなくて、ほとんどすべての学事業務と教育訓練については、学校の組織部が管掌していた。
日課は共産主義基礎理論の講義と討論、そして生産活動という名の作業だった。崔仁擇と裵ソンスが指導部の目につくようになったのは、ある日の自由討論の時のことだった。「独立後に朝鮮をどのように建設していくのか」というテーマに関して、二人は躊躇うことなく、共産主義革命を通して新たな祖国を建設していかねばならないと主張した。封建国家から近代国家に変貌する20世紀初頭が、共産革命の絶好の機会だったが、日本の侵略によってその機会を逸してしまった。しかし、日本が敗北した暁には、革命の機会は再び到来すると主張した。日帝の統治期間には過去の封建的病弊を清算できず、むしろ日本の軍国主義体制がそれと連合することによって、社会矛盾がさらに深化したので、自然発生的に革命の気運が成熟する、という論理を前面に打ち出した。295頁  そうした崔仁擇の発表は、共産主義理論を断片的に援用したものに過ぎず、共産主義革命闘争の戦略に依拠したものではなかった。従来から、手放すことなどなかった先駆者意識が、革命の可能性を想定させたに過ぎなかった。その発表と比べると、裵ソンスの方はもう少し体系的に、しかもそれを補完するような討論を行った。これまでの朝鮮社会は封建的な階級構造であった。日帝はむしろそうした両班階層と結託することによって、封建的階級構造をさらに深化させた結果、一般人民たちの日帝に対する抵抗意識がそのままで、朝鮮の階級構造に対する抵抗意識に通じると論じた。日帝の統治が厳しくなればなるほど、共産主義革命の与件はますます成熟するという補充意見を提示したのである。
このように真摯な討論は、この学校ではそれまでになかったことだった。それらの討論内容は直ちに金斗奉とムジョンに報告された。そして、学校指導部では彼らのことを特別に考え始めた。入校して2か月後にはそれぞれが政治担当の副小隊長になった。インテリ学徒兵出身の脱走者に対する思想教育を担当させるためだった。
ところが、解放後には、学徒兵出身の脱走者たちの緊張が弛緩しはじめた。二人はそんな状況を克服するために、彼らなりに努力した。
朝鮮革命軍政学校に終戦の知らせが伝わると、数日間は興奮に包まれ、教育も休んでいた。学校側で準備した特別な総菜とコーリャン酒で数日間は祝賀宴が続き、誰もが故郷へ戻る期待で胸を膨らましながら、夏の夜を語り明かした。特に日本軍から脱走した兵士たちは浮き立っていた。その大部分が独立同盟には加盟していないので、軍政学校への関心もなかった。帰国の日だけをひたすら待つ身ともなると、以前ほどには意気があがらなかった。学校内の様子は数日のうちに、見るも無残なことになってしまった。296頁
そんな状況で一週間余りが過ぎた8月23日、組織部長は延安訪問から戻ってくると、全校生を練兵場に集合させた。暑い陽光が降り注ぐ午後3時頃のことだった。
「ようやく祖国は独立した。しかし、政府が樹立されるまでには多くの困難が待ち受けている。したがって今後の我々は、以前にもまして徹底した思想性を持って、建国事業に邁進しなくてはならない」
彼はすべての指導部要員と学生の前で、用意した演説文をそらで読み上げるかのように早口で語り、事情も分からないままに隊列の中で立ちつくしている学生たちを見回した。
「今後の我々は、以前よりも厳しい訓練と学習を通して、朝鮮革命の建国事業に臨む姿勢を整えなくてならない」
声は意外と大きかった。彼は自分の言葉を聞くこともなく、肩を落として立っている学生たちを見ると、毒気のこもった視線を突き付けた。学生たちの前に立っていた指導部幹部の表情が変わり、残暑がじりじりと焼きつける練兵場に奇妙な冷気が巡った。
「ここは朝鮮革命を主導する指導者を養成する革命の産室に他ならない。これまで生死苦楽を共にしてきた諸君は、同志愛と祖国愛のもとに協力しあって、帰国まで教育と訓練に臨んでいただくことを、朝鮮独立同盟の金斗奉主席と我々の指導者であるムジョン将軍の名の下で、重ねて願いたい」
彼は話を終えて演壇から降りてきた。そして各中隊別に入室するように指示した。
