私は個人的にはハゲヲヤヂ同士が手を握って「愛し合って」いることに共感できない
髪を染めることにも 厚化粧にも共感できない
だが かわいい女子同士が仲良くしているのは素敵だなと「思う」し
美形の男子が女装するのも違和感はない
これらは全て私の個人的な主観である
主観的な美的感覚などというものは 客観的にはどうでも良いことであるから ハゲヲヤヂ同士で手を握って歩いていることも 学校安全の研究者が金髪にしていることも許容するべきだと「考え」て判断している
山神明理が南野陽子みたいな顔立ちであるため 似合う髪型が限られていると「思う」のも 勝手な個人的好き嫌いの範疇である
社会的にはどうでも良い話である
大和民族など 日本人の人たちの中で育つと 海外にルーツを持つ人に対しての観念的違和感を抱きがちである
内容が聞き取れない他国の言語で話をされていると 聞き慣れないことに不快感を「感じ」ることは私にもある
だが それらは全て個人的な主観的好き嫌いの範疇であって 決してそんな違和感だけで他人を評価することなどできないのである
逆に言えば 詐欺師は日本語が流暢だからこそカモられるのであって カタコトの日本語では詐欺は成立しないのである
個人的 主観的に安心だからといって それが真実であることの証拠にはならない
人を「外来種」呼ばわりして差別することを正当化するバカもいるらしいが 外来種の全てが有害だったり敵対的だったりするわけではないし そもそも分子生物学(遺伝)的には「ヒト」は全て同じ種の生物であり 「他の種の生物」ではないのである
社会の変化に対して 気分的に追いつかないからといって 自分の主観的好き嫌いだけを根拠に他人を「外来種」呼ばわりするというのは身勝手極まりない
もし自分が海外に住む事になった時に 自分が「外来種」呼ばわりされ差別されることを許容できるわけもないのに あたかも先住民族だからというだけで他所者として差別するのは合理性がない
私の知り合いに父親がバングラデシュ人の子がいるが 外見は彫りの深いバングラデシュっぽいのだが 日本で産まれ育っているので中身は完全に日本人である 当然国籍も日本人である
確かタレントのローラちゃんもバングラデシュ人のハーフだった気がする 調べりゃわかるが
ローラちゃんとか池田エライザちゃんや藤田にこるんに対して「外来種」などと言い出す奴がいたら頭がおかしいとしか「思え」ないし 逆に日本人なら相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺犯の植松聖は許容できるものなのかと 「へずまりゅう」も日本人らしいが あんなもんが日本人であるということ自体 同じ民族であることが恥ずかしいとしか「思え」ない
そりゃ 中には外国籍の犯罪者もいるだろうが 犯罪者などというのは国籍や民族で区別できるものではなく オウム真理教の教祖も 無謀なインパール作戦司令官の牟田口廉也も日本人なのである
ヒトが暴力的排除をしたがるのは 主観的恐怖に因るものである
「見慣れないものを怖がる」という その「習性」自体は自分で選択していない
自己選択不可能な情動は 本質的には「意思」ではないのである
単に「見慣れない」というだけで他人を差別しているようであれば 簡単に詐欺にもひっかかるであろう
慣れ親しんだ日本人や日本語なら安心して信じ込むことが可能だからである
Ende;