世の中の夫婦は、自身の意識の深い処に存在する「欲求」が上手いこと合致したり合意して夫婦としての関係性が成立するものだと思ってる。
逆を言えば、自身の「欲求」が満たされない以上、渇きから逃れる術はない。
「欲求」は「欲望」ほど扱いが簡単ではない。満たされないと、大きな不満が生じ、不和になる。
ふとした瞬間、堰き止められていた「欲求」は、大きなうねりと共に夫婦に押し寄せる。
1度ひび割れた関係を修復するのは困難であり、なんとか修復したとしても、そこにはもはや対等な関係は結べない。
1度失った信頼は取り戻せない。
たとえこちらが相手を愛していたとしても、愛は戻らない。
「愛」は、与え続ける物だとしても、自分自身の輝きを失ってまで与え続ける事は出来ない。
何故ならば、「愛」は、お互いを輝かせる物であり、自分自身の輝きを失ってまで与える愛は、もはや愛ではなく「妄執」であるからだ。
相手の立場と自身の立ち位置を確認したら、適当な距離感が掴める。
その上で、相手の幸せを願う事であるならば、それはそれでまた「愛のカタチ」なのかなあ、と思う。
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