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副交感神経が優位になるような写真が好き。

尊厳の在処

2021年11月02日 13時04分33秒 | 意識論関連

若年女性の自殺が増えているという

具体的な動機はわからないが 自殺するほどの「職場での人間関係」となればイジメや差別排除が原因であろう

学校に限らずイジメや差別はヒトという種の生物に普遍的みられる習性であり 先天的な傾向性でもある

学校や職場でイジメ差別があるなら それは被害者の責任ではないので 安易に主観的抑鬱から自殺を選ぶのはやめていただきたい

社会に構造的問題があるなら これは個人ではどうにもならないので 生活保護などのセーフティーネットを積極的に利用すべきであり むしろ社会の構造的問題を解消するための対策に協力すべきである

自殺する程苦しいのであれば 他の人が同じ様な苦しみに陥らないための対策を考えるべきであり 自殺しても誰の得にもならない

主観的抑鬱という感覚を 自分の本質的目的意識と錯覚すべきではなく 論理客観的に「逃げて」も構わないのである

「逃げることは恥」だと「感じる」かも知れないが それもまた主観的印象であって 客観的には意識でも目的でも合理的根拠にもならない

別に「強い」ヒトになる必要性はなく 気持ち的に「弱い」ことは繊細さにもつながる個性の範疇であり 自分よりも更に繊細な人を助けるための行動を選択すべきである

どうにも逃げ道がないなら犠牲も致し方ないが 日本国内でそんなことに陥ることは滅多にあるものではない 明らかに自分の主観的感覚を意識の本質だと錯覚しているはずである

ナチス政権下でもないのに ベンヤミンのように自決する必要性も合理性もない

安易な自殺は社会を崩壊させる無責任な選択であり 自殺してしまえば本人は苦しみから逃げられるだろうが 社会的欠陥は改善しないのである

そこに尊厳は存在しない

 

「勉強しても覚えられない」などという悩みを持つ人も多いが それは最初から主体的な関心や興味がないからである

主体的に問題(目的)意識を持って勉強しないから 読んだ内容に間違いがあっても気づくことなく鵜呑みにし しかも記憶にすら残らない

世の中の様々な論説の中から 論理客観的根拠に基づいて「本当のこと」が何なのか どれが嘘や間違いなのかを識別するためには主体的な目的意識が必要である

死ぬほど苦しいことがあるのならば その原因究明と それに伴う再発防止を考えるべきであって

自殺志願者の主観的気分感情に寄り添ってご機嫌取りをするだけの「対策」しかしていないからセーフティーネットも充分に機能しないのである

 

学校ではイジメがあろうとなかろうと 学級に馴染むことだけを「社会性」とか「協調性」と称して正当化したがるが 別に多数に馴染むことだけが人間性の論証になるわけではない

ベンヤミンが自決を余儀なくされたのも 言わばナチス政権という多数派には馴染めなかったからである

そこに何の問題がある

何を恥じることがある

無理矢理学校に通わせて イジメを傍観放置して 自分だけがイジメられないようにコソコソと卑屈に生き延びることに「人間性」も「社会性」も「協調性」も存在しないのである

堂々と多数体制を批判する意志を持つべきである

多数派に同調迎合しても人間性の論証にはならない 多数でありさえすれば人間としての論理客観的合理性(真理)が伴うわけではないからだ

自殺者が「多い」のであれば むしろ孤独ではない

イジメる側 差別する側のクラスターの主張ばかりが蔓延し 被害者側がクラスターを作らないのはおかしな話である

たとえ世間的に成功していても「苦しい」と感じてしまって自殺につながることもある

ましてや生活に困窮していれば 何も恥じることなく堂々と被害を訴える権利がある

気分的に優越している加害者側の主張ばかりがSNS上で幅を効かせているのは 明らかにおかしい 偏りすぎである

 

誰も読まない説明をいくらしても 気分的優越感は得られない

私は個人的な気分的優越のために書いているのではなく 論理客観的合理性に基づく「目的」のために書いているのである

そこに抑鬱感や絶望などの主観は意味を為さない

どうせいつか必ず皆死ぬのであって 最終的には「勝者」などいない

「嘘つき」か「正直者」のどちらの側につくかが人間性である

それには命を賭けるだけの価値はある

 

 

Ende;


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