住田功一のブログ

メディアについて考えること、ゼミ生と考えること……などをつづります

雲仙・普賢岳大火砕流と取材の安全 ゼミ合宿で考えたこと

2022-12-24 23:59:59 | ゼミ関連
12月21日から24日の日程で、
新型コロナの感染拡大で延期になっていた
雲仙ゼミ合宿を行いました。

いまから31年前の1991年6月3日午後4時過ぎ、
長崎県島原市の雲仙・普賢岳で発生した大火砕流で、
警戒中の消防団員と警察官、報道関係者、火山学者ら
43人が死亡するという大惨事となりました。

 詳しくは2021-02-07 09:24:44のブログ
 「『定点』を被災遺構に 雲仙・普賢岳の大火砕流から30年」
 https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/ac08173b9079ea4586e223fac04fd7be
 をお読みください

雲仙・島原という場所を選んだのは、
将来、放送局や制作会社で働こうと志しているゼミ生たちにとって、
雲仙・普賢岳でのできごとは
心に刻んでおくべきことではないかと考えたからです。


(写真:ゼミ合宿で訪れた、雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」)

雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」では、
科学的な展示に火砕流の威力をまざまざと感じるとともに、
亡くなったカメラマンや記者たちの遺品ともいうべき、
焼けたカメラや三脚を前に、
取材の安全とは何かを考えました。


(写真:「がまだすドーム」に展示されているNHKのカメラ=左=と、日本テレビの三脚=右=。カメラは熱で壊れ、三脚は高温で脚部が崩壊している)

また、がまだすドーム館長の杉本伸一さんに案内いただき、
災害遺構として昨年整備された「定点」を訪ねました。
毎日新聞の取材車や、報道関係者がチャーターしたタクシーは
火砕流の熱に触れ、長年、風雨にさらされたため
車体は歪み、赤茶色に錆びています。


(写真:2021年の現地整備で、定点遺構に保存展示された毎日新聞の取材車)

「定点」遺構が整備されるまで、
なぜ、30年という月日が必要だったのか。
それでもなお、この遺構を残し、教訓を伝えたいという
人々の思いにも触れた合宿でした。

いろいろコーディネイトしていただいた杉本伸一さん、
そして7月に行ったトークセッション
「カメラマンだった兄の最期をみつめて」にご協力いただいた
デザイン学科の石津勝先生に
あらためて感謝申し上げます。

(写真下:7月に行ったトークセッション「カメラマンだった兄の最期をみつめて」のポスター)