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とくしま山だより

日本の三大秘境と言われた徳島県三好市東祖谷(旧東祖谷山村)
そんな東祖谷からの山里だよりを発信出来ればと思っています。

令和3年6月20日・牛鬼渕へ(牟岐への道・その8)

2021-09-15 16:44:17 | 日記

                       ↓ 令和3年6月20・牟岐 牛鬼淵へ(動画)

      今回、県南 牟岐へ!ヤレヤレ峠とは?と言う事から探索と

          郷土史の観点から知られざる牟岐の地の事を

  学んだ、1日となりましたが、その中、炭窯から飛び出して来た化け物とは・・・・

    ここに来て思ったのが・・・この場所・・・

牟岐に伝わる牛鬼伝説・・・聞く話では牟岐の山中を徘徊していたとされ鬼ヶ岩屋伝説にも

             関連があるとも言われています。

 そんな牛鬼が退治された場所が西又地区にある牛鬼渕・・・ここにはどんな事があるのか・・・

           牛鬼渕を探索すべく向かってみました。

  

今回は知人でもある人文学の名誉教授にも同行をして頂き牛鬼渕の様子を見てきました。

 その様子を動画に・・・上記の画像・中央の三角マークをクリック!タップ!

               動画がみられます。

  

      牛鬼渕に伝わる伝説が書かれた看板が牛鬼渕のたもとにありました。

  

     静観なる場所にある牛鬼渕・・・人知れず流れる清流が、ここにはありました。


令和3年6月20日・炭窯と自然公園(牟岐への道・その8)

2021-09-11 06:05:24 | 日記

ヤレヤレ峠の散策を終え、牟岐の港町方向へ向かう中 見つけた木製の立て看板・・・

  西又山渓自然公園の文字・・・現地に来なければ知る事も無く終わってたかもしれない

知られざる、牟岐町の一面・・・これまでの、県内のイメージは海と港町と言う感じでしたが

    少し離れた場所には落ち着いた山並みが広がる空間を垣間見た今回の

 散策・・・知られざる一面を見た散策の時間となりました。

     自然公園の看板を後にし進む中・・・次に見つけたのが、この案内板・・・

西又炭窯の文字・・・やれやれ峠峠の言い伝えの中でも炭窯から化け物が飛び出して来て

  命からがら逃げた場所が、やれやれ峠だったとか・・・ここで、脳裏に浮かんだのが

  この地域は炭焼きが盛んな場所だったんだな~と・・・名誉教授から昔は海部刀が絶賛

     された場所でもあると聞かされた事もあり、鍛冶の文化は如何だったのか??

   刃物を作る上でも、一定の火力を保つためには、炭焼きの技術も伴って発展したのでは・・・?

             と、勝手なが想像を重ねた自分がいました。

   

    そんな、こんなで、この後炭焼き小屋の持ち主さんと偶然会いお花を伺う事に・・・・

      炭焼き小屋から最初のお宅に立ち寄る名誉教授・・・留守と言う事もあり

   前に進むと屋根を修理中の人影が・・・お孫さんとご夫婦と言う人が、そこにいました。

     そこで、名誉教授!すかさず、車を広場に停めて話を伺う事に・・・

   先程、訪れた やれやれ峠の事や鉱山跡について、この一帯を大暴れをしていた牛鬼に

     ついてなど・・・初対面でありながらも、気さくにお話をして頂ける

    

    ご夫婦には敬意を表したいと思えた対応に親近感が込み上げた時でもありました。

この後、名誉教授と共に水のある場所でご飯を食べよう!と言う事になっていましたが

 それなら家でと!と言う申し出にお言葉に甘えてと言う事となり・・・・

  

  すると、炭焼き小屋から最初にお宅が、ご夫婦のお宅だったのです!

     こんな偶然があるのかな~と名誉教授と話をする中、炭焼き小屋の成り立ちなど

 色々なお話を伺う事が出来、流れる時間が過ぎて行ったのは言うまでも無く

  話が尽きず名残惜しと感じる名誉教授と共に、この場を後にいたしました。

   

     牟岐町・西又地区周辺には沢山の炭焼き小屋があったそうですが

        今では、訪れた炭焼き小屋のみとなってしまったとの事!

     これからも、地域の伝統文化を伝える場として担ってくれる

        場として残って行ければと思った時でもありました。

                          づづく!

