評価承認欲求の強い人は眼縁筋が動かない傾向がある
なぜ顔の筋肉を動かさないのかと言うと 相手に自分の感情を読まれたくないからである
これも生育環境に起因するものであり 親や大人から自分の感情を読まれると嫌な目に遭う環境で育つと表情を出さないように「学習」してしまうからである
ある意味「かわいそう」な性質ではあるのだが 評価承認欲求が強いと嘘も平気で言えるようになってしまう
多くの他人から評価さえもらうことだけが「目的」になっているので バレなければ嘘をついても何とも「思わない」ためである
直接面会して話を聞いてしまうと 話の全てを理解できなくても雰囲気で丸め込まれて相手を気分的に信用してしまうことがよくある
多くの哲学者達が「会って話そう」としたがるのは その場限りに相手を丸め込んでご機嫌取りをして相手の思考を停止させることに自信を持っているためである
これはペテン師や占い師も同じである
多くの他人を丸め込んで信用させておけば金儲けにはなるが 同時に客観的真実を多くの人から奪うことで社会安全性を損なう原因ともなるが それはペテン師にとっては「どうでも良いこと」である
「ポーカーフェイス」でもあるのだが それが主観的に「かっこいい」としても人間性の論証になるわけではない
誰の眼縁筋が動いていないのかは 動画から音声を消して表情だけを見ると良くわかる
眼縁筋が動かないことが常に嘘つきであることの論証にはならないが 統計的な傾向性としてはあるので知っていて損はない
「嘘をついているのかは 眼を見ればわかる」という話は良く言われるのだが ヒトの多くは音声の内容に意識を取られて表情だけを純粋に見ることが出来なくなるため 記録された動画から音声を消すと良くわかるのである
「音声の内容に意識を取られて」はいるのだが 直接会話の内容というのは必ずしも内容を論理客観的に検証することは出来ず 主観的印象による個人的な好き嫌いだけしか頭に残ることはない
だから「騙される」のである
ましてや電話だけならなをさらである
もし「○○警察署の〇〇ですが」という電話があった場合には 一度電話を切ってから最寄りの警察に問い合わせてみれば良いのである
「もしもし 俺だけど」だと言っているなら 一回その「俺」の電話番号に問い合わせてみれば良いのである
「amazonですが」とか「楽天ですが」というメールがきたのであれば メールのリンクは使わずに一回自力でログインしてみれば良いのである
嘘かどうかは一瞬では判断できないが よくよく検証してみればドメインが違うとか メアドがおかしいとかに気付くことは不可能ではない
一番いけないのは 焦るなどの「感情に煽られる」ことである
Ende;