話の種

新聞やテレビ、雑誌などで、興味深かった記事や内容についての備忘録、感想、考察

政治不信と政治家の資質

2024-06-08 02:30:53 | 話の種

「政治不信と政治家の資質」


朝日新聞(6月4日)の素粒子欄に下記記事があった。

「この20万円のザルがなんと10万。いえ、国民の皆様の信頼回復のため、今なら出血大サービス、なんと5万円でご提供」

パー券の公開基準額。ひと月も5万10万の「攻防」見せて、首相の「英断」演出する商法にご注意を。ザルはザルのまま。

タイムカプセルかよ。政策活動費の領収書はなんと10年後に公開。岸田さん、皆さん、その時どこでなにやってるつもり?

流石、新聞記者は的確な面白い比喩を用いてその主張を簡潔に纏めるなと感心した。

この自民党提出の政治資金規正法改正案は本日(6月7日)衆院を通過し成立の見通しとなったが、よくもまあこのような法案をしれーっと作成し、ぬけぬけと可決したものだと、今更ながらに腹が立った。
この法案の内容、問題点については敢えてここでは述べないが、不愉快なので感想のみを記しておく。

Q:「政治は誰のため?」
A:「勿論我々政治家のため」

Q:「政治には金がかかるというけど、それでも政治家になりたいの?」
A:「うま味がいろいろとあるからね」

Q:「このような法案で国民が納得すると思う?」
A:「選挙が気になるけどそれは先送りすればよい。時間がたてば国民はすぐに忘れるからね。モリカケさくら問題(森友・加計・桜を見る会)もそうだったろう?」


法案は自分たちが作るので、いくらでも抜け穴を作っておくことができる。(こういうことには悪知恵が働くんだよね。)今回もそれは見え見えなのだが、「蛙の面に小便」で全くもって厚かましい。

先に法案の中身については触れないとしたが、念のため同日の新聞の見出しのみ記しておく。
・抜け穴残し衆院通過「規制法改正案「検討」も多数」
・「裏金防止 疑念」(議員の確認義務 あいまい)(パーティー券 小分け可能)
・「抜本改革 遠く」(政策活動費 黒塗り公開も)(企業献金 30年経ても死守)

ついでに同面の「視点」の最初の部分も記しておく。

<視点>保身と無反省、国民不在

政治資金規正法改正案はなぜ、ここまで抜け穴だらけで理念も哲学も感じられないのか。岸田文雄首相が、国民が求めた真相究明や踏み込んだ改革より保身を優先させた結果というほかない。
「信頼回復のため、火の玉となって、自民党の先頭に立ち取り組む」。事件発覚を受けた首相の言葉は勇ましかったが、すぐに裏切られた。
まず国民が望んだのは事件の実態解明だったはずだ。しかし、首相自身も加わった党幹部による関係者への事情聴取はおざなりで、裏金作りの発端を知りうる森喜朗元首相への聴取も電話一本で済ませた。首相の視線の先にあったのは党内の波風をできるだけ抑え、早期の幕引きを図ることで、そこに国民の姿はなかったのだろう。


どうも岸田首相というのは、最早言うこと為すことお粗末極まりない。何を言っているのか意味不明で、することもちぐはぐでどうしようもない。

以前(2月17日)朝日新聞の「多事奏論」で高橋純子氏が次のように述べていたことを思い出した。

(多事奏論)「首相の施政方針演説 災害を「踏み台」にする素、頓、狂」
「もう言い飽きたからこれで最後にしたいのだけれど、岸田文雄氏は首相としての資質を欠いている。私はそう結論している。」
(これは能登半島地震で被災地を訪れたのは発生から13日後とかなり遅く、現地に行った際も被災者たちに寄り添うのではなく、型にはまったことしか言わない。そして1月30日の施政方針演説では、被災者支援や復興については紋切り型で極めて素っ気なかったにもかかわらず、「一方」として、「過去の災害対応に比べて新しい取り組みがいくつも生まれており、強く印象付けられました」と、自分が何かをしたかのように冗舌に語りだしたということを批判したもの。)

*筆者は次のようにも述べている。
「施政方針演説では、地震の被害状況が「体言止め」で並べ立てられた。「半島特有の道路事情による交通網の寸断。海底隆起や津波被害による海上輸送の途絶。水道、電気、通信などライフラインの甚大な損傷。地震に弱い木造家屋が散在する小さな集落の孤立。高齢者比率5割を超える地域社会への直撃」。それぞれに多くの命や暮らしがかかっているのに、手際良くサッサと折り畳んでいく。冷にして淡。」
(演説に心がこもっていないということ)


岸田首相の発言、答弁には「実態把握に務める」「議論しなければならない」など、主体性がなく、どこか他人事のようなものが多く、また「あいまいな説明」や「すり替え」が随所に見られるが、これで一国の総理と言えるのだろうか。もっと毅然とした態度が取れないものだろうか。

他の政治家たち(特に大臣クラス)についても、昨今「申し上げることは控える」「それには当たらない」という言葉をよく耳にする。都合が悪いから「申し上げることは控える」のだろうが、説明責任はどうなっているのか。「それには当たらない」というのは誰が判断しているのか。それにあたると思うから記者たちが質問しているのであって、何を偉そうに答弁を避けているのかと言いたい。
更に不思議なのは、質問した記者たちが、このような返事に対してそれ以上追求しないということ。

昔の政治家たちはもっと気骨があり、それなりの信念を持っていたと思うが。
また、記者たちももっと責任感をもって追求していたと思うが、いつの間にこのようにサラリーマン化してしまったのだろうか。(「この程度のマスコミならこの程度の政治」ということだろうね。)


(参考)

秦野章(元警視総監、元法務大臣)
「政治家に古典道徳の正直や清潔などという徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれと言うのに等しい」

佐高信(評論家)
「政治家にモラルを求めるのはゴキブリにモラルを求めるに等しい」

 

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