 

    

 


令和3年6月20日・やれやれ峠へ!2(牟岐への道・その7)

2021-09-08 19:51:52 | 日記

道迷いと思われる中、GPS受信機を頼りに無くなりつつある峠道を見つけヤレヤレ峠へ

    場所によっては倒木が道を阻む場面もありました。

 チェーンソー持って来ないと厳しいなぁ~・・・と思える道をたどり

     お地蔵さまが安置されている峠に向かいました。

  ある程度、倒木が乱立する場所を抜けると、やっと歩道らしく思える場所に・・・

           峠までは歩きやすい歩道が残っていました

  やっとの思いでたどり着いたやれやれ峠! 明治41年2月15日建立(こんりゅう)

    と書かれた地蔵尊!この後、地蔵尊に書かれた文字を頼りに名誉教授に

 読み聞かせていただきましたが、地蔵尊に書かれてあった文字は・・・

  施主・西叉 購中と書かれてあり(購中・こうちん)とは色々な意味があるらしく

    今回はあなたにお金を貸します!等の意味があるとか!

 

やれやれ峠からしばらく下流側に西叉集落がある事から、この場所は西叉しゅうらくなのかなぁ~と

     言う事も・・・何とも興味深い話ではありましたが、誰が何の目的で

この場所に地蔵尊を建立したのかは謎のまま・・・集落に残る文献や住んでいる人から

   昔の言い伝えなどが解る人からお話を聞く事が出来ればと言う事となり

        この場では、解からないまましばらく滞在をした後

     この場を、後にしたのでもありました。

    そんな、ヤレヤレ峠・・・なぜ、このような名前になったのか・・・

 阿波の峠歩きと里山歩きの中に書かれてありました。

 その昔、この辺りは炭焼きが盛んな場所だったそうで・・・

  

この峠の近くで、炭焼きをしていた人が、夜遅くかまどから、炭を取り出していた時の事・・・

大声と共に化け物が出て来たとあります。その形相から驚いた人は必死の思いで

            命からがら、逃げたのだとか・・・

   やっとの事で、この峠にたどり着き言った言葉が・・・

やれやれ、ここまで来たらたすかった!」と言う言葉が出て、この名の峠の名前がついたとか!

    そんな峠は、牟岐と海陽町・玉傘を始めとした重要な街道となったとか!

           五差路になっている峠道の名残が残る場所でもありました。

  そんな峠も昭和28年に牟岐町・西叉の資産家・山西彦太郎氏がトンネルを掘り

 (今ではコンクリートで固められているトンネルですが、以前は素掘りのトンネルだったとか!)

    交通手段も変わり始め通る人も少なくなり、今ではひっそりとした場所となっていました。

  そんな、やれやれ峠ですが、地図上では奥谷トンネルの真上が、峠となっているようですが

     本来はトンネルから離れた場所の、この場所が本来のやれやれ峠との事!

  八丁坂越・入道山・矢筈山への登山の一旦を担っている場所でもあるだけに

      昔の名残が残っていてほしい場所の一つでもありました。

 

 これで、やれやれ峠までの事は終えたいと思いますが、この後も少し気になる場所が・・・

      補足・番外編と言う事で書ければと思っています。

         

 

      


令和3年6月20日・やれやれ峠へ!1(牟岐への道・その6)

2021-09-08 04:30:50 | 日記

このシリーズを書く上で、大雨のせいにはして行けない! 

 確かに、大雨が降り、今の東祖谷の実情を知ってほしいと言う思いからも

8月は雨に関しての話題が多くなっていていましたが、大きな被害も無く

安堵した8月の長雨・・・8月も下旬ころから9月にかけて天候も安定し始め

 落ち着いた状況と言う事もあり、途中で終わらせたら、一体何だったのか・・・

と言う事になりかねないので、続きを書いて見たいと思います。

  あたしゃ~の、ごたくは、いいから早く進めろ! 失礼いたしました。

    

     今回の目的は!やれやれ峠とは、何ぞや!と言う所にありました。地名の由来からして

       どのような場所なのか?興味が湧いたのは言うまでもありませんでした。

   そこで、数回にわたり県南・牟岐へ!と言う事でシリーズを書いていますが、

     やっとヤレヤレ峠へ!歩いて20分程度の行程との事でしたが、道は荒れていたり

              新道があったりと、迷う場面もあったり!

       波瀾万丈な行程となった峠歩き・・・少しずつ書いて行きたいと思います。

     

       やれやれ峠への道・・・最終的には道跡などの痕跡を見つけながら峠への

         道を見つけ出しました。入道山・登山への道の一つとされて

   色々な方が本やネット情報などで書かれていますが、今回、参考にしたのが鳴門岳友会の

     徳島250山と阿波の峠を歩く会の2冊の本の資料と山マップにあった資料を参考に

       歩いてみました。実際には手ごわい! GPS受信機を持っていたから

   何とかなったものの20分処か!倍の時間をかけての峠にある地蔵尊へ到着!

