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パピヨン&猫~アリオ&りんご&バジル&くるみのブログ~

愛犬&愛猫と一緒に愛車で日本全国?はまだまだですが、お出掛けした事・趣味のお城の事・鉄道の事など紹介しています。

上田城築城

2016-03-11 18:35:06 | 
私見です。
古地図や郷土史を参考にして描いてみました。

上田城築城前の様子。

①小泉曲輪と呼ばれている場所で小泉氏の古城館があったとされる場所。
②上田高校がある場所には常田氏の御屋敷があった場所。
③尼ヶ淵
④千曲川
⑤旧矢出沢川が流れていた広谷
⑥旧矢出沢川
⑦旧蛭沢川
⑧上州道(みち)
⑨川中島道(東山道)当時はそう呼んでいたものと思われる
⑩保福寺道(東山道)当時はそう呼んでいたものと思われる
⑪川中島道(東山道)当時はそう呼んでいたものと思われる

この場所選定した理由には
武田信玄の家臣であった真田幸隆(幸綱)が対岸の諏訪形を信玄より宛行われ、のちに幸隆に伴って昌幸も諏訪形から尼ヶ淵を眺めていたのではと思われる事。
尼ヶ淵周辺の地も宛行われており「小泉ノ城破却御祝着ノ由被仰出候」と記された文書から、小泉曲輪の地も支配していた事。
現上田高校の場所に常田氏の御屋敷があり、幸隆の弟の隆永が常田氏の養子となり、真田氏の勢力が及んでいた事。
盆地の北側であるが盆地一帯を望むことができ、小県郡平定の為には絶好の地であった事。
等々が挙げられる。


天正12年(1584年)頃の上田城の様子。

①本丸
②二の丸
③作事場、第一次上田合戦時には横曲輪になったか?
④常田氏御屋敷、第一次上田合戦時には横曲輪になったか?
⑤広谷を堰き止めた広堀
⑥尼ヶ淵
⑦蛭沢川を北に向けて分流
⑧矢出沢川を外堀のような筋を変更
⑨堀への導水路に付した排水路
⑩二の丸と小泉曲輪間に設置した空堀
⑪小泉曲輪
⑫小泉曲輪の一部で捨曲輪としその間には堀を兼ねる排水路を通した
⑬城下町(この時は小規模)
⑭東の大手口
⑮北の大手口
⑯千曲川
⑰上州道
⑱北へ寄せた川中島道
⑲川中島道
⑳保福寺道

北の上杉勢に対する為の縄張りになっています。
西側は堅固な構えになっています。
東側の防御力はそれほど高くはない。また規模が小さいが城下町が整備された。
城の鬼門となる方向には海野郷より寺社を移築した。

築城は徳川の援助で始まり、上杉の援助で一応の完成に至った。

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