時のうてなに立ちて風を感ず。

To the happy few (Henri Beyle)

生存競争はシビアで熾烈になるのだろうか ⁈

2022年09月18日 | 考察メモ


◆ 主流メディアは庶民の側には立っていない。
WWⅡ当時の新聞記事などを見ると、良く分かります。困難な時代、強い圧力があった厳しい状況である時ほど、その本質があからさまになります。勝った勝ったと戦意高揚記事が出ますが、はたしてそれは庶民の為でしょうか、記事を読んで喜ぶかも知れませんが、戦争を進め国民を駆り立てる側に立った記事なのではないでしょうか。そして、敗戦後は同じ人達が180度向きを変えて、民主主義の時代だと書き始めたのです。新聞などメディアの分野だけではありません。教育界も、教科書に墨を塗って、これは間違いだと、同じ教師達が教えたのだそうです。政治の世界でもまた同様です、戦犯だった人が政界に残り、間もなく総理大臣になっているのです。おそらく、これらの人達で戦時中の行動を心底から反省した人は、ごくわずかで、殆どの人は『皆そうだった』『だまされた』と思うことで日々の生活に戻って行ったのではないでしょうか。
 
伊丹万作氏の『戦争責任者の問題』という著作があります。
その一部を下記に引用します。(全文は青空文庫で読めます)
 
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
ー引用はここまでー
以前にも引用しましたが、特に現在の社会状況を省みれば、何度でも引用するだけの価値があると思います。国内の新聞やテレビだけで情報を取得している人達は、今まさにメディアに騙されていると愚考しています。『ジャーナリズムはとうにくたばった』とジャーナリストの むのたけじ氏はおっしゃっていましたが、今は正に主流メディアのジャーナリズムはくたばっているのではないでしょうか。ジャーナリズムに正義を求め期待する時期は、すでに過ぎ去っています。戦時中の大本営発表のような報道、扇動、そして、思考や批判を奪う愚民化の為の、支配層のツールに成り下がってしまっていることを、一人でも多くの人に気付いて欲しいのです。もちろん、あからさまに判るような表現はしないでしょうけれども。

◆ 此の国には選択肢が与えられてはいない。
この8月、日本ののロシアからのLNGの輸入量は去年に比べて約3倍になっています。量的には不足しないかも知れませんが、単価が1.6倍に跳ね上がっています。これから冬にかけての光熱費の値上がりは避けられないでしょう。原油やガスなどエネルギーコストの値上がりは、輸送コストをはじめ多くの製品のコストを押し上げるでしょう。また、この半年での急激な円安は、食料自給率の低い日本にとって、特に庶民にとっては厳しいものになるかもしれません。
これら一連の社会経済状況の変化は、我が国が米国の言いなりにロシアに対する制裁を行った事に、原因の一端があります。しかし、別の選択肢を選べたかと言えば、恐らくできなかっただろうと思います。
ー DULLES N. MANPYO 氏の Twishort の一部を引用します。ー
中印が欧州よりずっと安い価格で資源を得、その資源を彼らの言い値で買わなければならない鎖環に組み込まれるということだ。日本もそれに否応なしに組み込まれる。どこにも競争力は生じない。バイデンらと幇間どもは自由世界の破壊分子として記録されるだろう。東京はいつもの鸚鵡返しを鎖環す。事態を注視していくと。それは座して死を待つという翻訳語で構わぬとおもう。今更彼らに選択肢はない」


➤「バイデンもあけすけだ。東京に対して核で守るの約束の翌日、ソウルにも同じ約束。私たちGOPはそのような一簒奪権力のボケ老人の約束などに拘束されない。これはあからさまな騙しであり空手形だ。我がU.S.のLibtardがどれほど騙してきたか。今更こんな嘘八百を信じる者もいなかろう」 
ー 引用はここまで ー  
  全文はここです。
共和党上院インナーサークル委員 DULLES N. MANPYO 氏も『今更彼らに選択肢はない』と言っています。だがしかし、重要な国益を左右する問題に於いて、選択の自由を奪われていることは、激動の時代が始まろうとしている今この時こそ、極めて危険な状態にあると言えるでしょう。

Natalia Lafourcade - La Malquerida



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