生物というものの定義に「種の保存」という概念を使うのが根本的に間違っているのである
進化によって遺伝情報に変異を伴うこともある以上 「繁殖の継続」と言うべきである
原始的な生物には 変異も 変異に伴う進化もせずにただ繁殖だけをするものもある
放射線などの影響もなく 極めて安定している環境では 変異は起きない方が適しているからだ
一方 構造的に変異を繰り返して環境変化に適応して進化が起きた個体種もある
これらは全て「繁殖の継続」であって これならウイルスも生物の範疇に入ることになる
元々 ヒトなどの動物も地球環境に「寄生」しているようなものであって 地球環境なくして「繁殖の継続」はできないのであり ウイルスが宿主という環境なくして「繁殖の継続」ができないのと構造的には同じである
結果的に「繁殖の継続」が成立していれば「生物」と分類できるが できずに死滅すれば「生物」としては成立しない
結果的に「繁殖の継続」が成立しているものが「生物」であって そこに合理的目的意図や最終的目的地のようなものが存在しなくてはならない必要性はない
「繁殖の継続」だけを目的とするのであれば 別にゴキブリでも何でも構わないのであって ヒトである必要性なんぞ全くなくなる
ヒトである必要性とは ヒトの論理客観性によって合理的な目的行動選択(目的意識)を追求することによって 社会持続可能性や公平性を優先するという人間性を発揮すること「も」可能だからである
人間性は要らないというのであれば ヒトである必要性はない
ヒトは永遠に生きることはできないし 永遠に生きることの必要性もない
結果的ではあっても 世代をつないで 今よりも安全で公平な社会であって欲しいという願い(欲望)を優先することによって人間性が発揮されるのであって これもまた自発的純粋行為がもたらす結果である
社会安全性や公平性を求めなくなるのは 他人との順位序列に固執する評価承認欲求中毒が原因である
なんつっても他人よりも自分の方が優位に立とうとする欲求であるから 安全性や公平性が蔑ろにされるのは必然的結果である
行動選択の基準が全て主観的な安心満足になってしまうため 主体的に自分の頭で考えて判断することを一切しなくなり 多数や権威に迎合同調服従忖度する以外何もしない夢遊病者やゾンビや機械のような行動選択しかしなくなるのである
他人からの評価に左右されることなく 自発的に自分の頭で考え判断選択するためには 純粋に自分の頭で考える習慣が必要不可欠であり だから主体性を重んじる教育が必要なのである
「生きるためには」などと称して かりそめの生存だけを目的にしてしまえば もはや他人を危険にさらしてでも構わないことになってしまい 自発的自律的には責任を負わなくなってしまうのである
「死にたくない」というのは本能である 脳が持つ先天的な常習性によって 「今までずっと死ななかった」ことから 「生きて」いる状態に安心満足し 「生きて」いない状態を激しく忌避する先天的本能習性の「結果」でしかなく それは合理的目的の論証には一切ならない
欲望の大きさだけがヒトの目的の論証にはならないのである
より安全で公平な社会であることこそが 自分もまた生き続けるに価する根拠になるのであって ただ生きているだけでは人間としての尊厳も自由もスッタクレもないのである
自分がもし「強い」とか「優秀」であるのならば その能力は弱者を助けるために用いるのが人間性である
「俺様は他の有象無象よか知識の量や偏差値が優秀だから 弱者は蹴落として俺様だけ優遇されなくてはならない」などと思っているのであれば それはもはや「人間」とは言えない
私が「バカ」と形容しているのは 学力成績や人気や世間的成功を短絡的に人間としての存在価値であるかのように錯覚している頭の悪さを指摘しているのである
中野信子のように 「世間的成功者=頭が良い」という基準だけで物事を判断する話に多数人気が集まっているという 大衆の認識の低さを「バカ」と言っているのである
養老孟司や読書猿のように嘘やデマを言っていても金さえ儲ければ「成功者」である そんなもんが人間としての存在価値や知能の論証になどなるわけがないのに 多数の衆愚は自分の利己的利益追求に都合の良い中野信子の主張を鵜呑みにしている「バカ」なのである
人間にとって最も重要なのは 安全性と平等である 危険で序列や差別に満ちた社会に人間性など伴わないからである
結果的ではあれ ヒトは現在の生物多様性環境の中でしか生き続けることはできない
できたとしても 生活が過酷になることは確かである
自然界からの多大な恩恵ありきの生活が どれだけ豊かであるのかを自覚しないことには 環境保全の重要さを理解することはできない
失ってから嘆いても遅いのである
自然環境というものは 一度失われてしまうと取り戻すのに膨大な時間と労力が必要になる
それもまた結果的なものではあるが 人間としての目的は安全性と公平性であって 次世代に莫大な借金を背負わせて公平もスッタクレもないのである
ところがヒトというのは 生まれてからずっと続いているものは永遠に続くものだという錯覚があり いくら科学的客観性に基づいて温室効果ガスを削減しないと取り返しがつかないことを説明しても 主観的には実感がわかず 呆然と因習や根拠のない常識に囚われ 行動を変えることができない
天動説の時代に地動説を火炙りにしたように 論理的反論もできないのに暴力的手段で「解決」だと錯覚するのがヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的な認知上の欠陥である
本当は 振り込め詐欺だの通り魔だの戦争だので手間を取られている暇なんぞ人類にはない
温室効果ガス削減に全力を尽くさないことには絶滅もあり得るのである
Ende;