講義室に入ってきた学生たちは奇妙に変化していく学校の雰囲気に訳が分からなくなった。最初は明日にでも帰国の途につく知らせがあるものと思っていたのに、今の話からすればむしろ、帰国はそれほど容易に叶えられないことが分かった。297頁 学生たちはすっかり落胆していたところに、中隊長と政治担当の副中隊長が入ってきた。彼らは直ちに、ぐったりしている学生たちに、無表情で指示を下した。
「解放祖国建設と革命軍政学校学生の使命」というテーマで各小隊別に5人ずつを選び、10分内で発表を行い、それを基礎に討論を展開しろ、と言うのであった。討論が終わるまでは夕食はなしと、付け加えられた。
各小隊員たちはそのテーマで発表する学生を選び、選ばれた学生たちは時間を貰って発表の準備をした。しばらくしてから15名の学生の発表が始まった。
発表内容はそれもこれも似たり寄ったりだった。決まり文句のような内容がほとんどだった。解放された現時点にあっては、祖国と民族の指導者としての使命に目覚め、献身的に祖国建設にまい進しなくてはならない、といった図式的で抽象的な議論だった。その後の討論内容にも取り立てて目新しいことはなかった。
崔仁擇は学生たちの雰囲気に奇妙なことがあるのを発見した。終戦前は党員でなくても全学生が、この朝鮮革命軍政学校が志向する理念と闘争路線にほぼ共感していた。共産主義運動が祖国解放にとって大きな力になり、現実的に多くの寄与をしているという点を認めていたからである。ところが、今では違っていた。学徒兵出身者たちがほぼ大部分の発表を担当したが、彼らはまるで共産主義運動の時効は既に過ぎたかのように、解放政局と国内外情勢における党や独立同盟の任務には、あまり言及しなかった。その夜の討論を見守っていた幹部たちはひたすら黙々と、討論に臨む学生たちの態度を見守っていた。遅い夕食を終えると、学生たちは再び仲間同士で集まり、雑談してから寝床に入った。298頁
夜中のことである。いきなり非常連絡があった。学生たちは酔っていたので、非常を知らせる鐘の音も聞こえなかった。指導部の事務室前にかかっている鐘が騒がしく、そして鈍い音で5分余りも鳴り続けてようやく、学生たちは何事かと、続々と練兵場に出てきて、隊伍をつくった。その時になってようやく、自分たちの前に既に並んでいた指導部要員たちの緊張した表情に気づいた。冷たい夜露で正気を取り戻した学生たちは、尋常ではない雰囲気を感じた。
「諸君!」
組織部長の声が夜の静寂を揺るがしながら、虚空に轟いた。
「このように弛緩した精神で、どのようにして偉大なる革命課業を遂行できるのか?」
練兵場に集まった300余名は息を殺した。
「今から10分以内に完全武装して、再びこの場所に集まる。解散!」
各自は個別に支給されている綿布団の中に、戦闘に必要な各種の物品を重ね入れて結びしめ、それを背負ってから、武器庫にある小銃と、支給された一定数の実弾で武装して集まらねばならなかった。しかし、10分以内に集まった学生は半分にも満たなかった。組織部長の指揮下で各中隊長と指導部要員たちが装備の検査を行った。そして遅れてきた兵士たちは別個に順番に並ばせた。時間通りに集まった兵士たちの中でも規定通りに装備を揃えていた者は大した数にならなかった。
装備をそろえて時間内に集まった兵士たちは、中隊の区別なしに別個に集合させた。崔仁擇と裵ソンスはその中に入っていた。彼らは1中隊長の引率で駆け足で学校構内から出て行った。その次には、命令をまともに履行できなかった兵士たちを集合させた。
「今から10分内に完全武装して、この場に先着順に集合する」299頁
それから<気合>が始まった。
裸のままで完全武装した兵士たちに、黄土の広場で匍匐させた。そして、指導部要員たちが棒を持って後に付き、落後者をまるで薪割のように叩きのめした。
東の空が明け始めたのか赤らみはじめた。30里(朝鮮では1里は約400mなので、12kmにあたる)の行程を駆け足で往復してきた兵士たちの足音が、轟いてきた。他方、練兵場では今でも兵士たちがミミズのように、のたうっていた。彼らは自分が生きていることを意識できないまま、ひたすら無意識のままで匍匐を続けていた。
駆け足の行列が練兵場に到着して、ようやく匍匐も終わった。
「今後、我々の前にはこれ以上に厳しい苦行が続く。それに勝てない者は革命隊列から落伍するしかない。今や我々は日本帝国主義と闘うのではなく、我々自身と血まみれの戦いを挑まねばならない。ご苦労だった。解散!」
