パピヨン&猫~アリオ&りんご&バジル&くるみのブログ~

愛犬&愛猫と一緒に愛車で日本全国?はまだまだですが、お出掛けした事・趣味のお城の事・鉄道の事など紹介しています。

フォトコンテストの賞状を受け取りに名犬牧場に行ってきたよ5/14

2017-05-30 09:13:46 | 愛犬
受け取る前にドッグランで遊びました。







おやつがあれば何でもできる(≧▽≦)

りんごちゃんは前から昇り降りしてました。
アリオは昇りたがらなかったのですが
この日はよほどおやつが欲しかったのか積極的に昇ってきました(^O^)




よい笑顔(*^^*)

1時間半ほど遊んだ後、賞状を受け取りました。

副賞はナント!
伊香保温泉のペア宿泊券でした(´∀`*)ウフフ
やったね!アリオ(´Д⊂ヽ
いつ行こうかな、楽しみです。

車で留守番していたバジル

帰ってきたのぉ~




置いてって、フン!

碓氷峠の陣城跡に行ってきたよ5/20

2017-05-24 18:43:20 | 愛犬
5/13に報道発表された
碓氷峠の陣城跡に行ってきました。
(確認の為に22日午後再訪しました)

その存在は、以前から指摘されていたようですが
約1年半前に、その存在が明らかになりその後の調査などにより今回の報道発表となったということです。

詳しい内容は、東京新聞や毎日新聞のWeb記事でご確認ください。

上田から1時間ほど、碓氷峠がある峠町に到着。

長野・群馬県境に鎮座する熊野皇大神社(長野)。

早速向かいました。
歩き始めると最初の分岐点に。

多数の祠や石碑がありました。


案内表示に従って右の旧中山道を下って行きます。
ちなみに左は和宮道と言われる道です。

旧中山道を進むとまた分岐点が。

左が旧中山道。
右はのちに開削された道だと思われます。これについては後ほど。


旧中山道を進むと長坂道という案内板があります。


旧中山道は人ひとりが通れるぐらいの道幅です。
更に進むとすれ違いのも大変なぐらいになります。

右の道

軽自動車から小中型普通車なら通行できるほどの道幅があります。

この右の道を70歩ほど進むと階段があります。



これがその階段です。

この階段を上がると陣城跡域になります。
ここからは、陣城跡を撮影した画像が続きます。

尚、古いお墓が点在していて、個人所有の墓地もあります。
近寄らない様に十分に気を付けて行動したつもりでいます。

どれがどこかの説明は省きます。



堀切のようです。




















桝形虎口跡のようです。




横堀跡のようです。










こちらが報道記事に掲載された画像の場所です。

画像では、その凹凸感がよくわからないのです。撮影技術不足もありますが(^ω^;)
現地で見るとその姿が良く分かります。

記念撮影









枯草木の下がどうなっているかわからないし
コロコロした鹿のフン?があちこちにあったので、撮影する時だけ降ろしました。

ちなみに熊の足跡や爪痕は見る限りでは無かったです。

歩き回っている時は片手で抱っこしたまま、もう片手でカメラを持って撮影。
結構疲れました(^ω^;)

ただ、元々緩やかな広い斜面?緩やかな尾根を平削した事によってできた斜面?に築かれたので歩きやすいです。

歩き回り、見た感じや撮影した画像を元に縄張り図を作ってみました。
縄張り図下部に書いてある通りです。趣味の一環で描いたものです。

碓氷峠の陣城の縄張り図

見落とした部分も多々あると思います。
重ね重ね言いますが、あくまでも趣味の一環で描いたものです。

ちょっと解説を添えてみました。

縄張り図を描いてみて
尚、報道記事や現地の案内板には『中山道』『旧中山道』となっていますが
1590年(天正18年)当時はまだ東山道若しくは山道で『中山道』はという呼称は江戸時代になってから付けられたと認識していますのでこれよりは『東山道』と記載します。

