今回はアフター6パスを利用して、ほとんどこれだけを目当てに行ったのだが、これは結構良かった。トゥモローランドテラスステージで待ち構えているとミッキーが登場。炎は熱く燃え最高潮に燃え上がるのだ。
前列で陣取っていると立ち上がることが出来ないので、後ろの方の立ち見ゾーンの方がより楽しめるようだ。
まだ行っていない人はぜひどうぞ。
金曜日は、ひょんなことから歴史に関する関心を揺り動かされ、土曜の一日散々WebSurfing(古!)に時間を費やすことになった。そもそも最近着任した上司からに誘われた事がきっかけであったが、酒の席上で同僚女性の旦那さまが歴史に名を留める著名人(の直系子孫)であったことを知ったのだ。
「三宅 秀 (みやけ・ひいず、1848-1938) 」 幼名:復一 (またいち)
知っている人は知っているようなのだが、東京大学医学部 初代学部長で最初の博士(医学)・名誉教授にして、千葉大学医学部の祖 東京大学医学部別課の創設した人らしい。 {参考文献}(これを書いてみえる三浦義彰 氏も千葉大の名誉教授で三宅秀のお孫さんに当たるらしい)もっと砕けた方面では、 「スフィンクスの前に立ったサムライ」 (トリビアの泉"No.191 江戸時代にスフィンクスの前で記念写真を撮った武士がいる。"で89へぇ)であり、さらにその道中で今では日本の代表的な国民食となった"カレー"を歴史上初めて遭遇し公式記録に残した人でもあります。 「至って汚き物なり」とその時表現された食べ物が、現代社会でこれほど親しまれるとは想像することも出来なかったのでしょうな。
そんなこんなで、何せ調べ始めたら奥が深い深い。東京大学には"三宅コレクション"なるものも存在するらしく、近代医学会にその足跡の多くが残っているようです。(どういった手続きをすれば見学できるのでしょう?知ってる人みえたら教えてください。)
<江戸期以来の医学一家である三宅家>
三宅艮斎(ごんさい)(1817-68)幕末の有力な蘭方医家の1人
↓
三宅秀(ひいず)(1848-1938)艮斎の子 東京大学で最初の博士(医学)・名誉教授
↓ 文久3年(1863)の遣欧使節の随行者
↓ (スフィンクスの前で写真に納まる武士で有名)
↓ 貴族院議員をつとめ、昭和13年(1938)まで92年間生きた。
↓
三宅鑛一(1876-1954) 秀の子、東京大学医学部名誉教授
↓
三宅仁(1908-1969) 秀の孫、東京大学医学部名誉教授
こんな家系の人の末裔の奥さんと同じ職場に居るとは、なんという奇遇こういうの調べ出すと止められない人なので、土曜日の大部分を費やしてしまった。
でもって、この話題で盛り上がった後、上司に引きずられるように2人きりで赤坂のカラオケボックスでのおじさんカラオケに消えていった私であったのであります。
少し前、うちのカミさんは愛知万博へご近所の奥様方と遊び行き、デジカメを
見事に無くしてこられました。
買ってから2年程のCANONです。少々我体は大きくても、細かなマニュアル設定
の出来るところが気に入っていたんですが、仕方ないですよね。
(でも256のCFメモリーは痛かったなあー)
カメラも今更フィルムタイプは使えないし、同じCANONの古い機種は処理速度が
遅い問い事もあるので、思い切って新たに新しいものを購入した。
デジカメのOEM供給では定評のあるSANYO XactiJ4をチョイス、生産終了機種
のため、在庫処分というので22,800円でGet!。(ちなみに定価は63,000円也)
実はこの機種、ミノルタが開発したズームレンズが本体内に内蔵されている
タイプで、スイッチON時のレンズの起動動作がまったく無い。
狙っていたこの機種に、たまたま出会えた幸運に感謝しております。
SDメモリーカードは150倍速の512MBをおごったし、バッテリーも予備を
オーダーしたところ。しばらくは大事に使って欲しいものです。ホント。