組織部長は無表情で簡潔に言って、解散させた。
翌日から訓練と学習を強行した。学習は自己批判、世界情勢、独立国家建設、党の任務などだった。訓練は毎日早暁に完全武装して、30里の駆け足で始まった。そして夜中には必ず一度の非常招集があって、それが終わってようやく熟睡できた。
そんな訓練が始まって3日目のことだった。学徒兵出身の二人が訓練を拒否して退学の意思を組織部長に明らかにした。
「党の配慮でこれまで生きながらえることができたことも忘れた忘恩の輩め!」
組織部長が短く、唸るように言って彼らを睨みつけた。解放された今、この学校に留まる必要はないと、彼らは退学理由を明らかにした。300頁
「よし、勝手にしろ!」
そのようにして、実にあっさりと退学が受け入れられた。ところが、翌朝のことだった。学校本館の前の鉄製の国旗掲揚柱に、彼ら二人は裸のままで縛られていた。刃のように厳しい陽光がその黄色い裸に容赦なく照り付け、弾けていた。人々はそれを横目で盗み見しながらも、口を開かなかった。
夕刻になっても彼らはそのままだった。食事を終えた学生たちが夜間討論を行い、中隊別に講義室に入って行った時、裵ソンスは崔仁擇に近づいてきた。
「あのまま死んでいくのを放っておくのか?」
彼は国旗掲揚柱の方をチラッと見た。
「何か方法があるのか?」
仁擇は漠然と尋ねた。
「部長に許しを請うんだ。すべては我々二人の責任だと・・・」
「責任だと?」
「日本軍脱走者の脆弱な思想性は、副小隊長の職責にある我々の責任であることを認めて、反省することを組織部長に・・・」
「効果があるだろうか?」
「ついてくればいいんだ」
二人は指導部室へ組織部長を訪ねた。
「部長殿、彼らの過誤は全的に我々二人にあることに気づきましたので、このように参りました。お許しください」301頁
「どういう意味なんだ?」
「彼らの思想性の脆弱さに関しては、全的に副小隊長の職責にある我々二人に責任があります。日本軍から脱走し、党の配慮で生きながらえてきた我々なのに、同僚の思想性についてはまったく関心を向けていませんでした。今後は同志愛を発揮し、徹底した相互批判と教育を通じて、確固とした思想を備えるべく努めます」
組織部長は目を固く閉じて、その言葉を最後まで聞いていた。
「分かった。同志たちのその志を受け入れることにする」
崔仁擇も一言、付け加えた。
「ありがとうございます。我々は過去の思想的脆弱性と誤解を果敢に清算し、今日を期して新しく生まれ変わります」
「崔同志も今後は、基礎教養の時間に居眠りしたりしないのだな」
組織部長がにっこり笑うと、仁擇は胸がドキッとした。
「はい、今なお我々の意識にブルジョア的残滓があるせいです」
「分かった。行け」
二人が組織部長の前から去ると、掲揚柱に縛られていた二人は解放された。学生たちの顔から、色濃く漂っていた恐怖の影が消えた。
組織部長は学生と全指導部要員を練兵場に集合させた。
「本官は諸君の中でも裵ソンスと崔仁擇の二人の同志の思想的決断を高く評価するとともに、それを祝いたい。その意味で、二人の過誤を我が朝鮮独立連盟と朝鮮革命軍政学校の名で容赦することにした。諸君も各自が勇気をもって同じような決断ができることを期待する。今から、二人の同志の自己批判を聞くことにする」302頁
そう言い終えると、崔仁擇と裵ソンスを紹介した。先ずは崔仁擇が演壇に登った。真夏の夜のむんむんとした夜気がいつの間にか冷ややかになっていた。彼は練兵場に集まった300余名の人々を見回した。彼らのかぼそい息が聞こえてきそうな気がした。
崔仁擇は先ず、自分の出身成分について話し、続いて大学まで教育を受けている間に培ってきた理想が、ブルジョアの空虚で俗っぽい欲望にすぎなかったことを告白した。そして、解放されたこの甚だ重大な時点においても、祖国の革命的再建の心配よりも、一刻も早く故郷に戻り家族に会い、学業を継続して平穏に暮らすという安っぽい欲望に執着していたことを認めた。そして、結論を述べた。
「歴史の転換期を迎えた今、祖国の革命的再建のために過去を徹底して批判・清算して新しく生まれ変わる覚悟で、思想的に変身することを誓います」