①は主郭に相当するような郭かなと思いました。
②は主郭に連なる段差下がりの二郭かな。
③は堀切で隔てられた三郭かな。
④は物見郭かな。北東方向から上ってくる道を良く見渡せる場所?木々が生い茂っているのでそれは確認できませんが。
⑤は西郭?その西側に横堀・土塁があるのがわかります。
⑥は段郭?と言っていいのでしょうか?桝形虎口を含め西側に北から南に向けてコの字型の登り土塁があります。
郭内は3段+桝形虎口。段郭の東西は堀切があります。
⑦は陣城の最高地点です。全体を良く見渡せたことでしょう。
⑧は桝形虎口かな。東山道から一段目の郭(帯郭?)を経たところにあります。ちなみに東山道から三郭に至る帯郭には平虎口があります。
⑨東山道ですが、現在の状況を描いたので図では旧中山道としました。尚、その北側に描いた二重線は土塁上になっている部分を表現しています。
⑩ですが、先記したように軽自動車から小中型普通車が通れるような道なのですが、一見、箱掘りの跡かなとも思いますが私は、のちに開削された道だと思います。もしかしたら途中の部分は堀切になっていたかもしれません。
⑪は記した通りの場所です。判りづらいですが下の画像です。

東に向かって撮りました。左が道で右側が緩やかな斜面。
この辺りでは道と右側の斜面との段差が無くなります。
道の左側は数歩先に法面が確認でき一段高くなっています。その先は崖(谷)です。


反転して西に向かって撮りました。かなりの広さがあります。その先は崖(谷)です。

⑩⑪から、陣城跡地には、お墓が点在しています。
江戸期の年号が彫られた墓石が多数点在。
中には横倒しになり半分埋まっている苔むした墓石もありました。
そして今も使われているお墓もあります。御影石のお墓があり『平成』の文字が彫られていました。

また⑪の広い緩斜面にも墓地が数か所あります。こちらのお墓にも『平成』の文字が彫られていました。

これらの事を考えると、車の出入りが必要だということです。
その昔は歩いて墓地へ向かったが、車社会となると車が通れるように整備したのだと思います。
また、この道は先に掲載した画像の通り800M先行き止りなのです。
1590年当時に他の古道があったとは思えませんし、この部分を堀切にする必要があったのか?とも思います。

そしてもう一つ、⑪の緩斜面は雑兵の宿営地だったのでは?と思いました。

ご存知の通り、豊臣軍北国勢前田・上杉・真田の連合軍でその数は35,000人であったと言われています。
その中で、真田が先鋒であったと。
そこは勝手知ったる上州の地。まぁ、上杉勢もそうですが。
真田の軍勢は3,000人。
35,000の内の大多数の雑兵等を収容する場所が必ず必要だったと思います。

それが、⑪の地であったり、後詰として熊野皇大神社が鎮座する地やその周辺(現在、茶屋がある場所)に前田・上杉勢らが駐屯していたのではと。

碓氷峠を下ってわずかの場所である陣城跡地は最適な場所であったと思います。
山間部に居る場合、敵より上にいる事が戦の常套手段だと思います。

北条軍は北国勢進軍の防衛の為に現在、旧坂本宿(徳川家光の時代に計画的に作られた宿場)と呼ばれる場所の北西にある刎石山の南東の麓の小さな丘陵に碓氷城を築きました。碓氷峠から7kmほどのところです。

北国勢は3月中頃にそれを突破し、3月下旬頃、碓氷城から東に9kmほど先の松井田城を落としています。

しかしこの時も、碓氷峠の陣城を拠点にしていて、僅か1か月ほど間、本格的に使用されたのだと思います。

と、まぁこんなことを考えているとワクワクしてきますね(^O^)
あくまでも、妄想です妄想。
真田昌幸が築城に関わった」なんて思うだけで(・∀・)ニヤニヤ。

今回は、現地でそれを感じたい想いたいということで行ってきました。
とても楽しかったです(*^^*)

お昼は、元祖力餅しげの屋さんで冷山菜力餅入りそばを頂きました(*^^*)
テラス席はペットOK。嬉しいですね\(^o^)/









テラス席は、テーブル席とカウンター席があります。
カウンター席で、すばらしい眺望で大満足なお昼になりました。




GW最終日『日本遺産 旧閑谷学校』編5/7

2017-05-12 17:27:30 | 愛犬
平成27年度に創設された『日本遺産』の第一号認定の
『近世日本の教育遺産群』の内のひとつ旧閑谷学校





国宝の講堂


夏目漱石も行ってみたかったという
1670年に創建され現存する世界最古の庶民のための公立学校。

備前焼の瓦が葺かれ、入母屋造りで講堂内部の壁には華頭窓が装飾されていました。






断面がかまぼこ型をした石塀。
積み方は、切り込み接ぎ。
ぐるっと学校を囲っています。

旧閑谷学校をバックに撮っていると





目の前を虫が通過。
一斉に振り向き目で追いますが


興味ないのかアリオりんごはそれ以上追わず
バジルは反応!!!さすが猫ですね。


「エイっ!?!?」
残念ながら取り逃がしたようです(^ω^;)


