goo blog サービス終了のお知らせ 

書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

無意識の共謀

2022年01月30日 14時24分52秒 | 意識論関連

何や知らんが 「自分が生きていても楽しくない」からって他人を巻き添えにして自殺しようとかするバカが時折出てくる

なんなん

自分の楽しみって自分で見つけるものであって 他人は関係ないだろ

自分が何を楽しいと思うのかは あくまで個人的なものであって 他人に提供されるようなものではないし

ヒトである以上はいつか必ず死ぬんであって 別に死にたいなら勝手に死ねば良いのに 何で他人を巻き添えにするのか意味がわからない

永遠に生き続けられるとでも思っているのであろうか

「他人との関係性」の中に人間性なんぞを求めるから 孤独になった途端に「社会が悪い」などという勝手な報復感情を爆発させたがるんであって 大多数のヒトが他人との関係性に主観的安心満足感を得ているからといって それが「正常」であることの論拠にはならん

ヒトは他人と「同じ」であることに観念的な安心感を求める習性があるが 人間性の本質とは「個人た自律的に社会的責任判断選択を行えること」であって 「他人(世間)」は関係がない

「他人(世間)」とは 要するに自分の置かれた「環境」のことであり 「環境」に左右されていたのでは「自律」がなくなる

 

文明から隔絶された原住民達の間では 部族間紛争によって年間1%もの死者が出る

寿命が50年だとしたら 生涯の間に2人に1人は紛争で殺されているのである

ヒトとは 先天的には「そういう生き物」なのである

それでも繁殖が継続さえできれば生物としては存続可能であり 遺伝的進化としては「成功」だと言えるのだが 遺伝的進化などというのは所詮は環境適応の結果に過ぎず 紛争で殺し合いを続けようとも 月経や出産や強姦やDVで苦しもうとも そんな後天的「苦しみ」は遺伝的要素には影響を及ぼすことはない

ブチハイエナのように6割が死産しようとも 繁殖が継続さえできていれば「現存種」としては存在できるのである

それが遺伝的進化における「成功」というものの実態である

ヒトという種の生物というのは 別に人間として行動選択が促されるような先天的本能など存在しないのである

ヒトの多くは「他人との関係性」の中で人間性が育まれるものだと勝手に勘違いしているからこそ 原発事故や日大の組織腐敗に対して「組織の体質が悪い」などと環境の所為にして自律というものを「なかったこと」にしようとする

「悪いのは自分が置かれた環境の方であって 自分が悪いことをするのは環境としての世間や社会が悪いからだ」という屁理屈を鵜呑みにしているから 通り魔だのテロリストなどの無差別殺人犯が出てくるのである

「迷惑者はザラにいる」だの「教科書に墨を塗らされた」だのといった「世間が悪い」という屁理屈は 自律的に社会的責任判断をしたがらない奴特有のものである

東大刺傷事件の17歳に対し 17歳が通っていた愛知県の高校は「孤独が良くなかった」などという解釈をしているが 孤独な境遇の人だけがトンチンカンな無差別攻撃をするという統計的証拠は何もなく 孤独でなくてもトンチンカンな無差別殺人をする奴はいるものである

そもそも懲罰報復などの暴力で何かが解決すると「思って」いること自体が ヒトという種の生物の先天的な認知上の重大な欠陥であり

自分の欲求が満たされないことを「世間が悪い」と称して何の合理性もない無差別攻撃を仕掛けたがるのは 自分の脳内麻薬を自給自足できていないバカ特有の思考形式(パターン)である

世の中平気で嘘をつく奴や 平気で事実を捻じ曲げようとする奴は結構たくさんいるものである

世の中というのは嘘つきや無責任な奴は多いものだが だからといって「自分も無責任に嘘をついても良い」ことが正当化できるわけではない

ヒトの多くが自律的な社会的責任を負わないのは その方が利己的には「得」だからである

8割の学生がイジメを傍観放置するのも その方が利己的に「身の為」だからであり だからこそ社会的責任判断選択を簡単に放棄するのである

日大も東電も一緒である 組織内部の多数派に迎合同調し 上司に媚びへつらい 阿(おもね)り 忖度し 多数派に属していることによって自律的な判断責任が薄まるという「感覚」によって あらゆる組織腐敗は放置温存されることになるのである

「傍観は共謀と同罪」なのである

 

イマヌエル:カントは「天空の星々と人々との関係性」などというファンタジー妄想によって バカ哲学者共に人気を得ているが カントの時代には天体の全ては永遠の秩序が保たれた完全無欠な定常安定であると勘違いされていた時代であり ヒトもまた相互の関係性さえ構築されていれば自動的自然に人間性が発揮されるかのような感覚(錯覚)が促されることによって あたかもヒトが先天的に人間性を発揮できる優秀な存在であるかのように妄想して安心満足を提供しているに過ぎない

その主観的な安心感という「印象」を 短絡的に論理客観的根拠に基づいた安全性と勘違いしているからバカが治らない

東京電力や日本大学の組織内部における「関係性」こそが「組織の体質」を作り出し組織腐敗の温床となったのであって 組織内部の「人々との関係性」こそが個人の自律的な社会的責任判断を喪失させる最も大きな要因なのである

 

自律的な社会的責任判断というものは 必ずしも世間的成功にはつながらず 運が悪ければ「正直者はバカを見る」ことも少なくはない

ところが 世間的な「常識」においては世間的成功や金儲け能力を短絡的に「人間としての優秀さ」や「頭の良さ」であるかのように評価しているため 個人の自律については誰も興味を持たないし それを主張しても誰も耳を貸そうとはしないものである

中野信子のように「金儲け能力=頭が良い」という衆愚観念の「常識」に基づいた話の方が衆愚には人気を得られ易いものである

衆愚は利己的利益にしか関心がなく 社会安全性や持続可能性や公平性には何の興味もないからである

社会安全性や公平性に基づいた判断選択をしなければ それは社会的責任を放棄しているのと同義である

社会的責任なんぞ負わない方が「身の為」であり 主観的にも「安心」であろう

ヒトとは 先天的にはそういう卑劣な生物に過ぎない

だから後天的に自分の頭で物事を考え 「本当の目的」に則った行動判断選択をしなければ「人間」としては機能しないのである

「目的意識」とは 目先の情動に左右されずに統一的で合理性のある「本当の目的」を見極めるためのものであって 目先の「人々との関係性」に流されて無責任な判断選択に陥らないようにするためのものである

本質的な「目的意識」としての客観性がないからこそ ヒトは主観こそが意識の全てだと勘違いしているのであり

だからこそ詐欺にも簡単に騙されるのである

元々哲学者や生物学者共に騙されていることにすら 誰も気付いていないのであるから そりゃ詐欺にも簡単に騙されるのは必然というものである

「信じたい」とか「信じたくない」などという主観的「印象」を 自分の意識だと勘違いしているからバカが治らない

衆愚の主観的「印象」には 1円も社会的価値はないのである 世間的には金儲けにはなってもそれは本質的な社会的価値のないものに熱狂して投げ銭をしているに過ぎない

 

 

 

Ende;


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。