遺伝的進化というものは 特定の環境において繁殖が継続できて生物種として存続できた「結果」を遺伝的進化と分類しているに過ぎず
繁殖が継続できてさえいればブチハイエナのように6割死産しようが ネズミのように大量に捕食されようが その環境下での調和にさえ適すれば「生物」なのである
つまり 遺伝的進化というのは決して個体にとっての「最適化」などされることはない
イワシやネズミは大量に繁殖するが その大半を生態系に提供する形で環境調和機能の一部として存続できるのであって 繁殖しすぎても 絶滅しても環境調和にはならない
環境調和は個体存続においては最低条件であり 環境調和ができなければ個体の存続も成立することはない
ブチハイエナの6割死産も 偽陰茎ができる程の男性ホルモンなくしては集団組織の形成が成り立たないため たとえ6割が死産するとしても集団形成なくしてブチハイエナは存続が成立しない以上は避けられないのである
生物というものは環境なくしては存続できない存在であり 個体の都合よりも環境適応性の方が優先されるのであって 存続が成立するためには6割死産しようが 何匹子供が天敵に喰われようが 結果的に絶滅さえしていなければ「生物」なのである
チャールズ:ダーウィンを誤解して「強者の論理だ」などと言い出すバカがいるようだが ダーウィンはあくまで自然環境における自然現象としての遺伝的進化のメカニズムを説明しただけであって 自然界が弱肉強食なのは当たり前の話である
弱肉強食も遺伝的進化も あくまで「自然現象という結果」であって これを「人間社会に適用すべき目的」だと勘違いするから「強者の論理だ」などという訳のわからぬ解釈に陥るのである
結果と目的の区別ができないからフランシス:ゴルトンの優生学などというオカルト観念とごちゃまぜにしてしまうのである
長谷川眞理子は散々遺伝的進化に目的や戦略をこじつけてきたにも関わらず 「皆さんは間違えています」などと称してはぐらかそうとしているのである
生態系のピラミッドが持つ平衡性も それを構成する動物種が生態系に適応しているからこその平衡性であり 一定範囲を超えた個体数の急激な変化が生じた場合には生態系全体がバランスを崩し 一度壊れた生態系はそう簡単には元には戻らない
いうなれば生態系そのものも「一つの生物」のようなものであって ヒトの体内でも一つの臓器が機能不全に陥れば個体も死ぬことになるのと同様に 生態系もそれを構成する動物種が一つでも機能不全に陥れば生態系全体も死滅することになるのである
ヒトは所詮生態系を形成する生物種の一つに過ぎず 決して生態系バランスを無視して全てをコントロールできるわけではない
むしろ ヒトは自分達の欲望さえもコントロールできない不自由で無能な存在に過ぎない
温室効果ガスを排出し続ければ重大な環境破綻を引き起こしかねない事実を知っていながら 今まで行ってきた行動を全く変容させることができないバカなのである
環境対策もどこ吹く風とばかりに未だに武力による民衆弾圧を行っている時代錯誤も甚だしいバカも少なくない
ヒトが権威と見なした相手に唯々諾々と盲目的に服従し 崇拝忖度し その多数派に同調迎合しておいた方が利己的に安心満足感が得られることから 論理客観的な根拠を伴う自律的な社会的責任判断選択を放棄しても正当化できていると勝手に錯覚することで 統率協調的行動によって「大きな力」も発揮できるのだが その力の大きさ故に暴走破綻にも簡単に陥るのである
遺伝的進化には目的は存在しておらず あくまでヒトは数億年前の狩猟採集生活に適応した本能習性しか持ち合わせておらず これが暴走する形で封建的な差別的順位序列社会構造に簡単に陥るのである
こうした先天的習性に由来する社会的生活習慣病こそが あらゆる「人災」の根本的原因ともなっているのであり ヒトは自らの頭の悪さを自覚する「責任」があるのだ
にも関わらず山極寿一が「人間には先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという科学的には何の根拠もない衆愚迎合で衆愚は満足し 主観的に気分が良くなることで何の疑いも持たずに鵜呑みにして益々バカになるのである
ヒトは主観的に気分が良くなりさえすれば「正しいこと」だと勝手に勘違いするものである
ミャンマー軍事政権下の政府軍兵士達は上官が民衆を敵だとみなせば唯々諾々と服従忖度して平気で殺害することも可能となるのも その方が気分が良いからである
主体性の欠落した子供がイジメをして「楽しい」のと同様 ヒトは主体性がなければ簡単に加害者競争に陥り より残虐な行為を競い始めるようにもなる先天的な人間としての欠陥品(バカ)なのである
主観的な気分の良し悪しは科学的真理とは無関係である
真理とは「本当のこと」であり 社会安全性や持続可能性と決して無関係ではない
「本当に安全なもの」が何なのかを区別出来ずに安全性を求めることはできない
当たり前の話である
Ende;