「取り逃がしたニャ~・・・」


「まぁ~まぁ~、次がんばれよ・・・」


「はい、気を取り直して・・・」


「よっこいしょっ、え~と、もういいですか・・・」


「僕も疲れたニャ~・・・」
アリオ(´Д⊂ヽあんたは忠犬やね!!!かわいいよ(*´▽`*)

ちょっと寄っていくつもりが、ガッツリ観光となりました。
これで観光は全て終了。

備前ICから山陽道へ。宝塚付近で少々の渋滞。名神の桂川PAで休憩。
多賀SAで休憩&9回目の給油。中央道駒ヶ岳SAで遅い晩御飯を摂り
23時45分に自宅に到着。事故等のトラブルに合わず無事帰ってこられました(^O^)

2日の19時45分に自宅を出発、7日の23時45分に到着。
この間の走行距離は3,273kmでした。よく走ったもんだ。

愛車のハイエース、お疲れさん(*^^*)

楽しい楽しいGWでした(*´▽`*)・・・完。

GW最終日『日本遺産 備前焼』編5/7

2017-05-12 14:39:03 | 愛猫
玉野市のみやま公園から1時間程、
備前焼の里備前市伊部(いんべ)にやって来ました。

『日本遺産』なるモノがあることは知っていました。
GW前にも平成29年度の認定された『日本遺産』は発表されてましたが。
その時は、行く予定にしていなかったので
長野県関連はあるかなぁぐらいにしか見ていなかったのです。

平成27年度から文化庁が始めた文化・伝統を語る
ストーリーを『日本遺産』として認定する事業。

備前焼は平成29年度に認定されたばかりの
『きっと恋する六古窯』の内のひとつでした(^O^)
タイミングよく訪れることが出来ました。

JR伊部駅の観光案内所へ行くと
ボランティアガイドさんが案内してくれるということで
新人のおばちゃんとベテランのおじさんが案内してくれました。

さぁ、付いて行くニャ~






建屋で覆われている登り窯


このようなレンガ造の煙突が林立していました。

一軒の窯元さん(陶泉堂)のところへやって来ました。
窯を見学しながら3,40分程備前焼についてお話していただきました。
土取りから土作り、焼き方など丁寧に教えて頂きました。
大変に時間と手がかかっています。
そうでなければ備前焼は出来ないのです。

大事な大事な土です。
この地でしか採取できなくその場所も限られていて
田んぼの下のから掘り返して採取するようです。
常に2年分は確保しておくとの事。

天保窯を見ながら歩を進めると

北大窯跡に

斜面を利用し窯の全長は50mほどあったようです。

天津神社へ

















瓦から塀、参道に敷き詰められたタイル、置物すべてが備前焼。

街を歩いていると
反応してしまいます『真田』の文字に(^O^)



昔はこのような大きなかめ等の陶器(水がめ、味噌がめ)を主に作っていたので大きな窯がありましたが、
時代が下るにつれて作られる陶器が鉢や桶、さらに食器類などの小さな陶器に変わっていったために
また大きな窯は維持費もかかるので窯が小さくなっていったという事です。

そう言えば、真田丸で秀吉が大きなかめで塩漬けにされていたなぁ・・・


こちらの興楽園さんの店主さんとお話をすると
昔、長野県(松本など)にいたことがあったと、上田の事も知っていました(^O^)

丁寧に2時間ほど案内していただきました。ありがとうございました。

「閑谷学校も見て行くといいよ」と勧めて頂いたので
山陽道備前ICの手前であったこともあり行ってみました。・・・つづく。

GW最終日『ドッグラン』編5/7

2017-05-12 10:48:17 | 愛犬
5/6、14時過ぎ、鹿児島市をあとにし自宅へ向かって
九州道を北上。

途中、宮原SAで休憩し、ここから一気に九州を抜け中国道へ。
王司PAでガソリンが半分になっていたので7回目の満タン給油。
美東SAで早めの夕食休憩&お散歩。

行きと同様に山陽道へ。広島を抜け、23時30分頃に吉備SAに到着。
ここで車中泊しました。


あとは自宅へ帰っていくだけなのですが
ここまで来ると、ちょっと寄り道したくなります。

朝からマスカットソフト(^O^)


調べたところ、吉備SAから50分ほどのところにドッグランがあることがわかり向かいました。

9時頃、吉備SAスマートICから下りて、一路玉野市へ。
吉備SA近くのGSで8回目の給油。ここが一番安かった。119円でした\(^o^)/

玉野市のみやま公園にあるドッグランに着きました。

1頭500円でした。

4日~6日の間、たくさん歩くことはあっても
走り回ることが出来なかったのでリフレッシュ!!



