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パピヨン&猫~アリオ&りんご&バジル&くるみのブログ~

愛犬&愛猫と一緒に愛車で日本全国?はまだまだですが、お出掛けした事・趣味のお城の事・鉄道の事など紹介しています。

清里テラスに行ってきたよ7/8

2017-07-12 09:19:57 | 愛犬
を求めて清里へ。

お昼は、萌木の村ROCKで。
カントリーフェスタ以外で立ち寄るのは初めて。

温玉・ベーコンを添えたビーフカレーを頂きました(^^)/
あと、ソーセージ3種も注文。テラス席はペットOKです。

ランチ後に向かった先は清里テラス

リフトに乗って行きます。
エアバギーの車部分は受付に置いて
カゴ部分を抱えて乗り込みました。






りんごバジルはカゴに乗せました。

標高1,900mまで登ってきました。


早速、展望テラスで記念撮影



りんごちゃん、ジュリーみたい(≧▽≦)古ッ( ^ω^ ;)

寝転べる円形の大型のソファーが開いたので
アイスコーヒー飲みながら一休み。

雲が多く遠方までは望むことはできませんでしたが
眼下には野辺山・清里一帯を眺めることが出来ました。

涼しくて気持ちが良かったです(≧▽≦)

晴れていれば富士山が見えたんだろうなぁ。








ソファー上はペットNGです。
混雑時は30分をめどに譲り合ってください。

再び展望テラスで



良い笑顔(≧▽≦)気持ちイイねぇ




ちょっと分かり辛いけど楽しいねぇ(^^♪


涼しいねぇ(^^)

帰りもリフトに乗って。











ちょうど安全バーでカゴが固定でき両手が自由であった為に
手を伸ばして撮影することが出来ました( ^ω^ )

すれ違う人みんな、「猫ちゃんも乗ってる!!」って驚いていたねぇ。
リフトの係の人も「猫が来るのは年に1,2回ぐらい」って言っていました。

この後は、定番の清泉寮へ行ってソフトクリーム&ホットドックを食べて
更に、八ヶ岳リゾートアウトレットへ行きました。

そして、
JR各社と自治体とがタイアップして開催される
7/1から始まった大型観光キャンペーン
信州デスティネーションキャンペーン(信州DC)
に合わせて登場した小海線の観光列車HIGH RAIL 1375を撮影する為にJR小淵沢駅へ。






移動して


帰り道の途中
HIGH RAIL 1375JR鉄道最高地点(標高1,375m)標と一緒に

19時近かったので、少々暗くシャッタースピードが稼げなくてボケちゃった。

またまた、ろくもんをお見送り7/2

2017-07-07 10:24:16 | 愛犬
また行ってきました。信濃国分寺史跡公園

今回はちょっと離れて(望遠気味に)撮ってみましたが
近寄って撮った方が良いですね。

やっぱりアリオはこっちを向いてしまいます(^ω^;)
バジルもいますが、アリオのしっぽに覆われてしまいました。

信濃国分寺史跡公園でお散歩6/18

2017-06-20 09:59:14 | 愛犬
どんより曇っていた日曜日の午後。

741年の聖武天皇の詔で各律令国に建立された国分寺。
信濃国では、小県郡(現上田市国分)に建立されました。




そんな史跡公園でお散歩。小学生の頃よく遊びに来たなぁ。


発掘調査後に伽藍の基壇が土盛りによって再現されました。


僧寺金堂跡です。


僧寺講堂跡です。


塔跡です。
ここに七重塔が建っていたんですね。

お散歩していると
しなの鉄道の観光列車『ろくもん』がやって来ました。
一緒に



ひとつ思いついたことが・・・
上手くできるかな?お楽しみに。



夕方は信州国際音楽村でお散歩6/17

2017-06-20 09:25:51 | 愛犬
噴煙上げる浅間山をバックに







正確には、火山ガス混じりの水蒸気がモクモク
日によってその量は違います。

この日は良い感じに噴き上げていました。

バラ園で






芝生広場で

良い笑顔(≧▽≦)
芝生が大好きなアリオ(^^♪


お外だと目が小っちゃくなっちゃうりんごちゃん。






バジルもお外を散歩できて
楽しそうでした(≧▽≦)
抱き上げようとすると、怒っていました( ^ω^ ;)

