住田功一のブログ

メディアについて考えること、ゼミ生と考えること……などをつづります

ラジオ番組『長崎市民は退避せよ〜防空情報放送は何を伝えたか』について

2023-08-07 22:45:00 | メディア関連
1993年(平成5年)8月7日(土)22:15から45分間、NHKラジオ(第1放送)の「ラジオアングル’93」という枠で全国に放送されたラジオドキュメンタリーが、『長崎市民は退避せよ 〜防空情報放送は何を伝えたか〜』です。

戦時中のラジオは、空襲警報や警戒警報を連日伝えていましたが、それに「敵機(米軍機)の数」「進む方向」「予想到達時間」などが加えられるようになりました。
それが「防空情報放送」です。これを全国で初めて実施したのは、西部軍と福岡放送局だったという資料が残っています。

各地の陸軍軍管区司令部の放送室(ブース)の中で当時の日本放送協会のアナウンサー(戦時下では放送員と呼んでいました)が、軍から手渡された情報メモを読み上げ、ラジオを通じて放送していました。

「防空情報放送」は、
東部軍管区の情報は東京・竹橋の司令部の放送室から、
中部軍管区の情報は大阪城公園内の司令部の放送室から、
西部軍管区の情報は福岡・大濠公園にあった司令部の放送室から…
といった具合に、軍管区に合わせたブロック単位で放送されていました。

当初は、「○○上空の敵少数機は東進中なり」というように、敵機の動きだけをおおざっぱに伝えていましたが、空襲が激しくなるにつれ、内容や形態も変貌していきます。

   ○      ○

1993年にNHK『ラジオ深夜便』で情報提供を呼びかけたところ、700通近いお便りが年配のリスナーから寄せられました。

福岡空襲や仙台空襲で。そして、昭和20年8月9日には長崎原爆投下の際に…。
それまでとは異なるメッセージをラジオが呼びかけたというのです。

そうした聴取者からの情報を元に、当時の放送局員や軍関係者を訪ねて取材すると、それまで放送史には残されていなかった事実がわかってきました。

いまから、ちょうど30年前の番組で、取材・制作者の私としても記憶が薄れてくる年月です。

ここでは、放送された内容をそのまま文字に起こしました。

放送史の中でも特異な記録ですが、内容について、新しい情報や、ご不明の点、ご指摘があればお知らせください。

住田功一

----【目次】-------------------------------

①プロローグ〜奇妙な退避放送
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/b09ad1a93be448d330325aae4e919894

②八月九日、長崎<1>
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/e67a9aec6430e55282e5dc78a4353e74

③終戦前年に始まった「防空情報放送」
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/ca399be29520ddf6bda4ce5046f8f59e

④放送室からの悲痛な叫び
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/90448a443b5fd4d6f043a6031b176f60

⑤八月九日、長崎<2>
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/e704ec92a9161925a03d7f1739179110

⑥エピローグ〜最後の「防空情報放送」
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/dae1cfaf8ec2a0bebee13100e14cb269



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