アリオの後ろ姿(^O^)形が整っています。














バジルは枠外のテーブルで。


出合ったパピヨンちゃん。
まだ1歳半だって、元気よくぴょんぴょん走り回っていました。

1時間半ほど遊んだところでお昼頃になったので
みやま公園のとなりにある道の駅みやま公園でお昼を調達。

穴子すし等を買って車で食べました。
美味しかった(*´▽`*)

帰りの道すがらに備前焼の里があることがわかり行く事にしました。
我が家は旅行先で陶器などの焼物の地へ行く事が多いです。・・・つづく。

実は33年振りの鹿児島県②5/6

2017-05-12 08:40:10 | 愛犬
指宿から移動する事1時間半。

鹿児島市に着きました。
6回目の給油、129円だったかな。
給油後、早速向かった先は、



しろくま天文館むじゃき
曇りでちょっと涼しかったけど。






しろくまで~す。美味しかった(*´▽`*)

そのまま天文館をブラタモリし、



さらに中央公園へ向かって進むと
ちょうどお昼頃だったこともあって
賑わっているお弁当屋さんが1件目に付きました。

おばちゃんが一人で切り盛りしているお弁当屋さん。
黒豚のメンチカツ、コロッケ、鶏のから揚げ美味しかったですヾ(≧▽≦)ノ

こちらで、お弁当を買って
西郷どんの銅像を見ながら中央公園でランチ。

と、お弁当を食べようと用意し始めたとき、
道路を挟んだ反対側に中央公民館前で変装した人たちが
観光客らしき人達と写真を撮っていたので
時間が終わっちゃったらいけないと思って慌てて行ってみました。

薩摩観光維新隊に皆さんでした。
この日は、大久保利通と篤姫がおもてなししていました。

西郷どんの銅像をバックに記念撮影。
来年の大河ドラマ『西郷どん』を先取り(^O^)

撮影場所は、交差点の角にありちょっと高くなっています。

大久保利通さん、
撮影以外の時は行き交う車・歩行者に向けてずっと手を振っていました。
立派です!!

こちらは勝手にですが、お出迎え・おもてなしをしている身にとって
なんだか気持ちが良く分かります。


アリオと西郷どん

中央公園の芝生広場でバジん歩。

お邪魔するニャ~

この後、桜島を見に城山展望台へ行きましたが



え~と?桜島は???

5/5は遠~くから小噴火した桜島を見ましたが
間近で見ることが出来るこの場所では、雲に隠れちゃってました。

これで鹿児島をあとにしました。・・・つづく。

実は33年振りの鹿児島県①5/6

2017-05-11 17:45:48 | 愛犬
小学生の頃に、
宮崎⇀鹿児島⇀熊本⇀大分と旅行したことがあります。
結構よく覚えています。

宮崎では、青島の鬼の洗濯岩、日南海岸、鵜戸神宮、
熊本では、熊本城、天草五橋、阿蘇山、
大分では、別府温泉、地獄めぐり、こちらは2年前に行きました。

そして鹿児島は、鹿児島市内、指宿温泉、開聞岳界隈

と巡りました。

今回は33年前とほぼ同じような地を訪れることとなりました。

先ず行った先は、
鉄としてJR日本最南端の駅に行ってみたくなるのです。
JR西大山駅発上り8時30分発の列車に合わせて道の駅いぶすきを7時30分頃に出発。

8時過ぎ頃、JR西大山駅に到着。



お~お!!!これがよく見る光景!!!
着いた頃は開聞岳の山頂が見えていたのですが・・・雲が・・・










まだ来ないねぇ~
お利口に白線の内側で列車を待つアリオりんご

来ました!!!

早切りし過ぎた!!!まぁいっか!!!

