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迷言集

2021年10月28日 00時22分12秒 | 意識論関連

『信念は嘘よりも危険な真理の敵である。』

 -フリードリヒ:ニーチェ

ニーチェは信念のことを真理の敵だと述べているが 以下のようにも述べている

“権力への意志”、つまり力を増大させたいという意志は、どんなものにもあると考えます。それは決して人間だけでなく、生物界のすべてが力の増大を目指すというのがニーチェの生命観なのです。そして、それらを全面的に肯定しようという発想が”超人”という概念に繋がり、力の増大を認めようとするのです。

 出典:https://toyokeizai.net/articles/-/461925?page=5

 


⇨「信念」と一言で述べても 「実証不能の謎の観念」だけが「信念」ではない

ガリレオ:ガリレイの地動説も「信念」であり

ヴァルター:ベンヤミンによるナチスへの反抗も「信念」である

「信念」なくして科学的真理の探求など成立しないのであり 「信念」の全てを「真理の敵」だと決めつけることはできない

 

重要なのは個人の「信念」に論理客観的根拠に基づく証拠が伴っているかどうかであって 決して「信念の全てが真理の敵」ではないのである

ニーチェは「生物界のすべてが力の増大を目指すというのがニーチェの生命観」という非科学的観念(信念)によって真理から遠ざかったのである

 

ヒトは「答え」を求める習性がある

だが 残念なことにその「答え」には 主観的に安心満足さえできれば論理客観的根拠に基づいた真理の証拠は必要ない

ヒトは真理を求めているのではなく 主観的な安心満足や快楽が得られる「答え」しか求めようとしない 先天性の認知的欠陥を持っているためである

 

人間として本当に求めているはずの「答え」とは 本来安全性にとって有効性のある論理客観的根拠に基づいた証拠のある「真理」のはずだが

ヒトという種の生物は先天的に主観的な気分的安心満足さえすれば「答え」に客観的根拠があろうがなかろうが検証する(考えること)を簡単に放棄してしまうのである

フリードリヒ:ニーチェによる「迷言」の数々は根拠のない決めつけが多く 衆愚が物事を論理客観的検証を放棄するのにおいて正当化に都合の良いものが多いため 衆愚からは多数人気を得られるのである

できそうにないことは やらない方が良い」などというのが典型である

主観的に「できそうにない」ことを とにかく「やらない方が良い」という精神的怠慢を ニーチェは正当化するのに都合が良いのである

 

「信念は真理の敵だ」などと言っておきながら 「生物界のすべてが力の増大を目指す」とい生命観に基づき 全面的に肯定しようという発想が超人妄想という実証不能の謎の観念をでっち上げ ナチズムを精神的に支えたのである

ニーチェ教 ゾロアスター教の信者達はニーチェの「迷言」を都合の良い解釈にだけこじつけ ニーチェ自体の危険性については全く自覚していないのである

 

弱さから生じる全てのものは悪

⇨障害者や貧困者は頭ごなしに「悪」だと決めつけるのに便利な「迷言」である

 

事実というものは存在しない 存在するのは解釈だけである

⇨客観的事実認識を放棄して主観的観念を信じ込むのに便利な「迷言」である

 

考え過ぎたことはすべて問題になる

⇨思考放棄の正当化に便利な「迷言」である

 

たくさんのことを生半可に知っているよりは、何も知らないほうがよい

⇨無知の正当化に便利な「迷言」である

 

 

 

Ende;


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