              困難極めた峠歩きとなりました。

     廃道となりつつある峠道・・・地図読みや道跡などをイメージが出来る人・・・

               向きの場所でもあると書いておきます。

    あまり、山に関わった事が無い方、山登り初心者の方、方向感覚つかみ難い方などが

      興味本位で行くと思わぬ事故などに繋がりかねないと言う事だけ書いておきます。

   今回は知人でもある大学の名誉教授も同行したいとの事だったので一緒に登る事に・・・  

      登山口から登ると歩きやすい歩道が見えて来るのですが・・・これが

                  最初の落とし穴でした!

   この道は歩きやすかった事も有りますが、林業を行うための作業道のようでした。

     奥谷トンネル方向に伸びている歩道は地図上の、やれやれ峠へ峠への

  方向に向かっているのですが、実際のやれやれ峠には地蔵尊がある場所・・・

        GPS受信機を見直し進む方向を定め直した時でもありました。

    歩いて来た道を引き返しGPSを見直し進む方向の選択を測り進む事に・・・

  

      GPSを確認する中、どこが道なのか?四苦八苦する事となりました。

         道らしきものが数本・・・どの方向に進めば・・・?

    とにかく、あらかじめ、GPSには進行方向のデータと前任者の方が踏破したデータを

          入力していたので、データを頼りに進む事に・・・・

 確かに、本にも書かれてありましたが、道跡が、わかり難い場所があるとは書かれてありましたが

     ここまで来ると本当に解かり難い・・・慎重に道跡らしきものを見極めながら

             進行方向を進む事に・・・

     

       頼りになったのが、これ!持っているのが良いのか?持っていないのが良いのか?

         持っていても、使い方が解らなければ、ただの箱・・・・

     最近ではスマホ・アプリでもGPS機能が充実したものがありますが、持っているからと

        いきなり、山に入っても使い物にはならないので、使い方を熟知した上で

                     山と向き合いましょう!

     

   私の場合は自宅周辺を持って歩き、データを収集し、パソコンに収集データを

         表示させたり、GPS上に表示される地図データ(等高線)を見ながら

  

  進むべき目的の方向・進んでいる場所に何があるのか?

      (等高線の間隔を見て急斜面や崖・谷川などが無いかなど・・・)

  

  基本的な地図読みが出来て初めて地図読みの面白さや危険個所の回避などにつながる

          のでは無いかと思われます。

 

  この事からも、GPS受信機などを持っているから安心と言うのではなく

    サポートをしてくれる道具の一つでもあるものだと言う認識の上

      使い方を間違えるとGPS受信機・スマホ・アプリを使っていても

   

   道迷いは起こります・・・私、自身もこれまでにも受信機を持っていても

      何度か道を間違った事もあり50m前後の場所で間違いに気づき

 引き返した後に進行方向を補正し進むべき方向に進み難を脱した事も多々あり・・・

        経験上の事も書いておきます。

 

この事からもGPS受信機などの取り扱いについては、身近な場所で扱い方を

 学んだ上、経験を重ねて行きながら安全な登山をサポートしてくれる

    これらの機器の取り扱いを行って頂けたらと思います。

話が脱線いたしましたが・・・次回!ヤレヤレ峠にたどり着いたのか・・・?

 そこにあった物は・・・など???これは別のお話に・・・!

 

       

 

 

 

 

    

 


令和3年8月19日・大雨が降る1日に・・・

2021-08-19 23:00:24 | 日記

連日、雨の降らない日は無いと思う日々が続いています。

本日も大雨が降る朝に・・・そしてしばらくは止み間もあり大雨も一休み

しかし、悪夢はお昼から・・・12:41から再びの大雨に!

前が見えない程の大雨となりました。

 

歩道・道路は川のごとく!石垣も激しく降る雨と川のような流れに・・・

大雨は続き、新しく出来ようとしているトンネル脇には谷川の

大量の水が押し寄せていました。雨はその後も激しさを伴い降る雨に・・・

普段は流れも緩やかな祖谷川も濁流の中にありました。

 

そんな大雨となった、令和3年8月19日の東祖谷の様子を動画にしてみました。

         ↓令和3年8月19日・大雨が降る1日に・(動画)