発酵祭り、つつじ祭り5/21

2017-06-06 10:52:25 | 愛犬
今年も柳町で開催された発酵祭りに行ってきました。

今年もパンがメインでしたので、10時開始にはすでにたくさんの人出でした。

この日は暑かった(◎_◎;)
14時半ごろ観測された上田(観測地点は標高502m)の気温が
その日の最高気温全国ランキング第3位でした(^ω^;)








あっちぃ~ねぇ~





一番人気のパン屋さん






あまりの暑さに撤収。

お昼は家で買ったパンを食べました。
戦利パン

4つのお店で買いました。
どれも美味しかったです。


お昼休み後は真田氏御屋敷公園で開催されていたつつじ祭りに行きました。

自宅より標高が300m高い(765mほど)のですが、暑かった・・・









つつじが満開でしたが
何せ色が色だけにちょっと暑さが増したような感じがしました。

信州上田おもてなし武将隊の演武

暑い中、お疲れさまです。

最後に
真田鉄砲隊の皆さんと

さすが鉄砲隊の皆さん!撮られ慣れています。
フォーメーションがバッチリ!!ありがとうございました。

道の駅あがつま峡によって5/20

2017-06-05 10:40:49 | 愛犬
岩櫃界隈をあとにして続いて行った場所は
道の駅あがつま峡へ。

この道の駅には、ドッグランや足湯も併設されています。
その他に、売店・食堂・遊具広場・芝生広場・入浴施設があり一日中楽しめる道の駅です。

広々としたドッグランです。











16時頃行ったので、わんちゃんは少なく、仕舞いには貸し切り状態に。


ドッグラン


無料の足湯


陣城跡や潜竜院跡の山の中や草っ原、ドッグランと駆け回って、脚の飾り毛が緑色に染まっちゃったので家シャン。







さっぱりしたね、アリオ(´∀`*)

潜竜院跡に行ってきたよ5/20

2017-06-05 09:34:08 | 愛犬
2週間も前の事ですが。

碓氷峠の陣城跡からぐるっと回って群馬県東吾妻町へ。

今までに、3回ほど岩櫃城跡には行っていますが
今回初めて潜竜院跡に行ってきました。

真田昌幸が、武田勝頼を招き入れる為に急造したとされる
館跡ですが、勝頼は来ることなく、その後に『潜竜院』というお寺になったという。

歴史的な背景もさることながら
ここへ来た一番の目的は、残されている石垣の観察。

真田昌幸が手をかけた数少ない遺構。
この石垣から、昌幸が普請した上田城の様子が垣間見れるかなと思ったので。
















山中にこんなに広々とした平削地?元から平坦地?があるなんて驚きです。
アリオも走り回れて楽しそうでした(´∀`*)ウフフ

石垣の観察













触れて当時に思いを馳せてみました。

野面積みの石垣で隅角部は算木積の様な感じになっています。

「様な感じに」というのは、天正年間(1573~1592)の中頃ではまだまだ算木積は未発達若しくは積み方が発展途上という時期で、しかも東国ではそれは顕著。

このようなことから、1583年から始まった上田城普請。上田城に部分的に積み上げられた石垣もこんな感じだったのかなと思いました。

潜竜院跡のあとは密岩神社へ


潜竜院跡は多少、雑草が伸び伸び生い茂っていましたが、この程度の時期に訪問できてよかったです。

フォトコンテストの賞状を受け取りに名犬牧場に行ってきたよ5/14

2017-05-30 09:13:46 | 愛犬
受け取る前にドッグランで遊びました。







おやつがあれば何でもできる(≧▽≦)

