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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

感情という無意識

2021年08月15日 11時30分38秒 | 意識論関連

DaiGoの問題発言もそうなんだが 個人の主観的な好き嫌いは社会的正義にはならない

個人的好き嫌いを述べるのは勝手なんだけど それを法律などの社会制度に持ち込んだら狂人にしかならない

ヒト個人には それぞれ個人的な好き嫌いってのはあるんだけど それはあくまで個人的なものであって 社会的な価値があるわけではない

「人が人を殺してはいけない理由」はないのだが

「人が人を殺してまで生き続けなければならない理由」もないのであって

客観的に考えて 自分の発想を他人に置き換えてみれば 個人的な好き嫌いで他人に順位序列をでっち上げて差別されることの危険性は ちょっと考えれば誰でもわかる話である

個人的な好き嫌いで他人を差別して存在価値を勝手に決めつける奴は頭がおかしいことくらい いちいち言わなくてもわかりそうなものだが

主観的な好き嫌いというものを意識の主体だと 意識の本質だと勘違い錯覚しているからヒトは簡単にヘイトに陥る

「ヒトは皆レイシストである」と述べた方がいて 「ヘイトスピーチに熱中しているキチガイの群れが嫌いだという自分もまた差別主義者だ」とつぶやいていたことがある

私も夜中に泥酔して騒いでいる糞DQNは大嫌いだが 糞DQNが糞DQN行動を採る原因を究明し 他人の迷惑に配慮ができなくなるメカニズム構造を解明することが必要だと考えている

これは犯罪者も同じことで 他人の迷惑に配慮できないからこそ犯罪に手を染めるのであって 自律的な社会的責任判断選択ができていれば他人の迷惑にも配慮ができるようになる

他人の迷惑にも配慮ができれば犯罪者にも糞DQNにもならないからだ

 

DaiGoは また こうも発言している

「犯罪者が社会の中にいるとみんなに害があるでしょ?だから殺すんですよ。同じですよ」

これはつまり 死刑制度を含めた刑法罰のことを言っているのである

相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の植松聖を死刑にしたら 障害者差別や虐殺事件はなくなるだろうか?

通り魔やテロリストを死刑にしても 無差別殺人事件がなくなる構造的原理は存在しないのである

無差別殺人者を嫌わない者というのは極めて稀だろうが 嫌いという主観をどんなに多数集めてきても それが短絡的に社会安全性などの公益性に寄与することの論証にはならない

 


ホームレスなどの貧困者と一言で言っても 当人の努力だけではどうにもならない構造的問題というのも存在しているのであって 単に「ホームレスだから要らない」とい話にはならないのである

確かに悪質なホームレスというのもいて 生活保護を受給した即日にギャンブルに注ぎ込んで 後はボランティアの炊き出しで食いつなぐという身勝手な奴もいるこたいるのだが ホームレスの全員がそういう身勝手な生活保護の主旨を逸脱した使い方しかしていないわけではない

「ホームレス」の一言では 人間性とか倫理性を量ることにはならないのだ

それは「犯罪者」でも同じである

司法裁判では 犯罪者の悪質性とか更生の余地とか被害の大きさなどを勘案して 刑罰の重さを決めているが 犯罪者は全員同じではないため 同じ罰を与えても更生する場合もあれば 更生するどころか出所後数日で再犯することも非常に多い

日本での再犯率は50%程度あり イギリスでは75%にも達するという

司法の勝手な判断によって 社会安全性が蔑ろにされている現状を放置すべきではない

犯罪者がなぜ 自律的な社会的責任として他人の迷惑に配慮ができなくなっているのかについての科学的構造原理を解明することで ヒトが持つ先天的危険性などの欠陥を補うための重要な 対策に有効な知見として利用することが可能である

 

意味のわからぬ無差別殺人や傷害事件というのは後を絶たない

「意味がわからない」という点においては 実際には「刑法判決で解決だ」という結論もまた同じことである

ヒトは暴力を振るうと脳が気持ちよくなる

映画や漫画の多くが暴力で何かを解決する物語に人気があるのも それが原因である

フォートナイトのような殺人ゲームも人気がある

ヒトは 嫌いな奴を殴っておけば快楽を感じる習性があるため 殴ってさえおけば何かが解決したと錯覚して満足し それ以上の何もしなくなるのである

悪質な犯罪者であっても むしろ悪質であるからこそ 「なぜ自律的な社会的責任を負わず 他人の迷惑に配慮できないのか」についての原因究明において 最適な「検体」だとも言えるのである

それを刑法によって死刑にしてしまっていたら 本当の「真実」は闇に葬られてしまうのである

それが原因で無差別殺人が無為に繰り返されている以上 死刑制度を含めた刑法そのものを批判しない国民全員の責任でもある

 

ヒトは 主観的に気に入らない相手には短絡的に懲罰を与えて満足しようとする習性がある

JR西日本による懲罰的「教育」こそが 尼崎列車脱線事故の原因であることは 遺族達による検証によって明らかになっている

暴力的抑圧によって恐怖で他人を支配することは 個人の主体的判断能力を失わせてしまい 「秒単位で決められたダイヤを守ることだけ」に意識を奪われることで 速度超過で急カーブに突進した結果が大惨事となったのである

これは刑務所も同じである だからこそ再犯率が高留まりして改善しない

他者から与えられる恐怖で抑圧されている状態というのは「他律」である だから釈放されて「他律」がなくなった途端に歯止めが効かずに再犯する

ノルウェーだかデンマークだか忘れたが 北欧で罰を与えない刑務所の再犯率が極めて低く抑えられているという話があった

被害者側からすると 何だか気分的に納得感は得られない話ではあるのだが 犯罪者の多くは幼少期からの虐待によって自律的判断能力を育まれていないという「被害」者でもある

そもそも子育てなんていうのは全員が初心者であって 育て方を間違えて犯罪者にしてしまうこともあるだろう

誰しも「ヒトは間違えるもの」だからである

 

個人的には犯罪者も糞DQNのような脱法犯罪者も全員死ねと主観的には「思う」こともあるのだが これは私の個人的主観や好き嫌いの範疇であって 糞DQNを死刑にしても糞DQNがいなくなる構造的な問題の解決には全くならない

社会安全性にとって最も重要なのは 「気に入らない相手を殴る」ことではなく 「何でコイツは糞しょうもないことをやらかすんだろう?」という疑問を解明して具体的に再発防止につながる対策にまでつなげることである

無差別殺人をやらかすバカというのは おしなべて「社会が悪い」などと言い出すものであるが 社会のどこが どのように間違っているのかを論理客観的に解明し 具体的にどう変えることで改善するのかを提案提示し 地道に一つ一つの社会問題を解決してゆく必要がある

そうした地道で丁寧な対策をすっ飛ばして 「暴力で解決だ」となるからバカなのである

それは刑法罰を放置している国民全員も同じことである

無差別殺人犯を死刑にして満足し 同じ様な無差別殺人が起きても誰も責任を負わない制度を放置していることもまた 無責任の一端を担っているのである

ヒトは 多数で無責任なことをしていると 責任が薄まるような「感覚(錯覚)」によって気分的には平気になってしまう

そういう先天的欠陥を持っていることを自覚しなければ 本当に安全性にとって最も効率の良い対策制度には到達できないのである

 

 

 

Ende;


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