○自分を大切にする。
「自分を大切に出来ない者は、他人も大切にすることが出来ない。」
これは定理である。しかし、本質的な意味においての「自分を大切にする。」というのは、決して無意識的に利己的本能欲望に従うことではなく、本質的な自発性を持った純粋な探究心、好奇心を意識的に選択することである。
振り込め詐欺師が自分達の利益のために振り込め詐欺を続けるというのは、何ら本質的な「自分」を大切にはしておらず、与えられた周囲の状況環境に無為に無意識に流されているだけであって、本質的には「自分を大切に。」はしていないのである。
自発的探究心や好奇心であっても、これもまたある種の本能ではあるが。様々な本能欲望の中から自分自身にとって最も大切だと意識的に、合理的な検証に基づく選択をすることによって、はじめて他人も大切にできるようになるのである。
外見上「自分本位」というと、あたかも本能欲望のままに他人の迷惑も考えずに行動することだけであると勘違いしがちであるようだが。これは本質的な自発的意欲を持たない文系大衆観念に他ならない。
自分自身が純粋に探究出来る行為に対し、自分自身の価値を置く場合。外見上は禁欲的で、決して身勝手で他人の迷惑を考えないような者にはならず。むしろ、自分自身で自分の精神的満足を充足することが出来るために、他人や世間に対しての過剰な評価報酬を求めたりしなくなり、結果的に外見上禁欲的な行動選択も、自律的な社会的責任判断をも出来るようになるのである。
文系大衆観念上では、多数他人や多数によって規定された権威に服従するという、規範意識さえ満たしておけば、全てはうまくゆくものであると勝手に安心し、錯覚しているが。これはとんでもない大間違いである。
多数が大間違いをしでかしておけば、規範自体も大間違いとなるのは必然である。ナチス政権や戦時中の日本も多数で大間違いを放置したからこそ無謀な暴走破綻へと邁進したのである。
多数が間違っている場合は権威がどうにかしてくれると勝手に勘違いし、お任せパターナリズムを発揮して自律的には誰も何も検証せずに放置しておくことの方が、気分的に安心で満足を得ることが出来るのである。
こうした行動バイアスというのは、本能的な社会形成習性による封建的統率協調行動傾向の結果である。
権威だの英雄だの天才といった、特定のカリスマだけにあらゆる問題解決を期待することで、多数の大衆は無為無策に多数迎合して安心するだけで満足なのである。
特定の「誰か。」への過剰な期待を持つことによって、自分達の頭の悪さを正当化し、免罪符にすりかえようとするのである。
「自分はバカだから。」などと自慢げに主張しておいても、多数がバカであれば気分的に安心であるため、あたかも正当化できたような錯覚に勝手に陥るのである。
自分の主張していることに論理的根拠があるのかを自己検証する者はとても少ない。むしろヒトの行動習性的には、論理的根拠のない固定観念ほど感情的でヒステリックに主張したがるのである。理性を伴わない思い込みであるからこそ感情的に主張するものであるからだ。
Ende;