相撲太郎

“相撲好き”の相撲マニアック日記

“相撲漫談”一矢

2005-10-31 23:45:36 | 雑記
 今日は九州場所番付発表の日だが、私はどういうわけか浅草演芸ホールへ。すっかりテレビで見れなくなった松鶴家千とせ、ぶるうたすの漫談に、思わず目頭が熱くなった(ウソです)。そんな中、“相撲漫談”の一矢も出演していた(写真)。ちなみに一矢は「かずや」と呼ぶ。確か、昔は「貴乃花は凄いですね。朝も稽古、夜も景子」というネタをやっていた。
 今日は幕内の外国人力士の本名を延々と早口でまくし立てるネタを披露。「朝青龍ドルゴルスレン・ダグワドルジ、琴欧州カロヤン・ステファノフ・マハリャノフ、白鵬ムンフバト・ダバジャルガル…」。そんな具合に露鵬、黒海、安馬、時天空など全員の本名を言い終えて、最後に「春日王キム・ヨン様」というオチ(落ちてない?)。
 最後は高見盛のパフォーマンスの形態模写(これは結構似ていた)。勝って堂々と花道を引き上げるマネをしてそのまま舞台ソデに消えていった。
 演芸場を後にすると、午後5時だというのに外は薄暗く、肌寒さが身に染みた。浅草のディープな世界にしばしトリップした心が、不意に現実に引き戻された。「いよいよ一年納めの九州か。そろそろ仕事しよう」。
 

琴欧州大関取り、押尾川審判部長“昇進基準”を語る

2005-10-27 10:30:00 | 小耳にはさんだ話
 九州場所で大関取りに挑む琴欧州。「2けたの星を残せば、話題性は十分にあり得る」と北の湖理事長が先場所、言っていたように10勝がひとつの目安になってくるだろう。ここ最近の昇進基準は「直前3場所33勝以上」などと言われているが、それでいくと琴欧州の場合は、夏が10勝、名古屋が12勝、秋が13勝で合計35勝となり、星数的には文句はない。しかし、そもそも協会内には大関昇進についてのそんな内規などは存在しない。その辺のところについて、先日、審判部長である押尾川親方(元大関大麒麟)に話を聞いてみた。
 「琴欧州については、3場所前が平幕だったこと、先場所が新関脇であったことが、ちょっと引っ掛かる。少しでも引っ掛かる部分があれば、様子を見ようというのが我々のスタンスだ。やはり、三役をしっかり経験し、その中でもまれて地力と安定性を身に付けてから上がってほしい」。これが審判部の基本的な見解だったようだ。ただし、先場所に昇進させる可能性もあったらしい。
 「仮に全勝優勝していれば、“引っ掛かり”を打ち消してあまりあるということで、上げざるを得なかったであろう。14勝、13勝の優勝であれば、『三場所前は平幕だったし』という声も上がっていたと思う。ただし、こういう問題は断言できるものではなく、そのときのムードも加味されていくものだ」と語っている。
 過去の昇進例を見ると、北の富士や北葉山などは、直前3場所で30勝にも満たないで昇進している。それに比べれば、琴光喜をなぜ上げなかったのか疑問が残る。「そのときは私は担当職務ではなかったが、(平成14年初場所14日目の)武雄山戦の負け方が当時の審判部内で“引っ掛かり”となっていたのだろう」。
 これまでのケースを見てみると、平成以降に大関昇進基準がシビアになったのは、明らかだ。その辺については、次のように語っている。
 「昔は確かにラッキーな昇進例はあったし、運不運が左右するケースも少なくなかった。一門のしがらみの影響もなかったとは言えない。しかし、今はその辺のところがかなりクリアになったと思う。「ラッキーな昇進」と言われるのは、我々からしても本意ではない。番付は“生き物”なので一概には言えないが、今後も一人大関だから基準が甘くなるということはないだろう」。
 押尾川親方の話からは、今の審判部の基本的な考えが見えてくる。正直なところ、ここまで語っていただけるとは、思っていなかったので、貴重な話を聞けたことは、大変に有意義だった。

元横綱北尾光司氏、立浪部屋に現れる

2005-10-22 01:37:13 | 相撲部屋探訪
 元横綱双羽黒の北尾光司氏が21日、立浪部屋を訪れた。玄関を入ると、上がり座敷の右側に現師匠(元小結旭豊)、左側に北尾氏が座っていた。けいこを見つめる二人であったが、力士にアドバイスを送っていたのは、もっぱら元横綱のほうだった。「立ち合いでただ差しにいくと、おっつけられるぞ。あたるときは鎖骨の下辺りを相手にぶつけるつもりで」。「スクワットはつま先立ちで親指に力を入れて。そうすれば、立ち合いのスピードもつくんだ」。現役時代は汚点を残した形で角界を去ったが、さすが頂点に上り詰めただけあって、そのアドバイスは非常に具体的で理にかなっている。
 二年前の新生立浪部屋の部屋開きで、16年ぶりに古巣に足を踏み入れた。以来、たまに顔を出している程度だという。「自分にできることはこれからもやっていきたいけど、ここは新生の立浪部屋だし、その辺はわきまえているつもりです」と現師匠を気遣った。
 しかし、いろんな力士に対し、分け隔てなく声を掛ける姿からは今もなお、相撲を心底愛しているんだなというのが、ヒシヒシと伝わってきた。こんな人が親方なら関取が何人も育っていたに違いない。そもそも、まともに現役を続けていたら、千代の富士の優勝回数も今の半分くらいになっていただろう。仕方のないことだが今さらながら、当時の協会は貴重な財産を失ったものだとつくづく感じた。
(写真は立浪部屋を訪れた元横綱双羽黒の北尾氏)

