酔月庵 A Side

設計屋系システム屋から見た世界

日本のBLOGの可能性

2004-06-09 07:16:31 | BLOG
 ちょっと前にBLOGを始めて1週間目の感想として、「BLOGってすばらしい」ってな感想を
書いたのですが、今回BLOGの可能性に書かれた週刊!木村剛(通称ゴーログ)の
ココログユーザーは100万人!?という記事に関連して、私の考える今のBLOGについて
少し書いてみたいと思います。

 以前にも書いたように、BLOGがアメリカで流行る前から、日本には所謂「テキストサイト」と呼ばれる
個人が運営する文章中心のWebサイトにおいて、文中に他のサイトの文章へとリンクを張って自論を
展開するというコミュニケーションが存在していました。
 BLOGが出始めた頃には、
「日本においてBLOGは目新しいものではなく、大騒ぎするほどのものではない」
という議論もありました。しかし、BLOGの本当の凄さは前にも
書きましたが、誰でも簡単に更新ができ、しかも、いとも簡単に他のBLOGへのリンクが張る事ができる
共通のシステム(ルール)にあります。(このシステム化こそがアメリカの最も得意とするところです)
 それまでは、ホームページ作成ソフトやHTMLの知識が必要だった事が、それらの知識が全く不要
のままに、同じ事が実現できるようになりました。この便利さは実際にBLOGを始めてみて実感できました。
その効果は、現在の爆発的に増えたBLOGの数を見れば明らかです。Webを通じて不特定多数の相手と
コミュニケーションを図る事がより一層簡単になりました。

 しかし、日本においてもBLOGが爆発的に普及するに至って再び日本とアメリカの差が現れてきました。
それは「日本人がちゃんとした議論が下手だ」という事です。
日本人の言う「議論」というものがどんなものかは、ディベートについて学んだアメリカの小学生にさえ
鼻で笑われそうな、典型的な「詭弁」をあろう事か国民に向かって平気で使う政治家さんや、
事実と意見の切り分けという報道の基本中の基本すら守れていない(むしろ意図的に混在させている)
マスコミ家さんの報道を見れば良く分かると思います。
 そんな議論下手な日本人が、アメリカのようにBLOGを通じで議論を交わし、BLOGを第三のメディア
と呼ばれるまでの場に育て上げる事ができるのか、私は疑問に思っていました。

 しかし、最近のBLOGの流れを見ていると、テレビに映る日本に失望しそうになる支離滅裂な議論や
公正さを感じない意図を持った報道とは全く違った、建設的な意見交換ができている流れがある事に
気付きました。その流れの中心にあるBLOG、それが今のゴーログです。
 今までも日本にはちゃんとした意見交換がしたいというニーズはあったと思うのです。その表れの一つが、
斜に構え一見不真面目を装いながらも案外真面目に議論が行われている2chではないかと思うのです。
しかし、2chではその匿名性から、言い捨ての言葉が中心であり、ある程度以上真剣な議論には発展
し得ませんでした。
 一方で、BLOGを用いたコミュニケーションであれば、発言者には発言者のBLOGという、
その人の人間性を証明する背景があります。BLOGが背景にあればたとえ匿名であっても、その人の
言葉の軌跡であるBLOG(まさにLOG)があれば、ちゃんとした議論は可能です。(むしろ初対面で
背景を全く知らない相手との対面コミュニケーションよりもやりやすいくらいです)
そして、そのBLOGは簡単に誰でも始める事ができる。BLOGの出現により、日本でもWeb上でちゃんとした
意見交換をするための土台はできていました。しかし、それだけでは不十分でした。
 そこに現れたのがゴーログ。
 書いている人の実名も背景も分かる信頼できる人のBLOGである事。毎日新しい記事が発表される事。
そして、トラックバックを行った相手に対する真摯な態度でのコメント。意見交換の核となる場所になるには
十分でした。この人ならば、自分の考えをぶつけても大丈夫だ。信用できる。そう思えるBLOGなのです。
かくして、ゴーログを中心にBLOGでの意見交換の流れができ始めました。

 議論下手と言われる日本人が、BLOGを通じて正しい議論を実践的に身に付け、日本人の
コミュニケーションスキルが向上すれば、この国はきっと良くなる。BLOGはそんな日本大復活の可能性を、
私はゴーログとゴーログに集まる方々のBLOGに感じました。
 今の日本の閉塞感を打破するのは、さらにはこれからの歴史を動かすのは、BLOGにおける意見交換が
きっかけになるのではないか、と私は思うのです。

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