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副交感神経が優位になるような写真が好き。

心。

2011年06月09日 22時52分06秒 | 意識論関連
 放送大学2 発達心理学特論 9 において、「心。」というものの扱いが間違っている。

 単なる情動のことを「心。」とするのは間違いである。

 「人らしい心。」というものを厳密に定義すれば、それは「平均的な感情。」のことを指すのではない。

 アイヒマン実験において、6割以上のヒトの情動行動を指して、「人らしい心。」とは言えないからである。

 平均的で、多数派を占める情動行動に。多くのヒトは気分的安心を得る傾向があり、多くのヒトは論理的思考よりも気分的安心によって行動選択をしがちである。

 それは生物的には「ヒトらしい感情。」ではあっても、公益倫理的な「人間としての心。」とは言うことができない。

 「心。」という言葉は、人間特有の公益倫理に基づいた自己尊厳選択が伴うことによって、初めて人間特有の「心。」ということが出来るのである。

 それをチンパンジーでも観測可能な単なる感情までをも含めて「心。」と定義するのはトンデモない大間違いである。

 生物学的な因果律、運命論的な環境依存性の結果的情動行動と。論理的思考に基づき自己尊厳選択とを同一にしていては、人間性を伴う「人らしい心。」について論ずることは原理的にできないのである。

 通り魔であっても、単なる生物種としての「ヒト。」らしい感情なら持ち合わせている。

 そんなものに何の意味がある。

 幼児の発達心理学であるからといって、理論的に曖昧なままで良い訳がないのである。むしろ幼児期であるからこそ、「心。」の素となる個人の主体性、自発性を大切にしなければならない。

 「スパルタ幼稚園。」など、噴飯ものである。

 幼児に逆立ちさせて、「才能だー。」などと勝手に思い込んでいる親自身の指向、固定観念自体が間違っていることを認識するのが先なのである。



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