りんごちゃんは前から昇り降りしてました。
アリオは昇りたがらなかったのですが
この日はよほどおやつが欲しかったのか積極的に昇ってきました(^O^)




よい笑顔(*^^*)

1時間半ほど遊んだ後、賞状を受け取りました。

副賞はナント!
伊香保温泉のペア宿泊券でした(´∀`*)ウフフ
やったね!アリオ(´Д⊂ヽ
いつ行こうかな、楽しみです。

車で留守番していたバジル

帰ってきたのぉ~




置いてって、フン!

碓氷峠の陣城跡に行ってきたよ5/20

2017-05-24 18:43:20 | 愛犬
5/13に報道発表された
碓氷峠の陣城跡に行ってきました。
(確認の為に22日午後再訪しました)

その存在は、以前から指摘されていたようですが
約1年半前に、その存在が明らかになりその後の調査などにより今回の報道発表となったということです。

詳しい内容は、東京新聞や毎日新聞のWeb記事でご確認ください。

上田から1時間ほど、碓氷峠がある峠町に到着。

長野・群馬県境に鎮座する熊野皇大神社(長野)。

早速向かいました。
歩き始めると最初の分岐点に。

多数の祠や石碑がありました。


案内表示に従って右の旧中山道を下って行きます。
ちなみに左は和宮道と言われる道です。

旧中山道を進むとまた分岐点が。

左が旧中山道。
右はのちに開削された道だと思われます。これについては後ほど。


旧中山道を進むと長坂道という案内板があります。


旧中山道は人ひとりが通れるぐらいの道幅です。
更に進むとすれ違いのも大変なぐらいになります。

右の道

軽自動車から小中型普通車なら通行できるほどの道幅があります。

この右の道を70歩ほど進むと階段があります。



これがその階段です。

この階段を上がると陣城跡域になります。
ここからは、陣城跡を撮影した画像が続きます。

尚、古いお墓が点在していて、個人所有の墓地もあります。
近寄らない様に十分に気を付けて行動したつもりでいます。

どれがどこかの説明は省きます。



堀切のようです。




















桝形虎口跡のようです。




横堀跡のようです。










こちらが報道記事に掲載された画像の場所です。

画像では、その凹凸感がよくわからないのです。撮影技術不足もありますが(^ω^;)
現地で見るとその姿が良く分かります。

記念撮影









枯草木の下がどうなっているかわからないし
コロコロした鹿のフン?があちこちにあったので、撮影する時だけ降ろしました。

ちなみに熊の足跡や爪痕は見る限りでは無かったです。

歩き回っている時は片手で抱っこしたまま、もう片手でカメラを持って撮影。
結構疲れました(^ω^;)

ただ、元々緩やかな広い斜面?緩やかな尾根を平削した事によってできた斜面?に築かれたので歩きやすいです。

歩き回り、見た感じや撮影した画像を元に縄張り図を作ってみました。
縄張り図下部に書いてある通りです。趣味の一環で描いたものです。

碓氷峠の陣城の縄張り図

見落とした部分も多々あると思います。
重ね重ね言いますが、あくまでも趣味の一環で描いたものです。

ちょっと解説を添えてみました。

縄張り図を描いてみて
尚、報道記事や現地の案内板には『中山道』『旧中山道』となっていますが
1590年(天正18年)当時はまだ東山道若しくは山道で『中山道』はという呼称は江戸時代になってから付けられたと認識していますのでこれよりは『東山道』と記載します。

