暴走族なんてのは基本的にバカなので 「誰も俺を止めることはできない」などと称して自慢か何かと勘違いしているバカが大半です
実際には警察に止められている上に そもそも自分でも自分が止められないのに 一体何を自慢しているつもりなんでしょうか
暴走族に限らず犯罪者というのは全員「自分で自分を止められない」から犯罪者なんであって そんなもんは麻薬中毒と一緒で「欲望の奴隷」でしかない
本質的な主体性がなく 世間からの評価が受けられないことによる劣等感の不満を 方向性のない世間に対する報復感情から必死になって他人に迷惑をかけようとする
迷惑行為をしている自分のことを 本当は客観的には肯定することができないからこそ 迷惑行為を多数で共鳴共感して集団共謀的に満足させているだけの迷惑中毒でしかない
暴走行為という暴力的威圧によって多くの人からの抑圧から逃れているような優越感の錯覚に溺れているに過ぎない勝手な妄想でしかないのだが 実際には「自分が何をしていたら楽しいのかがわからない」ことを他人の所為にして世間多数への報復感情を満足させているだけなので いくら暴走行為を繰り返しても何も満たされることはなく むしろ社会的迷惑者に過ぎない自己に対する肯定感をどんどん喪失することになるのだが 目先の優越感や満足感を得ること以外何も楽しみがないため 暇にあかしてクソどうでもいい暴走行為に邁進するのである
暴力的な親に育てられると 暴力威圧こそが「常識(正解データ)」として価値観に刷り込まれてしまうため 暴力威圧的行動さえしておけば何でも思い通りになるという行動「学習」をしてしまうようになる
生育環境によって刷り込まれた「常識」的価値観(偏り・バイアス)だけでしか物事の判断ができないため 主観的に目先の気分が良くなる行動以外何も「主体的に選ぶ」ことができなくなっているのである
「本能には逆らえない」と言い張るバカは多いが 本能に逆らえないことの論理客観的根拠を何か示している奴などおらず 実際には主観的に「本能には逆らいたくない」と駄々を捏ねていることを論理的根拠風味にすり替えてはぐらかしているに過ぎない
世間的な勝ち負け基準というものは 世間という「多数他人」における価値観であって 個人にとっては世間的成功程度に有利という程度の意味しかない
本当に自分を満足させる純粋行為というのは 誰かの評価を得ることや世間的成功を得ることとは無関係であり 他人に依らぬからこその「純粋行為」なのである
脳内麻薬を自給自足できていれば 他人からの評価や世間的成功にならなくても 「自分が楽しい」から続けられるのである
加藤英明が自腹で砂漠の真ん中まで行って 一日中トカゲ探して穴掘りをして 結局虫一匹見つけられなかったとしても 「この環境だと虫すら生息できないのか」という発見だけでも満足できるのである
そういった 評価につながる前の地道な努力の積み重ねをしてゆくうちに たまたま世間的評価や業績になることもある
基礎科学というものは純粋な好奇心によって行われることが重要で 安易に業績評価を期待してしまうから研究データの改竄などの「嘘」が横行してしまうことになる
業績には運もあります
運が悪いと数時間差で他の人に業績を横取りされるなんてことも良くある話です
そういった失敗があっても続けられるのは 行為自体が個人的に楽しいからであって 何度失敗しても 誰からも認められなくても 不平不満を言ったりはしないものです
自分が楽しいと思えることを続けられるだけでも有り難いと思うからこそ 業績の捏造なんぞをしなくても満足できている
しかし 世間的評価が目的になってしまっていると 研究を純粋に楽しめないため 業績の捏造をしてでも評価を得ようとしてしまう
嘘を平気でつける人の「常識」については既に説明しました
多数の騙される人の「常識」に則った話をしておけば 衆愚人気を得ることも簡単です
それは とても簡単なことなのです
騙されている方も同罪ですよ
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