仕事人羽黒海

2005-10-18 23:47:15 | 相撲部屋探訪
 立浪部屋を実質的に取り仕切っているのは世話人の羽黒海さんだ、部屋へ行き、そう実感した。もちろん、立浪親方(元小結旭豊)の方針があってこそだが、その仕事振りは見ていてスピーディーで抜け目ない。年下で、しかも弟弟子である師匠を常に立てて、自分は一歩引き下がる姿勢はただ感心するばかりであった。
 こちらが、部屋取材で関係者の紹介を頼むと、その場で雷親方(元小結羽黒岩)と木村庄之助親方に電話を掛けてくれた。そして、こちらが恐る恐る元横綱双羽黒の北尾さんの紹介をお願いしても、「いいですよ!」の二つ返事。「もしもし、横綱ですか。羽黒海です。お元気ですか?」。その光景を見たときは、正直驚いた。
 昨年初場所、21年に及ぶ現役生活にピリオドを打った。「師匠が代替わりしても、自分はそれに付いていくだけ。別に何とも思ってないですよ。社長が変わっても、社員が辞めるわけじゃないでしょ。それといっしょですよ」と、部屋のゴタゴタを目の当たりにしながら、しかも“双羽黒騒動”の時は、横綱の付き人も務め、人に言えない辛さを味わっただろうに、私情を一切はさまず、テキパキと実務をこなす姿は、まさに仕事人だ。
「俺がしゃべることは、書けないことばかりだからね(苦笑)」。それでも、こちらのインタビューに真摯に付き合っていただき、ただただ感謝するのみ。場所中もお客さんの案内係として、いつも笑顔で接しているその姿には、やさしい人柄が表れている。

日本に居残りの豊ノ島

2005-10-12 18:07:45 | 相撲部屋探訪
 10日、先場所十両優勝した豊ノ島の取材のため、時津風部屋を訪ねた。この日は大相撲ラスベガス公演期間中だったため、霜鳥、時津海、時天空は不在。居残りとなってしまった豊ノ島が双天山を相手に軽く汗を流していた。先場所唯一の黒星を喫してしまった14日目の把瑠都戦を「あれは作戦ミスだった」と振り返っていた。直近で両手突き、カチ上げを見せていた把瑠都に対し、この日もそれをかいくぐろうとしたところ、いとも簡単に上手を許してしまった。「考えすぎてしまった」と悔やんでいた。
 時津風部屋といえば、先場所は3人のシコ名が変更になった。いずれも師匠の現役名の「双」がつけられた。若樹山から改名した幕下の双天山は、「なんか、しっくり来ないですね」と本音をポロリ。名古屋場所14日目の夜、夜中1時過ぎに食事から帰ってきたときに、いきなり師匠から言われたそうだ。「来場所はもっと変わりますよ」と三段目の時ノ海。これからも「双」のシコ名がさらに増えそうだ。本名の霜鳥が「双津竜」を名乗ることはないだろうが、部屋は着々と現師匠のカラーに染まりつつある。(写真は、双葉山の写真をバックに立つ豊ノ島)

第2回全国少年相撲選手権大会

2005-10-10 01:50:21 | アマチュア相撲
 今日(9日)、両国国技館で第2回全国少年相撲選手権大会がおこなわれた。本大会は「全国少年草津大会」や「全国少年立川大会」が廃止になった今、クラブや道場単位で全国優勝を争う唯一の場といえる。最近は相撲人気の凋落とともに、競技人口も減っているとされているが、それはマスコミのまやかしと言えるだろう。
確かに小中学校の相撲部は廃部に追い込まれるケースが少なくなく、神社の相撲大会なども減ってきてはいるが、この大会の参加チーム数を見てみると、昨年の第1回が47地区68チームに対し、今年は54地区82チームに増えている。今や少年相撲は学校単位ではなく、地域の道場やクラブを基盤に成り立っているのがわかる。
そして今大会の優勝チームは、熊本県のやちわクラブAが昨年に続き、連覇を果たした。同チームは先場所新十両の白石の地元で、前夜は三保ヶ関部屋へ宿泊し、選手らは白石の胸を借りたそうだ。大将を務めた元杉有成君(中3)は、優勝の要因を「チームの小中学生がよくまとまってくれたんで」と話した。
注目の都道府県と全中2冠の中学横綱、明大中野の南雲学人君は、埼玉県の入間少年相撲クラブAの大将として出場し、準決勝で岐阜の神山達哉君(各務原市中央中3年)に敗れるという波乱があった。(写真は優勝したやちわクラブAチーム、後列中央が元杉君)