そう言い終えると、雷のような拍手が息を殺していた革命軍政学校の構内に轟き渡った。崔仁擇は額にたまっている汗を拭いながら演壇から降りてきて、ようやく普段の自分に戻った。
次には裵ソンスが演壇に登った。彼も崔仁擇と同じく、自分の成長の背景から紹介を始めた。
「私の父は両班で地主でもある家で執事をしながら、人民の虐待に一役買いながら暮らしていました。私は幼いころから、自分はどうして両班や金持ちの家に生まれなかったのか悔しく思うだけで、社会の構造的矛盾を革命的に打開するような意識を持てませんでした」
このような前置きに続いて、12歳の時に父を亡くして生活が困窮すると、幸いにも主人の助力を得て大学に入ることになった経緯を話した。そして、大学時代には卒業後に社会的名声を得て、主人の恩に報い、何不自由なく生きることばかり考えていた。ところが、日本軍に自ら志願したうえで脱走し、この学校で思想教育を受けてようやく、世界を改造するための革命の当為性を、思想的に認識するようになった、と告白した。
「先般の討論の際に、私は大きな誤解を発見しました。朝鮮社会は革命の雰囲気が社会歴史的条件の中で自然に成熟されるので、共産革命が可能であると主張しましたが、その発表には消極的で脆弱な党派性が露呈しており、この場でその点を正直に自己批判したいと思います。ある国家の革命は、歴史社会的な条件下でその雰囲気が自然に成熟される場合にのみ、可能というわけではありません。革命の成功のためには、プロレタリアが透徹した党派性を確固と備えて反動的要素と対抗し、血まみれの闘いを行う場合にのみ成就できる、という事実を認識できていなかった過誤を、ここで率直に認めたいと思います」
この言葉が終わると、練兵場は再び雷のような拍手で揺れ動いた。

二人の発表に続いて組織部長が再び演壇に登った。
「本官はこれほど感激した夜は、生涯で初めてのことである。実に感動的な夜である。今日を起点にして、我が朝鮮の歴史の新たな胎動を確実に感じたからである。朝鮮革命軍政学校の校庭で我々がいま味わっている感激が、祖国の革命課業遂行に大きな力になることを期待する。このように感動的な事態の数々を、金斗奉主席同志とムジョン将軍に報告する。願わくは、二人の同志の思想的告白を契機に、我が朝鮮革命軍政学校に新しい思想の風が爆風のように吹き荒れることを願う」304頁
その夜から各人の自己批判に他ならない告白と思想的懺悔が始まった。そして二日後には、それまで入党していなかった日本軍学徒兵出身者のすべてが入党した。

9月に入ると華北地方では霜が降り始めた。季節が移り変わり、革命軍政学校の学生たちは帰国日だけをひたすら待ち望むようになった。しかし、誰一人として、自分の気持ちを正直に口に出すようあことはなかった。流布している様々な情報について話しあうこともなかった。
9月8日の夕食後に、全校生を練兵場に集合させた組織部長は、多少、緊張した声で、2,3日後には帰国のために、ここを去ると告げた。その日からはあらゆる日課が中断されて、帰国準備を急ぐことになった。
1945年9月11日には朝鮮革命軍政学校の学生と指導部要員が、先ずは山海関に向かって行軍を始めた。
大行山を出発した一行は山海関を経て、一月余り後には南満の小都市である錦州に到着した。かつては日本の兵站基地だったその美しい小都市には、既にソ連軍が進駐していた。ソ連軍の兵士たちは意気揚々と、なんでもしたい放題で、戦勝国軍隊に特有の傲慢な気分と行動を謳歌していた。
日本軍が兵営として使っていた校舎のうちの一棟をなんとか手に入れて、朝鮮革命軍政学校が拠点にした。誰もが長い行軍で心身が疲れはてていたが、故国に少しは近づいたと思うと、顔には生気がよみがえった。それまでの行程で、学生も指導要員も全員が弱小民族の悲哀を具体的、かつ切実に感じさせられた。解放された祖国に戻る旅程がこれほど辛いものになるなどとは誰も予想していなかった。305頁
朝鮮独立同盟本部は錦州に移動した。金斗奉主席とムジョン将軍は軍政学校の学生と指導要員を激励し、その業績を誉め称えた。
