具体的な事は今ひとつ思い出せないでいるが、何故かよく覚えている曲だ。
東京へ出るきっかけが少しでもつかめるようにと
当時のバイトも音楽の「お」の字だけでも関わってるところをと選んだ
中国芸能というイベントやコンサートなどの興行会社で
そこの宣伝カーに乗る仕事をしていた。
丁度その頃によく聴いていた曲だと思う。
どこかしらほっとするようなフォークだけど
こういう歌が流行るような時代のほうが
国も政治家も、もうちっとは熱くなれるのかも知れないよな。
1975年といえばあの矢沢永吉のバンド「キャロル」が解散した年だ。
もうそんな前になるんだな。


普段からメールのやり取りで済ませる事が多い昨今だが、だから余計に朝早くの電話は
特別の「何かあったのか...な」と一瞬ドキッとさせる。
「おはようございます。朝早くからすみません。都志見さん今日自宅におられますか?」
「どうしたっ!?.......」
「あのう...たった今、宮城の女川から捕れたてのサンマが沢山届いたので、
食べてください!届けます。」
せっかくだから、より新鮮なうちにという後輩の心使いがまた嬉しい。
勝ちどき橋渡れば 浪花節でも聞こえそうな
三味線の音風に柳ゆれ姐さんこれからどちらまで
向こう三軒両隣りは 人なつっこそうな笑い声がこぼれてくるよ
さんま焼けたか 粋な親父の声がする(さんま焼けたかの歌詞の一部)
実際に勝どき橋の向こうに住む後輩が、勝どき渡って来てくれた。
送られて来た時と同じ水と氷のまま持ってきましたからと、
見るからに色のいい銀ギラのサンマを届けて頂いた。
今年のサンマは脂がほどよく乗っていて今までに何度か食べていたが
何しろここまで奇麗に食べれたのも生涯で初めての事だった。
昔住んでいた町の定食屋でカウンターの隣に座ったタクシーの運転手さんが
背骨一本残して綺麗に食べ終えたサンマの姿が何とも美しく
いつしか自分もと憧れていた魚の食べ方だった。
それくらい臭みもなく身のつき方も上等なサンマだったわけである。
食べきれないともったいないので、控えめに4匹だけいただいたが
友人曰く、ツミレにして食べたら絶品だったと聞き
次回は少し多めに頂いて、焼きの後はツミレ汁に挑戦してみるか。
勝どきの後輩殿 ごっそうさん!
Have a nice day!