続けてアリオりんごを入れて

来たねぇ。
立ってとればよかった・・・開聞岳が隠れちゃった・・・
ついついローアングルで撮りたくなっちゃうのです、鉄道となると(^ω^;)


さぁ、乗ろうか!?
扉が開くと本当に乗ろうとしたアリオ(^ω^;)
かわいいねぇ~(*´▽`*)

列車が来る前に、この前までパピヨンを飼っていたというおじさんとお話をしました。
群馬の渋川から来たという。我が家が群馬によく遊びに行く事などお話ししました。

続いて、長崎鼻に。懐かしいです。

これは当時無かったなぁ、竜宮城。






当時に比べたらだいぶきれいに整備されていました。

今でも覚えている歌『南国情話』。バスの中で歌った覚えがあり
なぜか2番の、♪か~いも~んだ~け~の や~まの~す~に~♪
のフレーズが今でも頭に残っています。






灯台までやって来ました。

さらに先の岩場まで行って



みんなで




開聞岳をバックに


長崎鼻から開聞岳を望む


長崎鼻の先端

いやぁ~懐かしかったですねぇ。
一緒に来られて良かった(^O^)

お土産屋さんの駐車場に止めましたが
店主さんが、「なかなか車で長野から来る人はいませんよ」と驚いていました(^O^)

これで指宿をあとにして、鹿児島市へ向かいました。・・・つづく。

伝説の地を訪れた後は5/5

2017-05-11 08:59:21 | 旅行
伝・真田幸村の墓をあとにし
雪丸地区内にある田原照志商店に立ち寄りました。

このGW中、我が家の他にも長野から訪れた人たちが結構いたようです。
六文銭クッキーを購入しました(*^^*)

続いて、お墓に向かう際に気になっていた製茶工場に立ち寄ってみました。

新茶が買えればなぁと思って寄ってみると従業員の方がいらっしゃったのでお話をしてみると
今年は、少々遅れているようで、まだまだ袋詰めが出来ていない状態との事。

そんな中、その従業員の方が社長さんに連絡を取ってくれ、お忙しい中、工場までやって来てくれました。

やはり、「今年はまだまだ間に合っていない」という事でしたが「せっかく来てくれたのに」と、
すると、一緒に来られた奥さんが、
「去年の新茶を冷蔵保存して熟成した物があるから持ってっておいしいから」と
袋詰めされたお茶10袋を無料で譲っていただきました\(^o^)/ありがとうございます。

お返しに、旅先で何かあればということで持ってきておいた
上田の代表的なお土産である、飯島商店のみすず飴を受け取っていただきました。

頂いたお茶です。



(有)満永製茶

続いて、長崎鼻の近くのマンゴーの森へ行きました。
新鮮マンゴーは美味しかった(*´▽`*)

マンゴーの森 鹿児島県指宿市山川岡児ケ水1332-4
詳しくはマンゴーの森HPまで。

途中、ちょっと撮り鉄

ちょうど踏切待ちで撮れました。

続いて、砂むし温泉です。









17時45分頃、駐車場に着くと18時までに受付してくださいと。
慌てて向かい、無事受付完了。
受付から1時間ほどで砂むし風呂を体験しました。

砂むし会館「砂楽」 鹿児島県指宿市湯の浜5-25-18
詳しくは砂むし会館「砂楽」HPまで

夕食は、JR指宿駅前にあるお店で頂きました。



指宿の新しいご当地グルメ温たまらん丼


黒豚ヒレカツ定食


カツオのたたき
どれも美味しかったです(*^^*)

黒豚地鶏さつま郷土料理 青葉 鹿児島県指宿市湊1-2-11
詳しくは『黒豚 青葉』で検索してください。

この日は非常に濃密な1日でした。


道の駅いぶすきで車中泊しました。・・・つづく

伝説の地を巡る旅③5/5 頴娃町雪丸地区 伝・真田幸村の墓編

2017-05-10 16:39:43 | 愛猫
50分の船旅。
フェリーなんきゅうで山川港に到着。

港近くの道の駅山川港活お海道に寄って
かつお節を購入。

今回の旅のメインである
南九州市頴娃町牧之内雪丸地区へ向かいました。

車を進める事50分程、
霧雨が降る中、伝・真田幸村の墓駐車場に到着。

奥にみえる小屋が伝・真田幸村の墓への入り口。

山道を登り始めると霧雨が止みました(*^^*)


真田の秘水?たっぷり飲んできました(≧▽≦)
ペットボトルにも汲んできました。


杖も用意されていました。




幸村=幸せ村、幸せの村!!!なるほど、そうだね(^O^)

