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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

信頼。

2011年03月09日 08時33分06秒 | 意識論関連
 山岸俊男などが行う社会心理学というのは、あくまでヒトという種の生物の傾向性や習性を多数抽出するだけの結果論に過ぎない。

 山岸らの実験において、信頼関係が成立するのは衆人環視環境下での結果論でしかなく。どんなに沢山の特定環境下での結果論を枚挙しても、それがヒトという種の生物における普遍的な性質であることの証明にはなっていないのである。

 基本的に現在の生物学というのは、単なる無為な傾向性という結果論の多数抽出と、意識的な自律的行動選択による目的との区別が全くついていないばかりか。むしろ多数抽出の結果こそが目的であるという非論理的な観念に基づき構築されてしまっているのである。

 こうした構築性というものは、むしろ生物学的な社会形成習性によって強化されるため。北朝鮮よろしく保身のための体制維持だけが目的となるのである。

 山岸の論じる「信頼の構造。」というのは、特定環境下における結果論を並べることによって、あたかも権威を盲目的に信頼することを正当化できたかのように大衆に刷り込み学習させようとする試みである。

 要するに山岸は自分の権威性を担保するための詭弁として、権威を盲目的に信頼することを強迫観念的に強制しようとしているだけである。

 所詮は糸井重里も単なる世間からのウケ狙いが目的なだけであって。精密検証性も批判精神もない、単なる文系の観念を並べているだけなのである。



 私の論ずる意識論は、他人との共感や共鳴を求めるためのものではない。むしろ精密検証によってペテンを暴くことが目的である。それは権威性のみならず、権威に対して無批判な大衆に対しても批判的であるため。大衆人気が得られないのは当然であろう。

 それを「イタい。」だとか形容しても無意味である。「イタい。」と思っているその根拠とは、単なる大衆的な観念に過ぎないからである。どんなに多数抽出的に「イタい。」という主観を枚挙しても、そこに論理的な根拠など一切存在しないからである。










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