錦州に到着して一週間後に、駅の広場で朝鮮解放記念祝賀行事が独立同盟の主催で開かれ、その場で朝鮮革命軍政学校の卒業式も挙行された。崔仁擇と裵ソンスが優秀卒業生として表彰された。金斗奉とムジョンは歓迎辞と激励辞で、独立同盟を母胎に朝鮮義勇軍を拡大改編し、新しい共産主義国家を建設するにあたっては、独立同盟の同志が幾人も参与して大きな任務を担当することになると激説した。その言葉を聞いた軍政学校の学生たちの士気は天を突くほどのものになった。故国に戻ってから受けるはずの歓迎と補償を思い描いていた。
夕刻には祝宴が開かれた。宴会が終わると、金斗奉がその二人に、自分の横の席を指さして座るように、微笑を浮かべながら云った。そして歓談が始まった。金斗奉は学徒兵出身の学生たちの思想啓導のための二人の努力を褒めたたえながら、今後はますます仕事が多くなるだろうと激励した。そして今後の世界情勢と朝鮮の政局について話した。
「ともかく、朝鮮独立の達成までには、様々な難関に遭遇するだろう。先だってのカイロ会談で米・英・中の3カ国代表が朝鮮問題を論議して、即時独立させることはできないという点で意見の一致を見たようだ。306頁 ところが、ソ連が8月8日に日本に対して宣戦布告して参戦したので、事態は非常に複雑になった。既にソ連軍は元山と平壌に進駐して司令部を設置しており、米軍もソウルに進駐したので、必然的に朝鮮はソ連と米国によって分割占領される可能性が高く、あげくは南側は米国が、北側はソ連が望む政府が樹立される可能性が大きく、それは朝鮮分断という結果をもたらすかもしれない。我々はそうした分断を何としても阻止しなくてはならない。  
 金斗奉は率直に、朝鮮の今後の懸念事項についても話した。二人ははじめて、国際情勢下において朝鮮問題がどのような状況にあるかを、辛うじて理解した。それでもなお、日本が降伏した時点にあって、朝鮮情勢が外国によって決定されるということが理解できなかった。
「日本が降伏したからといって朝鮮がすぐさま独立するわけではなく、しかも、そうした状況の方がむしろ、共産主義革命をさらに早めるといったこともありうるのだが、今後、ソ・米両国が朝鮮を占領して統治するようになれば、その状況に応じて我々の戦略も樹立されねばなるまい。要するに、さらに血まみれの闘争を継続しなければ、祖国分断を妨げることなどできない。いつだって革命は血で贖うものだ」
ムジョンが横から口をはさんだ。
「ところで、崔同志は故郷が済州島だろ」
仁擇は自分の故郷のことまで金斗奉が知っていることに感激した。
「北側はソ連の占領下に入ることになるだろうから問題にはならないが、南側が問題で・・・」307頁
そう言って金斗奉はまじまじと仁擇を見つめながら、
「朝鮮半島の北と最南端で共産革命の気運が起これば、全朝鮮の共産革命も難しいことでなくなるだろう。崔同志の任務が重要だ」
その言葉を聞いた瞬間、仁擇は胸がドキドキして、息が荒くなり、唇がかさかさと渇き始めた。
「勇気をもって努力するんだ」
ムジョンが仁擇の手を掴んで振った。
「済州島は革命の容易な地域でもある。中央から遠く離れていることが好条件にもなりうるし、また、その地域の人々の歴史を考えてみれば、最も早く共産社会が成就する場所であって何の不思議もない」
金斗奉はひそかに崔仁擇を見つめた。
金斗奉は続いて裵ソンスに言った。
「君は帰国後、機会を見て軍隊に入り、軍の創設期にその要員として活動するんだ。革命を推進するには軍の力が絶対的に必要だ。朝鮮独立同盟にいつまでもおらずに、先に故郷へ発つんだ。ソウルで情勢を見ながら、もしかして分断され、北と南にそれぞれの政府が出来れば、ソウル政府の軍隊に入隊するんだ。君のその明晰な頭脳と透徹した思想性は、革命を成就するにあたって大きな役割をするものと信じている」
金斗奉がムジョンを見つめながら同意を求めた。ムジョンも頷いた。二人は話を聞きながら、既に金斗奉とムジョンから大きな任務を与えられた気分だった。ムジョンは立ち上がり、崔仁擇と裵ソンスの手をしっかりとつかみ、顔に穴でも開けるように見つめた。
「この二人を先に出発させるように、組織部長が措置するんだ」
金斗奉が組織部長に念を押した。308頁
宿舎に戻ってきた二人は夜を徹して将来設計について話しあった。
二日後の早暁、崔仁擇と裵ソンスは組織部長の見送りを受けながら、南行きの列車に乗り込んだ。
「再会を期待しているぞ」
組織部長が改札口で握手を求めて、帰っていった。

<第1部 背反の大地  完>