感情の起伏が激しい人っていうのは、異性として魅力を感じるものらしい。
すぐに泣いたり笑ったりふくれたりする異性というのは、ヒトという種の生物の本能的には魅力を感じてしまうもののようで。いわゆる「ツンデレ」なんかも典型なんじゃないですかね。
ま、確かに感情の起伏が激しい人っていうのは、見ていて楽しい。
楽しいっていうのは脳内麻薬で酔っ払っている状態だと言えるので、酔っ払いの判断力が低いのは必然的結果というものなんでしょう。
つまり、ヒトという種の生物というのは、感情の起伏が激しい個体程繁殖しやすいということになる。
ただ、それが人間としての理性を喪失しやすい方向性へと「進化」してしまうのもまた「結果」であって、そこに「目的」は存在しない。
DVなんつうのは感情の起伏が激しいから暴力を振るったり急に優しくなったりするため、女の方が勝手に「この人は本当は優しい人なんだわ。」的勘違い妄想錯覚をしてしまうために暴力男にケツを振ってしまうことに陥り、その結果を一般的には「だめんず」と形容する。
個人の男にだって洗脳されるんですから、これが多数で一人の教祖を信頼し始めると無差別テロにまで発展しちゃうわけです。
外見上「素敵」だと「感じて」も、それが先天的本能に由来する個人の主観的感覚に過ぎないと判断分別が出来れば、自己客観的に「この人といると楽しいけど、配偶者としては危険だな。」と判断出来るわけです。
ところが、ヒトという種の生物の本能として、繁殖というのは極めて強い情動を伴うため、振り込め詐欺の被害者同様、簡単に盲目に陥り、DV男相手でも子供こさえちゃって大変なことに陥るわけです。
異性に対する本能的欲求というのは、別に神様とか進化生物学が保証してくれているわけではないので、「うひゃぁ、この人素敵ぃ。」とか思ったとしても、実は何の根拠もないんですね。その場限りの生理的本能に過ぎない。
生理的本能として配偶者として遺伝的に適さない相手を匂いで判別する能力が女子にはあるらしいんですが、こうした生理的本能の全てが常に正しい結果を導いてくれる神様がいるわけではなくて、あくまで「ものによっては有効。」という断片的証明でしかないんです。どんなにたくさんの「生存に有利な本能習性」を枚挙しても、「本能の全てが常に絶対に生存に有利に働く。」ことの証明にはならないのです。
バカ女がバカ男と子供こさえればバカな遺伝子程保存されることに陥り、バカに進化することも充分あって。だからこそ時折虐殺とか無差別殺人が起きることになるんでしょう。
だから、自分の主観的感覚というものを盲目的に信用するのは危険なのであって。観念的に「自分を信じる。」的な話というのはおいらは大嫌い。
本当の自分というものが何かを知らない奴が「自分を信じて」いるからオウム真理教なんであって、そういう観念論は要らないです。
Ende;
すぐに泣いたり笑ったりふくれたりする異性というのは、ヒトという種の生物の本能的には魅力を感じてしまうもののようで。いわゆる「ツンデレ」なんかも典型なんじゃないですかね。
ま、確かに感情の起伏が激しい人っていうのは、見ていて楽しい。
楽しいっていうのは脳内麻薬で酔っ払っている状態だと言えるので、酔っ払いの判断力が低いのは必然的結果というものなんでしょう。
つまり、ヒトという種の生物というのは、感情の起伏が激しい個体程繁殖しやすいということになる。
ただ、それが人間としての理性を喪失しやすい方向性へと「進化」してしまうのもまた「結果」であって、そこに「目的」は存在しない。
DVなんつうのは感情の起伏が激しいから暴力を振るったり急に優しくなったりするため、女の方が勝手に「この人は本当は優しい人なんだわ。」的勘違い妄想錯覚をしてしまうために暴力男にケツを振ってしまうことに陥り、その結果を一般的には「だめんず」と形容する。
個人の男にだって洗脳されるんですから、これが多数で一人の教祖を信頼し始めると無差別テロにまで発展しちゃうわけです。
外見上「素敵」だと「感じて」も、それが先天的本能に由来する個人の主観的感覚に過ぎないと判断分別が出来れば、自己客観的に「この人といると楽しいけど、配偶者としては危険だな。」と判断出来るわけです。
ところが、ヒトという種の生物の本能として、繁殖というのは極めて強い情動を伴うため、振り込め詐欺の被害者同様、簡単に盲目に陥り、DV男相手でも子供こさえちゃって大変なことに陥るわけです。
異性に対する本能的欲求というのは、別に神様とか進化生物学が保証してくれているわけではないので、「うひゃぁ、この人素敵ぃ。」とか思ったとしても、実は何の根拠もないんですね。その場限りの生理的本能に過ぎない。
生理的本能として配偶者として遺伝的に適さない相手を匂いで判別する能力が女子にはあるらしいんですが、こうした生理的本能の全てが常に正しい結果を導いてくれる神様がいるわけではなくて、あくまで「ものによっては有効。」という断片的証明でしかないんです。どんなにたくさんの「生存に有利な本能習性」を枚挙しても、「本能の全てが常に絶対に生存に有利に働く。」ことの証明にはならないのです。
バカ女がバカ男と子供こさえればバカな遺伝子程保存されることに陥り、バカに進化することも充分あって。だからこそ時折虐殺とか無差別殺人が起きることになるんでしょう。
だから、自分の主観的感覚というものを盲目的に信用するのは危険なのであって。観念的に「自分を信じる。」的な話というのはおいらは大嫌い。
本当の自分というものが何かを知らない奴が「自分を信じて」いるからオウム真理教なんであって、そういう観念論は要らないです。
Ende;