早速、向かいます。

















途中、結構険しいところがありました。


100m毎に案内板が掲示されていました。
吹き出しが方言で書かれていて楽しませてもらいました(*^^*)


歩くこと約15分、距離は約450m、
遂に着きました(≧▽≦)

伝・真田幸村の墓

苔むす杉林の中にひっそりと佇んでいました。

早速、





お酒とお猪口、5円玉のお守りに
表面『上田』や『信州』に六文銭、裏面『ありがとう』と彫られた木札
をお供えしました。
真田幸村に感謝の気持ちを伝えました。

ぐるっとひと回りしてみました。








みんなでお参りしました。

ここでもバジル、何か感じたかのかな(*´▽`*)
しっかりとお墓を見ています(*^^*)

真田三匹





これからも頑張ります(≧▽≦)

下ってきて、

昨年の5/2に堺雅人さんがやって来ましたが
今年は僕が来たニャ~~

訪問帳が置いてあったので書いてきました。
内容は行ってから見てね。

伝説の地に着くなり万感の思いが沸き起こりました。
今でも何か達成感の様な、感謝の様な気持ちに浸っています。

本当に行って良かった(≧▽≦)良かった(*´▽`*)

これで、伝説の地を巡る旅シリーズは終わりです。
が、GWの旅行記はつづきます。

伝説の地を巡る旅②5/5 錦江町真田幸村・大助父子の墓編

2017-05-10 13:45:30 | 愛犬
錦江町城元にある落司平墓地公園の駐車場すぐ脇がその地です。

そこは、真田稲荷神社跡とされる場所で
2つの墓標と祠がひとつ、
南国の木々に囲まれた場所にひっそりと佇んでいます。

その2つの墓標は、真田幸村・大助父子の墓と伝えられています。





稲荷神社跡ということでたくさんの白狐がお供えされていました。

真田三匹と一緒にお参りしました。






持参したお酒(焼酎ではないのですが)とお猪口と
真田丸源次郎の為にお梅が作った六文銭のお守りを5円玉で作ってお供えしてきました。



お猪口にバジルのシールを貼ってお供えしました。


お酒は、山三酒造の『真田六文銭』特別純米酒720ml 1,650円
長野県上田市御岳堂687-1 詳しくは山三酒造HPまで

お猪口は、『真田左衛門佐信繁』と書かれた『ぐいのみ』
2個セットで514円
長野県上田市天神1-8-1 駅前ビル パレオ1階
詳しくはおみやげ処 北村HPまで

バジルと一緒にお参り。



バジル、何か感じたかい!?

お参り後は、根占港へ向かいました。

出港30分前頃までには行けば大丈夫だろうと
10時30分頃、到着しましたが予定していた11時出港の便は既に満杯。

GW期間中だもんね(^ω^;)当然か・・・

土日祝日は先着順の為、次の13時の便で渡る事にしました。
まぁ、3,4日とちょっとハードだったので束の間の休息ということで返って良かったかな。

しかも、桜島の小規模噴火も見れたし(◎_◎;)

噴火する前の桜島をバックに
望遠の圧縮効果使えばよかったか・・・
小っちゃくて判りづらいし、山頂付近には雲がかかっていました。

お昼は、根占港近くの南大隅町観光交流物産館のなんたん市場
お寿司や惣菜等を買って港の護岸で海を眺めながら頂きました。

昼食後に何と、桜島が小規模噴火!!!

噴火したよ!!!




よく噴火しているとは言え、他県民にしてみればちょっと興奮モノ。
浅間山もたまに噴火しますがこれほどの噴火は滅多にないので。




船上から望む薩摩富士の開聞岳
この時が一番よく見ることが出来ました。

13時に対岸の薩摩半島、指宿市の山川港へ向けて出港しました。
フェリーなんきゅう 山川港⇔根占港 
車両運賃5m未満3,300円(運転手運賃込み)、旅客運賃大人1人700円
詳しくは フェリーなんきゅうHPまで

鹿児島県南大隅町には
幸村・大助父子の墓と伝わる地の隣に神川という地があり神ノ川が流れる。
長野県上田市には
真田の郷を流れる神川ある。

そしてその両地に『神川小学校』があるという。

何か因縁めいた歴史ロマン・伝説を感じる旅になりました。

いよいよ、今回の旅のメインである伝説の地へ。・・・つづく