住田功一のブログ

メディアについて考えること、ゼミ生と考えること……などをつづります

阪神・淡路大震災から27年

2022-01-18 14:09:09 | 神戸関連
阪神・淡路大震災から27年を迎えた、神戸。
中央区三宮の東遊園地に行きました。

震災の日の前夜23時ごろ、訪れると、
テントも並んで、翌朝の追悼の集いの
準備ができていました。
「1.17」の形の竹灯籠とともに、
「忘」の形に並んだ紙灯籠にも明かりが灯されていました。
忘れない、忘れたい、忘れてはいけない…
「忘」の文字にはいろいろな思いが込められています。




朝、5時過ぎには、多くの市民も訪れ、
発災時刻の5時46分の時報に合わせて
みんなで手を合わせました。
今年は、少し寒さの緩んだ1.17でした。




昼前には、母校の大学の
慰霊碑前を訪ねました。
去年は、直前に「緊急事態宣言」が出て
訪れるご遺族も少なかったのですが、
今年はオミクロン株の流行の兆しはあるものの
前年より多い、7組のご遺族、
亡くなった学生の同級生や、先輩・後輩の姿もありました。




希望を感じたのは、
応援団の団長と、農学部の学生2人。
現役の学生の姿が今年もあったこと。
コロナが明けたら、
また多くの学生が慰霊碑にやってくることを
期待したいと思います。


✴️✴️✴️

神戸風月堂の包装イラスト

2021-01-11 22:41:27 | 神戸関連

お年賀のお菓子をデパートで探していると、
神戸生まれの私にはおなじみの
神戸風月堂の小さなゴーフルに出会いました。
その紙バッグのイラストをみて、おもわず見入ってしまいました。
神戸市役所のイラストです。

奥は超高層の1号館。1989年(平成元年)に竣工しました。
でも手前に、やけに低い建物、2号館(旧館)があります。
1957年(昭和32年)に8階建ての
モダンな(当時としては)庁舎として建てられましたが、
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で層崩壊を起こし、
6階部分が崩れてしまったのです。
下の写真は、私が地震直後に撮影した神戸市庁舎2号館です。

水道局などが入っていた6階が潰れてしまいました。
重要な書類取り出せなくなったといいます。
その翌年の1996年には、上部を取り払って
5階建ての建物として、引き続き使用されてきました。
だから、なにかぺったんこの低い建物だったんです。

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神戸風月堂の包装紙のイラストは
時代とともに改定されることで知られています。
神戸市庁舎2号館(旧館)も、
この震災後の低層バージョンに変わっていたんですね。
でも、去年、ちょっと淋しいニュースが…。
2020年3月で2号館(旧館)の運用をやめ
解体されるというのです。

【神戸新聞】
復興のシンボル、歴史に幕 神戸市役所2号館で「お別れ式典」
https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/202010/0013823863.shtml

跡地には庁舎機能だけでなく、
音楽ホールなどが入る複合施設を建設して、
2025年度以降に完成予定だといいます。
花時計、トーテムポールとともに
昭和の高度成長期に市のシンボルだった2号館。
とりわけ、震災で傷つきながらも
頑張り続けたビルの一つが消えるのは名残惜しいけど…。
新しい建物が建ったら、
風月堂の包装紙のイラストもリニューアルされるのかなぁ。

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神戸風月堂のサイトには、
神戸の街を代表する建物のイラストを包装紙に採用したのは、
昭和32年だと記されています。

【風月堂サイト】
http://www.kobe-fugetsudo.co.jp/story.html