「ものの見方や考え方は文化に依存する」
ナチス政権下という「文化」においてはナチズムに迎合同調する以外何も出来ないと言うわけではない
杉原千畝やオスカー:シンドラーやヴァルター:ベンヤミンのように「文化」に逆らった者達のことを無視した話である
文化の進化が動物の遺伝的進化と同じであると言うのであれば そこには膨大な突然変異と淘汰圧力が必要で しかも成功の保証は何もなく 絶滅しても誰も責任をとってくれはないのである
ナチス政権下という「文化」においてはナチズムに迎合同調する以外何も出来ないと言うわけではない
杉原千畝やオスカー:シンドラーやヴァルター:ベンヤミンのように「文化」に逆らった者達のことを無視した話である
文化の進化が動物の遺伝的進化と同じであると言うのであれば そこには膨大な突然変異と淘汰圧力が必要で しかも成功の保証は何もなく 絶滅しても誰も責任をとってくれはないのである
進化万能論というのは優生学同様に論理科学的根拠のないオカルトやデマ妄想の類いでしかなく フランシス:クリックの言っている内容を鵜呑みにしている時点で学者として無能も甚だしい
ダニエル:デネットは言語がなければ発想自体も存在しないと言うが これは間違いである
言語がなくても発想は可能で 言語はそれを他者に伝える手段としても利用可能なものであり これは全く別物である
更に言えば 言語を用いたからといって論理的思考であることにはならず むしろ言語によってプロパガンダや洗脳は行われてきたのである
振り込め詐欺師が電話で騙すのは まさしく言語の持つ非論理性の部分を利用しているからである
「感覚の中に答えがあるのかも知れない」などと言うのは 恐らく養老孟司の言ったことを何の論理検証もせずに鵜呑みにしたからである
以前から何度も言っているが 感覚というのは錯覚を伴うことがあり 錯覚は事実を見誤らせる原因となる
錯覚を錯覚と認識するのは理性であって 論理検証なくして真理(答え)などあり得ない
自律的には何も論理検証することなく 「権威」と呼ばれている奴らの言っている内容をただ漫然と陳列し 「かもしれない」などという根拠もない勝手な予想を立てることはマスコミとして無責任である
「1割しかない意識で9割の無意識を認識することは無理」などという話も 論理的根拠のない勝手な決めつけでしかない
意識と無意識の区別をつけるのが意識(論理検証性)であって それが1割だからといって「無理」であることの論証には全くならない
何も考えずに呆然と条件反射的行動バイアスのままに流されているからこそ「無意識は9割」なのであり わざわざ「目的意識を持て」などと促さななければ手段と目的の履き違えに陥るのも本質的意識というものは「意識的」に論理検証が働かない習性がヒトの脳にはあるからだ
「自律的な存在は厄介」
自律的な存在というものは統率協調においては厄介である 権威の言うことを鵜呑みにし自律的には何も考えず唯々諾々と従う存在の方が扱い易いからである
例えて言うならば ナチスにとってヴァルター:ベンヤミンは厄介だが マルティン:ハイデガーは便利なのである
自律的判断が行えるAIというものを作る場合 そもそもヒトの危険性までをも組み込んでしまえばAIも危険なのは当たり前の話である
ハイデガーと同じ判断力を持つAIか ベンヤミンと同じ判断力を持つAIかによって危険性は大きく異なる
つまり AIの危険性というのは それを作り使うヒトの危険性と全く同じものであり AIは所詮機械道具に過ぎないのである
料理人の使う包丁と 通り魔の使う包丁が全く異なる結果をもたらすように AIも設計や利用には使う方の人格が必要なことに変わりはない
Ende;
ダニエル:デネットは言語がなければ発想自体も存在しないと言うが これは間違いである
言語がなくても発想は可能で 言語はそれを他者に伝える手段としても利用可能なものであり これは全く別物である
更に言えば 言語を用いたからといって論理的思考であることにはならず むしろ言語によってプロパガンダや洗脳は行われてきたのである
振り込め詐欺師が電話で騙すのは まさしく言語の持つ非論理性の部分を利用しているからである
「感覚の中に答えがあるのかも知れない」などと言うのは 恐らく養老孟司の言ったことを何の論理検証もせずに鵜呑みにしたからである
以前から何度も言っているが 感覚というのは錯覚を伴うことがあり 錯覚は事実を見誤らせる原因となる
錯覚を錯覚と認識するのは理性であって 論理検証なくして真理(答え)などあり得ない
自律的には何も論理検証することなく 「権威」と呼ばれている奴らの言っている内容をただ漫然と陳列し 「かもしれない」などという根拠もない勝手な予想を立てることはマスコミとして無責任である
「1割しかない意識で9割の無意識を認識することは無理」などという話も 論理的根拠のない勝手な決めつけでしかない
意識と無意識の区別をつけるのが意識(論理検証性)であって それが1割だからといって「無理」であることの論証には全くならない
何も考えずに呆然と条件反射的行動バイアスのままに流されているからこそ「無意識は9割」なのであり わざわざ「目的意識を持て」などと促さななければ手段と目的の履き違えに陥るのも本質的意識というものは「意識的」に論理検証が働かない習性がヒトの脳にはあるからだ
「自律的な存在は厄介」
自律的な存在というものは統率協調においては厄介である 権威の言うことを鵜呑みにし自律的には何も考えず唯々諾々と従う存在の方が扱い易いからである
例えて言うならば ナチスにとってヴァルター:ベンヤミンは厄介だが マルティン:ハイデガーは便利なのである
自律的判断が行えるAIというものを作る場合 そもそもヒトの危険性までをも組み込んでしまえばAIも危険なのは当たり前の話である
ハイデガーと同じ判断力を持つAIか ベンヤミンと同じ判断力を持つAIかによって危険性は大きく異なる
つまり AIの危険性というのは それを作り使うヒトの危険性と全く同じものであり AIは所詮機械道具に過ぎないのである
料理人の使う包丁と 通り魔の使う包丁が全く異なる結果をもたらすように AIも設計や利用には使う方の人格が必要なことに変わりはない
Ende;