①は主郭に相当するような郭かなと思いました。
②は主郭に連なる段差下がりの二郭かな。
③は堀切で隔てられた三郭かな。
④は物見郭かな。北東方向から上ってくる道を良く見渡せる場所?木々が生い茂っているのでそれは確認できませんが。
⑤は西郭?その西側に横堀・土塁があるのがわかります。
⑥は段郭?と言っていいのでしょうか?桝形虎口を含め西側に北から南に向けてコの字型の登り土塁があります。
郭内は3段+桝形虎口。段郭の東西は堀切があります。
⑦は陣城の最高地点です。全体を良く見渡せたことでしょう。
⑧は桝形虎口かな。東山道から一段目の郭(帯郭?)を経たところにあります。ちなみに東山道から三郭に至る帯郭には平虎口があります。
⑨東山道ですが、現在の状況を描いたので図では旧中山道としました。尚、その北側に描いた二重線は土塁上になっている部分を表現しています。
⑩ですが、先記したように軽自動車から小中型普通車が通れるような道なのですが、一見、箱掘りの跡かなとも思いますが私は、のちに開削された道だと思います。もしかしたら途中の部分は堀切になっていたかもしれません。
⑪は記した通りの場所です。判りづらいですが下の画像です。

東に向かって撮りました。左が道で右側が緩やかな斜面。
この辺りでは道と右側の斜面との段差が無くなります。
道の左側は数歩先に法面が確認でき一段高くなっています。その先は崖(谷)です。


反転して西に向かって撮りました。かなりの広さがあります。その先は崖(谷)です。

⑩⑪から、陣城跡地には、お墓が点在しています。
江戸期の年号が彫られた墓石が多数点在。
中には横倒しになり半分埋まっている苔むした墓石もありました。
そして今も使われているお墓もあります。御影石のお墓があり『平成』の文字が彫られていました。

また⑪の広い緩斜面にも墓地が数か所あります。こちらのお墓にも『平成』の文字が彫られていました。

これらの事を考えると、車の出入りが必要だということです。
その昔は歩いて墓地へ向かったが、車社会となると車が通れるように整備したのだと思います。
また、この道は先に掲載した画像の通り800M先行き止りなのです。
1590年当時に他の古道があったとは思えませんし、この部分を堀切にする必要があったのか?とも思います。

そしてもう一つ、⑪の緩斜面は雑兵の宿営地だったのでは?と思いました。

ご存知の通り、豊臣軍北国勢前田・上杉・真田の連合軍でその数は35,000人であったと言われています。
その中で、真田が先鋒であったと。
そこは勝手知ったる上州の地。まぁ、上杉勢もそうですが。
真田の軍勢は3,000人。
35,000の内の大多数の雑兵等を収容する場所が必ず必要だったと思います。

それが、⑪の地であったり、後詰として熊野皇大神社が鎮座する地やその周辺(現在、茶屋がある場所)に前田・上杉勢らが駐屯していたのではと。

碓氷峠を下ってわずかの場所である陣城跡地は最適な場所であったと思います。
山間部に居る場合、敵より上にいる事が戦の常套手段だと思います。

北条軍は北国勢進軍の防衛の為に現在、旧坂本宿(徳川家光の時代に計画的に作られた宿場)と呼ばれる場所の北西にある刎石山の南東の麓の小さな丘陵に碓氷城を築きました。碓氷峠から7kmほどのところです。

北国勢は3月中頃にそれを突破し、3月下旬頃、碓氷城から東に9kmほど先の松井田城を落としています。

しかしこの時も、碓氷峠の陣城を拠点にしていて、僅か1か月ほど間、本格的に使用されたのだと思います。

と、まぁこんなことを考えているとワクワクしてきますね(^O^)
あくまでも、妄想です妄想。
真田昌幸が築城に関わった」なんて思うだけで(・∀・)ニヤニヤ。

今回は、現地でそれを感じたい想いたいということで行ってきました。
とても楽しかったです(*^^*)

お昼は、元祖力餅しげの屋さんで冷山菜力餅入りそばを頂きました(*^^*)
テラス席はペットOK。嬉しいですね\(^o^)/









テラス席は、テーブル席とカウンター席があります。
カウンター席で、すばらしい眺望で大満足なお昼になりました。