国際プロレス魂

2005-10-05 01:19:25 | 相撲部屋探訪
今日はアポなしで八角親方(元横綱北勝海)に会うため部屋へ出向いたが、あいにく不在だったので、取材は空振りに終わる。応対に出たのが東農大から今年初場所初土俵を踏んだ三段目の米村だった。彼の父親は今となっては伝説のプロレス団体となってしまった国際プロレスの前座名レスラー、米村天心だ。ちなみにレスラーになる前は高島部屋の元力士で幕下までいった。
国際プロレスは崩壊して20年以上経つので、一応注釈をつけると…。早稲田大レスリング部出身の故・吉原功氏が力道山亡きあとの日本プロレスに対抗する形で昭和41年に設立。初期の頃はサンダー杉山やグレート草津といった日本人エースを擁し、後期にはストロング小林、ラッシャー木村が団体を支えた。「気合いだ~!」のアニマル浜口が所属していたことでも知られている。日本で初めて金網デスマッチを敢行するなど、ユニークで個性的な団体であったが、昭和56年に敢えなく消滅。今もマニアの間では惜しむ声が少なくない。
「エッ、国際のビデオって出てるんですか!?」と以前、米村は目を丸くして尋ねたことがある。先場所中に渡したビデオを見たらしく、「ちょこっと映ってましたね(笑)」と、この日は嬉しそうな笑顔を見せていた。
チャンピオン防衛に成功し、ベルトを巻くストロング小林の後ろで父親である米村天心がセコンドについている姿がわずかにビデオに写っていた。
最後は「国際プロレス魂で頑張ります」と言って別れた。小兵ながら、押し相撲を目指している米村。父親が果たせなかった関取の夢を是非とも実現してほしいと思った。

個性派揃いのアマチュア軽量級

2005-10-03 00:26:03 | アマチュア相撲
 2日、靖国神社境内相撲場でおこなわれた全国学生個人体重別選手権大会。特に軽量級は個性派揃いで面白い。85㌔未満級に出場した東京大学3年のマトウシュ・ペテル選手は、知る人ぞ知る存在。チェコ出身で見た目がイエス・キリストか、ヨーロッパ系のスラッシュメタルのバンドメンバーを思わせるユニークな風貌だ。この日もテレビカメラをはじめ、複数のマスメディアが追いかけていた。ただし相撲のほうは、1回戦で惜しくも敗退。
 75㌔未満級を制した関西学院大学の田中正幸選手(写真)は、一風変わった相撲を取る。立ち合いは徳俵ギリギリのところに立ち、陸上のクラウチングスタートの格好から、相手の出方を探り、スキを見てタックルを仕掛け、相手を寄り倒すという取り口だ。展開によっては相手との間に一定の距離ができ、しばらくにらみ合いが続くといった具合だ。
「普段はレスリングをやっています。相撲のけいこは全然やってません」と本人は言う。仮にプロへ行けば、間違いなく否定される相撲だ。しかし、軽量の選手にとっては、むしろこういった取り口も一つの戦法に思う。
後に下がって仕切ることで相手との距離を作り、こちらから前に出ないという立ち合いをすれば、相手から受ける圧力がかなり軽減される。田中選手の相撲は、前に出なきゃいけないというこれまでの固定観念を打ち破るものだ。相撲のけいこばかりやっていては、かえってこういう発想は生まれなかったのかもしれない。舞の海も現役時代、後へ下がる立ち合いを試してみたことがある。
小兵が勝つためには、時には相撲の常識を疑ってかかる必要もある、そんなことを考えさせられた。

武双山引退相撲

2005-10-02 02:14:28 | 巡業、花相撲
 照れなのか、サービス精神なのか…。おそらく両方だろう。今日おこなわれた“平成の怪物”と言われた元大関武双山の引退相撲では、止めバサミの師匠を含め、378人がハサミを入れた。マゲと別れを告げ、整髪時におこなわれた会見では、ジョークを連発し周囲を笑わせた。「(断髪式のとき、どんなことを思い浮かべていた?) ありがたい気持ちというか、何とか(進行が)時間どおりにできればいいとか、いろんなことを思っていた」、「(マゲがなくなってどうか?) これでゴルフに行って、帽子が被れますね」、「(優勝を決めた魁皇戦の実況が再現されたが?) あんな長い相撲だったかな。確か秒殺だったんだけど」(実際は2秒2)。質問が結婚について及ぶと、「しないでしょうね」と言い切ってしまった。
 振り返れば、現役時代は報道陣の前で、本音をさらすことはなかったように思う。ケガをしても弱音はもちろん吐かなかったし、うれしいはずの勝利にも淡々としていた。自分に厳しく、それでいて周りの気配りを忘れない。大学出身でありながら、たたき上げの雰囲気を持った力士だった。
「人間的にも魅力ある力士を育てたい」と、これからの抱負を語った藤島親方。きっと素晴らしい弟子を育ててくれるに違いない。
(写真は整髪後、タレントのみのもんた氏と談笑する藤島親方)