生物は誰であれ、自分自身を取り巻く環境の中で、利害が対立する同種の他者と戦わねばならない状況がつねにある。そういう時に、攻撃行動をどこまでエスカレートさせるのかは、相手がどう出るのかという、相手の戦略に依存するのだ。これは、ゲーム理論的状況である。(長谷川眞理子)
⇨「相手の戦略に依存する」ということは 要するに環境依存的な行動に過ぎず 合理性が伴うかどうかは無視しているのである
「生存のためには、誰でも攻撃性を備えているのだが、それがどのように表出されるのかは、社会関係の状況によるのである。
さらに、戦争という問題になると、個人対個人の攻撃の話ではなく、集団対集団の攻撃の話である。集団が、自分たちの集団としてのアイデンティティーを持ち、その内部で結束して、他の集団と対決するのである。これができるにはかなりの認知能力が必要だし、そんな攻撃が有利になるような事態も、動物界でそれほどあることではない。」
⇨「誰でも攻撃性を備えているのだが、それがどのように表出されるのかは、社会関係の状況によるのである。」
これもまた環境依存的結果であり 合理性を伴った自律的な目的行動選択性を無視した「動物の理屈」「野獣の屁理屈」に過ぎない
「チンパンジーは環境が安定していれば殺し合いをしない」だとか「ヒトのほとんどは戦争をしていないことを知れば戦争はなくなる」などという生物学権威共の主張には論理客観的根拠に基づいた「人間性の論証」が伴わないのである
「戦争という問題になると、個人対個人の攻撃の話ではなく、集団対集団の攻撃の話である。集団が、自分たちの集団としてのアイデンティティーを持ち、その内部で結束して、他の集団と対決するのである。これができるにはかなりの認知能力が必要だ」
統率的協調性を発揮するためには それなりの知能は確かに必要だが 動物的行動習性だけで「人間としての知能」を論証することそのものが根本的に間違っている
戦争とて所詮は「ヒト」が引き起こしているものであって 「集団対集団」だからといって急にヒト個人の判断が環境依存的にしか決定しないものであるかのように言い張るのは 随分おかしな話である
「ヒトにおける戦争が、「ヒトに生物学的に備わっている本能的性質によるものなのか」という問いは無意味だ。集団間にどのような利害対立があるのか、それを解決するためにどれほどの攻撃を用意するのか、自集団はどれだけ結束できるのか、といった問題の集合の結果として、戦争という行為が選択されるのかどうかが決まる。」
⇨独裁者の非合理な行動選択というものは ヒトという種の生物の先天的情動である恐怖心や猜疑心に依るものである
「生物学的に備わっている本能的性質」が短絡的に行動に反映してしまうから合理性のない理不尽な暴力が引き起こされるのであって 子供のイジメ殺人にせよ 国家単位での戦争にせよ 暴力の原因は生物学的本能習性に起因することに違いはない
野犬や暴力団同士の抗争に「かなりの認知能力が必要だ」などというバカみたいな話を鵜呑みにしている奴の方が頭がおかしい
「「ヒトに生物学的に備わっている本能的性質によるものなのか」という問いは無意味だ。」などと決めつけているが これは論理客観的根拠が示されておらず 長谷川の勝手な主観的印象に基づくものに過ぎない
地政学的リスクの類いは 戦争の有無とは無関係であり 戦争というのは為政者の人格に依存するものであって これは子供のイジメもイジメ加害者側の「ボス」の判断に依存するのであって 環境条件にいちいち左右される環境依存性そのものが人間としての理性や知性としての自律的判断の欠如を意味するものである
非暴力を唱えたガンジーを称賛しておきながら 「殴られたら 殴り返す」という報復や懲罰を正当化するというマルチスタンダードそのものが二枚舌(嘘)を含んでいるのである
殴り合いの勝ち負けで人間としての存在価値が決定するわけではなく 相手が殴りかかってきたら防衛のために殴り返すことは仕方ないとしても そもそも「先に殴って解決しよう」とする動物的行動習性そのものに合理性が伴わないのであり 「本能的性質が原因ではない」などと言い張るのは あまりにバカ過ぎて話にならない
殴り合い暴力によって勝つのは 人数や武装の質や量に依存するものであって 勝っても負けても殴り合いそのものには合理性も 人間存在としての優位性の論拠にもならない
生存や「繁殖の継続」という結果だけを価値と見なす遺伝的進化のアルゴリズムは あくまで「自然現象」であって 「殴り合いで勝ったから 正しい」という短絡的な結論にはならない
遺伝的進化というのは 死なずに生き残れば「生物」なのであって 死なずに生き残りさえすれば正義とみなすのが遺伝的進化万能論である
先天的に暴力性が高いか低いかという程度問題ではなく 暴力によって解決しようとする非合理性にこそ非人間性の根源が存在するのであって 「殺さない程度に殴っているから人間性だ」とか「殴らないで怒鳴り散らしているから人間性だ」などというバカみたいな話は要らないのである
それは「複雑な法手続きを踏んで死刑にしたら人間性」の論証にもならない
気分的安心や満足という主観的印象が基準になっているから論理客観性が失われるのであり 長谷川眞理子ら生物学権威(肩書)による主観的印象論の羅列を鵜呑みにしているバカが多過ぎてどうにもならない
科学というもの 真理というものは 論理客観的根拠や証拠に基づいて見極めなければならないのであって 権威の主張を漫然と鵜呑みにしているだけでは「ただの無意識なバカ」にしかならない
Ende;