中野信子は
何か自分で決めたことを最後まで貫くことができないと、自分を情けない、醜い存在だとみなすようになってしまう。もしかしたらある程度の年齢以上の人なら周りにそういう人がいるかもしれないが、特定の思想の持ち主だった人が「転向」すると、必要以上に反動が起きたり過剰に自虐的になったりする。
なぜ人間にそんな性質があるのだろう?
一貫性がないと困る、という一見不必要な制約が、脳に備え付けられているのだとしたら、それはどんな目的のためなのだろう?
この答えは、残念ながら脳科学的にもまだクリアにはなっていない。
◇出典:ダイアモンドオンライン
と述べているが
一度信じ込んだものを否定することは 自らの頭の悪さを自覚することでもあるため それが主観(気分)的に嫌なため ヒトは不必要な一貫性を持ち続けようとするのである
現状の認知科学においては「本質的知能など存在しないかも知れない」などと言い出すバカの集団であり 自分達が何も「気づくこと」のできないバカであることを認識したくないからこそ 一貫して「本質的知能は存在しないかも知れない」ことにし続けているのである
どんなに大量の知識を「知って」いても 「知って」いる内容の論理整合性の齟齬に気づくことができなければバカに過ぎない
現状の認知科学者共は自分達の頭の悪さを認めたくないため ヘイトスピーチ中毒者などにおける認知的不協和というものを生物学進化学的に「生存にとって有利な性質」としての説明以外を意図的に無視しているのである
ヒトという種の生物は先天的にバカに陥る習性が存在しており それは大局的には個体種の生存価にとっては不利だとは言えるが これはあくまで過去の環境下における偶発的且つ必然的な「結果」として遺されたものに過ぎない
そもそも生物の遺伝的進化というものには 合理的な「目的」など存在せず あくまで「死なずに生き残った」ことに対する必然的な「結果」しか存在しないのである
ヒトが簡単に権威や多数派の意見に流され 自律的な論理検証をしようとはしないのは その方がかつての環境における生存にとって有利に働いた「結果」に過ぎない
東電社内において 原発の津波に対する脆弱性を放置することが社会的な大損害につながる可能性を論理的には認識していながら これを放置することで 組織におけるかりそめの収益性や組織内部における自分の地位権益を追求することに加担しておいた方が 東電社内においては「楽」だったからである
ヒトは基本的に動物であるから 主観的には「楽」な方を選ぶ傾向があり
つまり バカの方が集団組織の内部にとっては生存に有利だった「結果」として ヒトはバカになる習性が先天的に組み込まれているのである
集団組織に対する忠誠忠実さを美徳として「感じる」ことによって 特攻隊や自爆テロなどという非合理的な行動であっても鵜呑みにできるようになるのであって オウム真理教でも東京電力社内でも 東芝やオリンパスなどの企業における粉飾決算などが可能なのも 組織に対して忠誠忠実に行動し 決して自律的な社会的責任判断選択などしないバカになるよう ヒトは先天的にできているのである
もちろん こうした特定組織の利益ばかりを追求する「集団的利己」とも言える行動は 社会全体 地球環境全体からみれば損害になることは ちょっと「自分で考えればわかる」ことなのだが
ヒトの多くは自分で物事を判断することをしたがらない先天的習性があるため 内部告発などの「真実」の方を「裏切り者」扱いして抹殺するのである
バカの集団環境の中では バカではないことは生存にとって不利に働くことになる
組織の利益を優先し 自律的な社会的責任判断などせず 組織に迎合して統率的協調性を発揮して「集団的利己」を発揮しておいた方が その集団の内部では生存にとって有利に働くのである
「その集団」 特定の集団組織の内部においては有利であれば 社会全体や地球環境全体における安全性や持続可能性においては自滅の一途であるとしても ヒトは先天的には目先の集団組織の価値観こそが「美しい」と感じるようにできているのである
だから 「主観には意味がない」のである
野依良治はこれを理解しておらず 「哲学者」共の口車に乗せられてイマヌエル:カントの「純粋理性批判」に基づいた論理不明な話に基づいたこじつけを鵜呑みにし 「主観が大事」などという支離滅裂な主張をしだしたのである
これはもう 「振り込め詐欺師に騙されている老害の主張」である
認知科学というのは生物学に分類されるものであり 遺伝的進化には合理的目的など存在していないことも指摘できないバカの端くれ集団なのである
遺伝的進化というものは ある特定の環境下に適応する形で必然的シーケンシャルに生ずるものであって 「特定環境下における生存にとって有利」に進化することはあっても 人類全体にとって有益な安全性や持続可能性という 論理客観的検証性に基づいた自律的判断にとって適するようには進化することはない
マイクロソフト社のツイッターAIがヘイトスピーチを始めたのも ツイッター上における大量のヘイトスピーチを「正解データ」として認識したことが原因であり いわば「ヒトという種の行動習性における生物的正解」はヘイトスピーチなのである
だからこそ 論理客観的証拠に基づいた論証よりも 「知識のエコシステムを生態系のピラミッドになぞらえる」などという どうにも訳のわからぬオカルト話の方に「人気」が集まってしまうのである
何でも読書猿の著作は3万部も売れたというから 3万人はバカが確定しているのである
こういったバカげた話に人気が集まるというのはよくあることで 養老孟司やマルクス:ガブリエルの「人気」も同じメカニズムである
「客観的事実などない」だとか 「世界は存在しない」だのといった荒唐無稽なオカルト話を どんなに多数の大衆から人気を集めても 論理客観的根拠に基づいた「真実」であることを立証することは不可能である
だが 多くの大衆やマスコミは自分達が一度信じた内容を否定することによって 自らの頭の悪さを自覚認識することが気分的に「嫌」なため あたかも「何もなかった」かのようにスルーしようとしているのである
自分達の頭の悪さを自覚せずに 「社会の諸問題が解決しない」のは当たり前の話である
その結果社会が崩壊しようとも それは私の責任の範疇ではない
温室効果ガス削減においても 感染症拡大防止においても それらは「個人」の行動責任の範疇であって 「どこかの優秀な誰かが自分達の頭の悪さを治してくれるはずだ」とでも期待しているとしたら それはバカ特有の身勝手な期待である
フリードリヒ:ニーチェのゾロアスター教における超人幻想も 遺伝的進化さえしておけば自動的自然に人間を超越した「何者か」になれるという根拠のない身勝手な大衆の妄想であり その主観的安心満足によって130年以上もの間フランシス:ゴルトンの優生学を誰も論理反証してこなかったのである
ニーチェを哲学として教えている方も 教えられて鵜呑みにしているバカ学生も バカである点において同罪である
それはつまり 世の中の99%以上はバカ確定である
言っておくが私は「天才」ではない
ちょっと考えれば誰でもわかることすら考えないからバカなのであって
「少しは考えろよ」と言っているに過ぎない
Ende;