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地上【ちじょう】室の手記を読んで-D・トランボ『ジョニーは戦場へ行った』の感想

2006-05-04 10:34:56 | 感想
私の友人のプログに、『ジョニーは戦場へ行った』についての感想が書かれていた。私もこの作品は読んだことがある。この作品は、生ける屍と化したジョニーを描写することによって戦争の悲惨さを描き出した作品だ。

彼方へ(Over There)という、第一次世界大戦時に流行した軍歌があるのだが、これに対するアンチテーゼとして、この作品の主人公の名前や題名がつけられたと、私は勝手に考えている。

■この曲から受けるイメージは、「雄々しく義務を果せ」というものだろう。しかし、この歌には、当然ながらジョニーは戦場に行ってどうなったかなど描写されていない。 「彼方へ」の歌詞と、この「ジョニーは戦場へ行った」を続きで読むと、戦争の性質がよく現れている。

■男らしい義務を果たせと煽られた青年が、戦場において、悲惨な結末を迎える。プロパガンダを真に受けた青年には、あれほど聞かされた、誇りや名誉などはなく、死という事実のみが存在する。ありふれた戦争映画のように、銃弾を浴びながら、2、3セリフを吐いて、死んでいくならば、まだマシなほうだろう。実際の戦場では、そんな暇は無い。首だけ吹き飛んで、転がっている死体。体中にハエがたかる死体。黒焦げになっている死体。バラバラになって転がっている死体。これらがすべてを物語っている。これを見て父親や母親は、「よくぞ国のために戦った」と誇らしく思うだろうか。

■煽り立てた為政者は「何とか墓地」に出向いて、すこし頭を下げる。これで終わり。為政者の語る名誉や誇りとは、この程度なものでしかない。

「戦争計画をたてる人たちよ。このことを思い知れ、愛国者よ、激昂するものよ、憎悪するものよ、スローガンを作りだすものよ。君たちは一生のうちで思い知ることはけっしてないのだから。」

この言葉も、自らは安全を確保して、他者には、義務を押し付ける、為政者に対する強烈な非難である。この言葉は、悲惨な戦場を体験すれば、為政者の考えも変わるだろうという、思いが前提になって発せられたものだろう。

■しかし、その悲惨な戦争体験すら、信念に貫かれた為政者や、病的に頑迷な人の考えを変えることはできないのかもしれない。独裁者ヒトラーは、自ら戦場に赴いて、48回の戦闘に参加し、毒ガスによって失明するかもしれないという大怪我を負いながら、まったく、その経験が彼を変えることは無かった。かえってドイツの敗戦の悔しさが、彼を政治家に向かわせた要因でもあった。彼にとって、戦場は生きがいであり、自らの存在意義を見出したものだったのだろうか。

■ブッシュの親父も、戦闘機のパイロットで、撃墜されて、海を漂いながら生死をさまよった経験がありながら、湾岸戦争を戦うこととなった。その相手側のフセインも、死刑宣告を受けたりして、散々な目にあっているはずなのに、なんら変わるところが無い。強烈な信念の前には、「悲惨な戦争体験」ですら、弱者の戯言でしかないのだろう。

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1 コメント

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Unknown (daizaemonn)
2006-05-08 12:15:13
ありがとうございます。なるほどなあ…。ヒトラーもブッシュの親父も体験しても分からんのですね。

こりゃまた難しいですね…。まあ僕もこの小説を読んだくらいではあなた達は駄目でしょうね、と最後書こうかとは思ってたのですが。また色々考えてみます。

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