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バカの発想

2021年04月16日 23時19分21秒 | 意識論関連

ここからは私の考えですが、生物の成り立ちは「変化と選択」による進化の賜物であるとお話ししてきました。性に関しては、卵・精子・胞子などの配偶子の形成および接合や受精が「変化」を生み出します。

一方「選択」は、もちろん有性生殖の結果生み出される多様な子孫に対して起こりますが、実は子孫だけではなく、その選択される対象に、それらを生み出した「親」も含まれているのです。つまり親は、死ぬという選択によってより一族の変化を加速するというわけです。

当然ですが、子供のほうが親よりも多様性に満ちており、生物界においてはより価値がある、つまり生き残る可能性が高い「優秀な」存在なのです。言い換えれば、親は死んで子供が生き残ったほうが、種を維持する戦略として正しく、生物はそのような多様性重視のコンセプトで生き抜いてきたのです。

小林 武彦

⇨遺伝的な進化の過程においては変異による多様性の拡大が構造として機能してきたが

そもそも生物(生存)も その遺伝的進化も全ては「結果」である

「種を維持する戦略」などというものが最初にあって その「戦略」に則って進化や種の保存が起きたわけではなく

あくまで結果的に「死ななかった個体種」への淘汰圧力の結果以上に意味はない

 

変異による多様性拡大をする性質を持った個体種の方が 変異を起こさない個体種よりも生存にとっては適していたという結果であって

結果をどんなに大量に抽出枚挙しても「戦略」だの「コンセプト」だのといった 予め決められた目的の論証には全くならない

ヒトの社会において多様性が必要とされるのは むしろ淘汰圧力という過酷な自然現象である遺伝的進化から逃れたために合理性があるのであって ヒトがこれ以上に遺伝的進化をするための遺伝的多様性(個性)ではない

遺伝的進化を促すための多様性というのは あくまで淘汰圧力による大量の死滅を伴う過酷なものであって そんな自然現象を人間社会に適用するなどというのは優生学を正当化するキチガイの発想である

結果的であれヒトは多様性が存在しており これは人間社会において積極的に利用(意図的な利用)することの方が合理的だからこその「個性重視」であって 遺伝的進化を促すために必要だからではない

変異による多様性の拡大というものは 時に先天性疾患などによって生存や種の保存に適さない個体を生ずることもあるが 繁殖力を持たない個体が遺伝的進化にとって不要だからといって存在そのものを不要とする理屈にはならない

同性カップルにおいても繁殖には適さないが 遺伝的進化にとっては淘汰対象ということになるのである

ヒトが社会の持続可能性を求めるのは 遺伝情報を遺すためではなく あくまで社会持続可能性がないのなら 自己自身も存続する(存在し続ける)理由を失うからである

単に遺伝情報を遺すだけであれば むしろゲノム情報だけをどこかに記録しておけば 将来的にはゲノム編集技術によって自分のコピークローンを再度「製造」することも可能となるだろう

そんなことを「目的」とした社会に人間性や倫理が伴うわけがないのである

人間社会というのは 遺伝的に進化してヒトを超越した何者かに進化するためのものではない

遺伝的進化がなければヒトにまで進化することもできなかったとは言えるが ヒトにまで進化し 人間として社会を築き上げ 自然界の過酷な淘汰圧力から逃れた時点で それ以上の遺伝的進化は必要ではなく

当然生存競争などの淘汰圧力自体も意味がない

他人を殺してまで自己の遺伝情報を遺すことに人間性も倫理も伴わないからである

現状においては配偶交配によって誰の子供が生存にとって不利な遺伝子を持って生まれてくるかわからないのであり 誰の子供が将来的に社会にとって重要な役割を果たす「天才」なのかもわからない

それなら子供たちの「誰も取り残さない」ことが重要であって 苛烈な競争によって優劣を決め 「誰が生き残るに価するか」をランク付けして遺伝的に進化することではない

 


遺伝的進化を万能の願望器であるかのように神格化し 何が何でも遺伝的進化を正当化しようとする現状の生物学者達は 倫理や人間性というものを無視し 科学を逸脱したオカルト妄想に取り憑かれているに過ぎない

小林 武彦に限ったことではなく 生物学者のほとんど全員が遺伝的進化を万能な「目的」だと錯覚しており

また 大衆やマスコミもそれに対して全く論理検証もせずに短絡的に鵜呑みにし満足しているだけである

 

遺伝的進化というものは あくまでシーケンシャルに生ずる自然現象という「結果」であって ヒトは遺伝的変異による先天的疾患に対しては医療技術を用いて抗っているのであり 決して「先天性疾患を必要としている」わけではない

生活習慣病においても同様で 先天的に生活習慣の乱れた行動習性を持った個体の全てが死滅すれば生活習慣病自体もなくなることになるが それなら生活習慣を改善する必要はなく 自分で自分の生活習慣を制御できないバカは全員死ねば良いというだけの話にしかならず 医学的治療も対策も 我慢も辛抱も「他の楽しみを見つける」必要もないのである

遺伝的進化の過程において 変異だけを起こして多様性だけ拡大しても進化にはならず あくまで生存や種の保存にとって適した個体以外が全て死滅しなければ遺伝的進化には至らないのである

過去に起こった「結果」をどんなに大量に抽出枚挙してきても その「結果」が「目的」であることの論証にはならない

 

論理検証の出来ないバカなら 「多様性を重視している点において同じじゃないか」などと「思う」のかも知れないが

それは自己の主観的感覚を万能だと錯覚しているバカの発想である

客観的論理検証こそが人間としての意識の本質であって 主観的感覚との区別がつかないから問題の所在も見えていないのである

 

 

Ende;


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